自衛隊のままでいい、国防軍なんてとんでもない!
これも父の切抜帳に貼ってあった写真だ。昭和16年9月1日(1941)太平洋戦争が勃発する何ヶ月か前に、なんの雑誌に載ったのかは不明だが、それから数年後に、日本の大都市は焼け野原になってしまった。
まさかそんな状態になるとは、この人たちは想像もできなかったろう。写真のタイトルも「待機」とあるから、まだ、せっぱつまった感じはなく、のんびりとしている。
撮影は片岡奈甫介さん、福島市の方で、(時局写真大懸賞人賞作)とある。防火用水(どこの家の前にも置いてあった)に腰かけて、赤ちゃんにお乳を与えている若い母親。今では見られない光景だ。
「超非常時を迎えて、防空訓練はいよいよ真剣だ。
ようやく敵機を撃退して、この間にと赤ちゃんにお乳をやる。
「あっ、空襲だ!」
鉄かぶとの坊やが、右手を空にかざして、大声で叫んだ。
「おどろかしちゃ駄目よ、赤ちゃんが眠りかけているから」
おとなりのおばさんが小さくにらんだ。
防空訓練、次の警報を待機している街の一風景」
「備えあれば、うれいなし」とは、現実にはうまくいかなかったが、こんなときもあったとは。
「模型飛行機」と題する写真。東京工芸社(東京市)の撮影だ。ぼくも子供の頃、よく模型飛行機を作って、とばしたものだ。
雑誌に少年飛行兵になるための体重とか、身長がかかれていて、その頃の子供にとっては将来の目的は軍人になるしかなかった。しかし、背が小さくて、やせているぼくには、どの条件もあてはまらなかった。
「今、国民学校(小学校のこと)では、工作の時間に、さかんに模型飛行機を作らしている。プロペラの調子はよいか、翼の加減はどうか、ほほえみながら熱心に製作している。
がぜん! 子供達の興味と注意は、空に向けられてゆく。あっぱれ、少年航空兵の夢を描いているものも沢山いる。
空を忘れて近代の国防はない。世界無比の空軍を完成するには、こうして少国民に、航空の思想と、知識をしっかりと植えつけていくことが、もっとも大切なことである。
9月20日は、空の記念日である。」
世田谷学園に入学した1年生のとき、朝礼で壇上にあがった上級生が予科練に入学するのを毎日のように送ったものだ。
終戦になってからの予科練帰りの学生たちが、心がすさんで不良少年になり、やくざになってしまったものもいた。
日本は二度と戦争などしてもらいたくない。シリアの人たちの傷ついた姿が現実とは。こんなに悲惨なことはない。自衛隊で充分だ。国防軍などと呼ぶようになったら、また、戦争をなんて考える人間も出てくるかも知れない。
日本と中国と戦ったら、どっちが勝つかなんて記事にする雑誌なんてとんでもないことだ。売らんかなかも知れないが、情けない話で、やめてもらいたいものだ。
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