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2012年11月

2012年11月26日 (月)

同じ年の石原慎太郎さんに負けないぞ!

 森鴎外の長女、森茉莉さんが毎日のように通いつめていた、カフエ「邪宗門」での「伊藤文学と語る会」を始めてから、早いものでもう一年にもなる。
 しゃべることもなくなってきたので、そろそろやめようかなと思って、二代目『薔薇族』の編集長、竜超君に相談したら、「元気なうちは続けたら」と言われてしまった。
 年をとって長生きするには、いろんな人と初めて会うことだと、誰かに言われたことも思い出した。
 語る会のたんびに、初めて参加してくれる人がいる。ネットって多くの人が見てくれているから、わざわざ遠くから来てくれる人も。
 中国の上海から、ぼくのブログを見て来てくれた若者もいて、確かに初めて会って話をするということは、ボケがかっている頭には新鮮な刺激になることは間違いない。
『薔薇族』を廃刊してしまってからは、読者からの情報が途だえている。電話もかかってこないし、ましてやネットを見ることがないのだから、語る会で出会えることが、ぼくにとっては貴重なことなのだ。

 10月の会には、なんと兵庫県から日帰りで参加してくれた、オシャレな青年がいた。大学に留学生として、日本に勉強に来ている中国の女性と、イタリアからの若者がきてくれたのは感激だった。
 二人とも同じ大学で知り合ったそうで、日本語はペラペラ。もちろん、日本の文字も読める。
 イタリアの若者は、イタリアにいたときから、日本に憧れを抱いていて、何年間も日本語を勉強していたそうだ。
 ぼくの著書もほとんど読んでくれていて、『薔薇族』は国会図書館に通って、創刊号から読んでいるという。大学の修士課程の卒論に『薔薇族』のことを書くという。近く下北沢で会う約束をしたが、自らゲイだということを告げてくれた。
 こんな出会いがあれば、語る会をやめるわけにはいかない。同じ年齢の石原慎太郎さんが、東京都知事をやめて、新党を立ちあげ、衆議院選挙に立候補するという。
 ぼくも元気だし、石原さんに負けてはいられない。引退しろという人もいるけど、少年愛の人たちの代弁者にもなって、発言していきたいものだ。

4051  二代目の竜超君が、「自分でかんがえ、うごき、こしらえる、新・同性愛者の生活誌」として出し続けている『薔薇族』は、405号になる。
 目次を見ると、「少年を愛することは罪ですか?」は、6回目で「完全再録・少年ハンター座談会・前篇・エスカレートする読者の欲望と、少年愛写真集・発行者の苦心と」は、もう忘れてしまっていたが、ぼくが司会で、当時、少年写真集を次々と刊行していた「ストーム出版」の社長・橋本茂生さんと、東北沢で「度恋処」(どっこいしょ)というバアを経営していた、船橋まさるさんとの座談会だ。
 橋本さんとも、「度恋処」のマスターとも長いこと会っていないが、どうしているだろうか。橋本さんは腰が痛いと訴えていたが。「度恋処」のマスターは、最後は下北沢の北口で店を出していたが、もう今はない。
 今、読んでみると面白い。いい時代だったとも思う。405号は定価・700円(税別)だ。ぜひ、読んでもらいたい。
「いくら貯めれば、オールド薔薇族に、薔薇色の老後はおとずれるのか?」も必見だ。
 ソルボンヌK子さんの「文学さん」の四コマ漫画も、思わず笑ってしまう。
「東郷健さんを偲ぶ会」を批判する、竜さんの筆はさえている。猪口コルネ君の表紙絵も号を追うごとに美しくなって楽しみだ。

 

『薔薇族』405号は、以下の通販フォームよりお求めいただけます。
野ばら浪漫舎 通販フォーム

第14回「伊藤文学と語る会」

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12月15日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

 

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2012年11月24日 (土)

店がつぶれても、すぐに借り手がある不思議な街

 先日、銀座の画廊「スパンアートギャラリー」での「甲秀樹人形作品展」を見てきた。
 新宿二丁目のバアのマスターが、「人形を作っている人がいるので、会ってくれませんか」ということで、10数年前に出会ったのが甲さんだった。
「人形じゃ雑誌に使えないから、絵を描いてみない」と、すすめたら描き出して、それが上手になるのが早くて、『薔薇族』の表紙絵を描くようにまでなってしまった。
『薔薇族』が廃刊になってからは、男絵と人形の制作と、画廊で次々と個展を開き、今や、海外にまで、その名は知られている。

 13年前の『薔薇族』No.319に、こんな広告が載っていた。

「キーホルダー人形・薔薇男君誕生! 1999年4月4日、どん底の不況にあえぐ日本に、天から舞い降りた救世主で、必ずや君に「男運」と「金運」をもたらすでしょう!」

 この人形は、甲君の手造りで、手彩色の傑作だ。¥1400で販売して、よく売れたが、今、手許に2体だけ大切に残してある。
 甲君の人形は、いずれも50万を越していて、それがほとんど売れている人気作家だから、今、造ってくれと頼んだって、造ってはくれまい。
「どん底の不況」と、このとき書いているがそれから13年が過ぎた。現在の日本の状況をなんと表現したらいいことやら?

 その号の「編集室から」に、不況の象徴のような悲しい出来事をぼくは書いている。北国新聞の切り抜きを読者が送ってくれたのだ。

「不況風、名物バーを追い込む。金沢の路地裏、悲しい酒、男性2人、店内で心中」と、見出しにある。
「経営者、従業員、将来を悲観か、店先に手向けの花次々と」ともあり、店の前に手向けられた花束と、路地を出て行く2人の男の姿をとらえた写真が、カラーで載っている。
 新聞の記事によると、バブル崩壊後の長引く不況の影響や、娯楽の多様化から次第に客足が遠のき、借金がふくれ上がっていたとされるとある。
「店を最後の場所に選んだ2人の死の衝撃は、まだ先行きが見通せない景気の動向もからんで、ネオン街全体に暗い影を落としている」と新聞は報じている。

「比呂」というお店は、『薔薇族』誌上にも広告を出してくれていた。金沢市内で読者の大会を開いたこともあり、他人事とは思えないと、ぼくは書いているが、それから数年して『薔薇族』が廃刊に追いこまれてしまったのだから、他人事ではない、ぼくが生きているのが不思議といえる。

 NHKのテレビを見ていたら、スペインはひどい不況で、4人に1人は失業して、若者はもっともひどく、2人に1人は職がないという。
 日本の政治家は何を考えているのか、自民党も公明党も早く解散して選挙をしないと、自分たちが不利になるというので、解散をせまることばかり考えている。
 民主党は少しでも長く今の政権のままでと思うから、のらりくらりと頑張り続けるしかない。不思議なのは、下北沢の街を歩いていると、次から次へと店がつぶれているのに、シャッターがおりたままという店は少ない。すぐにまた借り手があって、店を出すが、それもやめるのが早い。

 地方に行けば、シャッターをおろしたままという店が多いが、下北沢は歩いている人は多い。道が狭いこともあるが、これだけ人通りがあればと、考えてのことだろうが、ただ歩いているだけで、お金を落とす人は少ないということを知らないのかも。不思議な街、下北沢だ。

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第14回「伊藤文学と語る会」

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12月15日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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お気軽なご参加を、お待ちしております。

 

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2012年11月21日 (水)

第14回「伊藤文学と語る会」

来る12月15日(土)、下北沢「邪宗門」にて、第14回「伊藤文学と語る会」を開催致します。

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12月15日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
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2012年11月19日 (月)

父が残したセピア色の4枚の写真

 父が残した遺品の中から、セピア色に変色した珍しい写真、4点がでてきた。からだが貧弱な父は、徴兵検査では一番悪い丙種合格だったから、兵隊にはとられずじまいだった。
 軍隊経験がないのに、なんでこんな写真を持っていたのかは分からない。

 前方に乗用車が二台置いてあって、銃を持ったいかめしい兵士が門前に立っている。門柱に下がっている看板の文字を虫メガネで見たら「歩兵第78連隊本部」と書かれている。
 左側の看板の文字は、虫メガネで見てもよくは読めないが、「南満州株式会社軌道北奉天公社」と記されているようだ。
 軍が民間の会社の建物を取り上げて、連隊本部としたのかは分からないが、風格のある立派な建物だ。「満鉄」という鉄道会社は、すごい会社だったようだが、その子会社かも知れない。

 満州(現在は中国領)を日本軍が侵略して関東軍という精鋭部隊を置いて警備していた。送電線の鉄塔だろうか、その下にころがっている死体は、兵隊なのか、民間人なのか、またなんで殺されたのかは知るよしもない。
 満州には多くの日本人が、新天地を求めて移住して行ったようだ。満蒙開拓団として多くの人たちが移り住み、田畠をたがやしたそうだが、畠らしき写真はその人たちが開拓したものかも知れない。

 終戦の8月15日の10日前に、ソ連軍が攻めこんできたとき、関東軍は民間人を置き去りにして逃げてしまった。その後の民間人は悲惨なことになり、多くの人が死んだ。
 この4枚の写真は、平和な時代の満州でのものだろうが、なにか不気味なものを感じさせる。とにかく戦争だけは、もうしてもらいたくない。不景気な世の中が続こうとも、なによりも平和であってほしいものだ。

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2012年11月17日 (土)

ミカと出逢えたことは幸せ?

「川名かおるは日雇労務者、竹内則子は国会図書館食堂のレジ係、世田谷区立松沢中学校の体育教師のミカ、松前美奈子は電電公社の交換手と、それぞれが仕事をしながら、給料とボーナスをつぎこんでの公演というところに、マスコミが興味を持ってくれたのだろう。
『週刊女性』の1月17日号には、「たとえ名もなく貧しくとも=創作舞踊にかける四つの青春」と題して記事にしている。
 1962年6月5日、新宿厚生年金会館大ホールで、邦千谷創作舞踊公演『明けない夜の死者のしるべに』が催された。

 安保闘争で亡くなられた、樺美智子との対話をもとに創られたものだ。この作品には、まったくの素人も舞台に参加することになり、伊藤文学も舞台を踊りながら、横切るだけだが、ライトを浴びるだけの貴重な経験をした。
 邦千谷先生のところで稽古を続けること10年。ミカは独立して「伊藤ミカ ビザ―ルバレエグループ」を結成した。1966年、昭和41年の10月のことだった。
 翌年の1967年、昭和42年、永年あたためていた、フランスの地下文学の傑作、『O嬢の物語』を舞踊化して話題になった。

 その後、松沢中学校の教師をやめて、舞踊ひと筋の道に入る。それからのミカは、すさまじいまでに意欲的に新しい試みに挑戦していった。
 1968年、昭和43年の12月に栗田勇の『受奴』を舞踊化して、舞踊家としての地位を確立した。

 邦千谷門下生で、独立して活躍した人は、ミカしかいない。1969年の二年間は、赤坂のクラブ「スペースカプセル」でのショウなど、さまざまの新しいことに挑戦して、マスコミの話題になった。

 そして1970年、昭和45年、1月11日、33歳の若さで、風呂場での酸欠で亡くなった。
 日本が最高に活気に満ちあふれていた1960年代を疾風のように駆けぬけた伊藤ミカ。
 東大の教育学部がある井の頭線の駒場にあった稽古場、ぼくもよく訪れたので、目をつぶるとあざやかによみがえってくる。」

 ミカと夜汽車の中で出会って、そして翌年には、わが家にころがりこんできての最初の、相思相愛の仲だった二年間、そして亡くなる前の、ミカの舞踊を支えての二年間がなかったら、ミカは浮かばれまい。
 あとの10年間は、ミカは舞踊ひと筋だった。その間の10年のぼくは、ミカから心が離れていた。
『裸の女房』(彩流社刊)にサインするとき「ミカと出逢えたことの幸せ」と書いてはいるが……。

 戦後の昭和23年に父が興した株式会社、第二書房には社員はひとりもいない。ぼくが手伝うしかなかった。駒大時代から父の使い走りをさせられ、大学を出てもそのままの生活だった。
 まったく生活力のないぼくのところへ、ころがりこんできたミカ。父は吉田絃二郎という作家を敬愛して、第二書房の処女出版も、絃二郎の著書だった。
 吉田絃二郎が亡くなったときから、わが家は一変してしまった。絃二郎の相続の後始末を父がしていたが、その遺産を受け継いだ、お手伝いのおはるさんと、父はデキてしまい、仕事はぼくまかせに。

 仕事のやりがいはあったものの、まったくひとりで月に一冊ずつ新刊を出し続けたのだから、忙しくてミカのことなどかまっていられなかった。
 固い出版物から、一気にエロ本の出版へと方向転換。ミカは舞踊に打ち込むしかなく、それが結果的には舞踊家として大成したのだが……。

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毎日新聞社刊「毎日グラフ」より。「受奴」の衣裳。

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クラブ「スペースカプセル」でのショウ。


第13回「伊藤文学と語る会」

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11月17日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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2012年11月12日 (月)

目をとじると鮮やかに蘇る駒場の稽古場

 先妻の舞踊家、ミカが師事していたのが、邦千谷さんだ。千谷(ちや)さんは、1911年(明治44年)生まれで、2011年5月9日に100歳で亡くなられた。

『凛として、花として=舞踊の前衛、邦千谷の世界』と題する本が、「アトリエサード」から亡くなる3年前に、多くのお弟子さんの力で刊行された。
 ぼくも「目をとじると鮮やかに蘇る駒場の稽古場」と題して、文章を寄せているが、ブログに入れて残しておきたいと思う。

「わが女房、ミカと出会ってから事故死するまでの15年間。その間の邦千谷舞踊研究所での10年間。先生のよき指導が舞踊家、伊藤ミカを生んだ。
 ミカは養父母を捨てて、日本女子体育短期大学の2年生になったとき、伊藤文学の家にスーツケースひとつだけを持って、ころがりこんできてしまった。
 中学1年生の頃、子供のいない叔父さん夫婦のもとに幼女として、もらわれていった。養母は近所の目を気にして、何ひとつ家事をさせなかった。
 伊藤家にころがりこんできても、そこには伊藤の両親、姉と妹二人がいた。食事は伊藤の母が用意する。二人のための部屋もない。二階の六畳の部屋に、女三人いるところに寝ることになった。
 姉とすぐ下の妹は、まもなく結婚して家を出ていって、一番下の妹だけになったものの、くつろぐ場所がない。
 ミカにとって夕食の時間が一番嫌だった。食事は母が作るのだが、待っている時間が耐えられなかった。
 邦千谷舞踊研究所に通うようになった理由はそこにあった。学校の勤務が終わると、そのまま研究所に。そして稽古が終わると、帰ってきてひとりで食事をする。そして片づける。その方がよほど気が楽だったのだろう。ミカはこんなことを書き残している。
「大好きな舞踊でもやってみたら、私は私自身を見失わないでいられるかも知れない。いろいろと考えた末にそう結論付けると、九月の二学期が始まると同時に、私は駒場にある邦千谷舞踊研究所の門をくぐりました。
 舞踊の経験は? という先生の質問に、私は初めてですと答えると、小学一年生になった気持ちで、本当に楽しい稽古の二時間を終えました。
 汗でびっしょりになった稽古着をかかえると、下北沢の駅から家までの暗い道をスキップして、とぶように帰った日のことを私は忘れることはできません。」
 邦千谷舞踊研究所に入所して二年目には、1960年2月12日、日本青年館ホールで開催された『渇いた像』に先輩たちに交じって出演している。
 翌年の1961年1月28日、赤坂の都市センターホールで、千谷さんの師匠の邦正美舞踊公演『黄色い時間』にもミカは出演している。
 1962年1月27日、竹内則子、川名かおる、松前美奈子、伊藤ミカの四人により、新宿厚生年金会館ホールで、『DANCE ACTION』が催された。
「読売新聞」の城南版が、昭和37年1月24日付けで「創作舞踊発表する若い四人、働きながら練習一年」の見出しで取り上げてくれた。」

 千谷さんは、ご主人が当時の社民党の機関誌「社会新報」の記者をされていたので、左翼的な思想の方だった。ミカは独立してから、「性」をテーマにした舞踊を創作していたから、千谷さんにとってはあまりいい弟子ではなかったのかも知れない。(つづく)

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第13回「伊藤文学と語る会」

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11月17日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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2012年11月10日 (土)

「家をとられた」「悪代官」と言ったのは本音だ!

 ブログに感想を寄せてくれる人、そんなに多くではないだろうが、更新してくれる猪口コルネ君が紙焼きにして見せてくれている。なにしろぼくは自分自身では見ることができないのだから、コルネ君が頼りだ。

 以前ネットでひどい悪口を書かれて、それを気にして自殺してしまった、韓国の女優さんの話を新聞で読んだことがあった。
 最近は子供のイジメでもネットで、いじめられることもあるようだ。
 正直な話、ぼくだってほめられればうれしいし、批判されれば、なれっこになっているものの気にはなる。

「薔薇族城、落城寸前に訪れた取材!」を読んでのコメントだ。古い『薔薇族』読者の方のようなので、かなり年配の方のようだ。

「学生時代に『薔薇族』2号(表紙が大好き)から購読を始めて、永長読んでいます。信用金庫の話が出ましたので、少々のコメントをお許しください。
「芝信用金庫に家をとられた」との表現は、正しくは約束に従って、伊藤さんが芝信金から受け取った多額のお金と、伊藤さんの家とを結果的に交換したということだと思います。
 それはお互いにかわした契約は、人間としての約束であり、「走れメロス」のテーマの約束を守ることと同じです。
 信用金庫は、地元の人から預かったお金を低金利で地元の企業に仲介する形式で貸している最も良心的な金融機関です。
 貸したお金が返ってこないと、元のお金を預けた地元の人に返すことができなくなります。
 芝信金の担当者の職員の方も、良心的に対応した結果、相当困ったと思われます。芝信金側自体も、良心的な地元金融機関だと思います。でも、当事者の伊藤さんの感覚は別だとは思いますし、微妙なことがいろいろあったと思います。
 もちろん、伊藤さんの「家をとられた」「悪代官」の表現はジョークだと思います。
 私の余計な一言をお詫びします。申しわけありません。」

 この方の言われていることは、100%そのとおりだ。まして古い『薔薇族』の読者の方からのコメントだから、ありがたく読ませてもらった。

 ぼくが住んでいた、50坪ほどの土地と、マンション(2LDK)の部屋を、担保として返せなかったときには芝信に渡す、それは約束事だから文句の言いようがない。
 確かに信金は、大手の銀行が相手にしないような、中小企業の面倒を見てくれる。この人の言う通りだ。
 ぼくは芝信会という、優良企業の人たちの懇親会の会長を20年以上も務めてきた。税金も多額に払っていたので、北沢税務署に表彰されたこともある。

 芝信会で年に1回、旅行会があると参加して、カメラ好きのぼくは写真を撮って、ロビーで何度も写真展を開いた。
 孫が通っていた小学校の運動会の写真もロビーで毎年写真展を開き、理事長もわざわざ見に来てくれた。
 会社の経理は、女房や次男の嫁にまかせていたので、数字に弱いぼくは信金に顔を出すことは少なかったが、景気のいいときは、ぼくが顔を出すと、支店長も出てきて支店長室に招き入れられる。

 ここからが問題だ。落ち目になったときの信金の対応の仕方だ。これは落ち目になって地獄を見た者でないと理解はできない。
 芝信の向かい側のマンションの持ち主は、一軒は夜逃げし、もう一軒の奥さんは、飛び降り自殺した。「家をとられた」「悪代官」は、ジョークではない。本音なのだ。

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古いピアノも朽ち果てるのか


第13回「伊藤文学と語る会」

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11月17日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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2012年11月 5日 (月)

「文學の小路」という石柱を建てたい!

 代田川が流れる桜並木、今は世田谷区の土木公園課が長い時間をかけて、どぶ川になってしまったのを暗渠にして下水を流し、その上を再生した水を流して美しい緑道に変えた。

 ぼくが生まれた昭和7年(1932年)頃に植樹された、ソメイヨシノの桜の木は老木になり、植えかえられたものもあるが、80年経った今も、ぼくと同じように多くは元気で花を咲かせている。
 桜の寿命も80年ぐらいで、日本人の男性の寿命も80歳だそうだ。ぼくも80歳を越えてしまったから、そろそろ形になって残るものをと考え出している。

 東京オリンピックの年に生まれた、ぼくの長男の文人は、中学生の頃から大学は京都大学の理学部と決めていたようだ。
 ノーベル物理賞を授賞した、湯川秀樹を輩出した大学だ。ぼくは数学はまったく苦手だが、女房の血を受け継いだのか、息子は数学が得意だった。
 桐蔭学園高校の教師は、東大受験を進めたが、なんとしても京大と意思を曲げなかった。
 ストレートで入学できたが、住居を探さなければならない。たまたま京都で乗ったタクシーの運転手が親切な人で、御所の近くの1DKのマンションを探してくれた。
 息子が京都に住むことになり、ぼくは初めて京都に行くことができた。小学校6年生のときは、敗戦の一年前で修学旅行どころではなかったからだ。

 下鴨神社のすぐそばにあったと思うけれど、関西の画壇では有名だった芝田米三さんの息子の嫁だった方が、画廊を開かれていた。そこに立ち寄るようになって、芝田さんの美人の奥さまとも親しくなり、ぼくがコレクションをはじめていた、パリの抒情画家、ルイ・イカールのファンだということも知った。
 確か画廊は「エンジェル」という名だと思うが、そこで「イカール展」を開催することができた。当然、芝田米三さんも見にきてくれて親しくなり、鴨川沿いの料亭に招待もしてくれ、一見さん(紹介のない客)には泊まることができない、名旅館の「柊屋」にも、女房とふたりで泊まることができた。

 京都のあちこちも見学ができたのは、息子が京都大学に入学できたお蔭だ。もっとも印象に残っているのは、「哲学の道」沿いにあった、カフエ「若王子」だ。
「哲学の道」と名付けられたのは、哲学者の西田幾多郎さんがよく散歩された道なので、そう名付けられたのだろう。
 ブログを更新してくれている猪口コルネ君が、カフエ「若王子」の書き込みを紙焼きしてくれたのを読んだら、写真もつけられていて、すでに廃墟になっているようだ。
 経営者は栗塚旭さんという俳優の方で、大河ドラマ「新撰組」で、土方歳三の兄、為次郎役を演じた方だ。1970年に放送された「燃えよ剣」では土方歳三を演じ、不世出の土方と言われたが、役者としてイメージが固定してしまい、それが弱みになったようだ。
 ぼくはこのカフエに入って、この経営者はゲイの方だと直感した。アンティークをうまく使って、ゲイ感覚で見事に表現されたお店だった。10年も前から店を閉じ、廃墟になっているとは。ぼくの美術館と同じように。
「哲学の道」からヒントを得て、斎藤茂吉の歌碑を建て、その横に「文學の小路」の石柱を建てたいと思う。

 ぼくの名前が永遠に残るのではというものだ。「哲学の道」の「学」は略字になっているが、ぼくは「學」と正字にしたい。「道」も「路」の方が格調高い。「文學の小路」。なんともいいネーミングではないか。

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京大生だった頃の息子と京都で


第13回「伊藤文学と語る会」

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2012年11月 3日 (土)

逞しい制服姿の警察官に燃える!

 ぼくがいつも使っている小学館刊の「新選国語辞典」には、「フェティシズム」のことを「石や木片などを神聖なものとして崇拝すること・異常性欲のひとつ・異性の身につけているものに性欲を感じること」とある。
 編纂された方は、すでに亡くなっている方たちだ。同性が身につけているものに性欲を感じる人のことなど、考えもつかなかったのだろう。

『薔薇族』の読者には、いろんなフェチの方がいた。京都市に住む児玉重夫さん(23歳)は、制服願望が強い方だ。辞書には異常性欲のひとつと決めつけているが、誰しも多少の願望を持っているのでは。
 ぼくも読者から借りて、陸軍大佐の軍服を身につけたことがあったが、そのときのきりっとした気分は忘れられない。

「私の場合、ひ弱だったせいか、強いもの、逞しいものへの憧れを少年の頃から持っていました。
 ことにいかめしい軍服や、軍靴、警察官の制服などには強い愛着を覚えました。たんに格好がよいとか、勇ましそうで好きだといったものではなく、それ以上にもっと強烈な、性的な興奮をともなって、それらを眺めました。
 そしてまた、見るからに健康で、がっちりとした筋肉と、野性的な風貌と、底力のある大きな声をした男に出会うと、「彼になりたい」「彼のようでありたい」と思うと同時に彼の衣服を、この身につけたいという欲望を強く感じるのでした。
 よくバスの中や、エレベーターの中などで体格のいい制服姿の警察官を見つけると、ひそかに彼を眺め、それから何気なく彼のそばに行くのでした。そうして後ろめたい気持ちと気づかれはしないかという心配とで、胸をドキドキさせながら、恐る恐る彼のそばに立つのです。
 目をとじて全神経を嗅覚に集めて、その男らしい匂いを吸いこみます。空想の中で、私はその制服を荒々しくはぎとり、自分の服と着がえます。見ただけでふるいつきたくなる衝動をじっとこらえて、想像の世界を広げていきます。
 生あたたかい湿りをもった彼の下着、くつ下からパンツ、シャツと次々と、その男の体臭と体温のこもったものをすべて身につけていきます。
 そしてあのザラザラした肌触りの制服が身を包むときを想像すると、もう体中が熱くほてってきて、背中はじっとりと汗ばんできます。
 あの幅広い革のバンドは、男の汗が染みついていることだろう。あの制服にはポマードの匂いがしみこんでいることだろう。ああ、そう思うだけで私はもうたまらないのです。
 頭はくらくらとしますし、口の中はカラカラに渇き、目はボオーッとしてきます。
 そして火のように熱く、はち切れそうになっている私の大切なものを、人に気づかれはしないかと心を痛めるのでした。
 私は自分の悲しい行為をさげすまないではいられませんでした。そして私の貧弱な体格と柔和な色白の顔立ちをいたく卑下し、それがなおいっそう彼らへの欲望をつのらせるのでした。
 いく度となく、繰り広げられる空想の中で多くの警察官や、兵士たちや、有名なスポーツ選手や、映画俳優たちが私によって次々と襲われ、犯されていきました。
 私は夜、床の中でねむりつく前に、世にも奇怪な想像を行うのでした。(後略)」

 この時代、スポーツジムなどなかったから、肉体をきたえるチャンスはなかったのだろう。三島由紀夫さんのように、肉体を改造したらこの人、どんなことになったことだろうか。

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表紙絵・大川辰次

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第13回「伊藤文学と語る会」

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11月17日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

 

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2012年11月 1日 (木)

第13回「伊藤文学と語る会」

来る11月17日(土)、下北沢「邪宗門」にて、第13回「伊藤文学と語る会」を開催致します。

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11月17日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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