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2013年9月 7日 (土)

50年、70年も前に記憶を呼び戻すのって!

 ネットを触ったことのない、ぼくにとっては、自分では見れないのだから、実感として湧くわけがない。ただただ協力してくれている、猪口コルネ君に感謝している。

 ネットの威力ってすごい。81歳のぼくを突然、50年前、70年前にひき戻してしまうのだから、記憶を取り戻すのが大変だ。

 駒沢大学にぼくが在校中の学生数は、700人足らず。国文科の同期生は、15、6人。ほとんどが地方から出てきている学生で、東京の人間はほとんどいない。

 卒業してから2、30年経った頃だったろうか。世話好きのぼくは東京に住んでいる卒業生を集めて会を作ろうと考えた。

 その頃は名簿があったので、東京在住の卒業生に案内状を発送した。確かお茶の水の会場だったが、何人ぐらい集まったのか、あまりよくは覚えていない。

 伊豆七島の中の神津島も東京都に属する。東京都神津島だから、なんとなく案内状を出してしまった。そうしたら会場に真っ黒に日に焼けた同期の神尾小次郎君が、漁船に乗せてもらって、一晩走り続けて出席してくれたのだ。

 神尾君は海軍に志願していて、終戦後、大学に入り直した人だ。学生服なんてなかった時代だから、海軍の軍服を着ていたのを思い出す。

 神尾君、神津島に一校だけある中学校の教員を10年間も勤めた人だ。そんなに島に長くいる先生はいないから、島民に信頼されて、都から視察にくるお偉いさんなどを案内する役もやっていたようだ。

 神尾君に島に来ないかと誘われて、島を訪れたのが最初で、すっかりエメラルドの海に囲まれた島が気に入って何度も訪れるようになった。

 神尾君は東京に帰ってから70歳で亡くなられている。それが驚いたのは、7月の下北沢のカフエ「占茶」での「伊藤文学と語る会」に出席してくれた女性が、神津島の出身で、65歳になるお母さんが、神尾君の教え子だということだ。

 娘さんがぼくが神津島と神尾君のことをブログに書いたのをみつけて、親にも知らせ、出席してくれたのだ。

 神尾君の住所を古い名簿から探し出し、おそるおそる電話をかけたら、お孫さんだという娘さんが電話に出てくれた。神尾君の奥さんは93歳でお元気だそうだ。

 数日して神尾君の娘さんから電話がかかってきた。娘さんは2、3歳のときだったそうで、ぼくのことを覚えているわけがないが、母親からぼくのことを聞いていて、何でも知っていた。美輪明宏さんの大ファンだということだ。

 次の語る会に、娘さんと孫と二人で出席してくれるという。そのとき旺文社から当時発行されていた『時』という雑誌の記者が島を訪れて記事にしたが、その雑誌を持ってきて見せてくれるという。ぼくもその雑誌を大事にしていたが、何度か引っ越したので今は見つからない。

 神津島から魚の干物を送ってくれた。神尾君の教育のおかげで、今でも短歌や、、詩を作っているそうだ。

 70年前に記憶を呼び戻すのは、これまた大変だ。終戦の年に代沢小学校を卒業したのだが、一年から六年まで一緒のクラスだった、塩谷信幸君、お父さんも近所で医院を開業していたが、塩谷君は優等生、ぼくは背が一番小さくて一番前の列で、劣等生。

 塩谷君は東大医学部を出て、北里大学の教授になられた人だ。奇蹟というかサンフランシスコでのゲイパレードにオープンカーで行進しているぼくを見たという。この秋、涼しくなったら70年ぶりに会うことに。何を話したらいいことやら……。

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神津島の海は美しかった

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コメント

こんばんは。
文学さまが、ご自身でネットにブログされていると思いこんでいましたが、お助けマンがおられたのですね。
でも、毎回内容が変わり楽しみに拝見しております。
同性愛に対して考え方は今も昔も変わらない偏見は続いていると思います。でも文学さまのような考え方の方もあるのだと少し嬉しく思いました。これからも楽しみにして、拝見させていただきます。
季節の変わり目です。体調にはご自愛ください。

投稿: 匿名 | 2013年9月 7日 (土) 21時01分

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