本当のエロって、ちらっと!
今の若者たちに、敗戦後の状態がどんなだったかを知る資料がみつかった。『昭和大雑誌・戦後篇』(流動出版株式会社刊・昭和53年10月刊)
その中に『週刊朝日』(25年8月13日号)の記事が載っている。「この五年の跡をさぐる。変われば変わる世相のさまざま」の見出しで。
「昭和20年8月6日、広島に原爆投下、8月15日降伏終戦—あの日から満5年の歳月が流れ去った。
かえりみれば、日本民族が苦しみ嘆き溜息をつきながら、前途にただ一つ、自由な平和国家の希望を求めてたどりきた、五年の長いぬかるみの道であった。
無謀な戦争、敗戦、惨たる焦点に生き残って飢餓、インフレ、住宅難、犯罪の洪水、かえりみて、この五年の生活が苦しくなかったという人は、同胞の犠牲を食った数少ない人だけであろう。
終戦五年、ようやく表面の傷はふさがってもまだ、父を失った孤児の涙は乾かず夫を奪われた未亡人の嘆きは消えない。
だが平和は近づいた? 今、われわれの眼前にひろがる黒雲、北鮮軍の南鮮侵入、一衣帯水の挑戦をおおう戦火だ。」
1950年(昭和25年)6月25日、午前4時、38度線で戦闘勃発。北朝鮮、韓国に宣戦布告。38度線を11カ所で越境、進撃開始。
ソウルは北鮮により占領され、南の方にまで追いつめられた。中国も北鮮に加担したというのだから、ひどい話だ。死者100万、避難民550万というから、韓国は大打撃を受けたわけだ。アメリカ、国連軍が韓国に味方しなかったらどうなっていたのだろうか。
日本は血を流さずに、戦争の特需景気で経済が立ち直ったというのだから、韓国の人たちを悪くは言えまい。それにしても北朝鮮って恐るべき国だ。
戦後の面白い話が載っている。
「アメリカの進駐軍がはじめて熊本に入ったときである。町外れを二人のアメリカ兵が歩いていると、田んぼの中で若い女が着物の裾をはしょり、赤いコシマキをちらつかせながら仕事をしていた。
兵隊はコシマキにうっとりしてしまった。というのはこの兵隊たちは日本にきて、二、三週間にしかならなかったので、コシマキを特別なキモノの一種類かと思い込んでいたからである。
二人はその女のそばに行き、手まねで、キモノの下にまいてあるワンダフルなコシマキを買いたいと申しこんだ。娘はもちろん逃げだした。兵隊は追いかけた。娘は両親にどうしようかと相談した。
父親は言った。「シカタがない。戦争に負けたのだ。お前のコシマキが買いたいと言うなら、売らなければなるまい」
そこで娘は別の座敷に行って、二、三分すると出てきた。二人の兵隊は法外な代金を日本金で払って、コシマキを風になびかせながら、うれしそうに道を歩いていった。」
アメリカ兵のすべてが、うえた野獣のような男たちばかりではなかった。そうであったなら、赤いコシマキをちらつかせていた女性を手ごめにし、強姦してコシマキを持ち去っただろうが、ちゃんとお金を出して買いとったというのだから、いい話ではないか。
『薔薇族』を刊行していたころ、エロ本ばかりを出版している社の社長が集って、「出版問題懇話会」を作り、毎月、出版クラブで会合し、いろんな情報を知らせあっていた。
警視庁の風紀係の係官を招いたことがあった。その係官が言った言葉に、「本当のエロというのは、女性がちらっとみせるコシマキに感じるのでは」と、言ったことが、今更ながら思い出された。(つづく)
第22回「伊藤文学と語る会」
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8月24日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。
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