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2012年9月

2012年9月29日 (土)

医学部の学生が「祭」に来てると書いただけで!

107 『薔薇族』の巻末に「編集室から」という頁が2頁もあって、小さな文字で5段もつめこんで、こまごまと書いている。
 1981年8月号(NO.103)31年も前のことで、その頃の読者の意識が分かるというものだ。
 ぼくが経営していた、新宿の「伊藤文学の談話室・祭」を訪れるお客さんの話だ。

「7月号のこの欄に、某大の医学部の学生さんが「祭」に来ているという話と、同性愛の研究をやりたいと語っているという話を書きました。そして、若い力がだんだんに世の中を変えていくという話を。
 ところがそれを読んだ当の学生くん、ショックを受けて、かなり落ち込んでしまったというのです。
 誰が来てるかなんて探す人もいないし、へえ、そうかなぐらいに思うかもしれないけど、まったく情けない話です。
 某大の医学部に入るぐらいの優秀な学生くんが、こんなことでは前途ほど遠しという感じです。
 この世界の人は、なにか気になることがあると、だんだん、悪く、悪く考えこんでしまう、被害妄想的なところをもっている人が多いので、仕方がないのですが、まったく困ったものです。
 よく地方の人から電話がかかってきて話をするのですが、どこに住んでいるということすら言わない人が、よくいるのです。
 秋田とか、青森とかいったって、その人を探し出せるわけがないのに、用心深いというか、人を信用しないというか、もう少しおおらかになってほしいものです。
 それでいて好みの人に出会ったりすると、百年の知己のようにふるまって、すぐ仲良くなって、自分の下宿に連れてきて、信用してお金を貸してしまう。
 相棒の藤田竜君がいい例だ。お金にはきびしい人が、サギ師が好みの男だったのか、まんまとだまされて、7億ものお金をだましとられてしまったのだから……。

 やはり「祭」で出会った地方の公務員の年配の人の話だ。
「ぼくのそばには、表紙絵を描いている木村べん君がいたのですが、その紳士、かばんの中から『薔薇族』を取り出して見せてくれました。地方の本屋さんのカバアがちゃんとかかっているのです。
 人口、10万人そこそこの町に住んでいるそうですが、その町には何軒も『薔薇族』を置いている本屋さんがあるそうですが、近所では顔見知りで買えないので、町はずれの知らない本屋さんで買っているそうです。
 その本屋さん、心得ていてすぐにカバアをかけてくれるのだそうですが、買うとすぐに表紙を破り捨ててしまうのです。
 そばで話を聞いていた、表紙絵を描いているべんさん、嘆くことしきりです。でも、そんな思いをして買ってくれているのだし、奥さんや、子供さんがいるのだから、仕方がないものね。みんなが寝静まってから読むのだそうです。
 今年から表紙に内容を書いた文字や、写真は一切入れないことにしました。『薔薇族』という文字は取るわけにいかないけれど、この方がずっと買いやすいでしょう。」

 こんな思いをして、多くの読者が買ってくれていたのかと思うと、心が痛むし、感謝の気持ちでいっぱいだ。

 31年という月日が流れて、みんなの意識は変わっただろうか? カフエ「邪宗門」での「伊藤文学と語る会」も、もう11回目だろうか。初めての参加者が来てくれるとうれしいが、参加するのにはかなり勇気がいるようだ。行ってみようかと、軽い気持ちで参加する人はいない。まだまだ意識は変わらないのかも……。

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2012年9月26日 (水)

第12回「伊藤文学と語る会」

来る10月20日(土)、下北沢「邪宗門」にて、第12回「伊藤文学と語る会」を開催致します。

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10月20日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2012年9月24日 (月)

女同士の恋だけど、なんとしても……。

106_2  女性のことを記事にすると、『薔薇族』の読者は嫌がるから、なるべく載せないようにしていたが、女性の読者も2割ぐらいはいたのでは。
 あるファッションモデルから、ぼくはこんな手紙をもらったので、なんとしても恋を成就させてあげたいと記事にした。
 その手紙には、できるだけ文章をきり捨てないでください。私の今までの心と今の気持ちを伝えたいし、それによって彼女の気持ちも動くかもしれないからと、書いてあった。そして相手の女性も毎号、『薔薇族』を読んでいるという。
 フランス映画の一シーンを見ているような美しいシーンだから、ぼくが感激して、彼女に協力したって、読者は怒らないだろう。

「オチビちゃんへ!
 オチビちゃん、この文を読んだら私が誰かわかるよね。(今月号も欠かさず読んでくれているといいのだけど)
 貴女と初めて会ったのは、私が出てたファッションショウ、一番前の席で瞳を輝かせて見ていたね。目が合ったので微笑むと、貴女は恥ずかしそうに下を向いてしまった。
 そのあとで会場近くの喫茶店でバッタリ。貴女は下を向いたまま、真っ赤になって、「貴女がいちばん、きれいでした」って言ってくれた。そして、なぜか貴女は私の部屋までついてきてしまった。
 私の肩までしかない貴女を、私はオチビちゃんと呼ぶことにした。何度か訪ねてくれて貴女の気持ちに気付いていたし、かわいいとも思っていたけれど、私はこわくて貴女を抱けなかった。
 寝つかれないで溜息をついていたのも、私の背中にそっと触れては、その手をひっこめていたのも、みんな知っていたの。私も迷っていたけど振り返れなかった。

 9月4日、私の誕生日にマンションの前で私の帰りを待っていてくれた貴女。でも男の人の車から降りた私をみて、貴女は走り去ってしまった。目にいっぱい、涙を浮かべて、「好きだったのに」って、ひとことつぶやいて。
 あの人は仕事のスポンサーで、食事に誘われただけなのに、そんな説明も聞かないで。電話をくれるのを待っていたのに……。
 もう好きじゃなくなった? 私のこと忘れてしまった? だとしたら仕方がないけど……。

 私、来春、契約が切れたら、母の待つベルギーに行きます。もし、貴女が電話をくれて、今でも同じ気持ちでいてくれるなら、必ず戻ってきて、私、貴女と一緒に人生を送ってもいいと思ってる。今度訪ねてくれたときは、私、もう迷わない。今、はっきりと気付いたの。
 いつからか、貴女が私の心の中に住んでること、今までに味わったことのない、心のときめきと、言いようのない寂しさ。
 オチビちゃん、私は貴女を愛し始めてしまったみたい……。」

 横浜市に住む、ファッションモデルで、24歳になる女性からの愛の切々たる呼びかけの手紙でした。
 女の人のことを書くと嫌がる読者もいるかもしれないけれど、人間が人間を愛する気持ちに変わりはない。まして女同士の雑誌はないから、こうして『薔薇族』を読んでくれている女性にも力になってあげたかった。
 ショウの舞台から観客席にいる女性と目が合って、恋に変わっていった。小説の世界のように思うけど、現実にこんな話ってある。

 ぼくも七夕まつりに行く夜汽車の中で出会った女性と恋に落ち結婚してしまったから、偶然を信じている。この人たち、その後どうなったことか……。

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2012年9月22日 (土)

エイズ患者、第1号を同性愛者に!

 この話もぼくのブログを見てくれている人たちに、ぜひ知っていてほしい、厚生省と順天堂大学付属病院の医師たちの裏のカラクリだ。

 それはどうしても血友病患者をエイズ患者の第1号にしたくない、厚生省としては都合の悪いことなので、同性愛者を第1号患者に仕立てあげて、エイズは同性愛者の病気だということにしてしまいたかったからだ。

 読売新聞社大阪本社の科学部、原康文さんからぼくに送られてきた手紙を読むと、その疑惑が記されている。1996年9月10日の消印の手紙だ。

「問題となっております日本のエイズ患者第1号のわかっていることを以下に記します。これは塩川、松本ら(順天堂大学付属病院の医師)の言いぶんに基づいています。

 塩川はエイズを発見したUCLAのゴットリーブという医師の診察も受けていると国会で明言していますが、松本は「知らない」そうです。

 この患者は84年暮れに治療目的で帰国。アメリカやヨーロッパでの在留が長いアーティストとされています。順天堂大学の松本を紹介されたのは、患者の知人、科学雑誌編集者が、このようなことに詳しく、受診を勧めたとのことです。

 彼は翌85年1月17日に来院し、松本が2、3回診たのち、3月22日のエイズ調査検討委員会にはかられ、第1号と認定されました。

 再び帰国したのは、2年後の87年で順天堂大で受診。その後、生存し続け、昨年(95年)死亡したとされていますが、松本主治医は前述の知人からの伝聞で、そのことを知ったようです。

 また調査票を検討委員会にはかる際に、知人が弁護士を伴ってプライバシーに充分配慮するように伝えて、調査票の提出を了解したとのことです。松本主治医は、患者の存在を知らず、向こうからの連絡を待つだけだったとのことで、積極的なフォローアップはしていないわけです。

 以上が第1号患者についてわかっていることです。患者の存在が架空の疑いもありますが、伊藤さんのネットワークがあれば、手掛かりがつかめるかも知れません。

 もし、でっちあげであれば、血友病患者を隠し、同性愛に偏見をもたらした点で、順天堂大学の責任は重大です。」

 ぼくは読売新聞社の原康文さんの求めに応じて、読者にこういう人間を知らないかと、大きく記事を書いて呼びかけたが、知っているという答は返ってこなかった。

 同性愛者の世界は狭い。殺人事件だって、空巣の犯人だって、警察の求めに応じて記事にすれば解決することができた。だれかしら友人なり、知人がいるはずなのに、何の反応もないということは、架空の人間だったのかも知れない。

 96年の2月26日の読売新聞は「エイズ患者発症前に1号認定「血友病」見送る一方、昨秋まで10年生存。厚生省薬害隠しの疑い」という見出しで、大きく取りあげている。 しかし、この疑惑は晴れぬままに、いつしかうやむやになってしまった。アメリカではエイズが同性愛者の病気と伝えられていたから、これ幸いに同性愛者を第1号患者にしてしまえと、順天堂大と厚生省が手を結んで、丁度うまい具合にアメリカで感染して、一時、日本に帰国したアーティストを第1号患者に仕立ててしまったということだ。

 15年ほど前、ロサンゼルスに行ったとき、エイズに感染している人に何人も会い、またその死に出会ったことがあった。
 福島の原発事故のことでも、都合の悪いことは国は隠してしまう。何事も疑いの目で見るということが大事なのではあるまいか。

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2012年9月17日 (月)

日本でエイズパニックが起きた頃の話

『薔薇族』でのぼくの良き相棒だった、今は亡き藤田竜君が、平成6年・1994年発行の『薔薇族』NO.255の巻末の「今月の裏話」欄に、こんなことを書いている。

「日本でエイズ・パニックが起こった時のことだ。始まりは85年、夏である。ある有名ゲイマガジン(薔薇族のことだ)と、私立大学病院(順天堂大学付属病院のことだ)が協賛して、100人の同性愛者のエイズ検査なるものを行った。(略)もっぱら同性愛者の健康を保証するための試みだとされ、(略)その中の5人が陽性と判明した。

 この検査の直後、日本に於ける初めてのエイズパニックは、まことに人為的に作られた。本来、検査の結果は、きわめて私的な情報として、報道においては特別扱いをうけなくてはならないはずであるにもかかわらず、100人中、5人の陽性者が出たという事実は、きわめてすみやかに、東京新聞と毎日新聞で報じられたのである。

 1985年10月のことだった。新聞は次のように結果を報じた。すなわち同性愛者の5パーセントがHIV感染者であると。
 ここに日本のエイズ、および同性愛者に対する恐慌が端を発した。実際には、この5人の感染者のうち、日本に存在している人は、たったの1人で、その他の4人は、すでにアメリカで検査ずみで、自分が陽性であることを再認識した人々だったにもかかわらず、いったん病院での調査が新聞に漏洩されてからは、日本の中にエイズとは、「おかま」の病気だという認識が定着したのである。
 当時、日本にはエイズの検査機関はまだなく、本誌の海外記事などで不安がっていた読者から、しきりに検査の要望や、問い合わせがあった。

 その時、ご親切にも調べてあげましょうと申し出てきたのが、順天堂大学付属病院の医師だった。
 伊藤文学と僕は、こんなありがたいことはないという気持ちで、誌上に検査の広告を出した。順天堂大学付属病院という、大看板が僕らを安心させた。
 採血は銀座の三原橋医院(以前から読者の性病の診療をしてくれていた)で、読者も来やすいだろうとだろうと思ったからだ。
 検査を受けたいという読者は殺到したが、その中から100人の人を選んで検査してもらうことにした。

 やがて結果などを伊藤が問い合わせてもにごし、僕が直接、病院を訪ねると、居留守を使う。そうしているうちに、その医師の日本初の調査という形で新聞に出たのだった。
 僕らはまさか読者をデータ集めに使われるとは思ってもいなかった。「提携調査」などというものでは決してない。
 読者の不安を少しでも鎮められれば、それだけで充分だったのだ。結果的には、彼の手柄になりえなかったし、読者のプライバシーまで侵されなかったからよかったけれど。

 本書がこの件を糾弾しているわけじゃない。でも、こうして記されると、裏の事情は知られないまま、世間の認識になっていくのだなとうんざり。」

 エイズパニックになった頃、なんとしてもエイズのひろがりを防ごうと、あんなに竜さんと心をひとつにして、真剣に立ちむかったことはなかった。

 そのあと、帝京大学の松田重三先生の協力で、エイズの検査の窓口を作ってもらい、どれだけの読者を帝京大学付属病院に送りこんだことか。

 松田先生、いい男だったので、読者の中に先生を好きになってしまって、どこも悪いところがないのに何度も通いつめたという話を後になって、松田先生から聞いたことがある。

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2012年9月15日 (土)

薔薇族城、落城寸前に訪れた取材!

 父が尊敬していた、吉田絃二郎という作家が「江戸最後の日」という戯曲を残したけれど、『薔薇族城最後の日』というようなときに取材に『OKFRED』(オーケーフレッド)という雑誌の辻村慶人君が訪れてきた。

 昭和7年から75年、住みなれたぼくの家は、借金返済のために、芝信用金庫代沢支店にとられてしまう。それこそ引っ越しの準備を始めていた頃だった。
 木造立ての二階屋から、三階建ての白亜の殿堂に生まれ変わって、美輪明宏さんが贈ってくれた豪華な門灯の光は、暗い読者に明るい光を投げかけて、多くの人たちが訪ねてくれた。

 書斎での写真を載せてくれているが、頭の髪の毛も残り少なくなって、指の先で何をいじっているのか分からないが、何かわびしい写真だ。もう少しいい写真を載せてもらいたかった。落城寸前の落ち武者のようではないか。

 前の年の2006年の12月号『男の隠れ家』が「気ままな知的空間・書斎は語る」という特集の中に入れてくれた。映画監督の恩地日出夫さん、作曲家の三枝成彰さん、作家の車谷長吉さんらと一緒にだ。
「仕事もプライベートも、すべてが包括されたカオスの空間。」というタイトルは、ぼくには意味がよく分からないが。
「飾らない書斎の佇まいは、来客すらも虜にしてしまう。
 出版に携わる人間ならば、編集長という言葉を耳にすれば、誰もが少なからず緊張するものである。しかし玄関先に姿を現した伊藤さんの笑顔と、よくお似合いの鮮やかなシャツを目にした瞬間、こわばっていた体が解きほぐされていくような何とも言えない暖かさに包まれた。心臓病問題、同性愛者専門誌『薔薇族』の編集と、常に世の中の弱者、差別される側の人間に対し、理解と愛情を注いできた伊藤さんの人柄がなせるワザなのか。
 そんなことを考えつつ、案内された書斎に足を踏み入れ、再び安堵感のようなものが湧き上がってくるのを感じた。(後略)」

 人間、ほめられるということは、うれしいことだ。ほめられたシャツは、アメリカのゲイ雑誌『フロンティア』のボブ編集長、エイズで亡くなられてしまったが、最後にお会いしたときに着ていたものを遺品として頂いたものだ。そのシャツのお陰で、風格を感じさせるいい写真だ。

 さて、「オーケーフレッド」の記事だが、これが最後だと思ってしゃべりまくってしまった。10頁を使ってよくまとめてくれた。いつもブログに書いているような話だけど、タイトルは、ぼくの思いがこもっている。
「少しでもいい方向へ持ってって、あの世へ行きたい。あと何年生きられるかわかんないけど」
 こんなこと言ったようだけど、ぼくは「あの世」なんてあると思っていない。心臓がとまってしまったら、それで終わりだから……。

『男の隠れ家』の記者が訪れたときと、落城寸前に訪れた辻村慶人君とは印象が違っている。
「下北沢の外れに、第二書房という看板を掲げた白いビルがある。茶沢通りを少し入った住宅街の中に、言われなければ、ここが出版社だとは誰も気付かないほど、ひっそりと佇んでいる。玄関先には子供の靴が並べられ、台所のテレビからは、お昼のワイドショウが流れている。」なぜか寂しさを感じる記事だ。
 インタビューを終えると、伊藤さんはしきりとOKFREDの心配をしだした。「もう雑誌はダメだよ」と。この雑誌もうないのでは。

 ぼくには千を越すブログを見てくれている人がいると思うと、大きな心の支えになって生きる力が湧いてくる。

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「男の隠れ家」に載った写真。編集長の風格が感じられる。

103b
「OKFRED」に載ったわびしい写真

 

第11回「伊藤文学と語る会」

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9月15日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2012年9月10日 (月)

関東大震災直後に出版された雑誌が!

102a 「関東大震災」は、大正12年、9月1日、午前11時49分におきて、多くの家屋が倒壊し、火災によって多くの人が命を落とした。
 父の遺品の中から、古びた一冊の雑誌が見つかった。新潮社刊(30銭)の「文章倶楽部で、震災直後の10月6日発行の10特号で、36人の作家たちが震災の話を記している貴重な雑誌だ。

 西条八十、芥川龍之介、竹久夢二、吉屋信子などが執筆されているが、半数の方は、どんな作家なのか、ぼくには分からない。
 巻頭に「読者各位に謹告す」とあり、「この度の大凶変に、小社は全くその厄災を免れ、社員すべて無事、新築ようやく竣工せし事務所を始め建物に何の損傷もありません。
 小社の印刷所である富士印刷株式会社も、また幸いに無事で、目下着々作業進行中であります(後略)」

 印刷所が倒壊していれば、雑誌など出せないだろうが、小石川の江戸川町にあったので難をまぬがれたのだ。
 加能作次郎という作家をぼくは知らないが「震災日記」と題する一文は、地震が起きた直後の様子が、くわしく書かれている。

「大正12年9月1日、丁度、昼飯の食卓に向かおうとするときだった。突然、からだが投げ出されるような大激動を感じた。
 地震だと思ったが、もとよりあんな大烈震になろうとは予想せず、最初は柱時計の落ちそうなのを支えていたぐらいだったが、そのうち方々の壁が抜け落ちる。棚のものが、がたがた落ち始める。
 家全体が、ガラ、ガラ、ガラと、まるで大瓦石を県崖に投げるような、大音響と共に、今にも倒潰しそうな大震動を始めた。
 今や、もとより時計どころでなく、立っていることも出来なくなって、自分は夢中でそばで泣き叫びながら、きりきり舞いをしている二人の子供を両わきに抱えこんで、タンスの前にへたばった。
 震動はますます烈しく、いつやむとも覚えず、長男は縁側から庭にとび出して、物干しのくいにつかまって泣き叫んでおり、台所にいた妻は、激震と同時に、その場に打ち倒れた赤ん坊をひき抱えて、外にとび出しており、妻の叔父と下女(お手伝いさん)とは、玄関口で何か大声で叫びながら、右往左往していた。
 自分は逃げ出すにも逃げ出せず、屋内にいるのが恐ろしくてたまらず、極度の狼狽困惑のうちに、ただ夢中で、ちりじりになっている外の者たちに向かって、家へ入れとか、逃げ出せとか、自分にもわけの分からぬことを大声で、どなっているばかりだった。
 そのうち、ふすまが倒れてくる、タンスの上の鏡台がすぐ目の前に落ちてくる、それらを見て、自分は最早、駄目だと思って、子供を両わきにしっかりと抱きかかえたまま、外へととび出そうとした。と、その瞬間に震動がやや、おさまってきたので、また、そのまま腰をおろした。
 そして全く震動が終わってから、ほっと胸をなでおろしながら、はだしで外へ出てみると、近所の人たちも……。
 男たちはみんな働きに出ているので、女ばかりだった。みんな取り乱した姿でとび出していたが、みんな物も言わず、ただただ恐怖にふるえ、まっ青な顔を見合わしているばかりだった。(後述)」

 その後、余震が何度も襲ってきている。江戸時代の安政年間にも、関東を襲う大地震があったようだ。
 戦争も恐ろしいが、天災も恐ろしい。また東海地震がおきるのではと言われている。いつおきるかは分からない地震だけに、心の準備だけはしておくべきだろう。被服廠あとの被害も甚大だったようだ。続けて紹介したいと思う。(ネットでぼくは検索できないので、人名、被害状況などは調べて下さい。)

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九段坂上から見た神田方面は焼野原

第11回「伊藤文学と語る会」

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9月15日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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2012年9月 8日 (土)

原発の町にゲイのハッテン場が!

 古い『薔薇族』(NO63.1978.4)を何気なくパラパラとめくっていたら、ハッと目にとまった記事があった。
 東北大震災の被災者へのインタビュー記事は各紙に報じられたが、いずれも模範的な人ばかりのものだった。
 哲学者の方のお名前を忘れてしまったが、同性愛者という文字をその記事の中に見つけだしたときはうれしかった。
 多くの被災者の中に、ゲイの人たちがいないわけがない。その人たちがどんな思いで過ごしているのか気になっていたからだ。

「北から南から」というコーナーがあって、各地から寄せられたニュースを載せていた。その巻頭に「原発の町にフレッシュなハッテン場が(福島県発)」とあるではないか。

「福島県の原子力発電の町といえば、双葉郡大熊町を中心に南北に広がり、五つの町をかかえていますが、次々と建設される工事場には、中央からの技術陣(外人もいます)がワンサとくり込み、働く人のためのマンションも、ニューヨークと見まちがうほど建ち並んでいます。
 私はこちらへ転勤後、約一年、若い独身者の中には必ず仲間がいるはず(エリートには薔薇族が多いのです)と、ふんでいましたが、やっとそのハッテン場(ゲイの人が集まる場所)を嗅ぎ出しました。
 双葉郡浪江町の駅前をまっすぐ百米ほど行くと、角に大きな書店があり、『薔薇族』も置いてあります。その角を右に曲がって行くと信号があり、その左手の体育館の前に、マンモス駐車場と、フジコンデパートがあります。このデパート入口、左のトイレがハッテン場なのです。
 奥まったところで、5、6人も入れそうな大のほうでは、片隅に2/25とか、2/26とか、数字で連絡し合っています(すごく清潔なんです)。
 またトイレ入口にはベンチが三脚ほどあって、そこで週刊誌などを見ている人は、まちがいなく仲間です。
 若い人も中年もいて、土曜の午後4時~4時30分、日曜の午後2時~2時30分ごろは、確率百%です。
 つい先日、私は『薔薇族』を小わきにかかえた好青年に誘われ、車で近くの防風林へ行きました(ここで遊べるのです)。またラブホテルもあることもわかりました。
 さあ、地方にいても悩んでいないで、積極的にホモだちを探しにいきましょう。(双葉郡・転勤者)」

 なんと34年も前の話だ。その頃、福島に原発が続々と建設されていたのだろう。この人も東京電力の社員だったかも知れない。記事の中から当時の活気が感じられる。
 それが、すべてが津波で流されてしまったのだから悪夢のようだ。

 この号の「薔薇通信」という文通欄には、まだ256人しか載っていないが、宮城県の欄に仙台市の人が3名、福島県の人が3名、友を求めて呼びかけている。

「福島市・海 30歳。171×61(身長と体重のことだ)。明るい友として精神的な絆を大切にしたい。26~30歳の人で、土曜の夜や、日曜に気軽に会える、近くの人を希望。
 歌が好きで一緒に歌えるような知的センスにあふれた友なら最高。できれば酒が飲めないがいい。燃える情熱と強い精神力を持った、清潔で素朴な友が好きなんだ。」

 長い月日が流れて。この人たちも元気ならば老人になっているだろうが、今、どんな生活を送っているのか心配でならない。
 哲学者の先生が、ひとこと触れたことが、現実に原発の町にハッテン場があったなんてことは、『薔薇族』だからこそ知り得たことではないだろうか。

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第11回「伊藤文学と語る会」

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2012年9月 3日 (月)

戦争の足音が近づいている!

 2012年の8月8日、東京新聞の朝刊に作家の瀬戸内寂聴さん(90歳)と、佐藤愛子さん(88歳)の対談記事が載っていた。「大正・昭和・平成の激動期を歩んできた、2人から全世代へのメッセージ」で、教えられることが多かった。
 瀬戸内さんは、こんなことを言っている。

「飢えたことのない人に、そのつらさはわからない。私たちは物書きで想像力が人よりあるから、いくらか、わかる。普通の人は経験でものを考えるからわからないのね。」

 佐藤さんは、「この前、泣いて貧乏を訴えてきた女の人がいてね。話を聞くと、たばこも吸っているし、車も持っているの。それが今の貧乏なのよ。私たちのとは違う。」

 ぼくは太平洋戦争中は、10歳か、11歳のときだったから、戦争の恐ろしさ、「物」がまったくなくなってしまったときのことは、よく覚えている。
 空き地という空き地は、たがやして野菜を作った。その頃の道路は、今のようにコンクリートで固められていないから、道路のはじっこも掘りおこして野菜を作った。もちろん狭い庭も、きゅうりや、とまとを畠に。
 お米もわずかしか配給にならない。ごはんに大根をこまかく切って入れたり、今では鳥のえさにもならないような、こうりゃんをまぜて食べた。
 お魚も配給になるが、すけそうだらとか、にしんばかりだ。たらが嫌いなわけではないが、今でもそのころの記憶が残っているから食べない。
 さつまいもだって、今のさつまいもは、ほかほかしているが、冠水したのか、まっくろになっていて、ひどいものだった。さつまいものくきまで食べたのだから、今の時代はぜいたくすぎる。
 母に連れられて近郷の農家に、買い出しに行ったことがある。母の着物は、みんな食べ物になってしまった。農家のおかみさんのいばりくさった顔は、忘れられない。
 父は第一書房時代の本を山形の古本屋に売って、お米に変えてもらっていたようだ。

 瀬戸内さんは言う。「今の人たちに戦争はこわいもの、悪いものって言ったって、67年もたってるから、知っている人がほとんどいないのよ。経験していないことは想像できないんです。」

 日本は政治家が悪いから、景気は悪くなるばかりだけど、飢えて死ぬ人はいない。北朝鮮や、アフリカなどでは、今でも飢えて死んでいる人がいる。日本はまだまだ恵まれているのでは。
 オリンピックでサッカーの男子は、韓国に負けて良かった。日本が勝ったりしたら排日運動が起こるかも知れないから。
 韓国のイ・ミョンバク大統領が、ヘリコプターで竹島を大統領として初めて訪れたそうだが、すでに韓国の兵士が駐屯しているのだから、いくら日本の政府が日本の領土だといったって、軍事力で追い出すしかない。
 尖閣諸島も石原都知事が早く買い取って、自衛隊を駐屯させなければ、中国に占領されてしまうかも。それにしても韓国とも中国ともいつまでも仲良くしていきたいものだ。

 人間が人間を殺しあう戦争が、どんなに悲惨なものか、体験したものでないと分からないだろうが、今でもおろかな殺し合いが、世界の各地で続けられている。

 瀬戸内さんは心配している。「平成の今の状態は、昭和15、6年頃に似ていると思う。今の状態には、とても不気味な思いがするんです。戦争の足音が近づいている。」と。
 とにかく戦争だけは二度としてもらいたくない。なんとしてもくいとめねば。

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わが家の前も畠だった。左側2人が妹と近所の子供。

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第11回「伊藤文学と語る会」

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9月15日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
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2012年9月 1日 (土)

警察の手入れのお蔭で売り上げ倍増!

 37年前の『薔薇族』30号・創刊4周年記念特大号だ。表紙絵も藤田竜さんが描いている。7月号だが、その前に出した2月号と4月号が、警視庁の風紀係によって発禁処分になってしまった。
 この頃の風紀係は、ワイセツ物を取り締まるという意欲に係官が燃えていた時代だ。

「文春ネスコ」から2001年に出版された『浅草フランス座の時間』(井上ひさし・こまつ座編著)に面白いことが書いてある。渥美清・関敬六・谷幹一・長門勇・北野武たちが、踊り子さんたちのショウの合間にコントをやっていて、それが面白かった。
 客の入りが悪くなってくると、支配人が「なんとかしなくちゃ」と声をかけてきて、それが作戦開始の暗号。
 舞台から退場するときに、まちがったふりをして、ツンバ(性器を隠しているもの)を落とす。全客席がハッと息をのむ。そうすると次の日から大入りが続く。
 雑誌も発禁処分を受けると、大損害と思うけれど、発禁の指令を全国の警察署に流す。当時はファックスもネットもない時代だから、どんな方法で知らせていたのだろうか。
 書店の親父さんと、交番のおまわりさんは普段から顔なじみだ。押収に行っても本屋さんはしまいこんでしまうから、棚に並んでいる僅かな雑誌しか持っていかない。そして、あとで売り切ってしまう。
 いつもの号よりも発禁になった方が、返品率がぐっとへるというわけだ。新聞や、テレビでも報道されるものだから、次号からの『薔薇族』の売り上げが増えるというものだ。ストリップ・ショウのお客さんと同じことだ。「週刊新潮」も売り上げが落ちてくると、わざと発禁にさせるという話を聞いたことがある。

 30号の「編集室から」に、ぼくはこんなことを書いている。
「エリザベス女王が来日するというので、警戒がものものしい丸の内かいわいを走って、東京地方検察庁に罰金を払いに行ってきました。
 発行責任者であるぼくが20万円、嵐万作君(男色西遊記の筆者)が、10万円、計30万円を窓口に出しました。「ありがとう」とも、「ごくろうさん」とも言わず黙って受けとりました。そう、なにか言ったらおかしい。黙っていてくれて、それでよかったのです」
 罰金30万円(今はもっと高くなっている)なんて、宣伝費と思えば安いものだ。
 30号に載っていた、平野剛さんのごっつい男が、からみあっている男絵、それもワイセツだというので、始末書を書かされてしまった。
 36号にも平野剛さんの男絵を載せているが、「編集室から」にこんなことを書いている。
「平野剛さんの作品、30号にのせたものが当局から注意を受けましたので、ギリギリの線に押さえてしまいました。
 男と女がからみ合った絵とか、写真は、もっとすごいものが多いのですが、係官にしても、なぜ、こんなゴツイ男と男が抱きあっているのか、理解に苦しみ、生理的な嫌悪感を感ずるのだと思います。
 ぼくとしては、ひとつも嫌らしさを感じないし、むしろ爽快な気持ちにさえさせられます。これがゴツイ男となよなよした男が、抱き合っていたら、きっと嫌らしくなると思うのです。
 レスリングの試合を見ているのと同じにみていいのだと思います」

 木下直之さん著の『股間若衆』に出てくる彫刻家たちも、警察の顔色をうかがいながら、木の葉で隠したり、もっこりにしていたのだろう。平野剛さんの絵をニコニコ動画で、バッチリ見せてしまったが、いい時代になったものだ。

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自粛して股間を見せない平野剛さんの男絵

第11回「伊藤文学と語る会」

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9月15日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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