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2012年2月20日 (月)

30年そいとげたという男の話

 ぼくの80年の人生、過ぎ去ってみれば、あっという間という感じもするが、いろんなことがあった。自分のことよりも『薔薇族』という雑誌を通して、多くの読者の人生もかいま見ることができた。
 1983年・11月号・No.130に「30年そいとげて」という投稿が載っている。太平洋戦争にも従軍された方だ。

「戦時中、学徒出陣前(大学生が学業半ばで戦争にかり出された)ひとときを軍需工場に派遣され、現場主任のHさんと知り合った。武道で鍛えたからだで、人柄もいい方で、みんなに人望があった。
 ある日、宿直で一緒になり、眠っている間に、床の中にもぐりこんできて、マスをかかれた。人間同士の触れ合いの素晴らしさをそのとき始めて知った。
 昭和19年、12月に入隊、Hさんは営門まで送ってきてくれた。まったく別れは辛かった。すぐに北支に。女性のいない兵隊の間ではホモ行為は盛んだった。
 だいぶ誘われたが、Hさんの顔を思い浮かべて拒否し続けてしまった。それほどHさんとの思いが強烈で、他人の入りこむ余地がなかった。
 昭和22年4月に復員、Hさんもぼくの入隊後、すぐに応召、九州の部隊へ入隊。東京の家も空襲で焼かれ、奥さんは地方に疎開、消息不明で悶々としていたが、その年の8月ひょっこり訪ねてきてくれた。
 それからは上京のたびに、またはこちらから訪ねたり、東京に移られてからは、一週間に一度、十日に一度と、Hさんに奥さんがいたのに通いつめ、兄弟より親しい間柄になった。
 女性と結婚はした方がいいとHさんに言われ、結婚はしたが、あい変わらず逢っていた。年と共に互いに仕事が忙しくなってきたが、仕事の合間をみつけては、互いに誘いあって逢うのを楽しみにしていた。
 昨年、女房を亡くし、Hさんも3年前に奥さんを亡くし、それから一緒に暮らそうと話し合ったが、子供たちの手前、実現できなかった。
 ぼくの子供も結婚して嫁いで行ったので、昨年は二人とも身軽になって、本当によく逢った。家にきていく日も泊まり、出勤して行った。一緒の布団に寝たが、若いときのように激しさはなく、裸で抱き合い、せがれを握り合い、まだまだ元気だなと言いながら眠ったものだ。
 正月早々、娘さんから入院して危ないという知らせに病院にとんで行った。病室に入ったら、ふだんと変わらないHさんに、またびっくり。本人は風邪をこじらせて入院したのだと言う。
 病室を出て送ってきた娘さんが、小さな声で「お父さんは肺ガンで、医師に半年持つかどうか」と、言われたそうだ。
 愕然として、目の前がまっ暗になった。それから毎日、病院に必死になって通った。兄貴、頑張れ、死なないでくれと願いながら。
 だが三ヶ月後に、あっという間に死んでしまった。六十歳を過ぎていたが、スポーツで鍛えたからだは、身も心も五十代の若さだった。
 親や、女房の死は、あまり涙が出なかったのに布団の中に、かすかに残っていたHさんの匂いをかぎながら、泣けるだけ泣いた。
 30年ちょっと付き合えて、そいとげた思いで幸せだった。Hさんが死んで、これからひとりで生きていこうと、心に決めたが、やはり生身、ひとりでは生きていけない。Hさんが恋しい。男がほしい。」

 最後の「男がほしい」は、本音だろう。結婚した奥さんたちは、どんな思いで、この世を去ったのだろうか? 30年そいとげたというのは、男同士のことなのだから……。

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