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2012年3月

2012年3月31日 (土)

僕の仕事の発想は、すべてマスターべーションだ!

 ぼくの今までに残した仕事の発想の元はと言えば、なんと「マスターべーション」なのだ。今の男の子たちは食べ物もいいし、発育もいいからマスターベーションを覚えるのも早くなっている。
 ところがぼくが育った時代は、戦時中から戦後にかけての食糧難の頃だ。昭和23年に駒沢大学に入学した頃、片思いをしている女性がいた。
 マスターベーションを覚えたのは、その頃のことで、日夜もんもんとして過ごしていた。その時代、マスターベーションは、からだによくないと言われていたので、やめようと思うもののやめられなかった。
 ある雑誌に「マスターベーションをしても害にはならない」という医者が書いた記事を読んだとき、気持ちが明るくなったのを覚えている。
 そのうち恋人もでき、結婚も早かったので、自然とマスターベーションのことなど、忘れてしまっていた。

 親父の手伝いをして出版の仕事に励んでいた頃、背広からネクタイ、靴まで緑色というへんな男が、風呂敷包みをかかえて、原稿を持ちこんできた。
 昭和40年(1965年)のことだが、その原稿はマスターベーションの正しいやりかたを書いたものだった。あちこちの出版社に持ち込んだ末に我が社に訪ねてきたのだろう。
 その原稿に目を通したとき、ぱあっとひらめくものがあった。それは学生時代に悩んでいたマスターベーションのことだ。これを本にすれば、ぼくと同じように気持ちが明るくなるに違いない。そう思って早速、本にした。
 秋山正美著の『ひとりぼっちの性生活=孤独に生きる日々のために』。今が考えてみてもわれながら、いいタイトルだ。買いやすいように新書版のシャレた本にした。
 週刊誌や、テレビなどが、とりあげてくれてヒットし、反響も大きかった。ぼくが考えていたように、気持ちが明るくなったという手紙が多かったが、その中に男性が男性のことを想いながら、マスターベーションしているという手紙が、その中にまじっていた。それをぼくは見逃さなかった。

 続いて出版したのが『レスビアンテクニック=女と女の性生活』と『ホモテクニック=男と男の性生活』だ。
 これらの本は、わが第二書房にとって、革命的な本になった。そのあと続いて、男の同性愛の単行本を次々と刊行し、それが日本初の同性愛誌『薔薇族』につながっていった。
 そんなときにある人が、こんなもの売れませんかと言って持ちこんできたのが、ぬるぬるしている精液みたいなオイルだ。
 早速、その夜、風呂に入ったときに、そのオイルを使って、しごいてみた。今までは石けんをつけたり、つばをつけたりしていたが、ひりひりしてしまう。なんとこのオイルをたっぷりつけて、しごいた快感は、まさに天国行きだ。
 このとき、また、ぱあっとひらめくものがあった。これは売れると確信した。そしてケースや、容器のデザインを嵐万作さんにお願いした。
 嵐万作さん、すでにこの世にいないが、小説も書くし、デザインもできるし、油絵も描くという万能の方だった。

 愛の潤滑液「ラブオイル」と命名して売り出した。「ラブオイル」これもいいタイトルで、デザインは嵐万作さんが残してくれた傑作だ。
 『薔薇族』はネットに負けて廃刊に追いこまれてしまったが、「ラブオイル」は消耗品なので、品質もよく、ホテル、旅館、ポルノショップで今でも売り続けてくれているヒット商品だ。
 一度ためしてみてはいかが。天国行きは間違いないから……。

55b
今見ても斬新な装丁。赤星亮衛さんデザイン。

55a
第二書房の革命的な本! 装丁は伊藤文学

55c
30年もの長きに渡り売れ続けている「ラブオイル」

(ご注文は80円切手・12枚を封筒に入れ、〒155-0032 世田谷区代沢3-5-202 フェスタ―エンタープライズにご注文下さい。 (送料含む)10本入り。1箱の場合は、¥8,000小為替で……)

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第6回「伊藤文学と語る会」 
 
4月21日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。ぜひ、お出かけを!

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2012年3月26日 (月)

32年前の『薔薇族』読者のスターファン投票は誰に!

 犬に関する本を出すので、ぼくにもかつて飼っていた犬の思い出を書いてくれという依頼があった。
 川木淳君、本人は55歳と称しているが、本当の年齢はあかさない。ゲイの人だからかなり若く見えて、髪の毛もふさふさしている。
 ファッション評論家で、女性の洋服のデザインもしていたが、時流に乗るのが上手な人で、今は、犬や、猫の本を20冊も出しているし、犬猫のファッションも考えている人だ。
 著書も80冊を越えるほど出している。『薔薇族』にもよく、男のオシャレの仕方などを執筆してくれたが、その文字は乱暴で読みにくい。ぼくも解読するのに苦労したものだが、ワープロで打った原稿ではないものをよく引き受けてくれる出版社があるものだと感心する。
 先日、下北沢に出てきてくれたので、「王将」の前で出会って、近所の喫茶店でおしゃべりして原稿を渡した。短い原稿だけど、「ぺぺ」との感動的な思い出を書いたので、本になったら読んでもらいたい。

54c  『薔薇族』のNo.85.1980年2月号に川木淳君が「スターおしゃれ解剖学・裸のヴィーナス」と題して記事を書いてくれている。32年も前のことだから、その頃、若かったスターたちも、中年のいいオヤジさんになっていることだろう。
 川木淳君は、郷ひろみ君が好きなようで一番にあげている。当時、どんなスターが『薔薇族』に受けているかを知るのも興味がある。

郷ひろみ
「素顔でよし、ブラウン管でよし、はたまたあのプロポーションとくれば、嫌いだというのが不思議なくらいだ。(中略)
 郷ひろみの熱狂的ファンの一人である私にとっては、郷ひろみは世界一の美少年といっても決して過言ではない。最近、めっきり男っぽくなった郷ひろみだが、またまた魅力がいちだんとふくれ上がったような気がしてならない。
 郷ひろみと寝たい! と願うのも本誌ファンなら無理からぬ要望かもしれない。」

三浦友和
 『薔薇族』の読者ファン投稿では、ダントツの一位だった。そのことを週刊誌が大きくとりあげたので、友和君は迷惑だったかもしれない。
「どこにでもいて、そして、あのたまらない風ぼう、体格、しかも男っぽく、純朴とくれば、黙っているのがおかしなほどだ。」と、川木君は書いているが、友和君のようなタイプはお好きではないらしい。
 友和君、中年になってもその魅力は変わらない。次は勝野洋さんだ。勝野さんは、ぼくがはまっている、池波正太郎の「鬼平犯科帳」の常連なので、ぼくは大好きだ。
「非常に地味だが、やはり人気があるのは、この勝野洋である。男らしさと清純さを兼ねそなえた青年というイメージである。
 読者のなかには、独身よりも結婚しているほうが味があるからということで好む者もいるが、まさに、この勝野洋はその代表といった感がある。」

川崎麻世
「典型的な美少年――これがこの川崎麻世だろう。あの素晴らしいプロポーション、そしてしなやかな演技。まさにタレント性を充分に具えたタレントの一人である。バアあたりでも、若手で今いちばん人気のあるのは、この彼だと聞く。」
 あと杉良太郎、五木ひろし、国広富之、西城秀樹。忘れてはならない人は、高倉健さんだ。『薔薇族』の永遠のスターかもしれない。
 何十年もスターの座を保っていくのは大変なことだ。今フアン投票したら、ダントツはいなくて票が割れてしまうのでは……。

54a
54b

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第6回「伊藤文学と語る会」 
 
4月21日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。ぜひ、お出かけを!

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2012年3月24日 (土)

キューバにも僕と同じ考えの女性が!

 以前、下北沢駅の南口で『ビックイシュー日本』という雑誌を高くかざして販売している男性がいたが、すぐに姿を消してしまった。
 下北沢は若者の街なので、この雑誌を理解して買い求める人がいなかったのだろう。この雑誌は、ホームレスの仕事をつくり自立を応援する目的をもった雑誌で、定価¥300円、1冊売ると¥160が、販売したホームレスの収入になる。
 最近は淡島からバスに乗って、渋谷に出ることが多くなった。バスを降りていつも買物をする「東急プラザ」に向かう途中で、バックナンバーも並べて雑誌を売っているので、¥500玉を用意しておいて買い求め、¥200はカンパしている。
 薄い頁の雑誌だが、記事の内容は濃い。183号の記事の中で、ぼくの目にとまったものがある。キューバでの話だが、その1頁に共感することが書いてあったので、「Your Issue」という読者の投稿頁に投稿した。

 編集部の樋田碧子さんから、186号に採用させて頂きますと、知らせがあった。3月1日に発売になるそうなので、ぜひ、ホームレスの自立にも役立つので、お買い求めください。
「マリエラ・カストラの言葉に共感」という見出しだ。

 「183号・7頁の「キューバで進む、同性愛者の権利拡大」の記事を興味深く読みました。1971年に日本で最初の同性愛誌『薔薇族』を創刊させ、35年続けた僕としては、ラウル・カストロ現国家評議会議長の娘さん、マリエラ・カストラさんの言葉は同じ思いでした。
「男らしさを求める傾向や、同性愛への差別意識をもつ市民の中には、LGBTとともに活動する彼女を『レズビアン』とからかう人もいる。
 だが本人は『黒人の権利のために闘う人が、みな黒人でなきゃいけないわけじゃないでしょ』(183号より)

 僕も「女好きの人間がゲイを食い物にしている」「女好きの人間にゲイの気持ちがわかるものか」と、さんざん言われました。
 ゲイじゃないから長く続けられたと、僕は確信している。」(伊藤文学・80歳・雑誌編集長・東京都)

 寒風にさらされながら、きちっと立ち続けているホームレスの人が自立できるようにこれからも応援してあげたいものだ。

 僕はここ4、5年の間に、何冊かの本を出すことができた。著者にとって読者の読後感を知りたいものだ。どんな悪評であっても。本の間に「愛読者カード」がはさみこまれている。感想文を書いて出版社に送る人は少ないかも知れない。まったくゼロということはないだろうが、出版社から見せてくれたためしはない。面倒臭いからか……。
 新聞に載った書評は読むことはできる。ところがネットに載ったものを僕は読むことができない。

 僕のブログを更新してくれている猪口コルネ君が、紙焼きにしてネット上に載った書評を届けてくれた。20頁もあり、10数人の人が心あたたまる書評を寄せてくれているではないか。
 まったく知らなかったので、これらの人たちに感謝の言葉をのべることができなかった。遅きに失したが、お礼の言葉をのべたいと思う。
 僕の批判的な立場の人と思っていた人が、なんと『薔薇族の人びと』(河出書房新社刊)について、書評の最後に「そのまなざしは宗教者のようでもあり、お名前の通り文学のような奥行きを感じさせる。
 振り返ると、伊藤文学氏もまた、昭和の異人の一人だと断言できる。」と。
 うれしい言葉ではないか。
(「異人」は「偉人」の誤植だろうが、「偉人」はちょっと照れ臭い。「異人」の方が僕には似合っている。)
53

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第6回「伊藤文学と語る会」 
 
4月21日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
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2012年3月19日 (月)

僕の青春のすべて、そして生涯の友!

 80年も生きていると、親友と呼べる何人かの友人も、みんなこの世にいない。
 大学歌人会で知り合った、阿部正路君。『薔薇族』にも何度も原稿を寄せてくれた。「伊藤君に頼まれれば、いつでも原稿を書くけど、國學院大学の恩師でもあった、釈迢空(折口信夫)さんのことだけはかんべんしてよ」と言っていた。
 今ならなんでもないことだが、釈迢空さんがゲイだということを、当時は書きづらかったのだろう。

52a  1981年(昭和56年)『薔薇族』創刊10周年・100号記念特別号は、362頁、豪華で盛り沢山の内容だ。
 その頃は、國學院大学教授であり、歌人としても活躍していた阿部正路君が、「薔薇族創刊百号を迎えて=若葉の風=伊藤文学君のこと=」という長文の原稿を寄せてくれている。
 ぼくとの最初の出会いから始まる文章だ。

「まさに若葉の風だった。彼は、とても新鮮で、そして、いつも不意にあらわれる。
 伊藤文学。彼は、いつの間にか、僕の青春の、ほとんどすべてだった。
 伊藤文学。彼は、僕の青春の友であったばかりではなく、今では一層たしかに、僕の壮年の友であり、生涯の友でありつづけるに違いない。
 伊藤文学君と初めて逢ったのは、昭和二十五年の五月、東京大学の三四郎池のほとりだった。(中略)
 まさに若葉の季節だ。すると、美しい水の底の青い空に、白い若者の顔があらわれた。いかにも美青年であった。あたかも夏目漱石のえがいた三四郎のように、田舎から出て来たばかりの僕の目に、その美青年の瞳がひどくまぶしかった。それが伊藤文学君であった。(中略)
 田舎育ちの、しかも男ばかりの中学・高校で学んで上京した僕の目から見ると、伊藤君は、ひどく女性的に見えた。
 やがて伊藤君との深いつきあいが始まった。伊藤君は、やさしくて、まるで、ぬいぐるみのひつじのようだった。そして、いつのまにか、伊藤君は、いつも僕のそばにいた。」

52b  僕と阿部君とは、この文章を読んだだけでも、今から考えると友情をこえた同性愛的なものを感じる。
 その頃、阿部君は國學院大学を卒業して、上野にあった「日本学術会議」の事務局に勤めていた。上野の公園口を出て歩いていくと、左側に2階屋の木造立ての建物は宿屋で、オカマちゃんの巣だった。
 警視総監が巡視中に、オカマちゃんになぐられたなんて事件があり、薄暗くて隠びな感じがする道だった。こんな道を通って阿部君に足繁く会いに行ったのは、僕だけではなかった。
 背が小さくてハンサムでもない阿部君は女性にももてて、僕が知っているだけでも、何人かの女性も通っていた。
 戦後、ヒット曲を何曲も作詞した有名な詩人の娘さんも、そのひとりで、彼女は僕と先妻のミカとの結婚披露パーティに着る衣裳を作ってくれた美しい女性だったのに。
 僕は彼女と結婚するものと思っていたが、お見合いだったのか、出身地の秋田美人と結婚してしまった。
 秋田の人だったので、日本酒をこよなく愛し、國學院大学の研究室には、本と一緒に棚には日本酒が何本も並んでいた。
 僕の次男の結婚式は、京王プラザホテルで彼の仲人で式をあげた。なるべく酒をのませないようにしていたが、ぐいぐいのんでへべれけになる始末。
 駅の階段から、ころがり落ちて大けがをしたりして、お酒で寿命をちぢめてしまった。彼のかわりに長生きしようと思うから、僕は酒も煙草も一切、のまないし、吸わない。

52c

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2012年3月17日 (土)

舞台でライトを浴びたらやめられない!

51a  寺山修司君が1983年5月4日に亡くなって、29年にもなるのに寺山人気は衰えず「ザ・スズナリ」には、多くの観客が押し寄せていた。
 下北沢の「ザ・スズナリ」で、寺山修司原作「田園に死す」が、2月9日から19日まで上演され、演劇仲間の桜井玲奈さんが出演するので、ぜひ、観に行ってほしいと、福岡市に住む水澤さち子さんから手紙が届いた。
 桜井さんに電話して、2月13日の予約をお願いした。水澤さち子さんは、ぼくのブログを見てくれていて知り合った方だ。

 「田園に死す」は寺山君が映画として製作したもので、それを天野天街という方が、脚色・構成・演出されたもので、再演ということだ。
 狭い舞台に出演者が36人もいるのだから、めまぐるしいぐらいに、次から次へと役者が登場するので、どの人が桜井玲奈さんなのかは最後まで分からず仕舞いだった。
 休憩なしの2時間は、見ている方もつらい。同じような場面がくり返し出てくるので、もう少し整理して、1時間30分ぐらいで終わりにしてもらいたかった。 
 演劇評などぼくには書けないが、歌あり、踊りありで、テンポもよく、稽古も積んでいるので、あきさせることはなかった。

 狭い階段をゆっくりと降りて外に出たら、「伊藤さんですか?」と声をかけてきたのは、背が高く、ちょっとハーフぽい顔立ちの美しい若い女性だった。
 ぼくのブログを見てくれているそうで、新潟の美術館にも、ルイ・イカールの絵が好きで見に行ったこともあるという。
 ところがぼくのとなりに座った、ぼくより少し若い男性に、ぼくから声をかけて、初対面なのに親しくなっていた。まだ女性の名前も聞いていないのにその女性を誘って食事でもと思っていた。
 元大学教授だという男性はおしゃべりで、女性に話しかけてついてきてしまったので、仕方なく「ザック」というカフエに入って、3人でお茶をのむはめに。
 すっかり話題をその男にとられてしまってがっくり。

 桜井玲奈さんとは、翌日、電話をかけて下北沢の北口のカフエ「シアノアール」で、楽屋入りする前のひとときをおしゃべりすることができた。
 福岡からオーディションを受けて合格し、ウィクリーマンションに泊まって出演しているという演劇に意欲的な女性だった。
 演劇は麻薬みたいなもので、舞台でライトを浴びたら、もうやめられない。劇場でもらった束になった、劇団の公演のチラシにはびっくりしてしまった。
 大きな劇団だと、いつまで経っても舞台にあがらせてもらえない。小さな劇団だと、多少の演技力があれば、舞台には立てる。それで小さな劇団が次々と創立し、解散し、また作られる。その結果がこのチラシの束だ。
 「田園に死す」は、文化庁から補助金が出ているようだけど、それでも劇団員に給料など払えない。チケットを売って、何割かがバックされるのだろう。
 劇団員は食べられないが、脚光を浴びる日を夢みて、アルバイトをしながら食いつないでいる。
 ぼくの先妻のミカが舞踏に打ち込んでいた40数年も前と、今とその状況に変わりはない。前衛舞踏家たちは、キャバレーなどで金粉ショウをやって、公演の費用にあてていた。
 ミカはキャバレーなどで踊っていると、踊りの気品さを失うといって、教師での収入を舞台につぎこんでいた。
 文化庁も予算をとって、すべての芸術の振興に補助をして、生活が少しでも成り立つようにしてもらいたいものだ。

51b
演劇にうちこむ桜井玲奈さん

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2012年3月12日 (月)

みんな、みんな、生き残るために!

 去年の8月、暑い日の夜のことだった。玄関のベルが鳴ったので出てみると、Y新聞の年配の勧誘員が、汗水流して「あと一軒とらないと、ノルマが達せられないので」と訴える。
 ぼくはどうもこういうのに弱い。ぼくの雑誌もネットや、携帯電話が普及するにつれて売り上げが落ち続け(他にも理由はいくつかあるが)、廃刊に追いこまれてしまった、苦い経験がある。
 新聞も今どきの若者は、ネットで情報を見ているから、購読しない。近所の「バーミヤン」に食事に行くと、購読をすすめる紙片が着いて、Y新聞が各テーブルに置かれていてタダで持ち帰れる。

 驚くことに勧誘員は、念書なるものを書いた。「新聞代金(6ヶ月)を私が全額支払うことを約束する。
 支払い方法は持参致します。万一、不履行の場合は、この契約を解除してください」
 住所、電話番号、氏名、そして印を押してある。
 どこの新聞の勧誘員もすることだが、洗剤と、ビール、それに野球のチケットは、あとから送られてきた。
 現金を勧誘員が自腹を切って、返却するなんていうこと、出来るわけはないと最初から考えていた。汗びっしょり流して訪ねてきた勧誘員の熱意に同情してとることにした。
 新聞は毎日、きちんと届けてくれるのだから、サギとは言えない。それほどに現実はきびしいということだ。こんなことをしなければ、新聞をとってもらえないのかと思うと悲しい。

 どこの新聞社だって、お台所は苦しいことは手にとるように分かる。2月15日の朝日新聞は、40頁、そのうち1頁広告が、なんと15頁も。読売新聞も40頁のうち、1頁の広告が13頁もある。東京新聞は30頁のうち1頁広告が5頁も。
 その他にも小さい広告は、いっぱい入っているから、半分は広告で読む記事が少ないのは当然のことだ。
 ぼくの本『ぼくどうして涙がでるの』を第二書房から出した頃は、昭和30年の後半、日活で映画化もされたので、朝日新聞の1面の八割という広告頁に出したかったが、高くって、とてもじゃないが出せなかった。
 ぼくの本『裸の女房』『やらないか!』の本を出してくれた出版社の話だと、定期的に出していると、考えられないくらい今は安い値段で出せるということだ。
 1頁広告もおそらく安く入れているのだろう。じゃなければ、15頁も入るわけがない。ぼくの本を出してくれた出版社の話だと、広告を出しても、ほとんど効果がないというのだから驚きだ。
 ネットの時代で、ネットを見ることによって情報が、いち早く分かる時代だから、新聞広告も効果が薄れているのだろう。

 ここ数年、温泉旅行など、したことがない。朝日新聞を見ていたら、3つの温泉と、都内のひとつのホテルが、はがきを出して応募すれば、3組をペアで無料で招待し、往復はがきなら、優待券をくれるという。
 こんなことではがきを出すのは初めてだが、女房孝行をたまにはするかと思って、往復はがきで応募した。今現在、二件の温泉と、都内のホテルから優待券が送られてきた。
 伊豆長岡温泉のKは、¥12000の通常料金を20%引きの¥9600に。四万温泉のS旅館は、¥20100のところを¥13800に平日限定で割引します。都内のホテルRは、1室¥20000を¥10000ということだ。
 新聞の温泉地の広告を見ると、もっと安いところがいくらもある。みんなみんな苦しいのだ。こんなダマシのようなことをしなければ、生きられない。ひどい世の中になったものだ。

50

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2012年3月10日 (土)

ぼくも福音にありつきたい!

48  『薔薇族』での長い間の相棒だった藤田竜君、ことあるごとに、ぼくのことを「伊藤さんはノン気だから」と言っていた。
 このイラストは、いつの号に載せたものか分からないが、よくまあ、こんなことを考えついたものだと、感心させられる。
 竜君の描くイラストは、ユーモアがあって嫌みがない。そしてほのぼのとした優しさを感じさせる。
 確かに竜君の言うように、男と寝たことがなく、相手の男のオチンチンを握ったこともなく、しゃぶったこともない人間には、分からないと言われても、想像だけではゲイの世界は理解できないものかも知れない。

 どう考えたって汚いオチンチンをしゃぶったり、お尻をなめたりしたことのない人間には、この「キッチンからの福音(ふくいん)」のイラストは思いつくまい。遊び人の竜さんだから書けたといっていいだろう。
 竜さんと一緒に40数年も暮らし、仕事をしていた内藤ルネさん。女性的であんなに優しかったルネさんが、サジスティックな一面を持ち合わせていたとは、誰も考えつくまい。
 竜さんもこのイラストを見ると、やはりサジスティックな一面を持ち合わせていた人なのかも。これはまさに責め絵だ。
 この絵を見る限りでは、とんでもない責められ方をされているご当人も、かえって快感を味わっているように見える。
 キッチンからの発想だけで、すべてを考えているなんて、面白いし、すごいことだ。才人、藤田竜君の面目躍如というところだ。
 『薔薇族』の読者をいろんなことを考えて、楽しませてくれた藤田竜君、お疲れさまでしたと言いたい。

 でも、こんなことマネしないでよ。お尻にゴルフボールを入れちゃってとれなくなって、ぼくに電話してきた読者がいたけど、長いこと読者がお世話になった、泌尿器科専門の三原橋医院の先生も、高齢でおやめになってしまった。藤田竜君もあの世に行ってしまったし、もう、こんなこと考えつく人もいない。寂しい限りだ

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第5回「伊藤文学と語る会」 
 
3月10日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。ぜひ、お出かけを!

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2012年3月 6日 (火)

第5回「伊藤文学と語る会」

来る3月10日(土)、下北沢「邪宗門」にて、第5回「伊藤文学と語る会」を開催致します。

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3月10日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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テーマなしで自由に語り合います。ぜひ、この機会にお出かけください。

第3回「伊藤文学と語る会」(『薔薇族』401号刊行記念~少年愛について考える~)の様子

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2012年3月 5日 (月)

『薔薇族』を買うとき、店員の目をまっすぐに!

 30年前の中・高生って、今の子供より文章力があったのでは。『薔薇族』の誌上には、「少年の部屋」という頁があって、多くの中・高生が投稿している。その中には長文の投稿も多く、しっかりとした意見をのべているのには感心させられる。
 宮崎県の17歳の高校生が、デパートの中の書店で『薔薇族』を万引きして、女店員につかまり、警備員室に連れていかれ、親を呼び出されてしまった。
 少年は親にゲイだということを知られるのを恐れ、トイレに行かしてくれと言って部屋を出て、屋上から飛び下り自殺してしまった。
 その事件のことを誌上で大きく取りあげ、ぼくも意見をのべたことがあり、それを読んだ高校生の投稿だ。

「ひとつ心にひっかかることがある。それは『薔薇族』を万引きしたところをみつかって自殺してしまった男の子のこと。俺、今、17歳。俺がはじめて『薔薇族』を買ったのは、今年の4月、なにげなく入った栄(さかえ)の古本屋のすみに2冊『薔薇族』が置いてあった。古くさい本の間のその2冊は、俺には輝いて見えたね。
『薔薇族』を買う前は、自分がホモであることに対して、なんていうか、負い目っていうか「自分は世の中の異端児なんだ!」って、そんな「影」がいつも付きまとっていた。
 でも『薔薇族』を買ってからは、自分は変態ではないって思うようになった。世の中の人から見れば、男が男を好きになること自体「変態」かも知れないけど、俺たちは世間の鼻つまみたるべく生まれたわけじゃない。まして化けものじゃないし。それに人が人を好きになることは、素晴らしいことだから、恥じることではない。
 たとえノンケの人だって、俺たちの心が理解できるんだ(たとえば伊藤文学さんのように)ってことが分かったんだ。
 自殺した少年って少し臆病だったんではないだろうか? 結局、彼のしてきたことは、逃げではないのか。店で面とむかって買うことができないから、万引きしてしまった。それで店の人に見つかって、親に連絡され、そして自殺。彼はいったい何と、または誰と戦ったと言えるだろうか? 
 確かに彼にとって万引きは、最大の「勇気」だったかも知れない。店の人を前にして、『薔薇族』を買うこと、それは俺にとっても、また、これを読んでいるほとんどの人にとっても勇気のいることだろう。
 しかし8月号の「特集・伊藤文学のひとりごと」を読むと、まるで少年が『薔薇族』を買うことができなかったこと、そして少年が自らの命を絶ったことが美談であるかのように、書かれていることが、俺には解せない。それは単なる少年の心の弱さであって、決して少年の心の美しさではないと思う。
 弱さ、はかなさには、確かに「美」と呼べるものがある。しかし、この場合、美ではなく、単なる弱さではないか。みんな少しセンチメンタルになりすぎてはいませんか?
 同情することが死者に対するはなむけかも知れない。しかし、それは各人の心の何割かをしめればいいことであり、全面的に「かわいそう、かわいそう」というのは賛成できない。
 俺は『薔薇族』を買うとき、店の人の目をまっすぐに見て、買うように心がけている。人によっては開き直りと見えるかも知れないが、「俺は何もやましいことはしていない」そう思って『薔薇族』を買う。ささいな事かも知れない。でも、それによって世間の人に誤解や、偏見をなくしていければと思う。」

 愛知県のToshi君、今頃、きっといい親父になっていることだろう。いくつもの「美談」を作り出して……。

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第5回「伊藤文学と語る会」 
 
3月10日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。ぜひ、お出かけを!

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ぼくの宝物、篠山紀信写真集『パリ』

 上野の駅のまん前に、文省堂書店があった。間口が狭く、うなぎの寝床のような店だった。店長はぶっきら坊で、感じの悪い男だったが、直接本を届けるようになって、しばらくしたら、本当は気持ちのやさしい人だということが分かってきた。
 木造二階建てで、二階が倉庫になっている。道路に面している店だから、二階の窓ガラスにポスターを何枚も貼ってくれると、すごく目立ったものだ。
 タテ長の黄色い紙に、墨色で大きく『薔薇族』と印刷してあり、その下に製本所で余分に刷ってある表紙をのりで貼ってもらっている。そのポスターをポルノ・ショップの店先に貼ってもらうのだ。この方法は安上がりで効果的なので、他誌にすぐマネされてしまったが。
 なにしろ車の多い道路だから、文省堂書店のお店の前に横付けするのは至難のわざだった。最初の頃は、ぼくひとりでくばっていたが、だんだん雑誌が厚くなってきたので、20冊がひと束になっているのを二束ずつ運ぶのがつらくなってきて、助手を連れてくばるようになっていた。

 その頃の文省堂書店は、エロ本を多く並べていたので、お客がいっぱい。その中を「ごめんなさい、ごめんなさい」と、お客さんをかき分けながら奥のレジの所へ運びこむ。
 そのうちの何本かをレジの所へ置くと、2、3人いる店員が集まってきて、いっせいにカバアをかけはじめ、出来上がるとレジの上に積みあげる。一番上のものはカバアをかけないでおく。
 お客さんが指をさせば、すぐに渡してくれる。ぼくらが運びこむのを立ち読みして、待っていてくれたのか、目の前で積みあげた『薔薇族』の山が、みるみるへっていく。
 残った雑誌は2階へ、狭い階段を持ちあげて、何百冊もの雑誌を積みあげれば終わりだ。2階が店員の着がえ所と、倉庫になっている。トイレに木の扉があって、そこで用を足したものだが、その扉に新潮社刊の篠山紀信さんの写真集『パリ』の古びたポスターが貼ってあった。

47b  そのポスターの写真は、巴里の裏町の古びた骨董店のショウ・ウィンドウの写真で、その中には、アンティークのお人形、ランプなどが並べられている。
 その頃、ぼくは西洋アンティークにめざめ始めた頃なので、ショウ・ウィンドウの中のものに目をうばわれていた。
 『パリ』は1977年、新潮社刊で¥10000もする写真集だ。トイレの扉に貼られたポスターは店長にお願いしてゆずり受けていた。
 篠山紀信さんは、1940年生まれとあるから、事故で亡くなった舞踏家、伊藤ミカの写真を撮りに稽古場にきてくれたのは20代の頃だろう。美しい背の高い有名なモデルさんを連れて。そのときの写真は、美術雑誌の『芸術生活』(1968年6月号)に載せられた。
 ぼくが彩流社から『裸の女房』を出版するときに、写真の掲載を篠山さんにお願いしたら、快く許しくれた。

 人との出会いも不思議だが、「物」との出会いも不思議なものだ。ずっと欲しかった写真集『パリ』をなんと近所のリサイクル・ショップの棚で見付けたのだ。
 今も活躍されている、和楽のお師匠さんに篠山さんがサインをして、贈られたものだが、お師匠さん、パリの古い街並みの写真集などまったく興味がなかったのか、古書店でなくリサイクル・ショップで処分してしまったのだろう。まったく新品のような本を。
 パリなどには一度も行ってないが、写真集を開けば、古いパリの街並み、そこで生活している人たちの息づかいまで聞こえてくるようだ。

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第5回「伊藤文学と語る会」 
 
3月10日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。ぜひ、お出かけを!

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