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2012年3月19日 (月)

僕の青春のすべて、そして生涯の友!

 80年も生きていると、親友と呼べる何人かの友人も、みんなこの世にいない。
 大学歌人会で知り合った、阿部正路君。『薔薇族』にも何度も原稿を寄せてくれた。「伊藤君に頼まれれば、いつでも原稿を書くけど、國學院大学の恩師でもあった、釈迢空(折口信夫)さんのことだけはかんべんしてよ」と言っていた。
 今ならなんでもないことだが、釈迢空さんがゲイだということを、当時は書きづらかったのだろう。

52a  1981年(昭和56年)『薔薇族』創刊10周年・100号記念特別号は、362頁、豪華で盛り沢山の内容だ。
 その頃は、國學院大学教授であり、歌人としても活躍していた阿部正路君が、「薔薇族創刊百号を迎えて=若葉の風=伊藤文学君のこと=」という長文の原稿を寄せてくれている。
 ぼくとの最初の出会いから始まる文章だ。

「まさに若葉の風だった。彼は、とても新鮮で、そして、いつも不意にあらわれる。
 伊藤文学。彼は、いつの間にか、僕の青春の、ほとんどすべてだった。
 伊藤文学。彼は、僕の青春の友であったばかりではなく、今では一層たしかに、僕の壮年の友であり、生涯の友でありつづけるに違いない。
 伊藤文学君と初めて逢ったのは、昭和二十五年の五月、東京大学の三四郎池のほとりだった。(中略)
 まさに若葉の季節だ。すると、美しい水の底の青い空に、白い若者の顔があらわれた。いかにも美青年であった。あたかも夏目漱石のえがいた三四郎のように、田舎から出て来たばかりの僕の目に、その美青年の瞳がひどくまぶしかった。それが伊藤文学君であった。(中略)
 田舎育ちの、しかも男ばかりの中学・高校で学んで上京した僕の目から見ると、伊藤君は、ひどく女性的に見えた。
 やがて伊藤君との深いつきあいが始まった。伊藤君は、やさしくて、まるで、ぬいぐるみのひつじのようだった。そして、いつのまにか、伊藤君は、いつも僕のそばにいた。」

52b  僕と阿部君とは、この文章を読んだだけでも、今から考えると友情をこえた同性愛的なものを感じる。
 その頃、阿部君は國學院大学を卒業して、上野にあった「日本学術会議」の事務局に勤めていた。上野の公園口を出て歩いていくと、左側に2階屋の木造立ての建物は宿屋で、オカマちゃんの巣だった。
 警視総監が巡視中に、オカマちゃんになぐられたなんて事件があり、薄暗くて隠びな感じがする道だった。こんな道を通って阿部君に足繁く会いに行ったのは、僕だけではなかった。
 背が小さくてハンサムでもない阿部君は女性にももてて、僕が知っているだけでも、何人かの女性も通っていた。
 戦後、ヒット曲を何曲も作詞した有名な詩人の娘さんも、そのひとりで、彼女は僕と先妻のミカとの結婚披露パーティに着る衣裳を作ってくれた美しい女性だったのに。
 僕は彼女と結婚するものと思っていたが、お見合いだったのか、出身地の秋田美人と結婚してしまった。
 秋田の人だったので、日本酒をこよなく愛し、國學院大学の研究室には、本と一緒に棚には日本酒が何本も並んでいた。
 僕の次男の結婚式は、京王プラザホテルで彼の仲人で式をあげた。なるべく酒をのませないようにしていたが、ぐいぐいのんでへべれけになる始末。
 駅の階段から、ころがり落ちて大けがをしたりして、お酒で寿命をちぢめてしまった。彼のかわりに長生きしようと思うから、僕は酒も煙草も一切、のまないし、吸わない。

52c

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