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2013年2月16日 (土)

蚤と格闘した歌人の斎藤茂吉

 今時の若者は、蚤や虱という人の肌をさす、虫を見たことはないだろう。蚊だって、どこの家でも窓には、網戸がついているから、家の中では蚊を見ることも少なくなっている。

 昔はどこの家でも使っていた、緑色の渦巻きの蚊取り線香も、都会では売れなくなっているだろう。テレビで見たが、アフリカのどこかの国では蚊取り線香がヒット商品になり、なつかしい蚊帳も、現地の工場で作られ売れているそうだ。

 戦争中から戦後にかけては、石鹸が手に入らず、衣服が汚れたままだったし、アメリカ軍の空襲がひどくなってきて、ねまきに着がえることもできなかった。

 朝、ふとんをたたもうと、持ちあげると、蚤がぴょん、ぴょんとびはねる。大きさは2、3ミリぐらいなのに、2、30センチの高さまでジャンプするのだからすごい。それを指の先ですばやくつかまえてつぶす。それが毎日の仕事なのだ。

 虱は、もっとたちが悪い。おふくろが下着類を大きな鍋で、煮立てて殺したものだ。

 歌人の斎藤茂吉も、戦時中、山形の疎開先で、蚤には悩まされたようだ。息子の北杜夫さんの著書『茂吉晩年』(岩波書店刊)に、面白いことが書いてある。

「茂吉を悩ましたのは、5月に入ると、のみが出始めたことである。

「君、驚いたよ。もうのみが出た。それで昨夜は眠れなかったっす。難儀して看護婦さんに手伝ってもらって、夜半にやっと捕まったっす。ほれ、こいつだっす。」

 そして、枕元にある紙片の上のつぶされた蚤を示した。そのうち、茂吉は、捕まえた蚤を、縫針に串刺にして枕元に置くようになった。

 2、3匹を刺し通していることもあった。それを寝ながら目の上にかざして見、「この大きな奴は、今朝、捕って刺しておいたんだが、まだこうして生きてるっす。なかなか頑強で死なないもんだなっす。まさに恐るべき生命力だっす。」

 と、感に堪えぬという口調で言った。(中略)

 茂吉は蚤を捕らえるにも極めて不器用であった。大石田でも、板垣さんはその様子をくわしく見ている。まず掛布団を静かにめくってゆく。蚤を見つけると、右手の人差し指を唇に持ってゆき湿りをつける。その間に蚤は跳ねてしまう。

 結局逃げられてしまうと、いまいましそうにチッと舌打ちをする。看護婦さんや、板垣さんに捕まえてもらうことが多かった。蚤のすばやさと、自分の不器用さを承知しているから、人がうまく捕らえると、大げさに讃めた。

「いや、うまい、うまい。君は名人だっす。」

 病が癒えたあとに次のような歌がある。

 わがために夜の蚤さへ捕らへたる看護婦去りて寂しくてならぬ

 蚤を針刺しにしたのも看護婦の千代であったらしい。のちの随筆では彼女に「ハリツケでございますよ」と語らしている。

「蚤がいつまで生きているか見るんだっす。もう3時間もなるんだから、あとどのくらい生きてるかなっす。」

 茂吉は蚤に悩まされてきたが、このようにごく好奇心が強かった。

 昭和の柿本人麿とも称せられた、大歌人の斎藤茂吉が、蚤と大格闘して、大騒ぎしている姿は、いかにもユーモラスだ。

 戦中から、戦後にかけて、ぼくも蚤や、虱には悩まされたが、ごきぶりとも出会えなくなった今の時代、いろんな虫たちに囲まれて生活していた時代の方が、心豊かだったような気がしてならないのだ。

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第16回「伊藤文学と語る会」

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2月16日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「つゆ艸」
住所:世田谷区代沢5-32-13 露崎ビル1F TEL 03-6805-5385

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

 

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