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2012年6月

2012年6月30日 (土)

母校、世田谷学園は進学校として発展している!

 ぼくが誰よりも、母校の世田谷学園を愛し続けているのには理由がある。
 昭和19年、日本がアメリカに無条件降伏したのが、翌年の昭和20年(1945年)の8月10日のことだから、すでに東京はアメリカのB29爆撃によって、焼野原になりつつあった頃のことだ。
 私立日本学園を受験して、入れなかった。親父が戦前、勤めていた第一書房から、山田霊林という偉い曹洞宗のお坊さんの本『禅学読本』を出したことがあった。
 その山田先生は、世田谷学園の校長から、駒沢大学の総長、そして永平寺の管長にまで登りつめた方だ。

 親父が世田谷学園に入れてもらうように頼みに行けというので、おふくろに連れられて、芝の方にあったお寺にお願いにあがった。
 山田先生の威光で、難なく世田谷学園に入学できて、4年修了とともに、駒沢大学にも入れてもらった。
 そして卒業の日まで大学にいたものの、頭が悪く本をまったくといっていいほど読まないぼくに、卒業論文など書けるわけがない。
 恩師の万葉学者であり、歌人の森本治吉先生が心配してくれて、大学院に入って、そこで卒論を書けばとまで言ってくれた。
 考えてみたら、大学院に入っても急に勉強するわけではないし、親父の出版の仕事をすでに手伝っていたので、そのままになってしまった。

 そして時が流れ、20年以上も過ぎただろうか。ぼくと妹で書いた著書『ぼくどうして涙が出るの』が、日活で映画化され、ベストセラーになった。
 そのあとだったと思う。世田谷学園の同窓会の役員会が開かれたときに、ぼくも役員なので出席した。会が終わって外に出たら、駒大の教務課の部長さん(恩人の名前を忘れてしまった)も帰るところで、ぼくは車で行っていたので、家まで送り届けたことがあった。
 その車中、「じつは卒論を書かなかったので、卒業証書をもらえなかった」という話をしたら、「なんだ、おれを訪ねてこいよ」と言ってくれた。
 何日かして学校に部長を訪ねたら、立派な卒業証書が出来あがっているではないか。総長のお名前が違っていたが。
 それまでは、ぼくの著書の略歴に「駒沢大学文学部国文科を出た」と書いていたが、それからは堂々と駒沢大学卒業と書いている。あの日、車で行かなかったら、死ぬまで駒沢大学を出たと略歴に書いていただろう。

 今の時代、こんなことできるわけがないが、いい時代だったということだろうか。

 先日、世田谷学園の同窓会の役員会が、6月1日(金)の夕方4時30分から、学園の会議室で、校長をはじめ20人ほどが集まって行われた。総会を開く前の決算報告と事業計画などの審議だった
 世田谷学園の卒業生は万を超すだろうが、同窓会の総会に出席する人は、30人ほどだ。入試の学園案内はお金をかけた立派なもので、どこの学校よりもいい出来になっている。受験をする親がみて、息子を入れたいと思うほどの説得力がある。

 東大12名、早慶上智が230名など、現役での合格率は88.3%というからすごい。
 塾に同窓会はない。自動車学校にもない。そこは入試のため、運転の技術を教えるだけのところだから、卒業したら二度と行きたいと思うわけがない。
 それと同じで進学校としての学園になってしまっているのだから、難関大学への合格者数が問題であって、野球や、柔道で名前を売る必要もない。
 優秀な世田谷学園に親たちは、息子を入れたいと殺到しているのだから。男子校であって、女性がいないことに、むしろ親たちは安心している。卒業生として母校を誇りに思うべきだろうか?

081a
学園案内は、お金をかけた立派な体裁

081b
それにひきかえ、同窓会の案内は、お役所から届いたよう。これを読んで出席しようと思うだろうか? 

 

第9回「伊藤文学と語る会」

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7月14日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、お一人様でも大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2012年6月25日 (月)

閉じたままの扉の中は

 10年前のことだから、ぼくが70歳のときのことだ。なんで詩のようなものを書いたのかまったく忘れてしまっている。
 ぼくはなにか、ことあるときにだけ、アドリブで詩のようなものを書いてきた。新潟県の弥彦村に「弥彦の丘美術館」を造るべく準備しているときに、設計図が完成したのを病室で見ただけで、尽力してくれた本間村長さん、完成を見ることなく、ガンで亡くなってしまった。
 文化会館で告別式が開かれたとき、ぼくは壇上で「もうすぐ弥彦村に巴里がやってくるのに」という詩を読みあげた。巴里の画家、ルイ・イカールのぼくのコレクションを展示する美術館だった。読んでいるうちにすすり泣きの声が聞こえてきたのを覚えている。
 心臓病で亡くなった妹が、フジテレビの「テレビ結婚式」をあげたとき、ぼくは妹に捧げる詩を朗読した。
 10年前の詩は、ぼくが生まれ育った下北沢のことを書いたものだ。戦前の下北沢と、現在の下北沢、めまぐるしい変わりようだ。
 下北沢は、戦前は北口の一番街といわれる通りがにぎやかで、南口はほとんど住宅だった。スーパーの「オオゼキ」の前の踏切は小田急線がひっきりなしに走っているから、開かずの踏切だ。
 いつ頃から通れなくしてしまったのか、忘れてしまったが、南口からスーパーの「ピーコック」の方へぬける地下の通路があったのを知っている人は少ないだろう。この通路、大雨が降ると、すぐに水浸しになって、通れなくなってしまったが。

 

閉じたままの扉

 下北沢の南口。3、4軒しか店がなかったころ、いつも扉を閉じたままの「ロリガン」というバアがあった。
 大人しか入れない店だということは、子供心にも分かってはいたが、その中にどんな世界があるのかと、なぞめいた扉の中を想像していた。
 昔の子供は夜は外に出ないから、見ているのは、昼間の閉じたままの扉。
 大人になったら入ってみたい。神秘な扉を開いてみたい。いつも、いつも思い続けて眺めていただけの扉。
 それがいつの間にか、大人になってしまったが、その時には、もう「ロリガン」は消えていた。
 あの扉の向こうにどんな世界があったのだろう。記憶の底に、閉じたままの扉だけが、今も頭の片隅に残っている。 

 

女の匂いに

「茶沢通り」。じゃりだらけの道に、そんなしゃれた名前はついていない。その道に面して小さな理髪店があった。
 中学生の頃だったろうか。その理髪店には目のぱちっとした、小太りの若い女主人がひとりで髪を刈っていた。
 その日は、ぼくしかお客はいない。椅子に座って髪を刈ってもらっていたが、すぐそばにいる女の匂いに、ぼくのからだの底から、突きあげてくるものがあって、息が荒くなってきた。
 抱きついてしまいたいとさえ思った。白い布がかけられていなかったら、どうなっていただろう。女主人の瞳もうるんでいたような。
 早く終わってほしい、と思う反面、いつまでもこのままでいたいとも。
 それからというもの、女性だけの理髪店には足を踏み入れたことはない。

 小田急沿線で、下北沢駅だけが汚いまま。今、工事中で、これからどんな風になるのか。ごちゃごちゃした街を残したいものだ。

080

姉と3歳ぐらいのぼく。桜の木も細かった。

 

第9回「伊藤文学と語る会」

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7月14日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、お一人様でも大歓迎!
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2012年6月24日 (日)

第9回「伊藤文学と語る会」

来る7月14日(土)、下北沢「邪宗門」にて、第9回「伊藤文学と語る会」を開催致します。

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7月14日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、お一人様でも大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2012年6月23日 (土)

勇気を出して、扉をたたいてみよう!

079 『薔薇族』には「少年の部屋」という、中・高生の投稿を載せる頁があって、小さな文字でびっしりと何人もの投稿を載せている。
 今ならとても考えられない頁で、メールなんてものがない時代、少年の熱気を感じさせる長い文章が多い。その中の何人かには手紙を回送できるようになっていた。
 1987年の9月号「少年の部屋」の巻頭に、ぼくはこんなことを書いている。「「少年の部屋」の諸君に訴える!」と。

「中・高生同士が知り合うチャンスは、この欄でしかないのです。未成年者同士が文通で知り合うことはいいのですが、どうしてもそこに少年の好きな大人が入り込んでしまうのです。
 最近、ある少年のお父さんから電話があったのですが、相手は大人で、高校生のような書き方で、この欄に載せていました。高価な洋服をもらってくるので、親が変だと思ってわかったことです。
 今、この欄で手紙を回送することの是非を考えて悩んでいます。みんなの率直な意見を聞かせてください。僕はなんとか続けたいと考えているのですが・・・・・・。(伊藤文学)」

 いい時代だったと言うべきでしょうか。この頁によって、同じような悩みをもっている人が世の中には、たくさんいるということを知って、少年たちの気持ちが楽になったことは間違いない。巻頭にはこんな高校2年生の投稿が載っている。長文なので全文は紹介できないけれど・・・・・・。
「勇気を出して扉をたたいてみたら」と題してだ。

「僕、神戸の山奥(と友達が言うので)に住む「タッチ」こと、生意気ざかりの達也です。よろしく。高校2年、やっと17になったところ。背丈がやっと待望の175センチを越えて、水泳で鍛えた胸や、肩もなんとか、この頃、さまになってきたって感じです。
 この雑誌とは、去年の今頃、クラブの部屋に投げてあったやつをふと手にしたときからの付き合いです。仲間たちとふざけて、さわりっこするくらいはしたことあるけど、SEXってやつには、まだ臆病な僕です。
 それでも、この4月に思いきって、文通欄に出ているカッコ良さそうな人に向けて、1通だけ手紙を書いたんです。
 2週間ほどで返事が届きました。「写真を見てすっかり気にいった。早く会いたい」と書いてありました。
 電話で10分ぐらい話したけど、イマイチのれなくて。グズグズしていたら、また手紙がきて、今度はちゃんと写真も入っていて、顔はそんなにタイプじゃなかったけど、その人の熱意に負けたって感じで。また電話して5月の連休に会うことになったのです。
 約束の時間より15分も早く着いたのに、その人はもうそこで待っていてくれて・・・・・・。
 梅田センタービルで遅めのランチをとって「スタンド・バイ・ミー」を2人で観て、夕暮れの公園通りを歩き、ガス・ビルのカフエでお茶して、「俺の部屋に遊びにこないか?」って誘いにだまってうなずいて・・・・・・。
 その夜、生まれてはじめて、僕はSEXを知り、女の子みたいに彼の胸の中で、ぐっすり眠りこんでしまいました。
 車で自宅まで送ってもらい、次の日も会う約束をして別れました。僕はこの一日で、うかつにも彼のことを愛しはじめていました。」

 このあとまだまだ続くけれど、ハッピイ・エンドのようだ。
 僕みたいにちょっぴり勇気を出して、扉をたたいてみたら、すごくいい出会いが待っていたってこと、みんなに知ってもらいたくてと、達也君はむすんでいる。

 そう、勇気を出して扉を開けてほしい。きっといい出会いがあると思うけど・・・・・・。

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2012年6月18日 (月)

私は書かない、同性愛者の名誉のために!

078 『薔薇族』が1971年に創刊される以前に、会員制での非合法雑誌、『アドニス』『同好』などがあった。
『同好』を発行していた、毛利精一さんは、大阪市浪速区に住み、自宅を事務所にしていた方だ。カリスマ性を持った方で、会員にも慕われていた方のようだ。会員も千人を越していたようで、口コミだけでひろがったのだからすごいことだ。

『同好』のことは何度も紹介した。なんで誌名を変えたのかは不明だが、『清心』という雑誌が1冊みつかった。万博に行った話も書いてあり、巻頭に毛利さんがこんなことを書いている。「私は書かない、名誉のために」と題して、ある会員から、先生は10年以上も出し続けてきたのだから、経験を書いて本を出したらいかがですか、よく売れると思いますよとの質問に答えている。

「いろんなことがありましたが、そのどれをよく考えてみても、同好者(同性愛者のこと)の性格からくる浅知恵といいますか、つまり異常体質からくる異常性格と、それに常識不足と言えば失礼ですが、つまり自己流の物の考え方からくる迷惑といったようなことが多いのです。
 そしてわれわれの間では、あまり気にしていないことでも、一般の人から見れば、とんでもないといったような事が多いのです。
 会員の人たちを自分の息子や、孫のようなつもりで接してきたのだから、同好者の恥になるようなことを面白いからと言って、出版する気にはなりません。
 同好者が映画館で相手を求めたり、公衆便所で探したりしているのを、あそこにいるなと見すごしてしまいますが、一般の人がその場面に出会ったら、気狂い沙汰としか思わないでしょう。
 各地のウリセンバアで、未成年の少年を売っていて手入れを受けたときに、取り調べにあたった係官は、どういう考え方をしていると思いますか?
 お前たちのやっている行為は、昔の女郎屋より、もっと悪どいじゃないか、昔の女郎はそれぞれ前借り(金をまとめて前借りしていること)があって、その代償に身体を張っておったんだが、お前たちは別にあの子たちに金を貸している訳でもないし、たいした給料を支払っている訳でもないのに、その人の身体を売って、自分たちが金もうけをするなんて、全く人の生き血を吸っているような、あくどいやり方だと言ったそうです。
 つまりわれわれと全く見方が違う訳であります。だから私がいつも言うように、他人は決してそう善意には解釈してくれないということです。
 映画館で他人の局部に触れたり、トイレでとなりの人のものをのぞきこむような行為はおそらく気狂いと言われても仕方がないでしょう。
 われわれがそう気にしない行為でも、他人はぜんぜん見方が違っているのです。ですから私が不用意に仲間のことを面白おかしく書いたら本は売れるかも知れませんが、恥部を堂々とさらけ出すようなことはできません。
 その反対に少しでも、われわれのためになるのであれば、私の長い貴重な経験を何らかの形で残して置きたいとは、常に考えています。」

 毛利さんは警察の留置所に何日も入れられていたこともあったようだし、言いたいことは山ほどあったでしょうが、毛利さんもこの世にいないし、会員たちもみんなこの世にいないだろうから、こんな人もいたということを若い人に知ってもらえれば幸いだ。
 アメリカで有名な男の歌手が、何人もの男たちにセクハラ行為をしたと、テレビで見たけど、世の中、変わっても同じことなのか・・・・・・。

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2012年6月16日 (土)

朝日新聞の社会面トップに妹の死が!

 ぼくが生命をかけて出し続けた『薔薇族』は、インターネットと携帯電話の出現で、廃刊に追いこまれてしまったが、今度はネットにご厄介になることになってしまった。
 電子書籍なるもののお蔭で、50数年前にすべてぼくひとりの力で出版した『ぼくどうしてなみだがでるの』が、電子書籍化される。

 しばらくぶりにゲラを読んでみて、心臓手術の権威、榊原仟先生、服部淳先生、そして多くの看護婦さん、入院していた患者たち、そして妹を励まし続けてくれた、全国の心あたたかい人たちに、なんと感謝したらいいことかと、思い知らされた。
 8月10日に入院して、12月10日に手術、それから退院するまでの日々。手術はしたものの「10年ぐらいしか持ちませんよ」と言われてしまった。
 医師の予告どおり、11年目にまた心臓が悪化、再手術の甲斐はなく、1973年(昭和48年)12月20日、紀子は32歳の生命を終えた。
 その11年間に紀子は、結婚などとんでもないと医師に宣告されていたのに、ずっと励まし続けてくれた青年と、フジテレビの「テレビ結婚式」という、徳川夢声さん司会の番組で式をあげた。
 その間に男の子、ふたりも生んでしまった。紀子が生きているということが、全国の心臓病患者にどんなにか心の支えになったことか。

 朝日新聞の12月、24日の朝刊、社会面トップに「死の宣告から11年・愛に生きて・結婚、2児を産み、二度の心臓手術むなし」の見出しで大きく報じられた。
 普通の人が死んで、社会面トップに記事が載るなんていうことはありえない。朝日新聞のデスクは、紀子の存在が大きな話題になって、多くの人たちの心の支えになってきたことを評価してくれたのだろう。
 妹の記事の下に、関西の名女優、浪花千栄子さん死去と報じられていた。

 その頃、心臓手術ができる病院は、全国で数えるほどしかなかったから、全国から女子医大に患者が殺到していた。保険もきかなかったので、入院費も高額だった。
 長い間、入院していたので、その間に多くの人が亡くなったのを見てきた。ぼくは人の死というものを頭で考えるのではなく、からだで向き合うことができた。
 妹にくれた励ましの多くの手紙。どれも長文だが、こんなに心のこもった手紙を読んだことはない。

 大阪でトラックの運転手をして働いている木下英昭さんからの手紙には泣かされた。
「ぼくの妹も生まれたときから心臓が悪く、人なみの幸せも知らずに短い人生を終えてしまった妹のことが、頭の中に残っています。
 学校にも行けず、さみしがりやの妹だったことを思うと、暗い道を歩んだ妹と同じような苦しみをもっている紀子さんに、心から頑張ってくださいと言いたいのです。
 ぼくたち一家は、大黒柱の父を亡くしてからは、幸せというものを知りませんでした。
 敗戦の悲劇もぼくたちにとっては、大きなショックでした。このとき5歳になったばかり、小学校1年生の兄を頭に、4人の子供をかかえて、今日に至った母の苦労は口ではいいきれないほどです。
 一家心中を考えたことも、2度、3度ではなかったのです。
 中学を卒業して、すぐに仕事につきました。給料をもらうたびに、妹の好きな靴や、衣類を買ったものです。
 丁度、この日は給料のもらえる日でした。本と果物を買って、定時制高校の授業が終わり、急いで帰ってきたところ、妹はすでに旅立ったあとでした。このときの悲しさは、もうだれにも味わってもらいたくありません。」

 全文を紹介できず残念ですが、貧しくて医者にもろくに診てもらえなかったと、お兄さんは嘆いている。女子医大に入院していることだけでも幸せだという手紙が多かった。
 ぼくの本がきっかけで、「心臓病の子供を守る会」が結成され、心臓手術に保健が適用されるようにもなった。ありがたいことだ。

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本のカバアの絵は内藤ルネさん

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第8回「伊藤文学と語る会」 

6月16日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※初めての方、お一人様も大歓迎。ぜひ、お気軽にご参加を!

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2012年6月11日 (月)

ぼくが一番、燃えていた時代!―『ぼくどうして涙がでるの』が電子書籍に―

 1962年(昭和37年)8月9日に、ぼくの妹の紀子(みちこ)が、心臓手術を受けるために、河田町にある東京女子医大附属日本心臓血圧研究所、3号館401号室の8人部屋に入院した。
 丁度その頃、堀江謙一さんがヨットで太平洋単独横断して話題になった年だ。東京の人口が1000万を突破、テレビの保有台数が1000万台突破して、日本の経済が上向いていた。マリリンモンローがナゾの死を遂げた年でもある。
 何度も何度も決まっていた手術日が延期されたものだから、妹はやけくそになっていた。そんなときにぼくは思いついて、朝日新聞の読者の投稿欄に「妹に激励の手紙を」と文章を綴って送った。

 10月10日の朝日新聞の朝刊の「読者のひろば」の巻頭にすぐにのせてくれた。
「不幸な病気を背負って死と対決している病人がどの病室にもいっぱい。
 手術を前にしての不安な気持ちは、家族のものたちだけの励ましのことばだけでは取除くことはできません。みなさんの激励の手紙などを寄せていただければ、こんなにうれしいことはありません。」
 病室の住所から、わが家の住所まで書かれている。個人情報を守るなんていうことばがなかった時代だ。
 下北沢のわが家にも、午前中から何人もの人が訪ねてくれた。吉祥寺から来てくれた女性は心臓手術を克服して、元気で働いているという方だった。
 午後になって病院に寄ってみたら、妹のベッドはお花でいっぱい。「堀江君のように勇気を」と書いたマイメード号の写真をとどけてくれた男性もいた。
 翌日からは手紙が束になて、どかっと届けられた。
 当時の「朝日新聞」の威力は、すさまじいものがあった。その後の「朝日新聞」の記事のお蔭で、最後は日活で映画に。『ぼくどうして涙がでるの』は、昭和40年度の秋の芸術祭参加作品になり、妹の役を初めての主演の十朱幸代さん、ぼくの役を佐藤英夫さんで、映画はヒットした。
 レコードもキングレコードで、友人の長田暁二ディレクターが、作詞・伊藤文学・横井弘補作・鎌多俊与作曲、ヴォチェ・アンジェリカのコーラス・グループが歌ってくれた。

 妹に励ましの手紙を寄せてくれた方は、地位のある人や、お金持ちや、教育者、宗教家はひとりもいなかった。学生さん、地方から上京して住みこみで働いている店員さん、工員さん、お手伝いさん、そしていろんな病気で苦しんでいる人たちばかりだった。自分も苦しい、だからこそ人の苦しみも分かるのだろう。
 この一通、一通の手紙が、ぼくに人生というものを教えてくれたような気がした。

 なぜ、50年も前に、妹と紀子と共著で出版した『ぼくどうして涙がでるの』のことを書いたかというと、以前、花田紀凱さんが文庫にしてくれると言ってくれたが、実現しなかった。
 今度はなんと電子書籍にして、売り出してくれるという会社が現れた。すでにワープロで打ち直してくれているが、もう半分以上ゲラが出てきたので、しばらくぶりに読み直すことができた。
 ぼくは、30歳ぐらいのときで、やせていて、レコードのジャケットを見ると坊やに本を読んでいる写真の頭髪は、ふさふさしている。
 あの頃はスクーターに乗って走り回っていた。その後は自動車になり、昨年の6月にアクセルとブレーキを踏み違えて、事故をおこし、今は車にも乗っていない。ぼくが一番、燃えていた時代だったかも知れない。

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第8回「伊藤文学と語る会」 

6月16日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
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2012年6月10日 (日)

「LE JEU DES GRACES 美神のゲーム」

Ba1  バルビエ・ジョルジュ(1882~1932)というフランスのイラストレーターをご存知ですか?

 アールデコ期のモード・イラストレーターとして、人気、実力とも最も高かった。いかにもフランス人らしい気品をたたえ、時代の証言者として、後世に深い感銘を与える仕事を残している。人気の絶頂期に50歳で没。(毎日新聞社刊・「アール・デコの世界」より)

 銀座・松坂屋裏通りの「ヴァニラ画廊」で、「LE JEU DES GRACES=美神のゲーム」が、7月2日(月)~7月11日(水)まで開催されます。ぼくのコレクションのバルビエ作品、ビアズレーのサロメの挿絵本も展示即売されます。ぜひ、おでかけ下さい。




Ba2

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2012年6月 9日 (土)

少年を描き続ける稲垣征次!

 少年愛者の稲垣征次君、『薔薇族』のスタッフの中で、白眼視されながら、少年愛の読者のために最後まで頑張りとおしてくれた。
 彼は長い間、少年のイラストを描き続けているが、今の時代、ネットで販売することは難しい。現在、団地で弟さんと二人で、僅かな年金だけで暮らしている。

75 「少年愛花物語」は、『薔薇族』に連載されたものだが、エッセイとイラストで四季の花々にまつわる少年との話が叙情的に描かれている名作なので、なんとかまとめて一冊の本にして残しておきたいと前々から願っているのだが果たせずにいる。
 稲垣征次君を支援してやろうという人はいないものか。困窮に耐えて、少年を描き続けている稲垣征次を救えないものだろうか。
 六月といえば、「紫陽花」(あじさい)だ。全文を載せきれないが、少年への思いを紹介しよう。

「六月は梅雨、うっとうしくて嫌になるが、つかの間、そんな気分をなごませてくれる花にアジサイがある。
 そして私にはアジサイは紫陽花と書く方がピタリとくる。その紫色の花の色は、土壌の酸性度によって、青にかたよったり、赤にかたよったりするらしい。
 単なる美意識でいえば、青の、さらに濃い色のそれがより美しく感じられる。
 しかし、およそ私の現実は、そのようなしっとり冴えた色とは無縁であって、たとえば、その赤味の勝った紫色が梅雨の晴れ間、初夏の太陽に照らされて渇いてゆく。その萎みかげんの風情に喩えられるかもしれない。
 数年前、鎌倉の紫陽花の名所を友人と散策したことがあった。
 その折、まだ雨露の残っているおびただしい紫陽花の咲く参道で、上品な母親らしい人に連れられた美しい少年に出会った。
 12歳くらいだろう。ほぼ完璧な容貌で、紺のコールテンの半ズボンと、白いハイソックスの間には、薄黄土の陶器のような肌の太股があらわにやさしい。
 しばらくして私の視線の意味を悟った少年が、さりげない表情の中に、微妙な媚を見せ始めて、私の心を躍らせた。
 そうなんだ、他人からの愛の視線にはなれっこで、楽しんでしまう少年。
 さらに保護者がいるので、何事も起こりえないことを察していて、より大胆な眼差しになっている。そんな少年。
 こちらも二人連れ。事実、何事もなく、駅へ向かう人混みの中で見失ってしまった。
 私は友人のおしゃべりに相槌を打ちつつも、内心「オレには向かない。人形のような美少年。観賞用さ」などと強がっていたが、まんざらうそでもないのは、私が丸ごと惹かれるには、男の子の野性的(シャープ)な肉体がより必要であったからである。
 とはいえ、乱れ咲く紫陽花にも負けぬ美少年ぶりは、長く余韻として残った。(中略)
 そしてその時はほんの少し、渇いてゆく花から眼を離せないのは、来る夏への希望をみたいからである。
  
    あれも現実、これも現実。
    青く、赤く。
    されど、手に届く方こそ、
    私の現実。
    赤紫色の渇いた現実。」

 映画『ベニスに死す』の中での美少年と老人が最初に出会ったときのシーンを思い出す。
 下北沢南口のカフエ「ザック」の大きなガラス窓から通りすがる人を見ていても、はっとするような人に出会うことはない。みんなくたびれたような人たちばかりだ。

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第8回「伊藤文学と語る会」 

6月16日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
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2012年6月 4日 (月)

わが家の愛犬、ペペにとんでもないことを!

 奴隷のような生活から抜け出すべく、女郎を廃業したいと、廓からかけこんだ先がキリスト教の団体の救世軍。
 ぼくの祖父の富士雄がその役目をしていたのだが、救い出すのには、法的にも理由がなければならない。『娼妓解放哀話』には、そこにたどりつくまでのいきさつが、くわしく書かれているのだが、それがやたらと難しい。ぼくの頭では、やさしく解説するのは無理かも知れない。
 しかし、それを書かなければ、重症を負ってまで女郎を救い出した祖父はむくわれまい。ちょっとその前に話を変えてひと息入れたいものだ。

74  タイのバンコクのホテルで、50数歳で自殺をしてしまった男絵師の長谷川サダオ君。もう何年経ったのだろうか。
 英国で画集が出版されているので、海外にもファンが多い。10数年前、ぼくがロサンゼルスを訪れたとき、ゲイ専門の書店に山積みになって売れていた。
 長谷川サダオ君は、『薔薇族』のイラストを描いてくれていたし、「長谷川サダオの男★切抜帳」という2色刷で、いろんな雑誌や催物などから、彼が面白いと思ったものを集めた、8頁に渡るコーナーも担当していた。

 1988年の7月号に、彼はとんでもないことを書いているのを見つけた。
「獣姦してみたい!?」という見出しで、にわとりと、うさぎが交尾している写真が載っていて、どんな子供が生まれたかをイラストで描いている。

「伊藤文学邸の玄関先には、ぺぺと呼ぶオスの雑種の日本犬が飼われている。僕の姿を見ると小屋から飛び出してきて、足や腕に抱きつき、腰をクイッ、クイッと押しつけてくる。
 動物好きの僕は、ぺぺのオチンコをやさしく撫であげたり、尾の付け根のコーモン周辺をツンツンとつついてあげたりする。するとぺぺは、ジーッとして、ヨダレを垂らしながら、ウットリとしたまなざして僕を見つめてくれる。
 でも、これ以上やると、あぶない世界に突入しそうだ。もしも文学さんにそんな所を目撃されたら『薔薇族』から追放されてしまうかもしれないので、僕の強い理性がブレーキをかけてしまう。
 でも、たとえば誰もいないふたり(?)きりの結婚生活をしていたとしたら、もっと深い関係になっていたかもしれない(笑)。
 しかも、ヤギでも牛でも豚でも、象でも、交われば種の区別なく妊娠してしまうような世界があったとしたら……地上は人間とあらゆる動物とのあいのこで満ちあふれ、今の世界とはまったく異質なものになっていただろう。それを楽園と呼ぶか、地獄と呼ぶかは勝手だけど……。
 幸か不幸か、神さまはそういう世界には創らなかったけれども、牧場とか、山奥とかの動物と接する機会の多い所では、「動物とやりたい」という感情は、自然に湧いてくるそうだ。
 それはアブノーマルでもなんでもなくて、大昔から進化して、現在のあらゆる種に細分化する以前、すべての祖先がアメーバだった時代への郷愁であるような気がするのだけれど……。」

 ぺぺはくさりにつながれっぱなしで、童貞のままで一生を終えてしまったけれど、長谷川君が恋人だったとは。
 長谷川君も一生独身で、種を残さなかったけれど、彼の描いた男絵はいつまでも人の心の中に生き続けるだろう。
 藤田竜君は、小説につける彼のイラストがまったくストーリーに関係のない絵を描くので怒っていたが、文芸雑誌じゃないのだから、それでよかったのでは。

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第8回「伊藤文学と語る会」 

6月16日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※初めての方、お一人様も大歓迎。ぜひ、お気軽にご参加を!

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2012年6月 2日 (土)

ホモであることに誇りを!

『薔薇族』の読者の中には、すばらしい才能の持ち主が数多くいた。その中のおひとりの東京に住む32歳の方が、2度に渡って書いた「あなた男が好きなの?」に対して、見事な解答の手紙を寄せてくれている。

「あなた、男が好きなの? お前、オカマか? とか、この世界の人は、よく言われることだと思う。どんなに隠しても、ボディビルダーのホモが何かの仕草で出ると同じように、他人の目には本当の姿が映っているのだと思う。
 ホモであることに誇りをもっていれば、あなたホモ? と言われても、わあ~っうれしいどうして分かったの、一生懸命に隠していたのにと、まるでモデルをしていたのが、バレたときのように、はしゃぐのだろうが、自分の心の内のホモ的要素を自分自身でも、少なからず嘆いているから、カッと怒り出すか、逆にしどろもどろになるしかない。
 お前、男しか好きになれないのか? とか言う人の立場から考えれば、単に君は左ききなの? とか、君は出っ歯だねとか言うように、軽い気持ちで発言していることのほうが多いのかも知れない。(それほど人のことは関心がないのだ。)
 しかし、そこで異常に怒ったりするものだから、余計にホモっぽく、オカマにひとつ上のせするような印象を相手に与えてしまう。
 軽蔑を絵に描いたような顔で、お前オカマか? と言われたら、その人にはマジに、君にそんなことを言われるすじあいはない。
 もし、泥棒っぽいというだけで、お前、泥棒か? って言われたら、どんな気がしますか。泥棒であろうと、なかろうと頭にくるでしょう。
 言葉は選んで言ってください。ぐらいのことは言い返すべきだ。
 話はがらっと変わるけど、われわれ薔薇族は頭がいいと思う。『薔薇族』を読んでいても、精神的な面とか、考えの深さ(人の心を知ろうとする努力とか)は、並の小説よりはるかにリアルで真実みがあり、求心力があると思う。
 しかし、それだけに自分の欲求を満たすことだけに、執着しすぎる欠点もある。
 希少価値ともいえる、この世界に生きて、ドロドロに自分の欲望を追い求めるだけでなく、このすばらしい人間性、やさしさ、人の心を読み取る力をもっと、他の分野に生かしていかなければ本当にもったいない。
 詩を書いても、絵を描いても、歌を歌っても、他の人にはぜったいにまねのできない、表現力を持っているのだから……。」

 彼の言っていることに、ぼくがつけ加えることは何ひとつない。ぼくが毎号、長い年月に渡って書き続けてきた「伊藤文学のひとりごと」に書きつづったことは、読者からすばらしい文章の手紙が寄せられていたからだ。たくさんの手紙の中から、心に残ったものを選び出して紹介し、少しだけぼくがコメントをつけるだけ。8割かたは読者からの手紙だ。
 それらを集めて何冊か本にしたが、表現力豊かな読者の手紙のお蔭で、重みのある本にすることができた。いい読者をもってぼくは幸せ者だった。

 あるPRの雑誌で、ある女性評論家が対談をしていて、その相手の方が、ぼくも何度かお会いしたことのある有名人で読者だった。
 以前ならこんな失礼な質問をしなかっただろうが、「あなたはホモだって言われているけど、そうなんですか?」と、はっきり訊いている。その方はうまく話をかわしていたが。
 当たり前のことなんだから、平気で「そうだよ」と誰もが言えればいいけれど、俺とは関係ないよと知らんぷりしている人が多いから、いつまでたっても変わりません。

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平野剛画

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第8回「伊藤文学と語る会」 

6月16日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※初めての方、お一人様も大歓迎。ぜひ、お気軽にご参加を!

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