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2012年11月12日 (月)

目をとじると鮮やかに蘇る駒場の稽古場

 先妻の舞踊家、ミカが師事していたのが、邦千谷さんだ。千谷(ちや)さんは、1911年(明治44年)生まれで、2011年5月9日に100歳で亡くなられた。

『凛として、花として=舞踊の前衛、邦千谷の世界』と題する本が、「アトリエサード」から亡くなる3年前に、多くのお弟子さんの力で刊行された。
 ぼくも「目をとじると鮮やかに蘇る駒場の稽古場」と題して、文章を寄せているが、ブログに入れて残しておきたいと思う。

「わが女房、ミカと出会ってから事故死するまでの15年間。その間の邦千谷舞踊研究所での10年間。先生のよき指導が舞踊家、伊藤ミカを生んだ。
 ミカは養父母を捨てて、日本女子体育短期大学の2年生になったとき、伊藤文学の家にスーツケースひとつだけを持って、ころがりこんできてしまった。
 中学1年生の頃、子供のいない叔父さん夫婦のもとに幼女として、もらわれていった。養母は近所の目を気にして、何ひとつ家事をさせなかった。
 伊藤家にころがりこんできても、そこには伊藤の両親、姉と妹二人がいた。食事は伊藤の母が用意する。二人のための部屋もない。二階の六畳の部屋に、女三人いるところに寝ることになった。
 姉とすぐ下の妹は、まもなく結婚して家を出ていって、一番下の妹だけになったものの、くつろぐ場所がない。
 ミカにとって夕食の時間が一番嫌だった。食事は母が作るのだが、待っている時間が耐えられなかった。
 邦千谷舞踊研究所に通うようになった理由はそこにあった。学校の勤務が終わると、そのまま研究所に。そして稽古が終わると、帰ってきてひとりで食事をする。そして片づける。その方がよほど気が楽だったのだろう。ミカはこんなことを書き残している。
「大好きな舞踊でもやってみたら、私は私自身を見失わないでいられるかも知れない。いろいろと考えた末にそう結論付けると、九月の二学期が始まると同時に、私は駒場にある邦千谷舞踊研究所の門をくぐりました。
 舞踊の経験は? という先生の質問に、私は初めてですと答えると、小学一年生になった気持ちで、本当に楽しい稽古の二時間を終えました。
 汗でびっしょりになった稽古着をかかえると、下北沢の駅から家までの暗い道をスキップして、とぶように帰った日のことを私は忘れることはできません。」
 邦千谷舞踊研究所に入所して二年目には、1960年2月12日、日本青年館ホールで開催された『渇いた像』に先輩たちに交じって出演している。
 翌年の1961年1月28日、赤坂の都市センターホールで、千谷さんの師匠の邦正美舞踊公演『黄色い時間』にもミカは出演している。
 1962年1月27日、竹内則子、川名かおる、松前美奈子、伊藤ミカの四人により、新宿厚生年金会館ホールで、『DANCE ACTION』が催された。
「読売新聞」の城南版が、昭和37年1月24日付けで「創作舞踊発表する若い四人、働きながら練習一年」の見出しで取り上げてくれた。」

 千谷さんは、ご主人が当時の社民党の機関誌「社会新報」の記者をされていたので、左翼的な思想の方だった。ミカは独立してから、「性」をテーマにした舞踊を創作していたから、千谷さんにとってはあまりいい弟子ではなかったのかも知れない。(つづく)

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第13回「伊藤文学と語る会」

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11月17日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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