« 日本人の寿命がのびたものだ! | トップページ | 読者を楽しませてくれた竜さん »

2012年8月20日 (月)

10歳の時に見た死体が東宝のキャメラマンとは!

森鴎外の娘、森茉莉さんが、毎日のように通っていた「純喫茶・邪宗門」は、今やコーヒー専門の店としては、最後の店だ。

 この頃、ひいきにしている下北沢北口の居酒屋「大庄水産」のサービス・メニュー、ちらし丼は、みそ汁とお新香がついて、なんと500円だ。
 コーヒー一杯で500円というと、ちょっと考えてしまうが、「邪宗門」のメリットといえば、マスターと奥さんとおしゃべりできるということだ。
 それとお客さん同士で声をかけて親しくなれることもメリットのひとつだろう。森茉莉さんのファンが全国から訪れるから、茉莉さんの旧居跡を案内してあげたことも数えきれない。

 数年前に他界されてしまったが、東宝の監督で、上原謙主演「東京のえくぼ」森繁久弥主演「社長道中記」他社長シリーズ23本、「人間魚雷回天」「連合艦隊」など、70本も監督された、松林宗恵さん。
「邪宗門」の近くに住んでおられたので、よくコーヒーを飲みにこられた。ぼくも何度か、ご一緒して話を聞いたことがある。

「代田川緑道保存の会」が刊行した「代田川せせらぎ物語」に、「代田川原風景」と題して、エッセイを書かれている。そこには驚くべきことが・・・・・・。

「昭和17年、大東亜戦争に突入した頃の話である。米もない、酒もない、すべての物が配給制度になった。
 酒好きの人はアルコール気のあるものはなんでも飲んでいた。下北沢の赤提灯でメチルアルコールを飲んで、悪酔いをした立花幹也というキャメラマンが、ドブ川に突っこんで亡くなった。私が東宝撮影所に入社した一年前のことである。
「純情の都」「兄いもうと」「彦六大いに笑う」「牧場物語」、監督はいずれも木村荘十二で、その作品の名キャメラマンであった。
 ドブ川は、今の副島医院の下を流れていた代田川である。縁あって私は昭和30年から、そのドブ川の近くの代田一丁目に住んでいる。
 今は川が埋められて公園になり、春は花見の名所になっているが、当時の桜の木々はまだ若木で、あたり一帯、家もまばらで少なく、武蔵野の風情がなんとなく感じられる田園風景であった。
 その頃、家はまだ平屋で、わが家を改築して二階建てにしたら、二階の部屋から東京タワーが見えて大騒ぎをした。
 ひる寝をしていると、コツ、コツ、カンカン、大工の家を建てる音、遠くでかすかな爆音、そして子供たちの遊ぶ声、そこには江戸の原風景みたいなものがあった。
 今は、それらのなつかしい音がみんな消えて、けたたましいサイレンの音、バイクの音、ああ……。立花さんがドブ川で死んだと言ったのは、撮影所の人たちの表現であった。」

  東宝撮影所の名キャメラマン、立花さんがドブ川に落ちて死んだ。それは昭和17年のこととあるが、その時のぼくは10歳だ。
 その事件のことは、ぼくの脳裏にはっきりと残っている。わが家のすぐ裏手に川が流れていて、二子橋という名の橋があり、橋のかけかえ工事中で、橋の土台を造るために、深く掘られていて、水がたまっていた。

 今なら事故が起きないように、赤い電気をつけ、さくを作って人が落ちないようにしているだろうが、その頃はなんと、なわを張っただけだった。
 丁度、死体が引きあげられて、道路に寝かされていたところを見たが、下半身がむき出しで、なぜか勃起している状態だった。子供心にもその奇妙な影像を忘れることができなかった。

096a

096b

|

« 日本人の寿命がのびたものだ! | トップページ | 読者を楽しませてくれた竜さん »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/101967/55407378

この記事へのトラックバック一覧です: 10歳の時に見た死体が東宝のキャメラマンとは!:

« 日本人の寿命がのびたものだ! | トップページ | 読者を楽しませてくれた竜さん »