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2013年2月 4日 (月)

日本で最初と言われたゲイホテル「竹の家物語」

 大阪で万博(昭和45年・1970年)が開かれたとき、海外からも多くのお客さんがやってきたが、その中には、ゲイの人たちもいたに違いない。

 口こみで伝わっていたのか、雑誌などで知られていたのかは知らないが、大阪にあるゲイ旅館「竹の家」は「グリーンハウス」と呼ばれ、万博の会場などに行かずに、「竹の家」に足繁く通っていた外人の話を聞いたことがある。

 いつ訪ねたのか、忘れてしまっているが、『薔薇族』創刊の頃から、ゲイのことを知らないぼくに、いろいろと教えてくれた、間宮浩さんという恩人のような方がいた。

 間宮さんに連れられて「竹の家」に行ったことがある。戦後、建てられた粗末な旅館で二階建てだったが、ベニヤ板で仕切られた部屋で、とにかくその匂いたるや、ものすごい臭さで、とても長くはいられなかった。多くの人の精液がとびちり、ふとんや壁にしみついているのだから……。

 志賀淳さんという、よく小説などを投稿してくれた方がいた。『男がくれたもの―僧侶とやくざと』(昭和48年刊)と、もう一冊『ごんぞうの男』と、単行本にして出版したこともある。

 その志賀淳さんが、『薔薇族』第27号(昭和50年4月1日発行)に、「竹の家物語=魂と肉体の安住の地」と題して投稿してくれている。

 この号は最初に風紀係に摘発されて、発禁処分を受けた号だ。写真ではなく、嵐万作さんの「男色西遊記」と、岩田大造さんの「体験告白記・野郎はいいぜ」の性描写が露骨で、わいせつだということだった。

 今、読み返してみて、ここまで書いていいのかと思うくらいの描写で、当時としては発禁も仕方がなかったのでは。その号に載っていたのが「竹の家物語」(昭和31、2年頃に創設)だ。これは日本で最初のゲイホテルというのが定説になっているので、記録しておくべきだろう。

「竹の家への道順ですが、阪急電車の梅田駅より地下鉄のアベノ行きで15分ばかり、動物園前下車。

 地上に出たところが丁度、飛田商店街の入口になります。狭い商店街をまっすぐに行くと、途中に電車の踏切りがあり、さらに50メートルばかり行くと、左手に喫茶店の「ニュープリンス」があり、少し行った右手に大きなパチンコ店があって、そこを右へ入った路地の奥が、竹の家旅館です。

 初めて訪れた人は、商店街の人に場所を訪ねても、さあと首をかしげられ、探すのに大変苦労するようです。

 イチゲン(初めての客)の人には、紫色の扉の玄関で、宿の男が一応警戒のそぶりを示すようですが、何か言ったら、「大丈夫、友達から聞いてきたんだから……」と言えば、すぐにOKです。

 宿には3時間単位の休憩と、終夜の泊まりとがあって、入口の下足番のオッサンが「どちらにしますか?」と、訪ねます。休憩は地元の近くの人たちに利用者が多いようです。

 今は着換室は全部ロッカーになり安全です。初めての人で大部屋のザコ寝が気がひけるというのなら、一応、個室(4畳半)をとって、旅館の中をあちこち見学して廻るのも、また面白いでしょう。

 1階は個室ばかり6部屋ほどで、2階は階段のとっつきに、16畳と、12畳ほどの大部屋と奥まった所に、10畳ばかりの大部屋。その間に廊下を距って、6畳ばかりの中部屋が二つ。

 建物は古い木造で、内部の造作が雑然として汚く、風情のないことにかけては天下一品。」

 大阪出身で『薔薇族』に、イラスト・小説・映画評などを書いて支え続けてくれた、現在、85歳になる松下芳雄さんに電話してみたら、なんと昭和20年代に、「さくら旅館」「中島旅館」というゲイ旅館が存在したという定説をくつがえす証言を聞くことができた。この話は次に……。

144a
発禁になった1975年4月号

144b
ワイセツと指摘された作品「野郎はいいぜ」

144c
嵐万作の力作「男色西遊記」
この作品もワイセツと!

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Bungakusan  <今週の文学さん>「やらないか」山川純一について
毎週『薔薇族』初代編集長・伊藤文学さんに、ちょこっとインタビューする「今週の文学さん」。今回は、「やらないか」の『くそみそテクニック』でおなじみ「ヤマジュン」こと山川純一について訊いてみました。


第16回「伊藤文学と語る会」

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2月16日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出自由。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「つゆ艸」
住所:世田谷区代沢5-32-13 露崎ビル1F TEL 03-6805-5385

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初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

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コメント

大阪万博ってもうそんなに昔
であったんだ。45年もむかし。
若かったなあ僕も。竹の家に行ったのは
そんな時であった。外人が何人か来ているよう
であった。こちら若かったので年輩の
外人には目もくれなかった。
一人若い外人アメリカ白人のようなのが
うろうろしていた。彼はこちらには一向に見
向きしなかったので
こちらもシカトウの振りしながら
彼をちらちら眺めていた。
当時エイズのことがちらほら言わはじめた時代
であったが、皆あまり気にしていない
ようであった。不特定多数とバンバンやっている
人も何人かいた。羨ましくもあった。
こちらもてないタイプであった。
こちらはただ他人の行為を見る役しか
与えられなかった。
が今から思うとそれでよかったのかな。
そののちにエイズで苦しみエイズでなくなった
人の話をよく聞いた。そしてあの時ばんばん
やれていたら今頃はこちらの命なくなったいたかも。


投稿: | 2015年2月27日 (金) 11時36分

はじめまして。いえ、伊藤様にはかつてお会いしてお話をしたものではあります。
若い頃…といっても20歳そこそこ…
今から20年くらい前のある日。
月間雑誌「薔薇族」が廃刊になる前のまだ他誌が出たばかりの頃でしょうか?

そんなことはさておき、「竹の家旅館」…今では伝説になってますね。
実は、私も場所を知らなかったのです。今まで新世界の中にあったと先輩方から聞いてましたから、驚きました。
おそらく教えてくださった方々は、皆さんはっきり場所を覚えていないか、言い伝えで曖昧になっているか…
ですね(笑)
さて、太子2丁目…よく行くスーパー玉出の近く…今でも喫茶(旧純喫茶)ニュープリンスは健在ですし、おそらく記事に出ているパチンコ店「ニュー大阪遊技場」も健在です。
もしあの辺りなら数年前に火事があった一角。…
いずれにしろ未だに時間が止まった感がある地域です。
私の相方ももう数年前からこの近くで働いていまして…よく買い物などをしているから尚更自分のことのように「旧竹の家旅館」がどこにあったか知れてよかったです。
なるほど。その近くに「スポーツメンズ大阪」は後年できたのですね。
とにかく歴史的価値のある店を伝えていくことは大事と思っています。
記事に感謝します。

投稿: S | 2013年2月 6日 (水) 04時13分

はじめまして。いえ、伊藤様にはかつてお会いしてお話をしたものではあります。
若い頃…といっても20歳そこそこ…
今から20年くらい前のある日。
月間雑誌「薔薇族」が廃刊になる前のまだ他誌が出たばかりの頃でしょうか?

そんなことはさておき、「竹の家旅館」…今では伝説になってますね。
実は、私も場所を知らなかったのです。今まで新世界の中にあったと先輩方から聞いてましたから、驚きました。
おそらく教えてくださった方々は、皆さんはっきり場所を覚えていないか、言い伝えで曖昧になっているか…
ですね(笑)
さて、太子2丁目…よく行くスーパー玉出の近く…今でも喫茶(旧準喫茶)ニュープリンスは健在ですし、おそらく記事に出ているパチンコ店「ニュー大阪遊技場」も健在です。
もしあの辺りなら数年前に火事があった一角。…
いずれにしろ未だに時間が止まった感がある地域です。
私の相方ももう数年前からこの近くで働いていまして…よく買い物などをしているから尚更自分のことのように「旧竹の家旅館」がどこにあったか知れてよかったです。
なるほど。その近くに「スポーツメンズ大阪」は後年できたのですね。
とにかく歴史的価値のある店を伝えていくことは大事と思っています。
記事に感謝します。

投稿: S | 2013年2月 6日 (水) 04時11分

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