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2013年4月15日 (月)

雑誌作りは、お互いに素人で!

 1978年の1月に創刊した、東郷健さんの『THE KEN』を見つけ出した。『薔薇族』創刊後、7年後のことだ。

 創刊号を出すためには、いろんな苦労があるが、「編集後記」には、東郷さん、こんな苦労話を書いている。

「8月の末から、ザ・ケンを創刊するために何人もの人たちと、夜といわず朝未明まで討論したものであった。雑誌作りなど、この年齢になるまで、手伝いすらしたことがなく、構想はありながら、プロットに至るまで、何と二ヶ月もかかった。

 発売日は「特殊なホモ雑誌」との偏見で、印刷屋が次々と変更になり、ある人の尽力を得て、やっと創刊の運びになった。

 雑誌作りに手伝ってくれた人々は30名を越え、それが全て無料奉仕であった。(後略)」

 ぼくが創刊した『薔薇族』は、ずっと以前から仕事を出していた印刷所だし、製本所は女房の兄が経営している製本所だから、問題はなかった。

 まだまだ、この時代には世間の偏見があったことは確かだ。新宿の電鉄系のホテルで、出版記念パーティを開こうと思って訪ねたことがあったが、名刺を出したら断られてしまった。京王プラザホテルは、気持ちよく使わせてくれたので、その後、何度もパーティを催し、次男の結婚式も開くことができた。

 30名を越す人が編集の手助けをしたとあるが、『薔薇族』は、雑誌作りの名人の藤田竜さんと、2人だけで僅か数ヶ月で創刊号を出してしまった。

 驚いたことに『THE KEN』には、取次店(本の問屋)のコード番号が付いていない。営業をする人がいなくて、取次店とのコネがなく、書店に配本することができなかったのだろう。
「KEN創刊にあたって」と題して、東郷さんが巻頭に書いている言葉の中に、こんなことが書かれている。

「ホモ雑誌が、ホモ以外の人間によって、商業ベースで、我々が利益の対象として利用されることを、私は我慢できないし、最大の侮辱だと思うのです。」

 ぼくのこと、『薔薇族』のことをさしての言葉だ。その後も、東郷さんに批判されっぱなしだったが、かえって励みになった。

 その批判に対する反論は、長い『薔薇族』の歴史が答えていると思う。

「編集後記」に、編集部のNさんという方が「なんと言っても、創刊号の圧巻は、他の追随を許さない、ユニークでシリヤスなザ・ケン独自の小説群であります。」と。

 東郷さんが日頃のお付きあいがあって、親しくされていた、当時、大活躍されていた、カメラマンの金坂健二さん、関西学院大学の同級生だった団鬼六さん、脚本家の石森史郎さん、同郷の写真家、波賀九郎さん、詩人の諏訪優さん、イラストレーターの宮トオルさんなどが協力して参加している。

 晩年、ぼくも親しくさせてもらった、九州の作家、福島次郎さんも、「天草の小島にて」というすばらしい短編小説を寄せている。

 これだけの多彩な協力者がいたにもかかわらず、なんともやぼったい雑誌になってしまったのはなぜだろう。

 ぼくも東郷さんも、同じように雑誌作りでは、まったくの素人だった。ぼくの場合、藤田竜さんという、雑誌作りの名人ともいえるような人に出会ったことの幸運があった。

 八十一年も生きてきて、人間には「運」というものがあると、つくづくと『THE KEN』の頁をめくっていて感じさせられる。

 野球の「侍ジャパン」の山本浩二監督、さんざん悪口を言われていたのに、大会3連覇が現実を帯びてきたら、「超強運コージ」と。しかし、人生果たして運だけだろうか?

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