『薔薇族』は、ゲイの文化や芸術を伝えてきた!
『薔薇族』は、欲望を刺激するだけの雑誌ではなく、ゲイの文化や、芸術を伝えるための雑誌でもあった。
2001年の10月号(No.345)から、岡田修さんの「エロエロ・エッセイ」の連載が始まった。岡田さんは若い頃、アメリカに留学されていたので、語学は達者で、古今東西のゲイ文学に精通していた。
その頃は関西地方の大学の英文学の教授をされていたが、11年の歳月が流れているから、退職されているかもしれない。
多才な方で小説も何篇も書かれ、投稿してくれた。男絵のコレクターでもあり、東京の画廊にも来られて、甲秀樹君の絵なども購入されていた。新潟のぼくの美術館にも見にこられ、無名の画家の絵でも作者の経歴を調べてくれた。
それがあることがあってから、「連絡しないでくれ」と言われて、それっきりになっている。学校にゲイであることを知られるのを恐れたからだろう。ぼくも約束を守ってきたから、彼のその後の消息は分からない。
エッセイの一回目は、「美しい病気・山崎俊夫の不可思議世界」と題する文章だ。学者ってすごい。多くの文献を読まれて書いている。山崎俊夫という大正時代に活躍された作家を、本を読まないぼくは知るわけがない。
文藝春秋社の創業者である、菊池寛と親交があったようだ。文藝春秋社の子会社の「文春ネスコ」から、2001年の12月に、ぼくの著書「編集長『秘話』」を刊行してくれたので、何度も文藝春秋社を訪ねたことがある。
文春ネスコのこのときの社長は、菊池夏樹さんで、菊池寛さんのお孫さんだ。広いロビーの応接室には、菊池寛さんの胸像が飾られている。社長にぼくは「菊池寛さんはゲイだったんですか?」と聞いたら、「そうだ」と答えられた。
岡田修さんが菊池寛のことも書いている。
「意外なことに、山崎俊夫のファンで、彼とも親交があったのです。(中略)
調べてみると、菊池は学生時代、容貌に対するコンプレックスのせいか、女嫌い(女は好きだが、あえて寄せつけない――振られるのが恐かったからでしょう)の傾向があり、西鶴の『男色大鑑』を愛読していたそうです。また、西欧の同性愛文学にも興味を持っていたらしく、大正3年、京都帝大の学生の時、『病的性欲と文学』という小説を書いています。
そのなかで近代の西欧文学では同性愛を扱った作品は乏しいけれど、日本には山崎俊夫がいると力説し、「夕化粧」は「愛情の畸形たる同性性欲の唯一の文学化」であると、高く評価しています。
更に同じ年に、「山崎俊夫氏」という山崎の作品を誉め称えた文章も書いています。山崎の「菊池寛兄におくる手紙」というエッセイによると、その頃、まだ慶応の学生だった山崎に、菊池が京都からファンレターを送り、数年後に東京で会うまで、手紙の往復があったそうです。
菊池が学生時代に書いた、この「山崎俊夫氏」という賛は、今まで私が目にした山崎に対する讃辞として最も印象的なものです」
文藝春秋社の応接室で、コーヒーをのみながら、何度も菊池寛さんのブロンズ像を眺めたが、確かに男として、不細工な顔だ。だからといって、岡田さんの言うように、劣等感から、女性に恋をしたら、ふられるのではないかという思いから、女嫌いになったということは絶対にない。
岡田さんも自分がゲイであることを人に知られるのを極度に恐れていた。しかし、岡田さんの才能はすばらしい。このエッセイ、どのくらい続いたのか。まとめて一冊の本にしたらと思うくらい。『薔薇族』は、ゲイの文化や、芸術を伝えてきたことは間違いない。
第14回「伊藤文学と語る会」
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12月15日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。
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