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2012年12月29日 (土)

生きていることのよろこびを!

133a  1976年(昭和51年)7月発行、No・42の『薔薇族』で、創刊5周年になる。

 創刊のときから、ゲイの世界のことをくわしくは知らないぼくを助けて、力を貸してくれた人が、間宮浩さんと、藤田竜さんだ。

「創刊5周年を祝って、昨日・今日・明日」と題して、間宮浩さんが寄稿してくれている。

「昨日のこと=ホモではない伊藤文学氏が、ホモマガジンを創刊したことの疑問について、知っているのは、3人しかいない。

 つまり仁科勝(NHKのエリート社員で、三島由紀夫と交流もあり、小説も数多く書いてくれた。後に『薔薇族』にかかわったことで、出世ができなかったと言われてしまったが)

 藤田竜、そして私である。

 悪くいえば、この3人が伊藤文学氏をたきつけた。良くいえば、アドバイザーとして、『薔薇族』は創刊され、そして5周年になる。

 最初、「薔薇」というタイトルにしたかったが、これはすでに商標登録されていた。ホモと薔薇とは、なにか特別の関係があるのかと、よく質問されるが、まったくなにもない。

 以前「薔薇」というタイトルの、わずか5百部の同人誌のようなホモ雑誌があった。

 その「薔薇」の命名は、「風俗奇譚」の編集長、高倉一氏と、私が相談してきめた。そのとき、「アポロ」、「ナルシス」のような、ホモ的なものでなく、花の名のようなもの、ということに結論がでて、「薔薇」と決めた。

 市販する雑誌では、「薔薇」のタイトルは使えないので、伊藤文学氏が読者に連帯感をもたせたいと「族」をつけ加えた次第である。

 第二書房の出版した単行本、「ホモテクニック」の売れゆきのよさに、続々と単行本を企画して出版した。
 
 かつてホモに関する内容の本は、成功しないとされていた。つまりタブーであったのを、時代の流れは変えてしまった。

「薔薇族」の創刊と同時に、一斉にマスコミがとりあげてくれた。それは営業的には幸運な出だしであった。

 しかし、当時としては片隅で、こっそりと生きてゆくつもりの方針もあったが、号がすすむにつれて、社会的な使命感のようなものが大きくふくれあがっていった。つまりホモが異常視されなくなる日のための運動に変わっていった。

 今日のこと=伊藤さん、あなたはホモと関わりをもったことで、幸福であったか、また不幸であったか、私はそれを知りたい。
 
 おそらく両方だろう。人生そのものがそうであるように。毎日、毎日、ホモの人たちの相談ごとを、それこそ耳にタコができるほど、この5年間、聞かされてきたわけだ。

 電話が一日、30本として、5年間に約5万4千本。そして手紙による相談、それに面接の数々。
 
 そのすべてはおそらく男不足に対する悩みだろう。日本中で一番多くホモの相談に耳をかたむけたのでは。しかも冷静にうけとめたのではないだろうか。
 
 そして、そのことは、ストレートに雑誌に反映していったのだろうか。

 明日のこと=現状に満足することなく、たえず飛躍する雑誌「薔薇族」であってほしい。期待を裏切ることのないための努力をしなくてはいけない。
 
 生きているよろこびを味わう雑誌づくりこそ、編集人としての責任であり、生きがいであるはずだ。全国の隅々に生活している、ひとりひとりの生活の中にも、とけこんでいく雑誌にしてもらいたい。」

133b  亡くなるまで「薔薇族」のことを考えてくれていた、間宮浩さん。手紙をもらって、間宮さんのマンションの部屋を訪ねたときのことを忘れることはできない。
 
 雑誌はなくなってしまったけれど、ブログで語り続けていきたいものだ。

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