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2012年5月

2012年5月28日 (月)

あなたはホモ? お前はオカマじゃねえか? と?

72a  1988年7月号に、面白い特集をやっている。丁度そのころぼくは胆石の手術で、関東中央病院に、1ヶ月も入院していたあとなので、藤田竜君をはじめとして、何人かのスタッフが、ぼくなしで雑誌作りをしてくれていた。この企画も藤田竜君の考えたことだろう。
 読者アンケート特集「あなたはホモ? お前はオカマじゃねえか? と言われたとき、俺はどうしたか」に、多くの読者が答えてくれている。
 今から24年も前のことだけど、この質問を同じようにしたら、今ならどんな答が戻ってくるだろうか。ぼくは残念ながら、そんなに変わっていないのではと考える。

「大好きな友人のS君に、オカマっぽいねと言われたときは、やっぱりショックだった。一瞬だまりこんでしまって、それを打ち消すように冗談を言ったりして。
 そんなに多くは言われないけど、男らしくありたいと思い続けているから、ドカーンとくるよね。
 それにしてもS君は、そう言いながら気になること言ってくれたりして。そのうち言うぞ、好きだって!」(東京・SOS・25歳)

「こともあろうに大ぜいの先生、その上、校長もいる職員室で、楽器店の女店員に言われたのだ。(私はこの学校の音楽教師)少し前にたしかにかわいい18歳の少年を連れて、その楽器店に行って、冗談に「ぼくの恋人ですよ」なんて紹介したのがいけなかった。
 まさか覚えてなんかいないと思って……。そのとおりぼくは少年愛者。よわった、ほんとに……。顔がまっ赤になって。みんなどう思ったかなあ、「あれは教え子ですよ」と、ごまかしたけど……。」(大阪・風の音・36歳)

「姉に「あなたホモじゃない?」と。ベッドの上に『薔薇族』を置いたまま出かけて、帰ってきたとき言われて、初めは否定してたけど、めんどうくさくなって「ああ、そうだよ」と言ったら、「えっ? ホモってもっときれいな男の子がするのかと思ってた」と言われてショックを受けた。それをその上の姉にも言われて、白い目で見られている。でも、少し気が楽になりました、今は。」(大阪・ABC・20歳)

「初期のころは、やっぱり顔がカアーとなったりしたけど、今となっては開き直って、自分から「そうだけど、それがどうかした?」とか、「相手にしてくれる?」なんて、反対に迫ってみたりする。けれど、やはりへたに否定するより肯定した方が、逆にとられるほうが多いように思われる。」(大阪・ショウミー・27歳)

「ああ、ボクがそう見える? でも、ぼくにも女を選ぶ権利はあるもんなと言ってやる。そんな女に限って、やりたくてウズウズしているオールドミスだけど、金を積まれたってあんな女とはできない。
 会社の人に言いふらされたけど、ボクはあの女に断るために、ホモって言ったんだと言うと、みんなナットクしてくれて、女の立場まるでなし。
 堂々と「ホモだよ」と言ったほうがいいらしい。」(東京・びっくり坊や)

「そのようなことは言われたことなし。現在まで歴史は長いのですが、充分に注意してさとられないようにしているためだと思います。でも言われて、なんとなくゴマ化す自信はありますが。」(匿名)

 よくまあ、たくさんの読者が答えてくれたものだ。ほとんどの読者が、周りの人から言われているのではと思っているから、ひげをはやしたり、短髪にしたり、ボディビルで鍛えたりして、みんな苦労しているんだ。

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平野剛画・祭の男

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第8回「伊藤文学と語る会」 

6月16日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※初めての方、お一人様も大歓迎。ぜひ、お気軽にご参加を!

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2012年5月27日 (日)

第8回「伊藤文学と語る会」

来る6月16日(土)、下北沢「邪宗門」にて、第8回「伊藤文学と語る会」を開催致します。

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6月16日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、お一人様も大歓迎。ぜひ、お気軽にご参加を!

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2012年5月26日 (土)

「新吉原」は、こうして誕生した!

 徳川の将軍、家綱の時代に、江戸のまん中に遊郭が存在するのは、風紀上よくないということで、明暦2年10月9日に、本所、浅草の2ヶ所に移転の候補地を決めて、その何れかに移転せよとの命令を下した。
 この命令が下って、遊郭側でまだ相談をして決めかねていたときの明暦3年正月18日に、有名な振袖火事(ふりそでかじ)が、本郷丸山の本妙寺から出火して、江戸の町の大半を焼きつくした。吉原遊郭もその火事に追い立てられて、日本堤と浅草寺の間の千束村に接したところに、2町4面(ぼくにはどのくらいの広さか分からない)の土地を使って建設したのが、今日、存在するところの「新吉原」なのだ。

 最初の設計は日本堤から大門までの50間の道路をまっすぐにつけてあったが、神尾備前守が、それでは風紀上よくないというので、見返り柳のところから、3つに折れて大門に達すように、道路をまげてしまった。
 それは廓で酒を呑んで、酔っぱらった連中のみっともない姿をおおっぴらに見られないようにしたのだ。
 そこへ遊びに行く連中も、さすがに顔を見られるのを恥じて、編笠茶屋で深編笠を買って、それをかぶって、顔を見られないようにして吉原へ通ったようだ(恥部を隠そうとするのは、今も昔も変わらない。新宿2丁目が赤線地帯だったころ、へいで囲って見れないようにしたことがあったっけ。お役人の考えることはいつも同じだ)。

 幕府はこの新吉原の建設に対して、金1万5千両(今のお金にして、どのくらいの金額になるのか、頭のいい人、教えて)を補助した。
 それは殺人事件や傷害事件を起こしたものが、廓にくることが多いので、鬼平のような人がつかまえやすいという利点と、もうひとつは江戸中に散在していた、売春婦をみんなこの新吉原に集めようとしたのだ。だから新吉原のできたあとは、江戸市中の売春婦を見つけ次第つかまえ、新吉原に送って、一生そこから出せないようにした。
 いつの世でも貧しいということは悲しいことだ。親に売られたりする女性は多かった。手っとり早くお金をかせぐためには、女性は自分のからだを売る。これは永遠に変わらないだろう。女性だけでなく、男性でもからだを売る若者はいるが。

 ひとりの売春婦が捕らえられて、新吉原へ送られたとき、「果てしなき浮世の端に隅田川流れの末をいつまでか汲む」と和歌を作った(教養のある売春婦も存在していたのだろう)。
 その和歌を読んだ、名奉行として時代劇にひんぱんに登場している大岡越前守が、それはいかにも可愛そう過ぎると言って、それからは江戸市中で捕らえられた売春婦は、3ヶ年だけ、新吉原で働けばいいということにしたという話が残っている。
 お上(かみ)にも、お慈悲があるという言葉は、よく時代劇に出てくる。捕らえた犯人に対して、お役人がよく使うセリフだ。

 ブログには怒りに堪えられないことばかりだが、政治のことは書かないことにしている。民主党の小沢一郎代表、なんと無罪になってしまったが、これは誰が考えたって、無罪ということはあり得ない。これもお上のお慈悲なのだろうか。
 日光の東照宮(行ったことがないが)の参道に並んで建てられている灯ろうには、廓の経営者の名前がきざまれているものもあるようだ。
 いつの世にも権力者とつながりで、わいろを贈る連中がいたのだろう。貧しいものが泣きを見る世の中は、いい世の中とは言えないのでは。まだまだこの話は続く。

071
祖父が持っていた、明治時代の絵はがき

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2012年5月21日 (月)

草がぼうぼうと生え茂っていた「吉原」の歴史

 ぼくの祖父、伊藤富士雄(大正12年6月2日、53歳で没)から、直接、話を聞いて書いたという、沖野岩三郎さんの著書、『娼妓解放哀話』(昭和5年6月刊・中央公論社)から、何度もブログで紹介してきた。

 桜の季節になると、花見客寄せに「おいらん道中」を開いている街が新潟にある。おいらんは女郎の中からえらばれた女性ではあるが、自由をうばわれた女郎に違いない。
 お金で売られてきた女たちの苦しみを知ったなら、「おいらん道中」など開けるわけがない。
 もう一度、本を読まないぼくではあるが、読み返しはじめたら、序文にこんなことが書かれている。

「日本民權史の一部として、娼妓自廃の歴史を書いてみたいと思い出したのは、もう10年も前のことで、亡くなられた伊藤富士雄君が私を訪ねてこられたときからだ。
 伊藤富士雄君は、救世軍(軍隊組織でキリスト教を布教している団体)士官として、娼妓の自由廃業に、一身を捧げた闘士であった。およそ1200名の娼妓から、自由廃業の相談を受け、その中の987名を完全に廃業させた。」と。

 ぼくは残念ながら(?)、浅草の近くの「吉原」に足をふみ入れたことはないが、その「吉原」の歴史が書かれている。

「江戸(現在の東京)には、慶長の初年まで遊郭(昔、遊女屋の集まっていた地区)というものはなかった。
 慶長(1596~1614)10年に江戸城修復のときに、柳町にある20軒ばかりの遊女屋に立ちのきを命じた。
 慶長17年12月に相州(さがみ)小田原藩の武士であった、庄司甚右衛門という人が遊郭をつくりたいという願いを出した。
 その理由は刑事上の罪人を捕らえやすく、浮浪者のとりしまりに好都合だということだ。その時代は豊臣家が滅んで、間もない頃で、諸国の浪人たちが、江戸に入りこむ者が多く、徳川幕府もその取締に困っていたときだった。出願者の庄司甚右衛門は、町奉行の米津勘兵衛の評定所に呼び出され、本多佐渡守正信立ちあいの上、くわしいとりしらべがあって、元和(げんな)(1615~1623)3年3月に、いろんな條件をつけて、それを守るようにとのことで、今の日本橋に、2町四方の土地を興えてそこに集娼地を造らせた。
 当時、そのへんは葺屋(ふきや)町といって、葭(よし)がぼうぼうと生え茂った沼地だったのを、埋めたてて翌年11月には、すっかり工事が完成した。
 葭が生えていた所だから「葭原」といったのだろうが、のちに「芳原」といい、さらに「吉原」というようになった。
 出願者の庄司甚右衛門は、吉原遊郭の名主を命じられ、大門を入った第一の右角に、大きな技樓を立てて、商売が繁盛したようだ。
 その後、江戸が日本の中心になって、以前は草ぼうぼうだった吉原へんが、江戸の中心になってしまった。
 将軍家綱の時代になって、江戸のまん中に遊郭があるのは、風紀上よくないということで、明暦(1655~1657)2年10月9日に、本所、浅草の2ヶ所に移転候補地を選んで、その何れかに移れという命令をくだした。」

 ぼくは今、時代劇専門チャンネルにはまっていて、「鬼平犯科帳」「剣客商売」などを見続けているが、その中で必ず「吉原」が登場するし、地方から流れこんできて、くいつめた浪人たちも登場する。
 最近は江戸時代に生きているような感じにさえなっている。長屋に住んでいる貧乏な人たちが助けあって生きていた、いい時代だったのかも。

070
明治の時代、暴風雨のあとは水びたし

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2012年5月19日 (土)

同性愛が不健康な愛情と言われていた!

069  昭和32年2月17日発行の『週刊読売』3月17日特大号・40円が、「性の崩壊=実態調査・男の同性愛」という特集を8頁も使っている。
 非合法のゲイ雑誌『アドニス』(会員制)の創刊は、昭和27年9月(1952年)、ぼくが駒大を卒業した頃のことだ。
 前にもこの特集を紹介したことがあったと思うが、この見出しを見るだけでも、同性愛の人たちがひどい状態に置かれていたということが想像される。

「戦後の性道徳の乱倫は、いろいろととりざたされてきたが、しかし、どうやら健康な愛情が平和とともによみがえってきていると、われわれはみたい。が、その反面、ここにとりあげたような不健康な愛情が、地下にひろがりつつある。」と。
「不健康な愛情」そしてそれが「地下にひろがりつつある。」世間の人たちはゲイの人たちを「変態」「異常」と見ていたし、ゲイの人たちもそう思っていた。
 太田典礼という人が、3年間に渡って、ゲイの人たちを調査した結果が報告されているが、今、それを読むと、的はずれもいいところだ。

 1971年に『薔薇族』を創刊して、「同性愛は異常でも変態でもない! かくれていないで表に出よう!」という旗印をかかげて、35年に渡って叫び続けたということは、われながらすごいことだったと思う。
 それを証明するものとして、特集の最後に医学博士の竹村文祥さんの「絶対にやめるべきだ」という談話でしめくくっている。

「アメリカでは女性300万人から500万人、男性500万人から、1000万人の同性愛者、愛好者がいるといわれ、大きな社会問題になっている。日本でも最近の傾向からみて、当然、問題視しなければなるまい。
 わたしはこういった人々によく接して思う事だが、同性愛を変態と思い、泥沼に落ちた自分を悩み苦しむ人は、比較的なおりやすい。
 一方、これこそ性愛の極地だと自認し、医者のところへ相談にくるより、むしろ賛成を求めにくる人、こういう人は絶対になおらない。つまり自己批判の能力の問題だ。
 人間だれしも幼年期から思春期にかけて、異性愛にめざめるもので、レビュー・ガールや、プロレスラーに夢中になる同性愛は、子供のころならだれでもあるし、心配もいらない。
 要はこれから、普通人なら異性への愛は成長の階段を登りきれないもの、いわば未熟な人が同性愛におちいるのだ。だからホモがいくら美しい行為といっても、しょせん性的には幼児の過程にある、変態行為にすぎない。
 そうした変態行為は、絶対にやめねばならない。同性愛の悪害は、おそるべき伝染力をもっていることだ。AがBを誘惑すれば、BはCを誘いこむ。しっとから刃傷事件になることすらある。
 こういった社会問題を多くはらんでいるだけに、まったく解決方法はむずかしい。いや方法はおろか、その実体すらつかむのに不可能なほどだ。
 健康な性教育の普及ということ以外に方法はないのではないだろうか。」

 医学博士の竹村文祥先生が、「絶対にやめるべきだ」という。こんな時代に生きていたゲイの人たちが、どれだけ差別や偏見と闘い、苦しみ悩んできたことか。
 本当に思いきって『薔薇族』を創刊してよかった。多くの読者の心の支えになったことは間違いないからだ。
 ゲイの人たちが伝染病患者よばわりされていたなんて。一度に世の中を変えられない。長い時間をかけて、こつこつと変えていくしかないだろう。『薔薇族』は、それをある程度、成し遂げたのでは。

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第7回「伊藤文学と語る会」 

5月19日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。ぜひ、お出かけを!

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2012年5月14日 (月)

小企業で生きていくことの大変さを!

 カフエ「邪宗門」での「伊藤文学と語る会」も、4月21日で6回目を迎えた。集まってくれた人は、6人だったが、初めて沼津市から参加してくれた若者がいた。
 ぼくのブログを見て、参加してみたいと心動かしている人は、何人もいると思うが、勇気がいるに違いない。ひとりでも初めて参加してくれた人がいたことはうれしい。
 7回目の「伊藤文学と語る会」は、5月19日(土)に開きたい。ぜひ、参加してください。

「孤立している老人を」と書いたが、おひとりメールを寄越してくれた人がいた。大阪の郊外に住む、68歳のKさんからだ。
 このメールは他人事ではない。ぼくが仕事をしていた時代とぴったり合うから、身にしみて何度も読み返してしまった。

「伊藤さんのブログ、今日はじめて見ました。その中の「孤立している老人を……」ですが、まさに自分自身が直面している問題で、思わずメールしました。
 まだ私はパソコンができますから、いいようなものの、PCとか携帯、スマートホンなど扱ったことがない熟年老人は、それも私のようにひとり住まいの老人はどう暮らしているのでしょうか?
 伊豆温泉パーティを仲間と開いたという伊藤さんが書かれた方々は、まだ経済的に恵まれた人たちでしょう。
 わたしなどは、ぐちをこぼすようですが、国民年金だけの収入で、1ヶ月5万円ではまったく生きられず、旅行などとんでもないことです。
 24歳のころに小さな書店を開店、もちろん『薔薇族』も置いていました。15坪ぐらいの店でしたが、数年間は競争店もなく、まあ、売り上げも少しずつ上向いてきましたが、近くに大型書店がオープンしたので、差別化をはかるために、アダルト物もどんどん扱いました。その後、ビニ本ブームが到来、一時は儲かりましたが、お決まりの警察のやっかいになってしまったので、転業。映画が好きだったので、そのころとしては、まだニュービジネスだった、レンタルビデオ店になりました。
 レンタルビデオ店も、大型店が続々と誕生してきて、8年ほど前に閉店。いまは団地にひとり住まいです。
 閉店後、しばらくは蓄えもあり、海外旅行、特にオーストラリアが好きでよく行きました。今はまったく貯金ゼロ、その上、3年前に脳梗塞で右足にマヒが残り、パートで働くこともできません。
 毎日がつらく、うなされることもあり、自殺も考えてしまいます。それで思いきって区役所の福祉課へ相談に行きました。生活保護のお願いに。親切に相談にのってくれ、申請の書類を手渡されました。
 ただ、ひとつ問題は、自動車を放棄しないと保護を受けられないのです。迷っています。これで週2回の温水プールに行く楽しみが、バスで行くしかありません」

 このKさん、国民年金の5万円で生活していると言うけれど、車を所有していれば、駐車場も借りなければならないし、ガソリン代など、もろもろの費用もかかる。それはどこから出ているのだろうか?
 このKさん、個人の小さなお店を経営してうまく世の中の流れに乗ってきたと思う。しかし、大資本にはかなわない。小企業はみんなのみこまれてしまった。

 若い人はビニ本ブームは知らないだろうが、ビニールに包んだ中が見れない、大股びらきの女性のヌード写真集だ。それが街にあふれたことがあった。内容がエスカレートしたために警察の取締で、あっという間に消えてしまった。

 権力の強さをまざまざと見せつけられてしまう出来事だった。いかに今の世の中、生きぬいていく事が大変かを、Kさんのメールから身につまされて考えてしまった。

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第7回「伊藤文学と語る会」 

5月19日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。ぜひ、お出かけを!

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2012年5月12日 (土)

男の裸は芸術なのだ!

67  人が気付かないことに目をつける。そうでなければ、新潮社が本にすることはないだろう。その本は『股間若衆=男の裸は芸術か』(定価・本体¥1800・税別)という木下直之さんの著書だ。
 その帯にはエッセイストの田丸公美子さんが、「男の沽券にかかわる本! 露出か隠蔽か? 古今、日本人美術家たちによる、男性の裸体と股間の表現を巡る葛藤と飽くなき挑戦! 曖昧模っ糊りの謎を縦横無尽に追求する。本邦初、前代未聞の研究書」と書いている。

 女性の股間は彫刻では、リアルに表現するわけにいかない。それに女性のあそこは美しくない。女性の美しさは乳房だろうが、男性の股間は美しい。
 ぼくは撮影にカメラマンに立ちあって、どれだけ男の股間を見てきたことか。彫刻家は女性のあそこは、すんなりと表現してしまう。ところが男性のあそこは、一番見せたいところだから、できるだけリアルにと思うのは当然のことだ。
 男性の裸像での一番の見せどころは、股間だからだ。バレエの男性は、股間につめものをして、陰影をはっきりさせたいとする。本当はスッポンポンで踊りたいだろうが、それが許されないのだから、あそこを大きく見せようとする。

『薔薇族』の読者は、誰もが股間を見たいと思う。それを許さないのが、警視庁の風紀係だ。創刊2号目にして、影のように陰毛が見えただけで、警視庁に出頭を命じられて、始末書を書かされてきた。
 それから時が流れて、取締がゆるくなったり、きつくなったりしてきたが、発禁4回、始末書を書かせられること、20数回という流れだった。
 それと同じように、明治時代から今日に至るまで、彫刻家、画家、写真家たちは、苦労して官憲と闘ってきた。

 木下直之さんは、多くの資料を見つけだし、くわしくそのへんの推移を書いている。
 あとがきに「股間巡礼の旅に出て、かれこれ4年になる。旅立ちの日は、はっきりと覚えている。場所は赤羽駅前。平成20年5月2日が、この本の冒頭に登場するふたりの若者に出会った日だった。
 一瞬、我が目が曇ったのかと思った。あるべきものがあるようでないそれは、本当に不思議な股間だった。強いてあげれば、バレーダンサーの股間に近い。もちろん男のもっこりとした方である。
 いったいどこから、こんな曖昧模糊とした股間表現が生まれてきたのかを知りたいと思った。そして、その持ち主が一糸まとわず、なぜ駅前に立っているのか、通行人の多くはなぜ目を留めようとしないのかについても考えてみたかった。」と。

 皮肉なことにわいせつ物取締の本陣の警視庁1階ロビーに、朝倉文夫作の男性裸像が飾られ、大きなオチンチンがぶら下がっている。
 風紀係に呼ばれて出頭したときに、「アレはいいのですか?」と聞いたら、迎えにきた係官が「アレは自然な形だけど、お前のところは不自然な形だからいけない」と言われてしまったことがあった。
 殺人事件があって、警視庁の捜査1課の刑事が、ぼくを訪ねてきたときに、朝倉文夫の裸像の話をしたら、毎日、通っている建物なのにその存在を知らなかった。
 人間って関心のないものって見ないものなのだ。駅前に立っている、男性裸像だって、女好きの男は見向きもしないのは当然のことだ。

 各地に立つ、裸像を巡礼して紹介し、『薔薇族』のことも紹介してくれている。ぜひ読んでもらいたい本だ。

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第7回「伊藤文学と語る会」 

5月19日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。ぜひ、お出かけを!

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2012年5月 7日 (月)

福岡の人たちは心あたたまる人ばかりだ!

 鴎外の長女、作家の森茉莉さんが仕事場にして、毎日のように通いつめていた、茉莉さんファンにとっては聖地のような、カフエ「邪宗門」。そこを会場にして「伊藤文学と語る会」を開いているが、2012年4月21日(土)で、六回目を数える。
 石川県の金沢市から女子大生が来てくれたり、中国、上海出身の若者が現れたりで、ネットの威力を実感させられた。

 『薔薇族』はネットや携帯電話が普及するにつれて、部数が落ちこみ、廃刊に追いこまれてしまった。
 文章を書くことがなくなって落ちこんでいたぼくに、次男の嫁が「お父さん、原稿用紙に書いてくれれば、私がネットで見れるようにするから」と声をかけてくれた。
 今、ぼくのブログを更新してくれている若者は4代目だ。ラッキーなことに近所に住んでいるので、毎土曜日にわが家を訪ねてくれて、前に渡してあった原稿のゲラを見せてくれ、また新しい原稿を渡す。
 書きこみがあると見せてくれる。きちん、きちんと更新してくれているので、見てくれている人も全国的に増え、今や一日に千人近い人が見てくれているようだ。

 2年ぐらい前だったろうか、ブログを見てくれ、ぼくの本も買って読んでいる福岡市に住む女性と文通していた。
 デザインの仕事をしながら、劇団「スリッパーズ」の座員でもある。Mさんという女性だが、ぼくの名刺も作ってくれた。
「スリッパーズ」の主催者であるTさんは「大手門カフエ」の経営者でもあり、おひとりでお客さんの接客もしている女性だ。
 Tさんもぼくのブログを見てくれていて、なんと、「伊藤文学と語る会in福岡」を「大手門カフエ」で開催したいという申し入れがあった。
 埼玉県か、千葉県なら近くだが、九州の福岡なんていうと、あまり旅行をしないぼくにとっては遠いところと思ってしまう。
 まして国内線の飛行機は、十朱幸代さんと映画の宣伝のために大阪に行ったときのことしか記憶がない。ひとりでの旅行をあまりしたことがないのだから、心配ではあった。
 航空券などが送られてきてしまったので、行かないわけにはいかない。ホテルも2泊でセットになっているようだ。

 2012年4月14日(土)14時開会、会費¥2000とドリンク代は別会計になっている。
 成田は遠いが、羽田はわが家から近い。しばらくぶりに羽田に行ったが、広いのでびっくり。2時間足らずで福岡空港についたら、Mさんが笑顔で迎えにきてくれていた。

 福岡に地下鉄があるなんて知らなかった。25分ほどで「大濠公園」駅に着いた。お城のあとが公園になっているようだ。桜は散ってしまっていたが、八重桜が咲きはじめていた。
 家庭裁判所や、銀行の大きな建物が並んでいて、東京からはるばるやってきた感じがしない。街は煙草のすいがらも落ちていない清潔な感じだ。

「大手門カフエ」は初代の経営者が西洋骨董好きの人だったそうで、そこを気に入ってTさんが借り受けたそうだ。ぼく好みの落ち着いた店で、壁面にはぼくが贈った、カリフォルニアのフルーツ・ラベルを飾ってくれていた。

 14日の本番は感動的なひとときだった。チラシを外に貼ってあったのを見て参加した人もいたり、ぼくの本を何冊も図書館で借りて読んでいるという青年もいた。こんなに長くしゃべったことは記憶にない。みんな心のあたたかい人たちばかりだった。

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福岡市文学館の前に立つ文学

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大手門カフエの前で

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第7回「伊藤文学と語る会」 

5月19日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。ぜひ、お出かけを!

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2012年5月 5日 (土)

警視庁の8階の窓から見た皇居の緑が!

 1989年の7月号の「編集室から」を読んだら、警視庁の風紀係に出頭を命じられたときのことが書いてある。この頁、老眼鏡をかけても見にくいくらい文字が小さく、それも2頁にびっしりとつめこまれている。
 今、小学5年生の孫と一緒に住んでいる。その父親がぼくの次男、次男が高校3年で駒大高校に通っていて、大学の進路を決めるために担任と話合いに行ったなんてことまで書いている。23年も前の話だ。

「4月21日、午後2時、警視庁の保安1課に出頭を命じられて行ってきました。めったにスーツを着ることはないのですが、丁度、國學院大学教授の阿部正路君から頂いた、素敵なネクタイをしめて、パリッとして出頭したのです。
 昔の警視庁の建物は、何度も出頭したことがあり、重厚ならせん階段は、今でも頭にこびりついています。あの木の手すりがよかった。新しくなってからの建物は、近代的にはなったけれど、重厚な風格のようなものはなくなっています。
 受付の待合室で待っていると、わざわざ女の方が迎えにきてくれました。保安1課は8階にあって、部屋に入ると、係官が「これに書いてください」と、始末書の書式をもってきてくれて、空いているテーブルで書き入れるのです。ていねいに下敷きまで持ってきてくれて。
 15分か、20分ぐらいで書きあげて、印鑑を押して、それを提出すれば終わりです。一番奥に座っている課長さんに挨拶して、部屋を出ました。
 一階のロビーには、朝倉文夫さんの男性裸像「競技の前に」と題する、等身大のブロンズ像が立っています。もちろんオチンチンもリアルに彫られていて、去年、出頭したときに、そのことをお聞きしたら、「あれは自然な形だからいいんだよ」と、係官に言われてしまいました。
 そういえば『薔薇族』のグラビアは、不自然な形のものが多いのだから、いけないのでしょう。それにしても男性裸像のブロンズが、警視庁のロビーに飾ってあるなんて、一昔前なら考えられないことです。
 ずいぶんと取締当局も、ゆるやかになってきました。だからといって、露骨でいいわけないので、7月号からアミの目を濃くします。
 なるべくなら桜田門のご厄介にはなりたくないので、かんべんしてください。
 世の中、万事、事務的になってきて、形をととのえればいいという感じになっていますが、30何年前に出頭したときなどは、こわいほどに叱られたものです。
 悪いことは悪いと、もっと怒って注意してほしい。その方が反省すると思うのです。今のように始末書を書かせればいい、書けばいいというのでは、あまりにも事務的で、罪の意識を持ちようがありません。
 8階の窓から見下ろす、皇居の緑は美しい。いやなことを一瞬、忘れさせてしまうほど、緑があざやかでした。
 警視庁の前から車をとばして、日本橋の高島屋で開催中のアール・ヌーヴォーの華、アルフォンス・ミュシャ展を見てきました。
 反省の色もなく、ケロッと嫌なことを忘れて、ミュシャの美の世界へ没入してしまったのです。ああ、なんという落差でしょうか。
 この世の中に、こんな人間っていないのではと思いつつ。」

 いつもなら、日劇のミュージックホールでストリップショウを見るのだが、もう閉鎖されていたのかも。
 今でも警視庁の前を通ると、あの頃のことがなつかしく思い出される。風紀係はどんなことになっているのだろうか。誰もが裸なんてなんにも感じなくなってしまって、陰毛がちょっと見えただけで呼ばれた時代の方がよかったのかも……。

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第7回「伊藤文学と語る会」 
 
5月19日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。ぜひ、お出かけを!

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2012年5月 1日 (火)

第7回「伊藤文学と語る会」

来る5月19日(土)、下北沢「邪宗門」にて、第7回「伊藤文学と語る会」を開催致します。

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5月19日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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テーマなしで自由に語り合います。ぜひ、この機会にお出かけください。

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