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2012年7月28日 (土)

わが家の変遷を見続けた金魚

 9月の第1土曜と日曜が、地元の北沢八幡宮の祭礼の日だ。もう10数年前になるのだろうか。祭礼に変化が起きた。
 茶沢通りから、神社に通じる道の両側にはお店がぎっしりと並び、横町の道にも、植木屋さんが店を出していた。もちろん境内にもいろんなお店が並び、それはそれは賑やかだった。
 各町内のみこしが宮入りする時間になると茶沢通りの両側の歩道は、見物する人で埋め尽くされたものだ。
 どこの家でも、兄妹たちが子供たちを連れて、実家に戻ってきて、ご馳走を食べ、神社のお店に買いに行くという、習わしがあった。
 代沢小学校に通っていたぼくなどは、太鼓の音が鳴りひびいてくると、授業を受けていても、そわそわして、早く帰って神社に行きたいと思ったものだ。

 それが警察の指導なのか、神社が考えたことか分からないが、暴力団の資金源になっているのではということで、テキ屋さんを追放してしまった。
 それからはボーイスカウトの人たち、PTA、法人会の人たちとか、素人が店を出すようになってしまった。
 あのテキ屋さんの独特の雰囲気は、素人に出せるものではない。北沢八幡宮の祭礼は寂れるばかりで、寅さんも嘆いていることだろう。

 長男の息子、大学生で21歳になるが、5歳ぐらいのときだったろうか。金魚すくいですくいあげた小さな金魚、ビニールの袋に入れてもらって、大事そうにわが家に持ってきた。
 金魚すくいの金魚って、安くてクズのようなものを仕入れてきて使っている。たいがい金魚鉢に入れて飼っていても、そう長くは生きない。
 代沢5丁目の鉄筋3階建てのわが家に住んでいた頃のことだ。一匹の金魚が水槽の中で生き続けた。

 芝信用金庫に借金の形にとられてしまい、代沢2丁目の茶沢通りに面した下北沢マンションの206号室に、ぼくら夫婦は移り住んだが、金魚も一緒だった。
 その頃はかなり大きくなり、尾ひれもひらひらして、立派な金魚に成長していた。朝起きて金魚に目を遣り、エサを与える。ぼくの人生にとって、一番大変だったときで、金魚君はどれだけ心の慰めになったことか。

 2年前に下北沢マンションの206号室も保証協会にとられてしまい、今度は代沢3丁目のマンションの一室を借りて、次男夫婦と小学5年生の孫と、女房との5人暮らし。
 金魚君も元気に育って、狭い水槽の中で泳ぎ回っている。4、5センチしかなかった大きさが、今では14.5センチと、成長している。
 水が濁ってくると、女房が換えているので、元気に泳ぎまわっていて、ぼくの変遷の年月を見続けてくれている。

 今年になって尾ひれに、バイ菌が付着してしまったのも、女房は塩をつけて手で取り去ってしまった。
 今度は口の周りが真っ黒になって、エサをパクパクと食べられず、痩せてきた。デパートの屋上にある、金魚や小鳥を売っているお店の人に薬はないかと聞いたら、これは治らないと言う。
 女房が口の周りに塩をなすりつけたら、なんと元気になってきたではないか。しかし、寿命だったのか、死ぬ寸前の苦しみは見ていられなかった。最後のあがきなのか、水槽の中であばれまわっている。
 7月2日の夕方、ついにわが家の金魚は、10数年生きて死んだ。せせらぎ公園の片隅に穴を掘って埋めた。

089
10数年生き続けた金魚

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