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2012年7月16日 (月)

神道も、佛教も売春を悪と思っていなかった!

 日本人の多くの人が考えていた、女性が身体を売るという娼妓(売春婦のこと)と、西欧の人が考えていた娼妓とは、その見方が非常に違っている。
 日本固有の神道でも、古来から布教されている佛教でも、公娼制度(おおやけに営業を認められていた売春宿)を恥辱とも、不道徳とも考えていなかった。
 西欧人が日本の公娼制度を不思議がり、不道徳呼ばわりするのは、彼らの祖先から伝来したキリスト教の思想からだ。

 明治年間に日本で廃娼や、自由廃業運動を叫び出したのもキリスト教徒からということだ。
 日本は徳川家光以来、長い間、キリスト教を弾圧した国であり、キリスト教を邪教だと思い込んでいる人が多くいた明治年間に、キリスト教徒の口から叫び出された自由廃業の運動が、非常に迫害を受けたのは当然のことだ。
 公娼制度の廃止、娼妓の自由廃業ということは、新しく日本人に植えつけられたキリスト教道徳の発想だったのだから……。

 キリスト教の教えを軍隊組織で布教する救世軍が、イギリスから日本に宣教師を送り込み、最初に司令官になったのは、山室軍平という人だ。
 創世期には偉大な人が出現するものだ。昭和15年に、68歳で没しているが、大正から昭和の初期が、救世軍が一番活気に満ちあふれた時代といえる。

 ぼくの祖父、伊藤富士雄は、山室軍平の下で、廃娼運動に身を投じた人だ。
 伊藤富士雄は信州(長野県)松代の眞田藩士、伊藤録の二男で、測量機製造の熟練工だったが、若い頃、なんとかして社会のためにつくしたいものだと思っていたときに、片山潜氏の「労働世界」か何かを読んで、同氏と一緒に社会事業でもやろうかと考えていたようだが、救世軍にとびこんでしまった。

「あの男は何かやるよ!」と、片山氏は始終言っていたそうだが、明治36年4月に、大阪で内国勧業博覧会が開かれたとき、難波に、救世軍第2小隊というのを設けて、そこでさかんにキリストの教えを伝道したのを手始めに、淫売窟へ押しかけたりして、有益な仕事をしていたが、山室軍平たちが、イギリスから来ていた人たちのいいなりになっているのを怒って、明治37年に一時、救世軍をやめてしまった。

 関西鉄道、又は大阪砲兵工廠に入り、のちに上京して、築地の海軍省工場で工場長を勤めていたが、明治43年に長女(ぼくの父親の姉)を15歳で亡くして、心機一転して再び救世軍士官となって、大正2年4月から、非常な決心を心に抱いて、社会事業部に転じ婦人救済係になって、大正12年6月2日、下谷救世軍病院で、53歳でこの世を去るまで、満11年3ヶ月間、専心、娼妓自由廃業のために努力して、987人の娼妓に自由を与えたのだ。

 祖母は長生きしたので、ぼくが大学を卒業する頃まで元気で、祖母から聞いた話によると、千葉の方に行ったときに歯を抜いたあとに、貝を食べたので、ばい菌が入って亡くなったということだ。
 そんなことがあったものだから、祖母はよく「歯は抜くな」と言っていたが、今なら死ぬことはなかったろうが、大正時代では薬もなかったのだろう。
 祖父の弟が、わが家の近所で石版刷の印刷屋をやっていたが、写真を見ると、その風ぼうはおじさんによく似ている。
 救世軍にかけこめば、廓から抜け出せる。そのことがやっと分かりかけてきたようだ。

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亡くなる3年前に父によこした山室軍平さんからのはがき

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救世軍神戸小隊に集まる子供たち。活気を感じる。

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