朝日新聞の社会面トップに妹の死が!
ぼくが生命をかけて出し続けた『薔薇族』は、インターネットと携帯電話の出現で、廃刊に追いこまれてしまったが、今度はネットにご厄介になることになってしまった。
電子書籍なるもののお蔭で、50数年前にすべてぼくひとりの力で出版した『ぼくどうしてなみだがでるの』が、電子書籍化される。
しばらくぶりにゲラを読んでみて、心臓手術の権威、榊原仟先生、服部淳先生、そして多くの看護婦さん、入院していた患者たち、そして妹を励まし続けてくれた、全国の心あたたかい人たちに、なんと感謝したらいいことかと、思い知らされた。
8月10日に入院して、12月10日に手術、それから退院するまでの日々。手術はしたものの「10年ぐらいしか持ちませんよ」と言われてしまった。
医師の予告どおり、11年目にまた心臓が悪化、再手術の甲斐はなく、1973年(昭和48年)12月20日、紀子は32歳の生命を終えた。
その11年間に紀子は、結婚などとんでもないと医師に宣告されていたのに、ずっと励まし続けてくれた青年と、フジテレビの「テレビ結婚式」という、徳川夢声さん司会の番組で式をあげた。
その間に男の子、ふたりも生んでしまった。紀子が生きているということが、全国の心臓病患者にどんなにか心の支えになったことか。
朝日新聞の12月、24日の朝刊、社会面トップに「死の宣告から11年・愛に生きて・結婚、2児を産み、二度の心臓手術むなし」の見出しで大きく報じられた。
普通の人が死んで、社会面トップに記事が載るなんていうことはありえない。朝日新聞のデスクは、紀子の存在が大きな話題になって、多くの人たちの心の支えになってきたことを評価してくれたのだろう。
妹の記事の下に、関西の名女優、浪花千栄子さん死去と報じられていた。
その頃、心臓手術ができる病院は、全国で数えるほどしかなかったから、全国から女子医大に患者が殺到していた。保険もきかなかったので、入院費も高額だった。
長い間、入院していたので、その間に多くの人が亡くなったのを見てきた。ぼくは人の死というものを頭で考えるのではなく、からだで向き合うことができた。
妹にくれた励ましの多くの手紙。どれも長文だが、こんなに心のこもった手紙を読んだことはない。
大阪でトラックの運転手をして働いている木下英昭さんからの手紙には泣かされた。
「ぼくの妹も生まれたときから心臓が悪く、人なみの幸せも知らずに短い人生を終えてしまった妹のことが、頭の中に残っています。
学校にも行けず、さみしがりやの妹だったことを思うと、暗い道を歩んだ妹と同じような苦しみをもっている紀子さんに、心から頑張ってくださいと言いたいのです。
ぼくたち一家は、大黒柱の父を亡くしてからは、幸せというものを知りませんでした。
敗戦の悲劇もぼくたちにとっては、大きなショックでした。このとき5歳になったばかり、小学校1年生の兄を頭に、4人の子供をかかえて、今日に至った母の苦労は口ではいいきれないほどです。
一家心中を考えたことも、2度、3度ではなかったのです。
中学を卒業して、すぐに仕事につきました。給料をもらうたびに、妹の好きな靴や、衣類を買ったものです。
丁度、この日は給料のもらえる日でした。本と果物を買って、定時制高校の授業が終わり、急いで帰ってきたところ、妹はすでに旅立ったあとでした。このときの悲しさは、もうだれにも味わってもらいたくありません。」
全文を紹介できず残念ですが、貧しくて医者にもろくに診てもらえなかったと、お兄さんは嘆いている。女子医大に入院していることだけでも幸せだという手紙が多かった。
ぼくの本がきっかけで、「心臓病の子供を守る会」が結成され、心臓手術に保健が適用されるようにもなった。ありがたいことだ。
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第8回「伊藤文学と語る会」
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