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2012年11月17日 (土)

ミカと出逢えたことは幸せ?

「川名かおるは日雇労務者、竹内則子は国会図書館食堂のレジ係、世田谷区立松沢中学校の体育教師のミカ、松前美奈子は電電公社の交換手と、それぞれが仕事をしながら、給料とボーナスをつぎこんでの公演というところに、マスコミが興味を持ってくれたのだろう。
『週刊女性』の1月17日号には、「たとえ名もなく貧しくとも=創作舞踊にかける四つの青春」と題して記事にしている。
 1962年6月5日、新宿厚生年金会館大ホールで、邦千谷創作舞踊公演『明けない夜の死者のしるべに』が催された。

 安保闘争で亡くなられた、樺美智子との対話をもとに創られたものだ。この作品には、まったくの素人も舞台に参加することになり、伊藤文学も舞台を踊りながら、横切るだけだが、ライトを浴びるだけの貴重な経験をした。
 邦千谷先生のところで稽古を続けること10年。ミカは独立して「伊藤ミカ ビザ―ルバレエグループ」を結成した。1966年、昭和41年の10月のことだった。
 翌年の1967年、昭和42年、永年あたためていた、フランスの地下文学の傑作、『O嬢の物語』を舞踊化して話題になった。

 その後、松沢中学校の教師をやめて、舞踊ひと筋の道に入る。それからのミカは、すさまじいまでに意欲的に新しい試みに挑戦していった。
 1968年、昭和43年の12月に栗田勇の『受奴』を舞踊化して、舞踊家としての地位を確立した。

 邦千谷門下生で、独立して活躍した人は、ミカしかいない。1969年の二年間は、赤坂のクラブ「スペースカプセル」でのショウなど、さまざまの新しいことに挑戦して、マスコミの話題になった。

 そして1970年、昭和45年、1月11日、33歳の若さで、風呂場での酸欠で亡くなった。
 日本が最高に活気に満ちあふれていた1960年代を疾風のように駆けぬけた伊藤ミカ。
 東大の教育学部がある井の頭線の駒場にあった稽古場、ぼくもよく訪れたので、目をつぶるとあざやかによみがえってくる。」

 ミカと夜汽車の中で出会って、そして翌年には、わが家にころがりこんできての最初の、相思相愛の仲だった二年間、そして亡くなる前の、ミカの舞踊を支えての二年間がなかったら、ミカは浮かばれまい。
 あとの10年間は、ミカは舞踊ひと筋だった。その間の10年のぼくは、ミカから心が離れていた。
『裸の女房』(彩流社刊)にサインするとき「ミカと出逢えたことの幸せ」と書いてはいるが……。

 戦後の昭和23年に父が興した株式会社、第二書房には社員はひとりもいない。ぼくが手伝うしかなかった。駒大時代から父の使い走りをさせられ、大学を出てもそのままの生活だった。
 まったく生活力のないぼくのところへ、ころがりこんできたミカ。父は吉田絃二郎という作家を敬愛して、第二書房の処女出版も、絃二郎の著書だった。
 吉田絃二郎が亡くなったときから、わが家は一変してしまった。絃二郎の相続の後始末を父がしていたが、その遺産を受け継いだ、お手伝いのおはるさんと、父はデキてしまい、仕事はぼくまかせに。

 仕事のやりがいはあったものの、まったくひとりで月に一冊ずつ新刊を出し続けたのだから、忙しくてミカのことなどかまっていられなかった。
 固い出版物から、一気にエロ本の出版へと方向転換。ミカは舞踊に打ち込むしかなく、それが結果的には舞踊家として大成したのだが……。

121a
毎日新聞社刊「毎日グラフ」より。「受奴」の衣裳。

121b
クラブ「スペースカプセル」でのショウ。


第13回「伊藤文学と語る会」

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11月17日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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