孤独にうち勝つ何か!
34年も前の話だけど、今の方が孤独な高齢者が増えているのでは。
「ぼくはひとり暮らしを始めて、もう10年にもなります。すでに両親はなく、姉兄らとの付き合いもなく、近所の人とも容易に友人とはなれず、寂しい日々を送ってきました。
なんとか仲間をみつけようと、勇気を出して京都のハッテン場に通いはじめて4年にもなります。
公園で誰ともわからず、犬や猫のようにセックスすることは、いまわしいばかりで、いつも悩み続けてきました。けれども友をみつけるのも、愛をさがすのも、そこは手っ取り早く、狭い京都で同じような顔ぶれの中で、雑談で時を過ごしていたようです。
それでもぼくだけは違う、犬や猫のようではなくと、知り合った人とは、かなりの個人的な付き合いを重ねてきました。心をうちとけて何もかも話し合える友人を求めて、多くの人と知り合いになれたけど、今はむなしさだけが残っています。
すべてとは言えないが、ホモの世界はウソで塗り固められた世界で、くさった世界です。若い人、それもぼくとそれほど年齢も違わないのに、付き合ったら小遣いをもらったり、品物を買ってもらって当然と思っている人がいます。すべての貸借りもルーズで、そのことを指摘したら反感を持ち、悪口を言った人もいました。
この世界の愛情とは、一緒に旅行をしたり、何かを買ってやらなければ、続かないのでしょうか。男が男の世話になる、いわゆる旦那を持つことを自慢している人もいて、なんともいやしい人格かと思います。
先日、ぼくにいんねんをつけ、傘でなぐりかかってきた男がいました。この男には以前にも、わけの分からない言いがかりをつけられ、あまりしゃべらなかったのですが、その日も無視したことが気に入らず、暴力をふるったことは気ちがいざたです。この男には人間らしさ、良心があるのかと、自分の痛みよりも哀れに思えてきました。その男が仲間と嬌声をあげて、ふざけあっているさまを見て、自分もこの世界にいる人間として、恥ずかしく背筋が凍る思いでした。
また何が気に入らないのか、公園で人々に石を投げつけたりの乱暴をする人がいます。その人を敬遠したばかりに、いまだにぼくにからんだりの嫌がらせが続いています。
その男の大きく肩をいからせて歩くさまは、本当に哀れで滑稽です。数えあげればいとまがないほどの根も葉もないうその中傷、悪口を吹聴してまわる人たち。まやかしのその場限りの座興はおぞましく、もうたくさんです。
強いものには媚び、弱い人間を痛めつけて天下をとったような気持ちのあいつら、本当に嫌な世界です。
これから果たしてずっと公園に行かずに過ごす自信はありません。孤独、それは永遠で堪えがたいのですが、これからは孤独に打ち勝つ何かを探して生きていくつもりです。(京都・孤独)」
家の中にとじこもっているのはつらい。思いきってハッテン場にいけば、さまざまの人が集まってきている。
どこの世界にも、嫌な人はいる。ハッテン場で長く付き合える仲間をみつけだすのは難しいものかも知れない。
ハッテン場にくる人は、はじめっから欲望のはけ口としてきているのだから、その中から心を許せる仲間を見つけ出すのは無理なのかも。
お金がかかるけれど、バアに行けばじっくり話もできるし、お酒をのみながら、相手のことを観察できるのでは。
孤独に打ち勝つ何かを探す。ぼくにもよく分からないけれど、積極的に行動するしかないだろう。
19世紀初頭のヨーロッパの絵はがき
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コメント
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投稿: ミネトンカ ファッション | 2013年9月23日 (月) 14時07分
初めて投稿します。
ほんと、嘘で固められたところも多い世界です。
ですが、全部が全部では無いように思います。
が真っ直ぐな真面目な人が少ないのかとも思います。
ここは男の生殖本能の性なのでしょうか。
少しでも前向きに考えてお付き合いできる人が
居れば幸運なのかも知れません。
投稿: MB | 2013年9月 2日 (月) 21時26分
もっと別な生き方があります。
まっすぐに生きている人と接しましょう。
くずみたいな人間と接することは、
孤独に打ち勝つどころか、
逆にマイナスの人生になります。
投稿: GB | 2013年9月 2日 (月) 17時48分