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2013年1月26日 (土)

人間、身についたものは忘れない!

 2011年の6月6日のことだった。6日というのは、女房の兄であり、わが第二書房の製本を一切ひき受けてくれていた、越後堂製本の社長だった小林忠さんが、ガンで亡くなられた命日だ。

 どれだけお世話になったか分からないほどの小林社長だったし、女房は経理の仕事を手伝っていて、そこで知り合って結婚したのだから、命日にお墓まいりはかかさなかった。

 その日も車をぼくが運転して、小石川の植物園の近くの小林さん宅に、未亡人を訪ね、茖荷谷の近くのお寺にお参りする。

 そのあと食事を三人でして、おしゃべるするのが楽しみだった。共同印刷のある通りは広い道で、桜の名所でもある。両側はコインを入れて駐められる駐車場になっている。

 丁度、イタリアン・レストランの前が空いていた。そこに駐めることにして、二人を下車させて、バックして入れようとしたが、ぼくは、もともとバックは苦手だ。後ろにはドイツ製の高級車が駐まっていた。あせっていたのか高齢者がよくやる、ブレーキとアクセルを踏み違えるという事故だ。

 ど~んと後ろの車にぶつけてしまった。後ろの車の持ち主もレストランで食事中だった。幸いなことに保険に入っていたから、すぐに警察と保険会社に電話をかけた。

 ぼくの車はたいした傷ではなかったが、後ろの車は高級車だ。なんとか保険会社がすべてを処理してくれて、事なきを得たが、百万円ぐらいかかったようだ。ぼくの車の修理代も17万ぐらいもらって助かったが、保険ってありがたいものだ。

 事故のあと車を運転して、わが家に帰ってきて、なにごともなく駐車場に入れた。それからのことだ。車に乗ったら、すぐにブレーキをふんでしまって、車が前にすすまない。車が故障したのかと思って、ずっと入会して長いことになる、JAFという事故をおこしたときに電話をかければ、すぐに駆けつけてくれるところに連絡した。

 すぐにきてくれて、車をよく点検してくれたが、異常はなかった。どうやら精神的なもののようで、恐怖感がよみがえるので、からだが自然に反応して、ブレーキをふんでしまうのだ。

 この時から、運転をやめてしまった。

 それから2年近くの歳月が流れてしまった。免許の期限がきれてしまうので、更新するためには「高齢者講習」を自動車学校で受けなければならない。

 3年前にも講習を受けているから、どんなことをやるのかは分かっている。教習所の中を運転して走るのだが、今回は2年近くも車に乗っていないのだから不安だった。

 いろんな検査を受けて、最後は教官が助手席に乗って走るのだ。ぼくは昭和39年7月に、今度、講習を受けている「上北沢自動車学校」で指導を受けて、免許を取ることができた。

 昭和39年(1964年)といえば、東京オリンピックが開催された年だ。教習所の指導がよかったのか、それから50年近く、たいした事故もおこさずに車に乗ってこれた。

 身についたものって、人間忘れないものだ。丁寧に指導してくれた、斎藤孝行教官が助手席に乗ってくれているので、安心して何事もなくすいすい走れるではないか。

 検査の結果も良好だし、斎藤さんに相談したら「まだまだ大丈夫、乗れますよ」と、太鼓判を押してくれたので、「よし、また乗るぞ」と自信が湧いてきた。

 経堂駅まで送ってくれるバスが出る時間を待っている間に、テレビのニュースを見ていたら、乗用車が喫茶店にとびこんだ映像が。翌日の読売新聞には、カラーで写真が。運転していたのは、ぼくと同じ80歳の老人。さてさて、どうしたらいいものだろうか?

(免許をこれからとる方、上北沢自動車学校がおすすめ。斎藤さんを訪ねて下さい。)

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毎週『薔薇族』初代編集長・伊藤文学さんに、ちょこっとインタビューする「今週の文学さん」。今回は、あえて「百合」について訊いてみました。


 

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