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2012年7月

2012年7月30日 (月)

見ている人がすぐに反応する「ニコニコ動画」

「ニコニコ動画」に、7月26日、夜8時から10時まで、2度目の出演をさせてもらった。生放送だった。

 たった今、昨夜の出演のお礼の電話が、担当者からかかってきた。「ニコニコ動画」って、会員が2千2百万人もいるそうだ。
 昨日の動画を見ていた人が、2万人もいて高い評価を得たということで、担当者はよろこんでいた。

 話の中心は、東京大学大学院教授、木下直之さんが新潮社から出版して話題になった『股間若衆・男の裸は芸術か』(定価・本体¥1800+税)だ。
 司会の金田淳子さんは、東京大学大学院博士課程の単位を取られている方だし、画家の木村亮子さんは、東京芸大の大学院まで出ておられる方で、3人とも頭のいい博学の方ばかり。駒沢大学の国文科をコネで入学し、コネで卒業させてもらい、他人様の書いた本をほとんど読んでいないぼくは、気おくれしてしまっていた。

 明治以降、多くの彫刻家や画家たちが男性像を造ってきたが、肝心のオチンチンをリアルに表現すると、すぐに権力者の警察が見にきて、おとがめを受けてしまう。
 そこで肝心の股間を木の葉で隠したり、もっこりとさせて、つるりと表現してしまった。製作者と警察の長い間の闘いがあって、最近ではかなりリアルな股間であっても許されるようになってきた。
 なにしろ取締当局の元締めの警視庁ロビーに、朝倉文夫さん製作の男性裸像が飾られていて、立派なものがぶら下がっている。
 20数回も始末書を書きに、ぼくは出頭したが、受付で待っていると、風紀係の係官が降りてきて、一緒に風紀係の部屋に行くのだが、係官に朝倉文夫の男性像を指さして、「あれはいいのですか?」と質問したら「あれは自然な形だからいいので、お前のところは不自然な形をしているからいけないのだ」と言われてしまった。これは作り話でなく、本当にあった話だ。
 勃起するのは、人間として自然な形だとぼくは思うけれど。とにかく『薔薇族』の読者は、黒くぬりつぶされたものでなく、はっきりとしたものを見たいのだから、ぼくは風紀係を恐れずに、始末書を書きにいくことなんかなんでもないことなので、思いきって修正を薄くさせたものだ。

 東大大学院教授の木下先生、銅像の股間を撮った写真を見せながらしゃべるのだが、大学の先生だからどうしても話が堅くなってしまう。
 驚いたことにモニターというのか、画面に観ている人の短い感想が次から次へと映し出される。ぼくは観ている人のその心の動きが面白いので、先生の話よりも画面ばかりを見ていた。テレビにもよく出させてもらったが、その時は反響などわからなかった。しゃべっている話にすぐ反応して書き込むのだから、ネットはすごいものだ。話が堅いので観ている人がじれているなと感じたが、ぼくもなかなか話に踏み込めず、いらいらしてしまった。

「ラブオイル校長」なんて書かれていたので、これにはぼくもすぐに反応した。ビデオ会社に頼まれ、校長先生に扮して修学旅行に旅立つ男子学生に「ラブオイル」を手渡し、欲望が起きたら「ラブオイル」を使って自分で処理しろよと訓示するシーンを撮った。その話だ。そんなとんでもない話が、ネットで話題になっているとは。

「ニコニコ動画」の担当者が、今度は二丁目のゲイバアから放送しようという。これならぼくも面白くてエッチな話を連発できるというものだ。今回はちょっと消化不良というところか。

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川崎普照作。赤羽駅前に立つ男性像。この二人は?

 

第10回「伊藤文学と語る会」

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8月18日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2012年7月28日 (土)

第10回「伊藤文学と語る会」

来る8月18日(土)、下北沢「邪宗門」にて、第10回「伊藤文学と語る会」を開催致します。

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8月18日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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わが家の変遷を見続けた金魚

 9月の第1土曜と日曜が、地元の北沢八幡宮の祭礼の日だ。もう10数年前になるのだろうか。祭礼に変化が起きた。
 茶沢通りから、神社に通じる道の両側にはお店がぎっしりと並び、横町の道にも、植木屋さんが店を出していた。もちろん境内にもいろんなお店が並び、それはそれは賑やかだった。
 各町内のみこしが宮入りする時間になると茶沢通りの両側の歩道は、見物する人で埋め尽くされたものだ。
 どこの家でも、兄妹たちが子供たちを連れて、実家に戻ってきて、ご馳走を食べ、神社のお店に買いに行くという、習わしがあった。
 代沢小学校に通っていたぼくなどは、太鼓の音が鳴りひびいてくると、授業を受けていても、そわそわして、早く帰って神社に行きたいと思ったものだ。

 それが警察の指導なのか、神社が考えたことか分からないが、暴力団の資金源になっているのではということで、テキ屋さんを追放してしまった。
 それからはボーイスカウトの人たち、PTA、法人会の人たちとか、素人が店を出すようになってしまった。
 あのテキ屋さんの独特の雰囲気は、素人に出せるものではない。北沢八幡宮の祭礼は寂れるばかりで、寅さんも嘆いていることだろう。

 長男の息子、大学生で21歳になるが、5歳ぐらいのときだったろうか。金魚すくいですくいあげた小さな金魚、ビニールの袋に入れてもらって、大事そうにわが家に持ってきた。
 金魚すくいの金魚って、安くてクズのようなものを仕入れてきて使っている。たいがい金魚鉢に入れて飼っていても、そう長くは生きない。
 代沢5丁目の鉄筋3階建てのわが家に住んでいた頃のことだ。一匹の金魚が水槽の中で生き続けた。

 芝信用金庫に借金の形にとられてしまい、代沢2丁目の茶沢通りに面した下北沢マンションの206号室に、ぼくら夫婦は移り住んだが、金魚も一緒だった。
 その頃はかなり大きくなり、尾ひれもひらひらして、立派な金魚に成長していた。朝起きて金魚に目を遣り、エサを与える。ぼくの人生にとって、一番大変だったときで、金魚君はどれだけ心の慰めになったことか。

 2年前に下北沢マンションの206号室も保証協会にとられてしまい、今度は代沢3丁目のマンションの一室を借りて、次男夫婦と小学5年生の孫と、女房との5人暮らし。
 金魚君も元気に育って、狭い水槽の中で泳ぎ回っている。4、5センチしかなかった大きさが、今では14.5センチと、成長している。
 水が濁ってくると、女房が換えているので、元気に泳ぎまわっていて、ぼくの変遷の年月を見続けてくれている。

 今年になって尾ひれに、バイ菌が付着してしまったのも、女房は塩をつけて手で取り去ってしまった。
 今度は口の周りが真っ黒になって、エサをパクパクと食べられず、痩せてきた。デパートの屋上にある、金魚や小鳥を売っているお店の人に薬はないかと聞いたら、これは治らないと言う。
 女房が口の周りに塩をなすりつけたら、なんと元気になってきたではないか。しかし、寿命だったのか、死ぬ寸前の苦しみは見ていられなかった。最後のあがきなのか、水槽の中であばれまわっている。
 7月2日の夕方、ついにわが家の金魚は、10数年生きて死んだ。せせらぎ公園の片隅に穴を掘って埋めた。

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10数年生き続けた金魚

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2012年7月23日 (月)

松岡正剛さんの『遊』の「ホモエロス」特集号はゲイの作家勢揃い!

 松岡正剛という方を知っていますか? ぼくは今までまったく知らなかった。最近、新聞紙上でよく載っているので、どんな方なのかなんとなく分かりかけてはきたが・・・・・・。
 平成18年10月に、幻冬舎からアウトロー文庫として、「『薔薇族』編集長」が刊行された。松岡さんはその本を熟読されて、ぼくのことをネット上で、長文の紹介記事を書いてくれていたのだ。

 今年になって、ブログを更新してくれている猪口コルネ君が紙焼きにして届けてくれたので、2007年11月28日に書かれた紹介記事を今頃になって読むことができた。
 見出しにこんなことが書かれている。
 
「ぼくが「遊」を創刊したのは、1971年7月1日だった。その7月30日に、もう一冊の画期的な雑誌が誕生した。『薔薇族』だ。男のための同性愛誌。
 一世を風靡した。さまざまなタブーも破った。ここには雑誌編集のヒントもどっさり詰まっていた。
 目をそむけないで読まれたい。いや、あまり期待されても、妙だけど。」
 
 松岡さんが編集した『遊』に、ぼくも原稿を寄せていた。これも忘れていたが、その雑誌を新潟に行った折に、見つけ出すことができて、持ち帰ってきた。なんとホモエロスの特集号で、1979年9月に刊行されたものだ。
 
 その雑誌を開いてびっくりしてしまった。
『薔薇族』の執筆者だった、間宮浩さん、藤田竜君が何を気に入らなかったのか、首にしてしまい、それが原因かどうかは不明だが、自殺をしてしまった砂山健さんまでが載っている。
 ほとんどの方がゲイの方で、森茉莉さんまでが執筆していて、よくぞ、これだけの人の原 稿を集めたものだ。
 
 松岡さんは、続いてこんなことを書いている。
 
「松岡正剛はゲイであるという噂や、いや、少なくともバイセクシャルだろう、いやいや正真正銘の精神的なホモだといった「仮説」はあとを断たない。」と。
 
 この『遊』を見たら、単なる噂ではないということを自ら証明されているようなものだ。
 松岡正剛氏は、ゲイだからこそ、すばらしい仕事をされてきたのではないか。そう確信する。ぼくのことをほめてくれているが、これはネットで読んでもらいたい。
 
 ぼくは森茉莉さん(鴎外の長女)のことをレズビアンではないかと、決めつけてしまったが、その茉莉さんが、「少年像の論証・素敵な少年たち」という一文を載せていて、これは貴重な文章だ。
 
「私は少女の頃から少年に憧れたことがなく、私の好きな対象は、いつも自分の父親だった。それは好きを通り越して、ほとんど恋人であった。(中略)
 小説(恋人たちの森・枯葉の寝床などにゲイの美少年が登場している。)で美少年を描くのでこういう注文がきたのだろうと思うが、私が小説を書くときには、現実には決して存在しない、一つの小宇宙を空想の中で造り出すのであるから、アラン・ドロンを17歳に還元し、その上に私の空想から生まれた少年のように美化しているわけで、ああいう小説に出てくる少年たちは、私の空想の中でだけ生きて動いているのであって、現実のドロンは、金と名誉にガツガツしているいやな奴である。(後略)」ゲイの美少年を空想化してまで小説に登場させるということ。
 
 ぼくは「ホモであることは、何でもない自然なことなんです。ホモ宣言は、見えない敵に対する革命ですね。」と書いている。
 33年前の雑誌だから、写真のぼくの若いこと。髪の毛がふさふさして・・・・・・。

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古書店などで見つけだして読んでもらいたい!

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2012年7月21日 (土)

祖父、伊藤富士雄は、三つの危険を乗り越えた!

 救世軍の指導者だった山室軍平さんが、祖父、伊藤富士雄が亡くなったあと、昭和5年の「中央公論」4月号に、伊藤富士雄を評した一文を載せている。

「伊藤君は、およそ千二百人の芸娼妓の面倒を見て、そのうちの987人を無事に廃業させ、それぞれ堅気の生活に戻させた。

 ぼくは伊藤君のことを思うたびに、じつに偉大な男であったと、つくづく感心している。それは伊藤君が娼妓を救い出す運動をする上には、いつも三つの大きな危険がはらんでいたからだ。

 三つの危険というのは、第一に暴力だ。廓の経営者は、貧しい農家の娘を親にお金を払って、やとい入れているので、それをむざむざ救い出されては大損してしまうので、暴力団を女たちが逃げ出さないように、やとい入れていた。

 伊藤君は家を出るとき、いつ、どこで殺されるかも知れないという覚悟をしていた。事実、半死半生の目に遭わされたことが二回、けられたり、なぐられたり、石を投げられたことは、何百回あったか分からない。

 それでも伊藤君は平気なものだった。第二の危険はお金だった。金銭で女性たちを売買して、もうけている樓主たちが考えていることは、お金で売買しようという魂胆だ。

 そんな連中だから、どんな人間でも、お金で売買できると考えるのは当然のことだ。987人の娼妓ひとりにつき、百円ずつ樓主側が出しても、9万8千700円じゃないか(今の時代、いくらになるのか、計算できない)。

 それだけのお金で女たちに稼がせていた樓主は、その何倍もの利益を得ることができただろうから、伊藤君がもし少しでもお金に目がくらんだら、どんなことでも出来たのだが、じつに潔白に身を守ってくれた。

 第三には、異性の力だった。男という男はほとんどが、餓鬼のようにして、色を漁るものだという実験ばかりしている女性たちに対して、たったひとり伊藤君だけが、真実、女性たちの味方となって、命がけで働いてくれた。

 しかも情が深く親切で、男らしい勇気に満ちていた。そんな男が千人からの女性たちのまん中に立って、神さまのように尊敬されていたのだから、大きな誘惑の力が彼の上にどれだけ襲ってきたことか。

 けれども伊藤君は、毅然として女性たちの誘惑の上を踏みこえて戦ってくれた。ほんとうに感謝にたえない。」

 救世軍から支払われる報酬は、僅かなものだったようだ。3人の息子の長男だった、ぼくの親父は、早稲田実業を卒業して、早稲田大学に入学したのに、祖父が亡くなってしまったので、学費が払えず大学を中退してしまっている。

 それよりも各地にある小隊(教会のようなもの)に配属され、学校が変わるのでそれが親父にとってはつらかったようだ。

 終生、親父は救世軍を嫌っていて、救世軍の人が訪ねてきても会おうともしなかった。ぼくの母親は、救世軍の小隊によく通っていて、親父が脳軟化症で倒れて、母親の看護が必要になってしまい、それから無理矢理に救世軍に入れてしまった。

 祖父と違って、父親は女道楽にあけ暮れていて、母親を泣かし続けていたので、かたきをとられてしまったということだ。

 親父が亡くなったとき、神保町にある救世軍の本営で、盛大な葬儀をしてくれた。親父はどんな気持ちがしたことか。

 山室軍平さん亡きあと、救世軍には偉大な指導者はいないようで、現在の衰退ぶりは目にあまるようだ。救世軍、世の人のためにもう一度、頑張ってもらいたいものだ。

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救世軍の大阪小隊の前で。
左はしの人物が祖父。

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2012年7月16日 (月)

神道も、佛教も売春を悪と思っていなかった!

 日本人の多くの人が考えていた、女性が身体を売るという娼妓(売春婦のこと)と、西欧の人が考えていた娼妓とは、その見方が非常に違っている。
 日本固有の神道でも、古来から布教されている佛教でも、公娼制度(おおやけに営業を認められていた売春宿)を恥辱とも、不道徳とも考えていなかった。
 西欧人が日本の公娼制度を不思議がり、不道徳呼ばわりするのは、彼らの祖先から伝来したキリスト教の思想からだ。

 明治年間に日本で廃娼や、自由廃業運動を叫び出したのもキリスト教徒からということだ。
 日本は徳川家光以来、長い間、キリスト教を弾圧した国であり、キリスト教を邪教だと思い込んでいる人が多くいた明治年間に、キリスト教徒の口から叫び出された自由廃業の運動が、非常に迫害を受けたのは当然のことだ。
 公娼制度の廃止、娼妓の自由廃業ということは、新しく日本人に植えつけられたキリスト教道徳の発想だったのだから……。

 キリスト教の教えを軍隊組織で布教する救世軍が、イギリスから日本に宣教師を送り込み、最初に司令官になったのは、山室軍平という人だ。
 創世期には偉大な人が出現するものだ。昭和15年に、68歳で没しているが、大正から昭和の初期が、救世軍が一番活気に満ちあふれた時代といえる。

 ぼくの祖父、伊藤富士雄は、山室軍平の下で、廃娼運動に身を投じた人だ。
 伊藤富士雄は信州(長野県)松代の眞田藩士、伊藤録の二男で、測量機製造の熟練工だったが、若い頃、なんとかして社会のためにつくしたいものだと思っていたときに、片山潜氏の「労働世界」か何かを読んで、同氏と一緒に社会事業でもやろうかと考えていたようだが、救世軍にとびこんでしまった。

「あの男は何かやるよ!」と、片山氏は始終言っていたそうだが、明治36年4月に、大阪で内国勧業博覧会が開かれたとき、難波に、救世軍第2小隊というのを設けて、そこでさかんにキリストの教えを伝道したのを手始めに、淫売窟へ押しかけたりして、有益な仕事をしていたが、山室軍平たちが、イギリスから来ていた人たちのいいなりになっているのを怒って、明治37年に一時、救世軍をやめてしまった。

 関西鉄道、又は大阪砲兵工廠に入り、のちに上京して、築地の海軍省工場で工場長を勤めていたが、明治43年に長女(ぼくの父親の姉)を15歳で亡くして、心機一転して再び救世軍士官となって、大正2年4月から、非常な決心を心に抱いて、社会事業部に転じ婦人救済係になって、大正12年6月2日、下谷救世軍病院で、53歳でこの世を去るまで、満11年3ヶ月間、専心、娼妓自由廃業のために努力して、987人の娼妓に自由を与えたのだ。

 祖母は長生きしたので、ぼくが大学を卒業する頃まで元気で、祖母から聞いた話によると、千葉の方に行ったときに歯を抜いたあとに、貝を食べたので、ばい菌が入って亡くなったということだ。
 そんなことがあったものだから、祖母はよく「歯は抜くな」と言っていたが、今なら死ぬことはなかったろうが、大正時代では薬もなかったのだろう。
 祖父の弟が、わが家の近所で石版刷の印刷屋をやっていたが、写真を見ると、その風ぼうはおじさんによく似ている。
 救世軍にかけこめば、廓から抜け出せる。そのことがやっと分かりかけてきたようだ。

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亡くなる3年前に父によこした山室軍平さんからのはがき

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救世軍神戸小隊に集まる子供たち。活気を感じる。

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2012年7月14日 (土)

エイズを忘れてはいけない!

「ホモではない人間が、ホモの人が読む雑誌『薔薇族』を出して、ホモの人を食い物にしている。」そう、先日亡くなった東郷健さんに、『ザ・ゲイ』の誌上で、ぼくは批判されたものだ。

 7月1日の夜、表参道の「CAY」で、「東郷健を偲ぶ」会が開かれるので、同じ世代に生きたぼくとしては出席する。(※体調不良のため出席できなかった)

『薔薇族』の初期の頃は、よき相棒だった藤田竜君に「伊藤さんはノンケだから」と、よく言われたものだ。
 こうした批判があったからこそ、ぼくは少しでもゲイの人の気持ちを理解しようと、努力してきたつもりだ。
 藤田竜君もだんだんに、ぼくのことを理解してくれて、むしろノンケだから、長い間、雑誌を続けられているとまで言ってくれた。

 今の時代、マスコミもエイズのことなど、書かなくなってしまっているが、一度、流行してしまった性病は、無くなることはないようだ。
 アメリカでエイズという性病が、同性愛者の病気で、その恐ろしさを、テレビの画像で、患者のいたましい姿が、くり返し映し出され、その恐怖感は大変なものだった。
 日本にもエイズの患者が、みつかったというので大騒ぎになってきた。その頃のぼくと藤田君は、なんとしてもエイズから読者を守ろうと目の色を変えていた。
 帝京大学付属病院の松田重三先生が、エイズの権威だと知って、何度も病院に足を運んで、先生から聞いた話を誌上に次々と書きまくったものだ。
 ゲイホテルのオーナーから、お客がへると苦情があったが、なんとしてもエイズの防波堤になるのだという、意気込みはすごかった。

85a  87年10月号に「2年前の『薔薇族』のスクープ裏話をいま編集長が打ち明ける。――別冊宝島『エイズの文化人類学』を、藤田竜君が紹介記事を書いている。
 今、手許にこの雑誌がないので、25年前に書いた文章の内容など、覚えているわけがない。ぼくはこの雑誌に「日本人エイズ感染者に出会った僕の悲しいスクープ」と題して書いたようだ。

 藤田竜君は、こんなことを書いている。

「どのマスコミもついに会見できなかった。日本にいる日本人の、つまり厚生省が認めたホモのエイズ患者に、たった一人だけ会えたのが、伊藤文学氏なのだった。」
 その折りのことを書いた、この文章のキャッチフレーズはこうなっている。
「エイズウイルスの保菌者だという同性愛の青年と出会った筆者は、日本人エイズ感染者と接触した初めてのジャーナリストになった! だが厚生省によるエイズ認定患者の発表のあと、彼の態度は一変する。孤独と絶望の果てに、彼のみたものは、いったい何だったのか?」
 厚生省が発表する認定患者が、沢山いると彼は考えていたようだ。それがたったの5人で、自由な立場にいるのは、彼だけだということを知って、マスコミに知られる恐ろしさで、インタビューの記事を大幅にけずってしまったのだ。
「全マスコミが血眼になって探しても、発見できないエイズ感染者に、どうして伊藤氏だけが会見できたのか。
 それは彼がエイズについて『薔薇族』に伊藤氏が書いたものを読んで、名乗り出てくれたからなのだ。彼にこの人には話したいと思わせる温かさと誠実さが伊藤氏の文章にあったからなのだ。」

 エイズの病気の進行をとめる、いい薬が開発されてきているから、みんなエイズの恐ろしさを忘れてしまっている。肛門性交するには、絶対にコンドームをつけなければ……。保菌者は増えているということも忘れてはいけない。

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第9回「伊藤文学と語る会」

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7月14日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、お一人様でも大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2012年7月 9日 (月)

1960年代の活気をとりもどそう!

84a  昭和44年(1969年)8月26日発行の「週刊現代」をみつけた。今から43年前の週刊誌で、定価は70円とあるから、今の週刊誌の5分の1の値段だ。

 この年は先妻の舞踏家、伊藤ミカが事故死する前の年で、短い生涯の中で一番活躍していた年でもある。

 1968年は、日本の激動の年で、日大闘争、東大闘争、京大闘争と、日本中の大学で学生たちが紛争に明け暮れていた。
 学生たちが何に対して、怒りをぶちまけていたのかはわからない。権力に対してか、社会に対してのうっぷんが爆発したのだろうか。

 三島由紀夫が自衛隊市谷総監室で割腹自殺をとげたのが、翌年の11月25日のことだ。アメリカのアポロ11号が月面着陸したのが7月21日のことで、宇宙中継されて見るものをおどろかした。

 ミカが出演していた、クラブ「スペース・カプセル」は、今は亡き建築家の黒川紀章さんが内装の設計をし、宇宙船の中にいるようで、話題になった。
 ミカは宇宙船アポロ11号の月着陸をイメージして、「静かの海の恐怖」をショウのタイトルとした。このショウは毎週金曜日の夜9時と11時の2回に催した。

 山本寛斎さんがデザインした、ステンレス製の円盤は、月を象徴しているが、その重さは20キロぐらい、くさりで背負って踊るのだから、肌が破れないか心配したが、意識を集中しているので痛くないという。肌が少し赤くなっているぐらいだった。
 このショウは各週刊誌のグラビア頁にとりあげられて話題になり、お客さんが押しよせていつも満席だった。狭い空間で踊るのだから、お客さんの目の前で、汗が顔にとびちるようだった。
 ぼくは照明係で、ライトを裸身にあてているのだが、白い肌に汗がにじみ出てきて、キラキラと光り美しかった。あんな緊張した時間はぼくの生涯ではもうないだろう。
 あの時代、活気に充ち満ちていて、だれもが緊張感を持っていた。激動の時代だったのでは……。

「週刊現代」には、こんなことが書かれている。「伊藤ミカのアングラ舞踏」と題して。

「東京・赤坂にあるゴーゴースナック「スペース・カプセル」では、月曜から土曜まで、夜9時からと11時からの2回、歌や踊りのショウをひらいている。
 なかでも呼びものは、金曜日のプログラム「静かの海の恐怖」を演ずる伊藤ミカ女史。彼女のショウのあいだは、観客も息をのみ、せきひとつ聞こえないほど。」とある。

 見ているものの息をのませ、せきひとつ聞こえないほどの迫力。そのすさまじさは、ものすごいものだった。
 おそらく女性の方だと思うけれど、ぼくの著書、ミカとの15年間を書いた『裸の女房』(彩流社刊)を読んでの感想をネットにのせてくれている方がいた。
 やはり1960年代という時代を感じとってくれているようだ。

「三島由紀夫や、渋澤龍彦といった作家の方々が、大活躍されていた1960年代。80年代生まれの私にとっては、リアルタイムではなく、本を読むことによってのみ、時代の雰囲気を共有することができるわけですが、それにしても非常にエネルギーに満ち満ちた時代だったのではと、いつも思います。」

 あの大学紛争の強烈なエネルギーは、どこに消えてしまったのだろうか。馬鹿な政治家たちが国会でくりひろげている、体たらくな姿を見続けていて、爆発しない国民もだらしがないとしか言いようがない。

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第9回「伊藤文学と語る会」

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7月14日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
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2012年7月 7日 (土)

日本に一軒しかない「エクスリブリス」という名のカフェ

 「下北沢」の南口商店街を通り抜けると、茶沢通りに出る。茶沢通りに面して、小さなカフエ「EX LIBRIS」(エクスリブリス)がある。
「EX LIBRIS」の言葉の意味を知っている人は、下北沢の通りを歩いている若者の中にはいないだろう。

 樋田直人(ひだ・なおと)さん。1926年北海道生まれ。北海道大学卒業。東京大学より工学博士授与。建築音響学専攻。サンケイホールの音響設計、南極建築の設計等で知られる建築家。
 理数系であるのに、日本ペンクラブ会員でエッセイストでもある。篆刻の研究家としても知られる方で、世田谷の砧に住んでおられる。
 ぼくは何度か、NHKの研究所の裏手にあるお宅を訪ねたことがある。
 86歳になられるが、年賀状をいただいているので、お元気だと思う。1986年に初刷を出した樋田さんの著書『蔵書票の美』(小学館刊・定価¥3400)文庫本になっていると思う。蔵書票(エクスリブリス)を知る上では、最も優れた参考書だ。

 カフエ「EX LIBRIS」の店名は、恐らく日本でただ一軒しかないだろう。そこのマスターは、まだ若いが、そんな店名をつけるぐらいの人だから、コーヒーの豆選びには大変な神経を使っている。
 6月に入って、10日も店を休んで、アフリカのケニア、ルワンダのコーヒー園に見学に行ってきたそうだ。今回が初めてでなく、世界中のコーヒーの産地に何度も足を運んでいるそうだから驚きだ。
 安いコーヒーをのんでいる人は、コーヒーのうまい、まずいを気にしないが、世の中にはコーヒーにこだわりを持っている人がいて、彼が仕入れているコーヒー豆を買い求めにくる人が多い。通信販売でも求めている人がいるようだ。コーヒー豆の仕入れには、絶対の自信を持っているからだろう。

 話を蔵書票に戻すが、この本が出版された時代は、まだまだ蔵書票に興味を持つ人は多く、日本書票協会の会員も千人を越していた。
 文化服装学院の出版局から出版されていた季刊『銀花』の編集人、今井田勲さんが蔵書票の理解者で、よく特集を組んでおられた。
 他の雑誌でも、蔵書票を取りあげていたが、そのような先駆者は、ほとんど先立たれ、啓蒙する人がいなくなってしまった。
 西洋骨董や、和物の骨董の世界でも、世の中、落ちこむばかりで、大衆に広く、魅力的な世界を知らせるすべを失ってしまっている。
 ぼくも世界初の蔵書票を展示する美術館、「ロマンの泉美術館」を女房の故郷、新潟県弥彦村に、平成五年にオープンさせ、蔵書票の魅力を世に知らしめたが、残念ながら閉館に追いこまれている。

 エクスリブリスという言葉は、ラテン語が原語で、西洋共通の名称で、その意味は「誰それの蔵書のうちの書物」ということだ。
 東洋では書物には和紙が使われているので軟らかい本が多く、印鑑(蔵書印)を朱肉で押して、その本の所有を明らかにしている。
 西洋では印鑑を使わないし、本も洋紙なので、その見返しには貴族の紋章などを刷ったものを貼ることが多かった。
 それが時代が下ってきて、西洋では銅版画、日本では木版画の作家が多く作るようになってきた。

 絵というものは大きいから優れているというものではない。
 蔵書票は「紙の宝石」と呼ばれているように、小さな紙片の中に作家のすべてが表現されている。とにかく本物を見なければ、そのすばらしさは分かるまい。

(コフィア エクスリブリス・世田谷区代沢5-8-16 13:00~22:00 金曜定休)

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この本を読んで、蔵書票の美を知ろう!

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コーヒーを愛する人が遠くからもやってくるお店。

 

第9回「伊藤文学と語る会」

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7月14日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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2012年7月 2日 (月)

読書はなんとしても必要だ!

 茶沢通りぞいの古書「ビビビ」に立ち寄ったら、店主におほめの言葉を戴いてしまった。
「ほとんどのブログは、日記みたいでつまらないのが多いけれど、伊藤さんのような、ひとつの話にきちっとなっている内容のものはありませんよ」って。

 毎土曜日のひる頃、ぼくのブログを更新してくれている猪口コルネ君が、わが家に訪ねてくる。原稿用紙4枚がひとつの話になっていて、2つの話を渡すと、先週渡した2つの話のゲラが出てくる。誤字をみつけて訂正して渡すと、土曜日と、月曜日に必ず更新してくれている。
 続けるということは、書きなれてはいるが、一日で千人もの人たちに、読んでよかったと思ってくれるようなものを書くことは、それは簡単なようだけど、意外に大変なことなのだ。
 しかし、ぼくにとってブログを書き続けることが、生きていることの証しだと思うから手を抜くことはできない。

「毎日新聞」の2012年、6月4日(月)の夕刊の「特集ワイド」が、「ネット時間が、思考力を奪う」というタイトルで、本を読まずにネットばかり見ている人に、苦言を呈している。
 ぼくなどのように、ネットを見ることができないし、本もほとんど読まない人間はどうなるのだろうか。
 ぼくのブログを読んでくれている人、どんな人が読んでくれているのかは分からないけれど、読んでくれている人には、お礼を言いたいし、何か心に残るものが少しでもあれば幸いだ。

「インターネットや携帯電話は、人に何をもたらしたか。生活が便利にはなった。だが、あらゆる情報に簡単にアクセスできるがゆえに、「考える力の低下」という落とし穴にはまっている気がしてならない。(内野雅一さん、56歳)」の読者の疑問に答えて、記者が長い記事を載せている。
 全世代の読書の平均は、たった13分とある。記事のしめくくりに、「原稿執筆を思い立ったはいいが、だんだん不安になってきた。便利尽くしの環境で育った子供たちが、スマホを駆使する。もう僕らは、そんな時代に足を踏み入れている。不安どころではない。この国の行く末にあるのは絶望だけなのか。
「人間は考える葦である。」――パスカルは泣いている。」と、記者は嘆いている。

 ぼくは80歳を越えてしまったが、ブログを書き続けるためには、他人さまの書いた本を読まないわけにはいかなくなってきている。

 まず、沖野岩三郎さんの『娼妓解放哀話』(中央公論社刊)だ。祖父、伊藤富士雄から聞いた話を中心にしてまとめている本だ。この読みづらい本を熟読しなければ。なぜ救世軍に救いを求めて、廓から抜け出せないでいる女郎たちが、駆け込めば廃業させることができたのか。
 それは簡単な話ではない。女郎たちは小学校もろくに通えなかった。貧乏な家の女性たちだ。明治から大正へと、時代が変わっていって、女郎を救い出すための法律が作られていったからこそできたことだ。
 そのへんの推移を熟読して、理解しないと原稿用紙4枚ではとても書ききることはできない。だからどうしてもこの本は読まないわけにはいかない。

 もう一冊は、昭和32年に第二書房から刊行した『女の防波堤』という本だ。この本は新東宝で映画化もされたが、発禁になってしまった本だ。
『昭和平成ニッポン性風俗史=売買春の60年』(白川充著。展望社刊)これも併せて読まないと、理解できない。80の手習いはこれから始まるのだ。

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第9回「伊藤文学と語る会」

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7月14日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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