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2012年1月

2012年1月28日 (土)

これからどのような生き方を!

 人間落ち目になると、人が寄りつかなくなるというが、ありがたいことに、ぼくは年賀状もたくさん頂き、カフエ「邪宗門」での「伊藤文学と語る会」にも、毎回10数名の若者が出席してくれている。

「無法松の一生」でグランプリをとった、東宝の名監督、稲垣浩さんのお弟子さんの高瀬昌宏さん(残念ながらネットで調べられないので映画監督時代の作品は不明)
 世田谷文学館がオープンした頃、友の会が結成され、お互いに役員になったので知り合った方だ。
 高瀬さんは映画の監督から、テレビの時代になって、時代劇の監督に転身され、「鬼平犯科帳」などの作品を手がけている。
 高瀬さんの作品を時代劇専門チャンネルで見てますよと、はがきを出したら、すぐに返ってきた。
「『鬼平』はプロデューサーの市川さんが、台本作りに熱を入れ、原作を大切にしたことでツブの揃った作品になったので、やはり優れたものは、台本作りにあると思います。」
 もちろん監督の演出力もあってのことだが。高瀬さん、私も80歳になりましたと、年賀状にそえ書きがしてあった。

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 紅白歌合戦に60歳を過ぎてから、苦労の甲斐があって、2年連続で出演された秋元順子さん。無名の頃から応援してきたが、わざと年賀状を出さなかった。
 今年、初めて年賀状を出して、「うれしい」と書いたら、年賀状が送られてきて、「あの頃があって今がある。美術館でのショウは忘れられません」と。

38e

 美術館でのショウと言えば、俳優の清水紘治さんも、「恋の詩」を朗読してもらうために、「ロマンの泉美術館」に招いたことがあった。
 芸歴は長く、子役の時代からで、時代劇にも若き日の清水さんが登場している。渋い中年の俳優さんが少ないから、これからもますます活躍されることだろう。
 俳句も作られていて、年賀状に「あたらしきもの生まれこい初明り」と。新しい年、明るい光がさしてほしいものだ。

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 藤居正彦さん、細密画を描く、すばらしい技術を持っている方で、『薔薇族』の表紙絵を描いてもらっていた。
 下北沢北口の風月堂(今は靴屋になっている)で、月に1回、出会うことを楽しみにしていたが。
 年賀状の野球少女を描いた作品はすばらしい。グローブの皮の光沢が本物のようだ。「近くのグランドで見かける少年野球チームにかわいらしい女子選手を見つけ描かせてもらいました。この子たちがいつまでもハッピーでありますように。」
 ところが藤居さんがハッピーでないのは悲しい。こうした細密画を描く仕事がまったくないとは、なんという世の中だ。

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 四谷シモンさん。毎年、新宿の紀伊國屋書店のギャラリーで、人形展を開いている。2月には細江英公さん撮影の若い頃の写真集『シモン私風景』が刊行される予定だそうだ。
 今から45年前に、ぼくの先妻の舞踏家・伊藤ミカ(1月11日で没後42年)が、フランスの地下文学の最高傑作と言われた、ポーリーヌ・レアージュ作、渋澤龍彦さん訳の『オー嬢の物語』を1967年、10月に舞踏化した。
 ラストシーンで、オー嬢が舞台から降りて暗い客席にくさりでつながれて引き出される。全身、白い羽毛でおおわれ、頭にふくろうの面をかぶって。そのふくろうの面を製作してくれたのが、シモンさんだった。シモンさんとは長いお付き合いだ。

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  駒大時代の恩師、森本治吉先生の長男の嫁の槇弥生子さん、ぼくと学生時代からの短歌のお仲間だ。槇さんの年賀状にそえがきされていたひとこと。
「どのような生き方をなさるのか楽しみです」のひとことは胸にぐさっとつきささる。80歳を過ぎてどう生きるか、迷っていたからだ。自然にまかせるしかないのでは……。

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第4回「伊藤文学と語る会」 
 
2月4日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。どなた様もお気軽にお越しください。

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2012年1月23日 (月)

切り倒される、けや木の運命を!

 今、悩んでいることがある。わが家のすぐ近くの道路わきに立っている一本のけや木のことでだ。根本に世田谷区の公園管理事務所が付けた貼紙がくくりつけられている。
 それを読むと、この木の裏側が朽ち果てていて、ぽっこりと空洞になっている。このままにしておくと、強風によって倒れる恐れがあるので、2月上旬に切り倒すという、お触れ書きだ。

B
お役所のお触れ書き

 このお触れ書きが、けや木にとりつけられたのは、今年になってからだが、ここを通る人たちの中で、この木の運命を哀れに思って、心を痛めている人は、ぼくぐらいかも。
 ブログにこのことを書いて、みんなで区の公園管理事務所に電話をかけてもらって、なんとか生かす方法がないかと訴えたら、切らずにすむかもと考えていた。

 75年住みなれた代沢5丁目のわが家は、取りこわされ今では東邦薬品の駐車場になっているが、駐車場のまん中に大きなけや木が邪魔だと思うが、今でも立っている。
 それはぼくの子供のときから立っている。けや木をなんとか切らずに残してほしいと、社長にお願いしたら、それを守ってくれている。
 せせらぎ公園の桜並木の桜も、ぼくが昭和7年に、青山から代沢5丁目に越してきた頃、植樹されたものだ。染井吉野の桜は、7、80年が寿命だと言われている。確かに寿命がきていて、幹が空洞になったりして、すでにかなりの木が切り倒され、新しい桜に植えかえられてもいるが、切られたままの哀れな姿になっているものもある。
 桜の生命力は強い。1メートルぐらい幹が残っていて、そこから芽を吹き出して成長している木もある。
 1本、桜を植えかえると、30万ぐらいの費用がかかると聞いたことがあったが、予算がとれると植えかえているのだろう。

 わが家の近辺には、切り倒されてしまったものも多い。今度越してきて住んでいるマンションは、阿川さんという、江戸時代から住んでいる名主さんが建てたものだ。
 阿川さんの門は「赤門」と呼ばれる立派な門で、区の文化財に指定され、その周辺には大きなけや木が何本も残っている。

D  
名主の阿川さんの赤門

 赤門の前を通ったら、造園会社の車がとまっていて、数人の植木屋さんが、枝のせん定をしていたので、道路わきのけや木を切らずにすむ方法はないものかと聞いてみた。
 植木屋さんの答えは、空洞があれば切り倒さないとあぶないと言うことだ。お役所は木が倒れて、けが人でも出たら、その責任を問われるから、早く切り倒すしかないと考えてのことだろう。
 植木屋さんも危ない木を切り倒して、植えかえなければ商売にならない。
 けや木が100年生きてきたということは大変なことだ。切り倒すのは簡単だけど、大木に成長するには、また100年の年月がかかる。
 ぼくも80歳、そろそろ寿命がと思うから桜や、けや木の老木のことが同じように思われるのだ。地震にも、台風にも耐えてきたのだから、半分くさっていてもまだまだ生きられる。
 空洞がなくったって、台風のときに倒れる木はいくらでもある。そんなことを心配するのなら、すべての街路樹を切り倒さねばならない。
 年老いた桜も、けや木も、人間同様に生きる権利はある。なんとか切らずに残す方法はないものか。もう時間はない。 

A
死刑執行の日を待つけや木

C
幹にぽっかりと空洞が


(これと同じ手紙を世田谷区長の保坂展人さんに手紙を出したら、すぐに公園管理事務局から電話があって、思った通り、けが人が出たら大変だから、切らせてもらいますということだ。
 
 中国で2歳の女の子が車にはねられて、路上に倒れていても通行人が見て見ぬふりをしていたそうだが、けや木が切られることなんて、気にする人はいないのかも。)
 

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第4回「伊藤文学と語る会」 
 
2月4日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。どなた様もお気軽にお越しください。

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2012年1月21日 (土)

大正から昭和初期の子供を描いた絵はがき

 お正月というと羽根つき、たこあげ、こままわし、昭和の子供たちの遊びはきまっていた。家の前の通りで羽根つき。車なんて走っていない時代、負けると顔に筆でスミをぬられるものだから、懸命に打ちかえす。羽根を打つ音が路地裏にひびいていたものだ。
 原っぱではたこあげ、子供たちは夢中になってたこあげをした。色とりどりのたこが、青空に舞う。家のなかではカルタとり、そんな光景をもう見ることはできない。
 正月になると、家々の玄関に二人で派手な衣装を着た漫才師が回ってくる。ひとりは鼓(つづみ)を打ち鳴らし、ひとりは扇子を持っておめでたい口上(こうじょう)をのべるのだが、何をしゃべっていたのかは覚えていない。母親が小銭を渡すと、また次の家に入っていく。

 ぼくのコレクションを本にしたら入れようと思っていたものがある。それは子供たちを描いたかわいい絵はがきだ。
 今年も多くの友人、知人から年賀状を戴いたが、みんなワープロを使い、味気ないものばかりだ。
 大正時代から、昭和の始めごろの絵はがきをお見せしよう。1900年(明治33年)に、私製はがきの使用が認可されたのを機に、日本でも多色刷りの絵はがきが作られた。
 日露戦争(1904~05年)の頃には、ヨーロッパでの絵はがきの流行に刺激されて、空前の絵はがきブームが到来する。
 日本画、洋画家を問わず、浅井忠、藤島武二、鏑木清方、竹久夢二など、多くの画家がこぞって絵はがきの制作に携わり、優れたデザインと、高度な印刷技術が進歩したことにより、すばらしい芸術的な絵はがきが生み出された。

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漫才師は家々を回って歩く

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ぼくが子供のころの郵便ポスト

 ヨーロッパでも、1914年前に作られた絵はがきは、こりにこった見事な出来ばえの絵はがきで、まさにアートだ。しかし、第一次大戦により、ヨーロッパが戦場と化したためにその後のものの出来はよくない、戦争はすべてのものを破壊してしまう。絵はがきのことだけ考えてみても、戦争は絶対にすべきではない。
 ヨーロッパの絵はがきも、折りをみて紹介するが、目を見はるばかりの美しさだ。
 一銭五厘の切手をはられた、子供たちを描いた絵はがき。かなり有名な画家たちが描いたものだろう。100年ぐらい前の子供たちのお正月風景はのどかで、ゲームにうつつを抜かしている今の子供たちは、なんと不幸なことか。
 じつにほのぼのとして、時間がゆっくりと流れている。昨年、日本にブータンからやってきた、若い国王夫妻、古き良き時代の日本人を見ているようだった。
 テレビでブータンの街を取材しているのを見たが、ほとんどの人が幸福だと感じているブータンの人々、貧しいかもしれないが、この古い絵はがきを見ていると、日本でもこんな時代があったのだと思い出させる。

 ぼくが本を出すことを諦めさせてしまったインターネット。すべて便利になってしまったけれど、この古い絵はがきをネットで紹介することになってしまったことを、どう考えたらいいのだろうか。
 みなさんにもぼくの複雑な思いを少しでも知ってもらいたいものだ。

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大正五年の年号が記された絵はがき

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今の子供たち、羽根つきなんてやったことはないだろう

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羽根つきに負けると顔にスミをぬられた

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第4回「伊藤文学と語る会」 
 
2月4日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。どなた様もお気軽にお越しください。

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2012年1月16日 (月)

「物」を売るだけでなく、「夢」も売ったデパート

 2009年には『裸の女房』、2010年には、『やらないか!』(共に彩流社刊)と出すことができて、銀座で唯一、生き残っているキャバレー「白いばら」で、盛大に出版を祝う会を開くことができた。しかし本は売れなかった。
 2011年には、大手の出版社が新書版でぼくが長年、コレクションしてきた、いくつものコレクションを紹介する本を出してくれるということだった。
 ぼくはかわいらしいものばかりで、一冊にしたいと考えていたが、出版社側はバイロスなどのエロスの作品も入れたらということだった。
 頭の中で構想はできあがっていたのだが、なかなか手につかない。そのうち猛暑の夏到来で、年寄りにはブログを書き続けるだけで精一杯だった。
 あっという間に2011年も年の暮れ。ブログを更新してくれている猪口コルネ君が、いろいろとネットに載っているものを見せてくれた。なんでもネットで調べれば、知ることができる。バイロス、ルイ・イカ―ルなどは、くわしく載っている。

『薔薇族』の誌上で活躍してくれた、男絵師たち。この人たちのことは、ぼくの著作『薔薇族の人びと=その素顔と舞台裏』(河出書房新社刊)などで紹介ずみだ。これでは本にしたところで売れるわけはない。
 ぼくは年末になって、長年、出版の仕事をしてきたぼくは、本の出版に見切りをつけた。ぼくのように人の本を読まない人間にもはや売れる本など書けるわけがない。
 ブログを書き続けたからといって、お金になるわけではないが、現実にぼくのブログを読んでくれている人が、一日に何百人もいるということは、本当にありがたいことだし、それだけで仕合わせな気分になってくる。

 パリでもっとも古く、1852年にデパートを最初に造った人がいる。それまでは靴屋、帽子屋、洋服屋と、それぞれ専門化していたのをひとつの建物の中に、それこそ百貨店というものを造ったのだから、画期的なことだ。
 デパートは現在のテーマパークのような衝撃をパリっ子たちに与え、たちまちブームになり、巨大で豪華絢爛たる建物、三階までをぶち抜いた吹きぬけのあるホール、お客が集まらないわけはない。
 無料読書室、無料カフエもあり、当時としては常識を破ることばかりだった。販売方法も、「バーゲンセール」「目玉商品」「返品保証」「月賦販売」など、当時としては、画期的な販売方法を世界で最初に行っていた。
 そのデパートの名は「ボン・マルシエ」。今でもパリに存在しているそうだ。「ボン・マルシエ」は、パリっ子の社交場でもあり、商品だけでなく、お客に夢も売っていた。
 それはかわいい女の子を描いたカードだ。裏側には「ボン・マルシエ」の建物が入った広告になっている。

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パリに現存するデパート「ボン・マルシエ」

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カードの裏側はデパートの広告

 子供たちも、いや、大人たちもこのかわいいカードを夢中になって集めたに違いない。当時の著名なイラストレーターが描いた、まさに芸術作品だ。
 ぼくはこのカードをかなり、沢山もっている。その油絵の原画も7点ある。原画は日本で持っている人はいないだろう。
 かわいい少女たちの着飾った姿は、壁にかけて眺めているだけでも、いやなことを忘れさせてくれ、心のいやしになるというものだ。
 先日、バイロスのサイン入り(サイン入りは少なく貴重)のバイロス・マップ12枚入りをどうしても欲しいという人に、ゆずってあげた。
 大事にしてくれる人がいたら、この少女たちのカード、原画もゆずってあげたいと思う。これから次々とコレクションを紹介していくが、みんな手放そうと考えている。欲しいと思った人がいたら、ご連絡下さい。

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かわいい少女のカードの原画

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第4回「伊藤文学と語る会」 
 
2月4日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。どなた様もお気軽にお越しください。

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2012年1月 9日 (月)

好きなことだけをやって生きればいい!

 今日は2011年の12月30日(金)、今年最後のブログの原稿を書いている。とにかくぼくはワープロも、ネットも触ったことがない。アナログ人間で、携帯電話も持ったことがない。
 6、7年前、次男の嫁が「お父さん、ブログというのをやってみたら」と言われて、原稿用紙4枚ぐらいに書くと、嫁がネットで見れるようにしてくれた。
 孫が小学校に入学すると、嫁は勤めに出ることになったので、やめようと思ったら、業界紙の記者をやっていた(『薔薇族』の取材で知り合った人)S君があとを引き受けてくれた。
 そのS君が業界紙をやめ、新しい仕事でフィリッピンに行くことになり、もう駄目かと思ったら、古書店「股旅堂」のご主人がやってくれるという。何度も新潟に行ってくれてぼくの古書を整理してくれた人だ。
 やれやれと思っていたら、股旅堂のご主人、ワープロを打っていると、めまいがするからできないと言ってきた。もう、これでぼくのブログも終わりかなと思った。
 ぼくがよく行く、カフエ「邪宗門」で偶然に出会った青年が、美術学校出で、ネットの仕事をしているプロだった。それもわが家の近所に住んでいるので、毎週土曜日にきてくれて、ゲラも見せてくれるので、誤植も少なくなったのでは。


 そんなことで、ぼくのブログは幸運にも続いている。「ニコニコニュース」が取りあげてくれたりしたので、読んでくれている人が増えたようだ。
 驚いたことに北海道から沖縄まで、何県で何人読んでくれているという数字が出てくるとは。それも海外の人まで、これはいい加減なことは書けない。あと何年書き続けられるかは分からないが、生命ある限り書き続けたい。

 
Nenga_2 ブログをネットで見れるようにしてくれている青年が、デザインしてくれて、ド派手な2012年の年賀状ができあがった。
 日本全国の人たちが、なんとなくうつむき加減で生きているこの時代、新しい年を迎えて、少しは明るく生きようと考えてのことだ。
 
 下北沢の北口の一番街に、「カリカチュア・ジャパン」のお店が開店した。テレビで紹介していたので、早速訪ねてみた。
 本店は浅草にあり、今、店舗が都内に11店舗あり、年商2億ということだ。この会社の社長は、Kage(カゲ)という人で、まだ30歳そこそこの人だ。
 幼少期に旅したラスベガスで、アメリカンスタイルの似顔絵、カリカチュアと出会う。1996年、高校卒業と同時に渡米。その後、カリカチュアリアリストとして、全米各地で500件を超えるイベント、パーティーにて数万人もの人々を描く。
 2001年に、日本にカリカチュアを広めるべく帰国。『Newsweek』誌、「世界が尊敬する日本人100」に選出される。『好きなことだけやればいい』(株式会社・あさ出版刊・定価 本体¥1300+税)も出している。
 ぼくが描いてもらったのは、下北沢店(世田谷区北沢2-34-12)で、若い女の子が、15分ぐらいで描いてくれた。
 顔のみで白黒¥1260(税込)カラー¥1890・体つきor背景¥2310だ。お客さんが平日なのに、次から次へ入ってくるのでびっくり。
 社長は本にこんなことを書いている。
「好きなことを仕事にしてこそ、人は幸せになれる。それを決断し、行動するのは自分にしかできない。」
 
 80歳になるぼくは、好きなことだけをやって生きてきた。そのとおりだと思う。

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2012年1月 7日 (土)

初体験はいい思い出として残るような

 日本で最初の同性愛誌『薔薇族』。商業誌として、本の取次店「トーハン」「日販」から、全国の書店に配本されていた。
 しかし、この雑誌を書店で買い求めているところを人に見られたらと思うから、今から考えたら、どうかと思うけれど、かなりの勇気を必要とした。
 
 1980年3月号(今から31年前)№86の「編集室」からに、ぼくはこんなことを書いている。
 毎号、初めて本を手にしたという、うれしい手紙を読むときが、なんとも言えない気持にさせられる。はるか遠くの沖縄の読者からの手紙だ。
 
「週刊誌等にて、貴誌のことは知っていました。先日、書店へ何気なく入り、83号のライダーのイカス表紙に目がとまり、まさかと思っていた貴誌が、わが沖縄県にもあったのです。
 すぐに求めて会社に帰ったのですが、帰りを待てずに、昼休みに読んでいたら、若い連中が「なにを読んでいるのですか?」と聞くので、「うん、ちょっと面白い本を」と答えたのですが、じつに面白く、楽しく読ませて頂きました。
 どうぞ、今後とも内容のより良い本が海を渡ってきてくれることを祈りながら、皆さんの活躍を心から期待しています。」

 
 創刊から10年が経っていても、まだまだ買いにくかったのだから、創刊の頃は、もっともっと買うのに苦労したものだ。こうした人たちがひとり、ひとり買ってくれて、それが万という数字になったのだからありがたいことだ。
 
 宮崎県の大学生から、こんな手紙をもらったことがある。
 
「この間、『薔薇族』を堂々(?)と買って本屋を出ると、あとから35歳ぐらいの男がついてきて、急に後ろから呼びとめられて、「君と友だちになりたいんだけど」とひとこと。
 ぼくはもうあわててしまって、なんと言っていいのか分からずにもじもじしていると、「トイレに行こう」と。
 ぼくは何もしゃべらず、その人の後ろについて歩いていきました。トイレの中のことは恥ずかしくて書けませんが、トイレを出てから、ぼくは男の人をおっぽり出して逃げたのです。
 あとで考えてみると、すごく悪かったなあと後悔しています。街で声をかけられたのは初めてだけど、中学生のときに、ぼくは大人の人にむりやりに犯されたことがあるんです。
 何かの工事で働きにきてた人で、名前も今では顔もはっきりとは覚えていないけれど、色黒の逞しい体と、大きなペニスは、はっきりと思い出せます。
 でも、このことは誰にも話せないし、本当に死んでしまおうと、何度思ったか知りませんが、それからのちに知った『薔薇族』によって、どれだけ救われたか、わかりません。」
 
 初体験って、みんな違うと思うけれど、この時代は、この大学生のようなことが多かったのでは。少年の心に傷を残すようなことはしてもらいたくはない。時間をかけて、愛し合ってからというようなわけにはなかなかいかないのかも。
 
 今の時代、どんなことになっているのだろうか。男女の間でも、知り合ってその日のうちにということが多いようだけど、ぼくらの時代は手をにぎるまでに時間がかかったものだ。
 メールで一瞬のうちに相手にとどいてしまう今の時代、携帯電話なんてなかった頃は、彼女が現れるまで、わくわくして30分でも1時間でも待っていた。早ければいいというものではないと思うけれど。

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第4回「伊藤文学と語る会」 
 
2月4日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
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2012年1月 2日 (月)

初めてわが子を抱いたとき

 小学校4年生の孫のクラスにも、離婚して父親がいない、母親だけという子供が何人もいる。今どきの夫婦は、夫婦の間で、なんらかのいざこざがあると、すぐに離婚してしまう。昔は親が娘に「辛抱しなさい。我慢しなさい」と、いさめたものだが。
 同性愛者の結婚となると、これはより深刻だ。地方に行けば行くほど、女性と結婚しないわけにいかなかったからだ。この投書のような話があちこちであったわけだ。

「妻はこう言うのだった。私はうれしかった。この一言が絶望のどん底にいた私を救ってくれた。そして、そのとき、生まれて初めて女を愛する感情を自分の心の中にみた。
 突然にムラムラしたものが私をおそい、私は夢中で妻を抱いていた。妻よありがとう。私はこれからの自分の一生を、お前を愛するために使うよ。私は心の中でそう誓った。私たちはその夜はじめて結ばれた。
 新婚生活、私たちは激しく愛し、激しく燃えた。そしてすぐに長男が誕生した。
「はい、元気な男の子ですよ」と言って、看護婦さんから手渡されて、初めてのわが子を抱いたとき、私の目から涙がとめどもなく流れてきて、どうしようもなかった。
 ありがとう、妻よ、ありがとう、わが子よ。私はお前たちが救ってくれたのだ。ありがとう、ありがとうと、何度もつぶやいていた。
 今、私は妻にとって信頼すべき夫であり、父親である。また反対に今の私から妻と子供をとりあげてしまったら、いったい何が残るだろうか。だから私は妻と子供のために、私の心の中で、ときおりかま首をもたげてくるいまわしい欲望と戦う。
 妻がとなりに住んでいる若夫婦を見て、こう言った。
「おとなりの夫婦、ものすごいけんかをしていたわよ。皿を投げるわ、なぐるわで……。だけどあんな夫婦が、かえって一番仲がいいのかも知れないわね」
 考えてみると私たち夫婦は、結婚してからこのかた、一度もけんからしい、けんかをしたことがなかった。私たちはだれが見ても、じつに仲がよい夫婦であった。妻がわがままを言いだしても、私は自分の感情をぶちまけて言い返すことはなかった。
 なぜなら私は自分の感情を押し殺すことにはなれていたからである。しかし、私の心の中にある何かを、妻が敏感に感じとって、「私たちよりはでにけんかをする、となりの夫婦のほうが、実は仲がよいのではないか」と疑念を抱いたのであろう。
 妻よ、お願いだからそんなことを言って、私を困らせないでおくれ。私は必死にお前を愛しているんだ。お前はただ何も考えずに、素直に私の感情を受けとめてほしい。
 妻はけげんそうに私に言う。
「あなたって、やさしいのね。ねえ、どうしてそんなにやさしいの」
「……それは」
 やっぱりそれだけは言うわけにはいかない。しかし、私が老いて死んでいくときには、私は妻にすべてを打ちあけようと思う。
「妻よ、今まで隠していて、許してくれ。私はお前の夫である資格のない男だ。こんなに私につき合ってくれてありがとう。でも、私はがんばったんだよ。自分の中にあるものを抑えて、お前を愛することに、すべてをかけてきたんだ。だからどうか許してくれ」
 妻は許してくれるだろうか。いや、そのとき妻に許してもらうためにこそ、私は今を生きる。」


 山形県の28歳の読者からの投稿だ。それから30年、初老を迎えて今、どんなことになっているのだろうか。ドラマを見ているような気持ちだが、ハッピイエンドで終わってもらいたいと願うばかりだ。

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2月4日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
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