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2012年9月17日 (月)

日本でエイズパニックが起きた頃の話

『薔薇族』でのぼくの良き相棒だった、今は亡き藤田竜君が、平成6年・1994年発行の『薔薇族』NO.255の巻末の「今月の裏話」欄に、こんなことを書いている。

「日本でエイズ・パニックが起こった時のことだ。始まりは85年、夏である。ある有名ゲイマガジン(薔薇族のことだ)と、私立大学病院(順天堂大学付属病院のことだ)が協賛して、100人の同性愛者のエイズ検査なるものを行った。(略)もっぱら同性愛者の健康を保証するための試みだとされ、(略)その中の5人が陽性と判明した。

 この検査の直後、日本に於ける初めてのエイズパニックは、まことに人為的に作られた。本来、検査の結果は、きわめて私的な情報として、報道においては特別扱いをうけなくてはならないはずであるにもかかわらず、100人中、5人の陽性者が出たという事実は、きわめてすみやかに、東京新聞と毎日新聞で報じられたのである。

 1985年10月のことだった。新聞は次のように結果を報じた。すなわち同性愛者の5パーセントがHIV感染者であると。
 ここに日本のエイズ、および同性愛者に対する恐慌が端を発した。実際には、この5人の感染者のうち、日本に存在している人は、たったの1人で、その他の4人は、すでにアメリカで検査ずみで、自分が陽性であることを再認識した人々だったにもかかわらず、いったん病院での調査が新聞に漏洩されてからは、日本の中にエイズとは、「おかま」の病気だという認識が定着したのである。
 当時、日本にはエイズの検査機関はまだなく、本誌の海外記事などで不安がっていた読者から、しきりに検査の要望や、問い合わせがあった。

 その時、ご親切にも調べてあげましょうと申し出てきたのが、順天堂大学付属病院の医師だった。
 伊藤文学と僕は、こんなありがたいことはないという気持ちで、誌上に検査の広告を出した。順天堂大学付属病院という、大看板が僕らを安心させた。
 採血は銀座の三原橋医院(以前から読者の性病の診療をしてくれていた)で、読者も来やすいだろうとだろうと思ったからだ。
 検査を受けたいという読者は殺到したが、その中から100人の人を選んで検査してもらうことにした。

 やがて結果などを伊藤が問い合わせてもにごし、僕が直接、病院を訪ねると、居留守を使う。そうしているうちに、その医師の日本初の調査という形で新聞に出たのだった。
 僕らはまさか読者をデータ集めに使われるとは思ってもいなかった。「提携調査」などというものでは決してない。
 読者の不安を少しでも鎮められれば、それだけで充分だったのだ。結果的には、彼の手柄になりえなかったし、読者のプライバシーまで侵されなかったからよかったけれど。

 本書がこの件を糾弾しているわけじゃない。でも、こうして記されると、裏の事情は知られないまま、世間の認識になっていくのだなとうんざり。」

 エイズパニックになった頃、なんとしてもエイズのひろがりを防ごうと、あんなに竜さんと心をひとつにして、真剣に立ちむかったことはなかった。

 そのあと、帝京大学の松田重三先生の協力で、エイズの検査の窓口を作ってもらい、どれだけの読者を帝京大学付属病院に送りこんだことか。

 松田先生、いい男だったので、読者の中に先生を好きになってしまって、どこも悪いところがないのに何度も通いつめたという話を後になって、松田先生から聞いたことがある。

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