« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »

2013年6月

2013年6月29日 (土)

人間外見だけでは分からない!

『薔薇族』の「薔薇通信」欄を読むと、短い文章のなかで、懸命に自分の好みの人に呼びかけている。

「杉並区・ケン 僕は21歳の学生です。中学校のときに家出して、今までひとり暮らしです。肉体的に、精神的に話し合える弟がほしいのです。

 18歳から21歳までの人、僕がやせているから、太っている人はだめ。あまり背が低い人とか、メガネの人はイヤ。人間的に一生付き合っていきたい。」

 なんでメガネをかけている人が嫌なのかは分からないが、好みだから仕方がない。

「なんでメガネがいけないの」と題して、横浜市に住む、一男さんという人が投稿している。

「なんでメガネがいけないの。俺はね、自分から好きで近眼になったんじゃないよ。気がついたら、黒板の字が見えなくなっていたんだ。それでも俺のせいか。そんなこと言う奴に限って、自分で言うほど、ツラはよくないんだ。よく自分の周りを見てごらん。メガネをかけた美男子は沢山いるし、メガネをかけた可愛い子ちゃんだって、いっぱいいるじゃないの。メガネをどうのこうの言うのは、ホモを色メガネで見るのと同じ偏見だよ。

 なんで逞しい身体でなくていけないの。俺はね、やせたくてやせているのじゃないよ。

 なんで女性的なのがいけないの。俺はね、好きでナヨナヨしたり、女性言葉を使っているわけではないの。生活環境がそうさせてしまったのに、そして意識してそうしているんじゃないのに、やっぱり俺のせいなのかね。

 俺の経験からいうと、相手とうまくいっていると思うのは、実に短期的であって、人生は薔薇色なんて思っているのは、長くて一年ぐらい。その間はポッカ、ポッカでも永遠の愛なんて、のぼせているときだけの甘いささやき。

 しかし、あまずっぱい思い出として残っているのだから、そのときはラビアンローズだったのだろう。藤田竜さんの言っているように、ホモと一口にいっても千差万別で、ホモというだけで連帯感を持つのもおかしなもんだね。

 社会一般と同じように、複雑怪奇、いろんな人がいる。ただ一つ違うのはノンケの人たちはそれほどエゴをむき出しにしないけど、ホモの人たちは俺を含めて、エゴイズムのかたまりだ。

 俺だって美しいものには憧れるが、現実はそんなに甘くない。自分の夢を美しく飾り立てれば立てるほど、こわれるのも早い。それにどうしても、こうも皮肉なのか。俺の方で熱をあげる人間ほど離れていくのが早いし、こっちでそれほど思っていない相手ほど、俺につきまとう。俺自身が相手にそう思われているのかも、なんて言い出したら、人間不信に陥っちゃうからやめておく。

 俺は付き合っている人に言われた。相手を好きになるのはいいけれど、愛してはいけないと。こんな悲しいことがあるもんか。なぜかっていうと、まっしぐらに突進していけば、相手よりも自分がぼろぼろになってしまう。

 でもいいんだ。自分に好きな人がいるということは、人生が薔薇色に見えているということだから。

 俺にだって好きな人ができるのだから、世の中、捨てたもんじゃないぜ」

 38年も前の『薔薇族』に乗った投稿だから、今とは違うところもあるが、本質的には変わっていないと思う。

 コンタクトなんてものが普及したし、メガネも格段に進化している。整形する人も増え、身体を鍛える施設も増えている。

 今でもメガネをかけている人は嫌いなんて言う人がいるのだろうか。人間、外見からだけでは決められないものだ。

158

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年6月24日 (月)

ぼくの青春を乗せて走ってくれたラビット!

 ぼくの青春が目の前に。1960年ごろ、東京タワーが完成した年だ。半世紀も前に乗り回していた、富士重工製作のスクーター、ラビットがまだ現役で走っているなんて。

 大分痛んではいるが、まだ乗っている人がいるらしい。代沢小学校の裏手の歩道上に、ときどき置かれている。座席がボロボロに破れてしまっているのか、ビニールがまきつけられていて、もはや骨董品と言っていいだろう。

 当時でも10何万かして高かったので、親父がなかなか買ってくれなかった。

 昭和20年代は、取次店(本の問屋)から注文がくると、風呂敷包みをかついで、都電で渋谷から須田町行に乗って、神田にある取次店まで運んでいた。角川書店の先代の創業者も注文は同じように風呂敷包みをかついで届けていたそうだ。

 そのうち自転車を購入して、荷台に箱をつけて注文の本を運び、一時間以上かかったが、若かったからできた。

 下北沢北口の鳥羽屋書店の親父さんも自転車で、仕入れに神田村に出かけていたので、よく出会った。

 そのうちスクーターの運転免許を取得して、スクーターでの神田通いが始まった。当時は車道にレールがひかれ、都電が走っていたから、雨が降り出すとすべってころびそうになったものだ。

 当時は車も少なかったし、どこに駐めても駐車違反にされることもない。それにヘルメットなんてかぶる法律もなかった。

 護国寺に向かう道路の左側には、講談社のビルがあり、その並びにキングレコードの社屋もあった。駒大時代の友人、長田暁二君がディレクターをしていたので、なんの前ぶれもなくよく立ち寄った。

 文芸部のロビーには専属の歌手や、作曲家、作詞家が雑談していて、いろんな人に出会うことができた。長田君はいつもレコードをどかっと持たせてくれた。玄関に守衛なんていなかったから自由に入ることが出来た、いい時代だった。

 先妻のミカが世田谷区立の松沢中学の体育の教師になってからは、桜上水にあった校舎までよく送って行った。

 当時は座席にまたがって座ることなどしないで、横座りだが、よくぞ事故など起こさなかったものだ。

 冬の寒いときは、ぼくは皮ジャンを来ていたから寒くはなかったが、スカート姿で足がむき出しのミカは寒かったようだ。

 スクーターも何台もかえたが、この写真のスクーターは年代が新しいものだ。そのうちミカは自動車の免許をとって、マツダの軽自動車に乗るようになっていた。ぼくは相変わらずスクーター。後ろに乗せる女性もまだ当時、19歳だった東京女子医大の心臓病棟の看護婦さんに変わっていた。看護婦さんって、勤務時間が不規則なので、彼氏をみつけにくかったようだ。携帯電話なんてなかった時代、どうやって看護婦さんと連絡をとっていたのか、忘れてしまったが、ベッドで寝ている妹が、橋渡しをしてくれたのだろう。

 人のいないところをえらんで、スクーターを走らせていたが、上野にもよく行った。ミカの方も、いすずの真っ赤なスポーツカーになり、助手席には松沢中学の国語の教師が乗っていた。

 新宿に行ってみたいという妹をスクーターに乗せて行ったこともあった。病院にも守衛なんていなかったからできたことだ。

 看護婦さんと、ミカが新宿のカフエで対決しているところへ、かけつけたことがあった。看護婦さんは、あっさりと身をひいてくれた。ミカがその後、妊娠してお腹が大きくなってしまったので、あわててぼくは免許をとった。ラビットは楽しい、苦い思いを乗せて走ってくれた忘れられないスクーターだった。

186a

186b

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年6月22日 (土)

「変なおじさん」と呼ばれても

 ネット上で、ぼくのことを「ラブオイル校長」と呼んでくれているようだ。30年も前に、ぼくが命名して発売した「ラブオイル」が、今も多くの人が愛用してくれていることを嬉しく思っている。

『薔薇族』二代目編集長の竜超君が、今度は「変なおじさん」と、ブログで名付けてくれた。「変なじいさん」と呼んでくれなかっただけでも、ありがたいことだ。

 石原慎太郎さんが、田中真紀子さんに「暴走老人」と呼ばれてしまったが、それよりもいいかもしれない。

 5月22日に、ぼくが長いことお節介約を引き受けている、世田谷学園の同期会を下北沢北口の居酒屋で開くが、最初の頃は、5、60人も集まってにぎやかだったが、年を経るごとに参加者がへって、今では10人ほどになってしまっている。

 出席しようと思っていたけど、用事があって来れなくなってしまったというN君は、近況欄にこんなことを書いている。

「物忘れと耳が駄目になりました。首から上をとりかえたいと思っております。」と。

 みんな80歳を越えてしまったのだから、仕方がないことだ。ぼくも最近は「鬼平犯科帳」など時代劇のテレビを見て楽しんでいるが、セリフが聞きとりにくく、ついつい音量を高くしてしまうので、家族に文句を言われてしまう。

 渋谷の東急プラザの5階のカフエで、ある人と待ち合わせたのだが、1時を12時だと思って、1時間も早く行ってしまった。幸いなことに公衆電話があったので、女房に電話してカレンダーを見てもらったら、1時と書いてあるという。

 仕方がないので紀伊國屋書店に入って書棚を見てまわったが、こんなに本が出ていたんでは売れないわけだと変に感心してしまったり。

 新書版のコーナーを見ていたら、文春新書で竹内久美子さんの『同性愛の謎=なぜクラスに一人いるのか』というのが目について買ってしまった。

 なんのことはない、去年買って面白くないので投げ出してしまったものをまた買ってしまったとは。年を取りたくないものだ。

 竜超君のブログを読むと、ネットを触れないぼくにかわって、ネットで見られるようにしてくれている猪口コルネ君との最初の出会いを、カフエ「邪宗門」でと、ぼくが書いているのを竜超君は、正しくは彼がサロンを開いている「野ばら浪漫舎」で出会って、竜君がぼくに紹介したのだという。

 ぼくは毎日、簡単な日記をつけているが、つけ忘れたりすることがあって、昨日、何をしたか思い出そうとしても思い出せない。

 竜君が80歳を越えたとき、ああ、年寄りって忘れっぽいんだなと思うだろう。一年以上も前に、どこで出会ったかなんて、覚えているわけがない。

 コルネ君のすすめで始めた、動画の「今週の文学さん」も、早いものでもう20回以上になる。

 昔、大橋巨泉さんが司会の人気番組「イレブンPM」に、何回か出させてもらったが、事前の打ち合わせは一切なく、ぶっつけ本番だった。その方がいい話を聞き出せるからということだった。

 ぼくの動画も事前の打ち合わせは一切なしだ。まったくのぶっつけ本番だから、うまくしゃべれないときもある。

 竜君は大阪の橋本さんのこともあるから、ぼくに自重してしゃべれと忠告してくれているのだろう。聞いてくれている人も駆る気持ちで聞いてもらいたいものだ。

 ぼくが死んでしまっても、「変なおじさん」の姿や声は残るそうだから、ありがたい。

185
世田谷学園の同期会

第20回「伊藤文学と語る会」

///////////////////////////////////////////////////////////////

6月22日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600

初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

///////////////////////////////////////////////////////////////

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年6月17日 (月)

切手大のポスターがある!

 ぼくは無類のコレクション好きだ。あまりにも手をひろげすぎて、すべてが中途半端になってしまってはいるが……。

 大手出版社のS社の女性社員の方から話があって、ぼくのいろんなコレクションをまとめて、新書版で出したいという話があった。

 編集長にも神田の事務所に訪ねて、出版の承諾も出ていた。ぼくも一時は意欲を燃やしていて、一気に書き上げようと思ったときもあった。『なんでもコレクション』というようなタイトルでだ。

 アメリカのカリホルニアの「フルーツラベル」。キューバの「シガーラベル」。ヨーロッパの1900年代初頭の「絵はがき」。パリの世界で一番古いデパート「ボン・マルシエ」が発行していた、かわいいカード。

 日本の明治から大正時代に作られた「絵はがき」などだ。確かにこれらの実物をちりばめて、解説を加えたらおもしろい読み物になるかもしれない。

 ところが出版の意欲を失くしてしまったのはネットだ。パリの「ボン・マルシエ」のカード。ぼくはかわいい少女を描いた原画まで数点持っている。

 ネットでパリのデパート「ボン・マルシエ」のことを調べてもらったら、誰が書いたのかはわからないが、デパートの写真まで入って、くわしく書かれているではないか。

 ぼくが書かなくても、なんでもネットで調べればわかってしまう。やめた! と一気に熱がさめてしまった。

 明治、大正、昭和の時代に財をなしたお金もちは、絵画、骨董品などをコレクションしたものだ。ところが今時のお金持ちは、そんなものに興味はない。世の中、変わってしまった。

 下北沢の南口の西洋骨董の店「ケンジントン」の主人の話だと、まったく売れないという。店の先に「そばちょこ」などを並べておいても、価値がわからないから持ち去るものもいないという。

 内藤ルネさんのマンションを訪ねたときに、お茶を出されたうつわが「そばちょこ」だった。「そばちょこ」って、江戸時代から明治にかけて作られたもので、おそばのつゆを入れたものだ。それをひとつ買ったときから、果てしない骨董コレクションの病にかかってしまった。

 不景気がずっと続いているので、骨董のよさを啓蒙、知らせる雑誌がなくなってしまった。骨董をコレクションする人のすそ野をひろげることができないことも、コレクターをへらす原因だろう。

 ひとつだけ、ぼくのコレクションの中からあまり知られていない、「ポスター・スタンプ」を紹介しようとおもう。

 日本人はあまりポスターに価値を見出す人は少ないが、海外ではポスターのコレクターは多い。

 先妻の舞踊家、ミカのために宇野亜喜良さんは、三点ものすばらしい作品を残してくれている。

 40数年、シルクスクリーンで印刷されたポスターを大事に残してきたが、売れないとは寂しい限りだ。

 1890年ごろから、アール・ヌーボーの黄金時代にあたる、1930年頃まで、とくに1900年の前後に盛んに作られた、切手大の企業のポスターが、「ポスター・スタンプ」だ。

 ドイツ、スイス、フランスを中心に、その最盛期に、広告媒体として欠かせないくらいにひろく作られていた。

 しゃれた額に入れて、日本の狭い壁にかざったら、楽しめるというものだ。ポスターというと大きいものと考えるが、こんな小さな芸術品があるということを知ってもらえば幸いだ。

184b

184a

タテ67ミリ、ヨコ37ミリ。切手の倍ぐらいの大きさです。額装すれば見事な芸術作品に。

第20回「伊藤文学と語る会」

///////////////////////////////////////////////////////////////

6月22日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600

初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

///////////////////////////////////////////////////////////////

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年6月15日 (土)

モロ丸出しのDVDを見たい!

 かつての地方に住む『薔薇族』の読者から珍しく電話がかかってきた。なんだと思ったら陰部がモロ丸だしのDVDをほしいということだった。『薔薇族』が廃刊になってしまってから、男同士のDVDなど見ることがなくなってしまい、今、発売されているDVDが、どの程度、陰部をボカしているのか知るよしもない。

 最近はネットでもモロ丸出しのものを見れるそうだから、発売されているものも、想像するに、モロ丸だしに近いと思われる。

 桜田門も取り締まりの意欲を失くしているのだろう。たまに見せしめのために、取り締まることがあるけれど。

 この電話かけてきた人、かなりの年配の人のようだから、ネットなど見れない人なので、モロ丸だしのものを見たいと電話をかけてきたに違いない。

 現在のぼくには、そんなDVDを手に入れる方法はないし、あったとしてもその人にあげることもできない。

 1984年の『薔薇族』3月号の「編集室から」に、こんなことを書いている。29年も前のことだ。

「1月1日、今年最初にかかってきた電話は、モロ丸だしの写真集はないかという、読者からの電話でした。

「私は40歳の花の中年ならぬおじんです。多少経済的に恵まれているので、他社の雑誌も買っております。とくにG誌(おそらく東郷健さんが出していた『ザ・ゲイ』のことだろう)は、まっ先に見るのです。何年か前は貴誌でしたが……。

 恥ずかしながら、上品、下品の差なんて基準もありませんが、やはりハードのものを好むのは、人間だからでしょうか」

 それは読者の大多数の本音ではないでしょうか。

 ところがです。都内のあるポルノショップ(男同士のものを専門に扱っている)が、暮れの15日にワイセツ物陳列罪の容疑で、警察に逮捕留置され、10日間も拘留されてしまったのです。

 店主に聞くところによると、G誌などを販売した罪ということで、20万円の罰金を支払ったということです。

『薔薇族』が2号にわたって、発禁処分を受けたのは、6、7年前だったでしょうか? そのあと、いわゆるビニ本の登場で、その全盛期を迎え、男物はその蔭にかくれてしまったのです。

 それからの世の中の移り変わりのすさまじさは大変なもので、半年ぐらいの間に、くるくると変わってきています。

 読者がハードなものを要求するからといって、それに迎合していたら、ワイセツ物を取り締まる法律がある以上、誰かが逮捕されるのは当然です。

 どんなにモロ丸だしの写真を載せたからといって、何号か見れば同じことになってしまいます。そうした雑誌が、とぶように売れているかというと、そうでもないのです。

『薔薇族』はなにがあっても気品は失いたくないのです。単にハードさを競うのではなくて、いつでも全読者の心の支えになり、肉よりも愛を提唱する雑誌でありたいのです。」

 偉そうなことを書いているけど、当時、月刊誌は5誌もあったけれど、発禁処分を4回も受けたのは『薔薇族』だけ。他の4誌は、発禁処分を一度も受けていないし、始末書だって、20数回も書かされたのだから、表むきは上品な気品のある雑誌をつくっていたけれど、充分に読者の要望にも応えていたということだろうか。

『薔薇族』をたたけば、他誌も従うと、取り締まり当局は考えていたに違いない。もう一度、警視庁の門をくぐってみたいものだ。

第20回「伊藤文学と語る会」

///////////////////////////////////////////////////////////////

6月22日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600

初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

///////////////////////////////////////////////////////////////

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年6月10日 (月)

名曲喫茶「ライオン」は思い出のカフエ

 1971年(昭和27年)創業の名曲喫茶「ライオン」が、当時のままで営業を続けているなんて信じられない。81歳のぼくが19歳のときだから、駒沢大学に入学した頃のことだ。

 62年も創業当時のままで続いている喫茶店って、今の東京にそう多くはないだろう。ぼくの若い頃、昭和の30年代には、名曲喫茶と言われるカフエが、何軒もあった。

 日比谷の日活会館の前にも、名前を忘れてしまったが、れんが造りの古めかしい建物のカフエがあった。

 昭和40年に日活で、ぼくの原作の『ぼくどうして涙がでるの』が映画化されたとき、日活会館(今はない)を訪れ、帰りに妹の役で初めて主役になった、十朱幸代さんと一緒にコーヒーをのんだので、鮮明に覚えている。新宿のコマ劇場の横にも名曲喫茶があった。そこも何度か訪れたことがあったが、ヤクザの人たちのたまり場になっていて、驚いたこともあったが、コマ劇場も名曲喫茶も今はない。

 5月に入って、しばらくぶりにぼくのブログのファンの女性と、渋谷で出会って「ライオン」に寄ってみた。

 道玄坂を登っていって、坂の途中を右に折れ、また坂を少し登ると、そこは昔は映画街だった。

 右と左に映画館があり、一件は映画の他に実演もあって、忘れてしまったが、歌謡ショウのようなものを観たことがある。突き当たりの建物も映画館だったが、今はすべてマンションになっていて、その建物の裏の方は、連れ込みホテルが軒を連ねている。

「ライオン」のチラシを読むと、「冷房完備」(今では冷房があるのは、当たり前だが、昔は、それが売り物だった。)「珈琲と立体名曲」とある。「アメリカの雑誌オーディオに当店の演奏装置が写真入りで掲載になりましたので、渋谷のライオンは、世界のライオンになりましたことを光栄に存じております。―昭和34年―」とあるだけに、その音響設備は見事だ。
 ここではおしゃべりはできない。ひたすら名曲を聴くだけだ。TEL3461-6858 http://lion.main.jp 営業時間は、AM11:00~PM10:30 ブレンドコーヒーは、520円だったと思う。

 音量が少し低いのではと思ったが、ぼくの耳が遠くなっているのを忘れていたとは、情けない。

 5日の日曜の演奏曲目が、シューベルトの軍隊行進曲、チャイコフスキーのバレエ組曲、くるみ割り人形と、知っている曲でよかった。最近、クラシックなんて聴くことがないので、知らない曲を長々と聴かされたら、彼女とおしゃべりもできず、つらい思いをしてしまっただろう。

「ライオン」に足しげく通っていたのには、わけがある。昭和30年(1955年)ごろ先妻のミカが、日本女子体育大学に通っていて、デートのたびに「ライオン」の2階に誘っていた。
 2階の椅子席の背もたれが高く、後ろから見えない。そこでやっと手を握り、キッスをすることができた、思い出のカフエだ。

 裏手にあるホテル街に入るお金もなかったし、そんな度胸もなかった。
 しかし、今のぼくは性欲とは、関係がない。81歳になるぼくと、デートをしてくれる女性がいるだけで、うれしいことなのだ。

 彼女と待ち合わせの時間、彼女が現れるのを待っているワクワク感は、携帯を持たないぼくだけが味わえる貴重なものだ。青春時代のぼくにタイムスリップさせてくれる。

「ライオン」の寿命と、ぼくの寿命と、どちらが先に尽きるのだろうか?

182

第20回「伊藤文学と語る会」

///////////////////////////////////////////////////////////////

6月22日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600

初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

///////////////////////////////////////////////////////////////

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2013年6月 8日 (土)

ゲイの高齢者はどんな生活を!

 2013年5月9日の「東京新聞」の「発言」欄に、こんな投稿があった。「続く孤独死悲しすぎる」と題した、東京都瑞穂町の無職、山口忠さん、70歳のものだ。

「今年、二人の知人が孤独死しました。二人は八十歳にまだ間がある年齢。ともに奥さまに先立たれ、公営住宅住まいでした。

 人口三万余の町で、私の知り合いだけで二人も亡くなるということは、全国で何千人単位になるのではないでしょうか。

 二人とも死後、三日はたっているとこのこと。姿が見えないと、福祉課職員がベランダのガラスを破り、警察官と入って発見しました。

 近所で見守りたいが、年齢や持病、連絡先や電話番号などは、個人情報保護法とかで他人には原則教えられないとか、どうすることもできません。(後略)」

 同じ日の「毎日新聞」には、「年金担保融資・借りて、後にがくぜん。生活保護受給、やっと生計」の記事が。

「公的年金を担保とする唯一の公的融資「年金担保融資を受け、生活が追いつめられるお年寄りが絶えない実態が浮上した。

 わずかな年金収入だけの高齢者にとって、「最後の頼みの綱」であり、「禁断の実」になることもあるこの制度はどうすべきか。高齢者にとっても、自治体にとっても頭の痛い問題が続いている。」

 ぼくも他人事ではなかった。地元のS信金、悪代官の借金取り立てに苦しんでいたときに、年金を担保にしてお金を借りることを何度も考えたことがあったが、親父が残してくれた土地、建物があったので、それを売って、借金を返すことができた。

 銀行や、信金は、お金持ちには、安い金利でお金を貸すけれど、お金のない人には「カードローン」という、CMでやっている金利が高い方法でしか借りることはできない。
『薔薇族』という武器があったときは、多くの年配者の読者にも、情報を流すことができて、悩みを聞くことができた。

 その『薔薇族』が廃刊になって、もう8年ぐらいの時が流れてしまっている。読者からの文通欄の名簿、書留などの住所が分かるものは、すべて処分してしまった。

 考えてみたら、ぼくも81歳になる。読者も、そして小説、エッセイ、そして投稿してくれていた人たちも、同じように年齢を重ねているということだ。

 何人かの人たちとは、今でも連絡を取り合っているが、多くの高齢者になってしまった人たちとは、連絡のとりようがない。

『薔薇族』に、なんらかの形でかかわってきた人でも、すでにこの世にいない人も多い。

 今度はネットという武器を使って、多くの人に呼びかけていて、もう8年にもなるそうで、800回、原稿用紙にしたら、3千枚にもなる。

 若い猪口コルネ君の強力な手助けで、きちんきちんとブログを更新し、動画もやっているが、残念ながら高齢者からの反応はない。

 読者は機械に弱い人が多いので、ネットも触らない人が多いのでは。
「伊藤文学と語る会」も、もう1年以上も続いていて、毎回、新しい人が来てくれている。女性も増えていて、うれしいし、ぼくにとっても、初めて会う人がいると、刺激にもなるのだが、まだ、高齢者での出席者はいない。

 ぼくは幸いにも、次男夫婦と、小学校6年の野球少年と、女房と暮らしているので、孤独死ということはないが、読者、またはゲイの高齢者がどんな生活をしているかが、一番気になっているところだ。

 親族や、兄妹と付き合わない人がいることも知っている。ゲイのひとり住まいの高齢者に呼びかける方法があったら教えてもらいたい。

181

第20回「伊藤文学と語る会」

///////////////////////////////////////////////////////////////

6月22日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600

初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。

///////////////////////////////////////////////////////////////

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年6月 3日 (月)

「内藤ルネ人形美術館」人形たちは今どこに?

 ブログを見てくれている若い人たちに、内藤ルネ人形美術館を見てもらいたかった。

 内藤ルネさんと、藤田竜さんは、千駄ヶ谷の広いマンションに長いこと住んでいて、二人で集めたコレクションは、膨大なものだった。

 しかし、二人がオープンさせた、人形美術館は不幸なことに長くは続かなかった。なぜ「修善寺」という場所に、美術館を建てたのかと、疑問に思っていたが、美術館のガイドブックにルネさんは、こんなことを記している。

「修善寺―。ずうっと長い歳月、ほとんど変わらず昔のままの姿で、温泉町の、それもきわめて高いグレードで、日本情緒を残し、なお、かつ栄え続けている修善寺。

 戦後、どこもかつてのおもかげをなくした中で、この町は貴重な存在です。」と。

 8年ぐらい前だったか、修善寺の文士たちが多く宿泊したという、名旅館「菊屋」も経営者が変わり、タクシーの運転手の話だと、お客が少なくなり、修善寺は、悲惨な状態だという。

 修善寺は、あまりにも東京から遠く、半島のまん中にあり、川はあるけど海から遠いことも魅力がない原因かも知れない。

 入館料千円も高かったのか、五百円に下げても、リュックサックをしょってくるようなお客は、美術館にくるお客ではなかった。

 ルネさんも、竜さんも亡くなり、人形たちも消えた。あんなにルネさんが愛した数多くの人形たち、今はどこにいるのだろうか。

180a

180b

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2013年6月 1日 (土)

少年愛ゆえに、4年間も刑務所暮らし

 ゲイ雑誌の『薔薇族』は、国内ではいろんなメディアが紹介してくれたので、知名度はかなり広がっていた。

 海外でもゲイの人たちが読む雑誌や、ガイドブックなどにも載るようになって、英文の手紙が続々と舞いこむようになってきた。

 英語はまったく駄目なぼくと、相棒の藤田竜君も、これにはどうにもならず、考えた末に読者で英語の堪能な人をアルバイトで募集することにした。

 とにかく読者には、ありとあらゆる職業の人がいるから、困ったことがあり、「編集後期」で訴えると、すぐさま教えてくれる人がいて助かったものだ。

 1977年の6月号にのった記事にこんなことが書かれている。なんとアメリカの刑務所で、4年間も服役中の男性からの手紙だ。すでに何かを訴えてきた手紙に、ぼくが手紙を出していて、その返事のようだ。

「伊藤文學さま。あなたの手紙を受けとりました。

 12歳、13歳、14歳の若い少年たちと関係をもちまして、面倒なことがおきました。彼らと楽しみ、私が彼らから受けた楽しみのためにお金をやりました。彼らのひとりが父親にみつかって、その父親が警察を呼びました。

 そんなわけで私は刑務所にほうりこまれたのです。

 私の家のとなりに日本人の家族が住んでいます。不思議なことに、となりの少年の父親と、私が同じ年で、同じ考えをもっているのです。

 私たちは約三年間、一緒に楽しみ、愛し合いました。私は本当に彼を愛したのです。

 1967年に彼は車の事故で亡くなりました。そして、そのとき私は、そのことから日本人の少年のもつ何かを得たのです。(日本人の父親も少年愛者で、その息子の少年を愛していたということだろうか)

 私も日本へ行きたい。そして本当に日本を見てみたい。日本に住む住まないは別として、私自身で何かをみつけてみたいのです。

 しかし、私はお金がないので、そうすることはできないと思います。そして、私はまったく日本語を読むことができません。それに日本語をできる人を知りません。読んだり書いたり、話したりする方法を私に教えてくださったら、ありがたいのですが、本当にそうなったらうれしい。日本語で書かれた辞書と送料も。

 私は30歳で、4年間、刑務所に入っています。そしてもっとしなければいけないことが分かりました。日本に行くことが私の生涯の夢です。

 もしホモの囚人に手紙をくれる日本人の少年を知っていたら教えてください。私はここでの仕事はシャワールームを掃除することと、洋服を整理することです。(コロラド州 ジミー・ダンカン)」

 36年も前のことなのに、アメリカではすでに少年・少女に対する犯罪は、きびしかったようだ。今ではもっと、きびしくなっているのでは。

 フランスのパリに住む、お金持ちで文通欄を使って、多くの日本人の若者をやとっていた人がいて、来日した折に会って話を聞いたことがあった。

 日本人の若者は、中国、韓国の若者と違って、高貴な雰囲気を持っていると、そのフランス人は言っていたが、今の若者はどこの国でも同じようになってしまっている。

 この服役中のアメリカ人も、日本人の少年に、アメリカの少年と違った、何かを感じていたのでは。そうでなければ、日本に興味をもち日本に行ってみたいなんて気持ちにはならないだろうから……。夢は果たせたのだろうか。

179

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »