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2013年4月 1日 (月)

宗教によって人間の考え方が違ってしまう

 外国人でキリスト教徒のモルフイさんという人が明治の終わり頃、公娼廃止、女郎の自由廃業の運動をはじめたとき、日本の社会の一般の人たちは、この運動に同情しなかった。

 

それは当時の日本人のすべてが、娼妓の実情を知らないで、娼妓という稼業は、きれいな着物を着て、おいしいものを食べて、面白い歌でも唄って、極楽のような生活をしているものだと思っていたからだ。

 吉原、中の町の不夜城は、立派な建物で、そこに出てくる傾城(けいせい・遊女のこと)は、美しくて義侠心があって、「まあまあ待ってくださんせ」と言えば、どんな荒くれ男も
抜いた刀をさやにおさめるという有様。

 美しい着物を着て、遊んで暮らすことにあこがれた一般人もいたが、現実は大違いで、苦界に陥って、もがいても、あがいてももうおっつかないのだ。

 そんな事実を知らない、一般の人は、娼妓を解放する、救い出すといっても、むしろ不思議に思ったに違いない。

 吉原京町二丁目、山本屋の勝山という遊女が、ちょっと風変わりな髪のゆい方をすれば、たちまち全国にそれが流行したのも、娼妓の生活をうらやんだからだ。

 西暦1609年(慶長14年)9月30日に、千葉県の海岸、岩和田に流れついた、ドン・ロドリゴという、前フィリッピン総督が、徳川家康の歓待を受けて、日本に滞在中に見聞した報告書には、「日本人には飲酒の悪癖がある。これより更に他の大きな悪事がある。それは自分の妻ひとりで満足しないで、多くの女を手に入れようとする。ときには百人を超えるものさえいる。

 しかし、婦人についての裁判沙汰は起こらない、公娼が京都だけでも5万人もいて、専属の医者がいて、性病にかかったものは隔離するから、誰でもその特別区画に入ることができて、これが問題を起こすことはない」と。

 二年ののちにロドリゴの歓待を謝すために訪れた、ピスカイノがスペイン本国に報告した文中に「世界に於いて、もっとも劣悪なものは、日本人は金銭のために、娘や、妻を売ることである」と言っている。

 1775年6月に日本を訪れた、スエーデン人のツンベルグは、その紀行文にこんなことを書いている。

「どんなに小さい村でも、大都会にでも、公開の遊女屋がある。日本人は旅人に対して親切で、ゆきとどいた接待をするから、その旅人に対して、美しい遊女屋を設けている。

 日本人はこの設備を決して不道徳だとは感じないのだ。ヨーロッパ人は、この国にくると、自分の国の先見も、宗教もふり捨てて日本流になってしまう。

 日本人はこの遊女屋に出入することを少しも恥としない。この遊女屋は法律によって保護されているからだ。高位高官の人も、遊女屋にきて客を接待する。

 淫欲の強い国民で、ぜんぜん羞恥の念がかけているのだと言い得る。」

 日本人の多くが考えていた娼妓と、西洋人の考えていた娼妓とは、その見方が非常に違っている。日本固有の神道でも、佛教でも、公娼制度を恥辱とも不道徳とも考えていなかった。

 西欧人が日本の公娼制度を不思議がり、不道徳よばわりするのは、彼らの祖先からのキリスト教の考え方である。明治年間に日本で廃娼を叫び出したのも、キリスト教徒からだった。

 昭和33年に売春防止法が施行されるまで公娼制度が続いたのも不思議だが、どこの国だってからだを売る女性も、男性もいる。人間の欲望って恐ろしい。

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コメント

ハワイにキリスト教宣教師が入って以後、フラダンスは「半裸で腰を振るなど不道徳である」として長い間禁止されていたといいますし、古代ギリシャにおいて売春婦は一種神聖な教養人として尊敬される存在であったという説もありましたね。
一方で、民族文化固有の伝統は尊重されねばならないとはいうものの、今日でもインドでは女性蔑視に起因する殺人やカースト差別が絶えないという話を聞けば「民族の文化は人類普遍の権利より重いのか」と疑問を抱かずにはいられません。
道徳観や価値観というものは影響し合い変わり続けてやがて一つに収斂して行く宿命なのでしょうが、果たしてそこに至るまで何千年掛かるのか。二千年前の出来事を巡って今も戦争を続ける人達を見るに、まだ先は長そうですね。

投稿: tom | 2013年4月 7日 (日) 05時08分

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