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2012年8月

2012年8月27日 (月)

袋とじの頁に、大興奮だった良き時代!

 これも、ぼくの良き相棒、藤田竜君のアイデアでアメリカのカードを使っての袋とじだ。ぼくが知り合ったアメリカ人のリンチさんからゆずり受けたもので、どれだけお世話になったことか。
 コカコーラのびんぐらいのオチンチンを持つ男、アメリカで人気のジェフ・ストライカーのカードや、写真集をいち早く届けてくれた。
 これを『薔薇族』に載せたら、すごい反響で売り上げが伸びた。袋とじのタイトルに、「君にもいい男を宅急便プレゼント! こんな夢見たら。アメリカ・カードまる出し大全集」
 この頃、取締当局もゆるやかだったのか、大胆にも大きなオチンチンにミミズがはったようにマジックで消しているだけ。

 藤田君は、こんな解説をしている。「アメリカからはるばると、海を越えてやってきたカードです。こんな素敵ないい男たちのカード入りで、パーティーに招待されたら……それこそ夢みたい。
 ところでこのカード、ほとんど日本で印刷されたもの! それなのにソフトなものしかこちらでは買えないなんて?」
 中国でのパクリを日本人は批判しているけれど、日本でも28年前、アメリカ製のカードを無断で掲載していたのだから、ごめんなさい。
 でも良心的に(?)発行所の住所、会社名も銘記しているけれど。

 ぼくが書いている「編集室から」を読むと、袋とじは何号か前からやっていたらしい。
「先日、本屋へ言ったら、めだつところに『薔薇族』が置いてありました。二冊ほどまだ残っていました。昨日、行ってみると、なくなっていました。その二冊は誰かが買ったのでしょう。」
「地方の小さな本屋さんの出来事でしょう。うれしいことに9月号も新記録だったけれど、11月号もその記録を破りそうな勢いで売れています。
 在庫がまたたく間に無くなってしまって、トーハン(本の問屋さん)の板橋営業所へ、返本をひきとりに行ってきました。
 こういうときに限って、どこの書店でも売れているから、返本が戻ってこないのです。少しばかり返ってきていた『薔薇族』を戻してもらってきました。
 11月号のヒットの原因は、アメリカのビデオの袋とじ写真にあったようです。書店でそっと破いて見た人もいたのか、何冊か破れているのがありました。
 なんだと思った人もいたかも知れないけど、心おどらせてハサミで切り開いてみる間の、ちょっとしたドキドキ感があったのではないでしょうか。
 12月号はカード。1月号はビニ本をそっとお見せします。今月のカードはセクシイで美しかったでしょう。日本で印刷しているのに日本で買えないなんて、寂しい話です。
 ビデオも見たいと思った人も、いっぱいいたことでしょう。日本で買えないものだからこそ貴重なものだということもできます。」

 藤田竜君、大奮闘で、しばらくぶりに『薔薇族』は他誌に水をあけたようです。扱っている素材はどこも同じなのですが、名コックの竜さんの腕のさえをほめるべきでしょう。
 今の時代、なんでもありで、ネットでズバリのものが見れてしまう。アメリカのビデオやカードに、ドキドキしながら見て興奮していた頃のほうがよかったのか。
 山川純一君の劇画、「兄貴が好きなんだ」が載っているけれど、タイトルが載っている頁に描かれている髪が長く、顔も長い、二人の若者も魅力的ではないか! 内容もかなりハードに描かれていて、この時代から山川君の劇画も人気が高かったに違いない。

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ドキドキしながら切り開いた袋とじの頁

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山川純一描く男絵も魅力的!

第11回「伊藤文学と語る会」

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9月15日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2012年8月26日 (日)

第11回「伊藤文学と語る会」

来る9月15日(土)、下北沢「邪宗門」にて、第10回「伊藤文学と語る会」を開催致します。

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9月15日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2012年8月25日 (土)

読者を楽しませてくれた竜さん

 吉田カツさん、イラストレーターとして脚光を浴びて大活躍しておられた方だ。断られても元々と思って電話をかけてみた。意外にもわが家から歩いて、2、3分のところのマンションに奥さんと住んでおられた。
 気軽に引き受けてくれて、「いつでも描きますよ」と言ってくれた。それが1976年・No.36・1月号の表紙だ。
 あまりにも迫力があって、夜見るとこわいと言ってきた人がいたぐらい。オリンピックの女子柔道で金メダルをとった、オオカミのような目と言われた松本薫の顔を思い浮かべる。
 その号に載っている藤田竜作の「男48景・いろかるた」は、才人、竜さんが読者を楽しませようと考えた傑作で、遊び人の竜さんでないと思いつかない発想だ。全部はお見せできないが、そのうちのいくつかを紹介しよう。

●犬も歩けば棒に当たる
 いつも歩けど坊やに当たらず
 少年愛はつらいね

●花より団子 
 穴より肉団子
 タマタマ・フェチもいるのです

●骨折り損のくたびれもうけ
 嫁取り損のくたびれ呆け
 長年かくしとおすって、大変なんだから

●チリもつもれば山となる
 チリ紙つもって朝となる
 「千雅」にはティッシュが何十箱も置いてあるぞ「竹の家」は、ちょっと粗悪紙だなあ(ゲイ・ホテルに泊まったことのない人には分からないだろうな)

●老いては子に従う
 老いては殊にしたがる
 サウナで先に手を出すのはフケなんだ(老人のことを悪く言っちゃいけないよ。竜さんだって年を取って死んでしまったのだから。一緒に住んでいたルネさんが、竜さんに「相手を思いやる気持ちがあれば、いい男なんだけど」といつも言っていたっけ)

●月夜に釜を抜く
 浮き世に釜をさらす
 そしてわたしは生きてゆく……

●念には念を入れ
 ノンケには銭を入れ
 お仲間にはすごいケチなのに(分かっていたはずなのに、ノンケのサギ師に7億ものお金を竜さんはだましとられてしまった。なんということだ)

●年寄りの冷や水
 年寄りのイヤ味
 男がつかないから、つい……ね

●喉もと過ぎれば熱さ忘るる
 喉もと過ぎれば吐き気あふるる
 わあ、でっかい

●安物買いの銭失い
 薔薇族買いの労力失い
 うそ、うそ。安心してかえって成績あがるよ

●貧乏ヒマなし
 美貌、妻なし
 そういう男はお仲間の可能性大

 読者を楽しませたい、いつも工夫をこらしていた竜さん。ぼくより4歳も年下なのに、お先に天国に行ってしまった。ああ。

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吉田カツさんの表紙絵

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イラスト・藤田竜

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2012年8月20日 (月)

10歳の時に見た死体が東宝のキャメラマンとは!

森鴎外の娘、森茉莉さんが、毎日のように通っていた「純喫茶・邪宗門」は、今やコーヒー専門の店としては、最後の店だ。

 この頃、ひいきにしている下北沢北口の居酒屋「大庄水産」のサービス・メニュー、ちらし丼は、みそ汁とお新香がついて、なんと500円だ。
 コーヒー一杯で500円というと、ちょっと考えてしまうが、「邪宗門」のメリットといえば、マスターと奥さんとおしゃべりできるということだ。
 それとお客さん同士で声をかけて親しくなれることもメリットのひとつだろう。森茉莉さんのファンが全国から訪れるから、茉莉さんの旧居跡を案内してあげたことも数えきれない。

 数年前に他界されてしまったが、東宝の監督で、上原謙主演「東京のえくぼ」森繁久弥主演「社長道中記」他社長シリーズ23本、「人間魚雷回天」「連合艦隊」など、70本も監督された、松林宗恵さん。
「邪宗門」の近くに住んでおられたので、よくコーヒーを飲みにこられた。ぼくも何度か、ご一緒して話を聞いたことがある。

「代田川緑道保存の会」が刊行した「代田川せせらぎ物語」に、「代田川原風景」と題して、エッセイを書かれている。そこには驚くべきことが・・・・・・。

「昭和17年、大東亜戦争に突入した頃の話である。米もない、酒もない、すべての物が配給制度になった。
 酒好きの人はアルコール気のあるものはなんでも飲んでいた。下北沢の赤提灯でメチルアルコールを飲んで、悪酔いをした立花幹也というキャメラマンが、ドブ川に突っこんで亡くなった。私が東宝撮影所に入社した一年前のことである。
「純情の都」「兄いもうと」「彦六大いに笑う」「牧場物語」、監督はいずれも木村荘十二で、その作品の名キャメラマンであった。
 ドブ川は、今の副島医院の下を流れていた代田川である。縁あって私は昭和30年から、そのドブ川の近くの代田一丁目に住んでいる。
 今は川が埋められて公園になり、春は花見の名所になっているが、当時の桜の木々はまだ若木で、あたり一帯、家もまばらで少なく、武蔵野の風情がなんとなく感じられる田園風景であった。
 その頃、家はまだ平屋で、わが家を改築して二階建てにしたら、二階の部屋から東京タワーが見えて大騒ぎをした。
 ひる寝をしていると、コツ、コツ、カンカン、大工の家を建てる音、遠くでかすかな爆音、そして子供たちの遊ぶ声、そこには江戸の原風景みたいなものがあった。
 今は、それらのなつかしい音がみんな消えて、けたたましいサイレンの音、バイクの音、ああ……。立花さんがドブ川で死んだと言ったのは、撮影所の人たちの表現であった。」

  東宝撮影所の名キャメラマン、立花さんがドブ川に落ちて死んだ。それは昭和17年のこととあるが、その時のぼくは10歳だ。
 その事件のことは、ぼくの脳裏にはっきりと残っている。わが家のすぐ裏手に川が流れていて、二子橋という名の橋があり、橋のかけかえ工事中で、橋の土台を造るために、深く掘られていて、水がたまっていた。

 今なら事故が起きないように、赤い電気をつけ、さくを作って人が落ちないようにしているだろうが、その頃はなんと、なわを張っただけだった。
 丁度、死体が引きあげられて、道路に寝かされていたところを見たが、下半身がむき出しで、なぜか勃起している状態だった。子供心にもその奇妙な影像を忘れることができなかった。

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2012年8月18日 (土)

日本人の寿命がのびたものだ!

 先日、銀座の画廊で、ぼくのコレクションの「バルビエ」の作品を展示してくれた。画廊のお手伝いに来ていた、早稲田大学国文科のかわいい女性と話しこんでしまったが、歌人の斎藤茂吉の名前をまったく知らないという。
 最近、茂吉のことを調べなければならないことがあって、にわか勉強を始めた。
 斎藤茂吉は明治15年・7月27日に山形県南村山郡に生まれ、昭和28年・2月25日に新宿区大京町の自宅で、満70歳9月で亡くなっている。
 茂吉は昭和の柿本人麻呂とも、歌聖とまでいわれた人で、処女歌集『赤光』の中の「死にたまふ母」の一連の歌は、教科書にも取り上げられている。

 のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかわづ天に聞ゆる

 歌誌「アララギ」の主宰者でもあり、昭和26年(1951年)には、文化勲章を受けたような方であっても、没後59年が経てば忘れられてしまうのか? 「アララギ」も今はないし。
 あっという間に月日が過ぎ去っているのだから、よほど有名な方でなければ、今の若者は知らないのが当然かも知れない。
 終戦直後の昭和22年(1947年)11月、疎開先の山形県大石田から、長男、茂太自宅兼診療所を開いていた、世田谷区代田1丁目に戻ってきた。茂吉65歳のときだ。
 環状7号線道路などのない、閑静な住宅地で、代田八幡宮の下にあり、茂吉の二階から白糖のような雪をかぶった、富士山が見えた。
 その頃、ぼくの父は、15年も勤めた第一書房が、戦時中に廃業してしまい、戦後すぐに第一書房の編集部員だった、斎藤春雄さんが、代田川の桜並木のすぐそばで、斎藤書店を興していた。
 空襲で多くの家が焼かれ、当然のことで書物もなくなったので、戦後は紙の手配さえできて本を出せばなんでも売れた。
 斎藤書店は景気がよかったのだろう。山形にまで、本を出す交渉に訪れていた斎藤さんは、泊まったホテルで、仲居さんにあげたチップが高額だったので、狭い田舎のことで話題になったそうだ。
 父は昭和23年に第二書房を創業するまで斎藤書店の手伝いをしていた。その頃、茂吉の「童牛漫語」と「童馬漫語」を父が手がけていたので、茂吉はよくわが家を訪ねてきている。
 茂吉は日記をつけていたが、その頃、ひんぱんに校正刷りなどを持って訪れていたことが記されている。
 昭和22年の2月12日には、伊藤祷一氏奥さん、一女性患者を紹介してもらったとある。神経科の茂太さんの診療所を訪れる患者は、少なかったのだろう。その頃、停電も多く、電灯つかずと、ときどき記している。
 茂吉は疎開先で大病を患ったようで、帰京後も足が弱っていたのか、皮靴を履けず地下足袋を履いて、どこにでも出かけていた。

 老身よひとり歩きをするなかれかかる声きけばなほ出で歩く

 老いといふこの現なることわりに朝な夕なは万事もの憂く

 60代といえば、今の人たちは老人といえないほど元気だ。茂吉の時代からみたら、ずいぶんと寿命がのびたものだ。80を過ぎたぼくが、やっと茂吉の心境がわかりかけているのだから・・・・・・。

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晩年の茂吉

第10回「伊藤文学と語る会」

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8月18日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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2012年8月13日 (月)

ホモでなけりゃ、芸術家じゃねえ!

 美輪明宏さんが41歳、ぼくが44歳のころ、新宿厚生年金会館(今はない)の並びのQフラットビルの2階に、クラブ「巴里」をオープンさせ、ぼくも続いて「伊藤文学の談話室・祭」を開店した。

 ちょうど、そのころ、「新しい芸能研究所」が「季刊・芸能東西・蝉時雨号」を刊行した。編集・発行人は、小沢昭一さんとある。36年も前のことだ。「性を超える・特集・ホモでなけりゃ芸術家じゃねえ!!」
 大きな文字で表紙に大書されている。巻頭に小沢昭一さんの「口上」があり、それにはぼくがいつも言っている「日本の芸術、文化はゲイの人によって支えられているのだから、誇りをもって生きよう!」と、同じことが述べられている。そしていつサインしてもらったのか、まったく覚えていないが、小沢さんのサインがある。

 ピーター、神津善行、尾崎宏次、松田修、戸坂康二、南博さんが執筆し、本橋成一さんというカメラマンが、ゲイホテルに潜入して撮った「おとこの館」には、修学旅行の学生たちが泊まるようなホテルのふとんを敷きつめた大部屋、ゲイホテルの扉を入ろうとする男たちの後ろ姿が映り、脱ぎ捨てられたゆかたの山は、コトの終わった男たちの物語をなまなましく活写している。

 この特集のメインは、松永伍一さんと美輪明宏さんの対談だ。「美とエロスと死」というタイトルで、なんと小さな文字でびっしりと31頁もついやしている。恐らく2、3時間はしゃべったことだろう。
 作家・評論家の松永伍一さん(1930~2008)という方のお名前は知っていた。博学な人のようだ。とっても話の内容を紹介しきれないが、古書店で探して読んでもらいたい。

 女装をして化粧をしている美輪さんが意外なことをしゃべっている。 
「ぼくはね、どっちかっていうと、ホントはすごい無精者でね。清潔好きなくせにね、まず清潔好きだからこそなんでしょうけどね、自分の皮膚の上にね、違う物質をぬるっていうのがまず嫌いで。」
「イヤリング、指輪、時計なんか、ベルトもふだんはしませんし、靴下はくのもイヤなんですよ。でも、奇妙なことに、そういういやなものをつけた時にね、美しいって言われるわけですよ。かつらをつけて、つけまつげをし、紅をほどこし。それはぼくじゃないんですよ。」

 まさに美輪さんの言ってることは意外だ。女っぽい美輪さんを性の面でも、だれしも受身だと思うだろうけど、これはまったく違うということは、ぼくには理解できる。
「ぼくは受身っていうのは、イヤなんですよ。自分自身が万事能動的だから。ところでごらんの通り、こんな広い家の中でも、ひとりでぽつんといるのが大好きだし。どっちかというとひとりでいたほうがいいですよ。怖くもないし、何でもないし。」
 人間、見ためでは、その人を判断できないということだ。

「芭蕉と薔薇族」という項があって、面白い話が話題になっている。美輪さんのいうのには、通信欄を見ていると、二人で旅行したいという呼びかけが多い。松永さんは、それは現実の社会の中で、自分たちの行為が異端であり、悪と見られているから、まわりのそういう視線から、少しでも抜け出していきたいという、離脱願望も大きいと思いますがね。「ぼくはいつ死んだって、へいちゃらだって、もう生きたいように生きて来たんだから、みたいなところがありますね。」 

 ぼくもやりたいことをやって生きてきたから、美輪さん同様に死ぬことを恐ろしいと思ったことはない。もっと、もっと紹介したい話がいっぱいあるけど、とにかくお二人の話は、内容が濃くて面白い。再録できないものだろうか。

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力がない小沢さんのサイン

第10回「伊藤文学と語る会」

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8月18日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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2012年8月11日 (土)

孤立化していくゲイの高齢者が心配!

 ぼくが同性愛の雑誌『薔薇族』を長い間出し続けてきて、一番気にしていたことは、読者の結婚の問題だ。
 今、60歳以上の読者は、20代、30代の結婚適齢期を迎えた頃、女性と結婚しないわけにはいかなかった。
 それがバブルがはじけ、日本の経済がデフレ状態に陥り始めた頃から、時代が大きく変わって、結婚をしないで独身生活を送る人が急速に増えてきた。
 ゲイの男性だけでなく、女好きの男性でも結婚しない人が多くなってきた。その原因は、収入が少なくて結婚しようにも出来ないからか。
 30歳を過ぎて結婚しないでいれば、あの人は変なのではと疑われた時代もあったが、今ではそんな心配はない。

 2012年、7月15日(日)の東京新聞朝刊が、1頁を使って「高齢男性の一人暮らし・未婚率が上昇、孤立化心配」の見出しで、絵入りの記事を載せている。
「高齢化が進むなか、65歳以上の一人暮らし(高齢単身世帯」の増加が問題になっています。高齢単身世帯は、2030年には約4割にも達する見込みです。
 これまで高齢単身世帯は、数の多さから女性の問題と考えられていました。しかし、ここにきて高齢男性の一人暮らしが増加。社会的に孤立する可能性が指摘されています。」
 女性は男性より、はるかに長生きしているから、年をとって一人暮らしの人が多いのは当然のことだ。
 この記事の中にはゲイのことなど、一文字も出てこないが、高齢の一人暮らしの男性率はゲイの人の方が、率からいって高いだろう。
 知り合った読者の中にも、高齢になって一人暮らしの人は多い。東北大震災で被害を受けて家を失った人の中にも、ゲイの人がいないわけがないが、その人たちを取材したマスコミはいない。

 男性の未婚率が上昇し、1970年には、1.7%だったのが、2010年には、20.1%となって、男性の5人に一人は結婚しないという。
 30代の未婚率を見ても、30代前半で50%に迫り、30後半で35%を越える。さらに男性の生涯未婚率が上昇するだろうと予測している。

 ゲイの人って、近所づきあいをしていない人が多いのではなかろうか。近所づきあいどころか、親族とも、兄妹とも、つきあわない人もいる。
 会話にしても、ほとんどしないとか、一週間に一回とかいう人も、11.3%もいるという。
「困ったときに頼れる人がいるか」についても、男性では20%、五人に一人がいないと答えている。日頃から会話や、近所づきあいもなく、いざというときに頼る人もいないというのが、高齢男性の一人暮らしに多いのが現状だ。
 結果的に孤独死も増加している。東京新聞の記事のしめくくりは、「男性の孤立化をいかに防いでいくかが課題に挙がっている」と。

 毎月、「邪宗門」での「伊藤文学と語る会」には、高齢者の参加を願っているが、ネットを高齢者は見ていないのでどうにもならない。ネットを見て参加してくれる若者ですら、かなり勇気がいるという。
 上野、浅草のゲイバアには、高齢者の人がたくさん集まっている。ゲイホテルにも高齢者の人が多いようだが、そういう場所に行ける人はいいが、地方に住んでいる高齢者は、孤立していかざるをえない。どうしたら少しでも、この問題を解決できるだろうか。これから真剣に考えなければ。良い知恵があったらコメントしてください。

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世田谷学園の同期会で。奥さんに先立たれた宮川君。「奥さんを大事にしろよ」って。

 

第10回「伊藤文学と語る会」

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2012年8月 6日 (月)

パリのレストランのおしゃれなメニュー

 ぼくはフランスのパリに憧れて、パリ製のいろんなアンティークをコレクションしたが、一度もヨーロッパには行ったことがない。
 ロサンゼルス、サンフランシスコ、ハワイ、ソウルだけで、残念ながらもう年だし、それにお金もないから訪れることは諦めるしか。
 訪れたことはなくても、昭和の初期か、大正の時代のパリのレストランで使われたメニューを眺めていると、運ばれてくる料理や、お店の中の様子までが浮かんでくるようだ。
 景気のいい時代には、赤坂の高級なレストランでフランス料理を食べたことはあったが、そこで使われていたメニューは思い出せない。
 日本の文化が、パリでもてはやされていた時代なので、富士山が見える峠の茶屋や、着物姿の美人も描かれている。
 メニューには、シェフがその日の料理を書き入れるようになっているものが多い。さすがパリのレストランが使っていたおしゃれなメニューだ。さて、どんな料理が出てくるのか、楽しみに待とう。

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第10回「伊藤文学と語る会」

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2012年8月 4日 (土)

娼妓解放までの道のりはきびしい!

 救世軍に救いを求めてかけこめば、女郎たちは自由の身になれる。それは簡単なことではなかったようだ。

 明治に入って西欧のキリスト教の宣教師たちが、日本に渡来してきて、女郎たちの解放運動に働きはじめた。マスコミといっても当時は新聞だが、公娼制度を良しとしない論評をかかげたので、興論も少しずつ、公娼制度を悪とする方にかたむきかけてきた。
 そんなときに、こんな事件が起きた。明治五年の六月のことだ。横浜沖に碇泊した一艘の外国船があった。船には大勢の支那人(中国人)が乗っていた。ある日その支那人のひとりが、船員の眼を盗んで、同港に碇泊中の英国軍艦に泳ぎついた。
 その支那人が艦長に「私どもは支那の者ですが、先月、南米ペルーの船が上海にきて、いい仕事があるから船に働きにこないかと言うので、230人がやとわれて、乗りこんでみると、私どもはみんな船底に追いこまれて、ろくな食物もくれません。
 水がのみたいと言っても、むちでひっぱたかれる始末です。南米に連れて行かれて、そこの鑛山の仕事をするために、どれいに売られるという話なので、なんとか助けてください」と訴えた。

 船長がこのことを東京にある公使に知らせると、公使は船長に忠告して、230人の支那人を解放させようとしたが、船長はこれをしりぞけたので、英国の公使から、日本の外務卿(現在の外務省)へ知らせがあった。
 今のお役人も見習うべきだが、外務大臣の福島種臣氏は、すぐさま命令を下して、横浜でその裁判を開かせ、アメリカ人のビール氏をその顧問とした。
「マルヤ・ルイズ号船長の行為は、どれい売買で、国際公法の禁を犯すものだ」と判決して、支那人、230人を日本政府から支那へ送りかえした。

 女郎の解放と関係のないような話だけど、ペルー政府が、その判決を不服だと言って、日本政府に抗議を申しこんできた。
 そこでロシアのニコラス皇帝を仲裁裁判長として、裁判のやり直しをすることになり、ロシア皇帝は日本の行為をよしとして、ペルーの申し立てを非とする判決を下した。
 ペルー政府から依頼された、弁護人のデッケンスは裁判中に、こんなことを言った。
「どれい売買が悪いということを日本政府から言われるすじはない。日本という国は、公然と、どれい売買をやっている国だ。
 そのどれいは身代金で買いとられて、はなはだしきは不道徳な行為をさせられている。娼妓というもので、その数は数万人もいるではないか」と、痛いところをつかれてしまった。
 この言葉には裁判当事者もたじたじとしたが、日本から派遣されていた、負けん気の強い大江卓氏は、こんなことを宣言した。 
「娼妓は旧幕府時代の悪風であるから、日本政府は目下、解放への準備中である。しかし娼妓も樓主も、日本国民であって、日本国内に住んでいるのだから、逃亡することはない。けれどもペルーの船は、海上に碇泊中であって、いつ逃亡するかも知れないから、まず、この事件から片付けなければならない!」
 一国の代表者がロシヤ、ペルー両国の代表者に対して、公言したことは、どうしても実行しなければならない。そこで娼妓を解放する法律が作られたということだ。

 それから祖父、伊藤富士雄の活躍が始まったのだ。この話を読んで思い浮かんだのは、戦時中、母に連れられて、母の古里に行ったときのことだ。どこの駅だか忘れているが、向かい側に停車してた列車に、多くの韓国の人たちが乗っていた。
 あの哀しげな目を忘れることはできない。おそらく北海道の炭鉱に運ばれていくに違いない。日本政府が強制的に連れて行ったとは思いたくないが。慰安婦の韓国の人たちも、どうだったのだろうか。
 戦時中、日本人が韓国の人たちを人間扱いしていなかったことは、子供心にも深くきざみこまれている。

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祖父富士雄が父、祷一に送った葉書

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祖父たちが救い出した多くの女性たち

 

第10回「伊藤文学と語る会」

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