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2013年9月28日 (土)

血のつながりって不思議なもの

 わが伊藤家のご先祖さまのことが分かる資料(伯父の宇佐見三郎が、ぼくの父、祷一にくれた手紙)が見つかった。キリスト教を軍隊組織で布教する「救世軍」の大尉、祖父、伊藤冨士雄は、長野県松代の出身、その父の禄は、真田藩表御用人だったようだ。

「冨士雄は長男、らく、じゅん、豊喜、マサの二男三女の長兄であった。わたし(宇佐見三郎といい中学校の校長までした人。我が家の近所に住んでいた)の母マサは、末の妹としてかわいがってくれた。

 28歳でおっとに死別し、三人の男の子が残された。冨士雄さんは、忙しい中を救世軍の制服のまま、よく訪ねてくれた。

 わたしの長兄、初男が肺結核を患ったときは、救世軍中野の療養所に入院させてくれた。当時は肺病が一番恐れられた病気で、治療薬もなかった。

 家族への伝染を心配して入院させてくれたものと思っている。母の話では、冨士雄さんが初男の枕もとで、聖書のマタイの福音書の話をしてくれた。

「一羽のすずめが地に落ちても、イエスキリストの許しがなければ、天国に召されることはない……」

 冨士雄さんはひどくどもるくせがあった。彼の説教は実にゆっくりと、落ちついては話された。それだけに感銘深いということで、有名だったという。

 わたしは中学時代、兵隊のはく木綿の靴下をはいていた。それがあるとき、冨士雄さんからアメリカの毛の靴下をいただいた。そのあたたかいぬくもりに伯父の愛情を感じ、長く用いたことが思い出される。

 祖父、伊藤禄は、松代で漢学塾を開いた。毎夜、一里(4キロ)も遠いところから通ってくる門人に小林みつるがいた。小林は後に府立第三高女(現都立駒場高校)の校長を長く勤めた。今も駒場高校の校庭に小林校長(多分初代校長)の胸像が建っている。

 父の都合の悪いときは、娘のじゅんが代講した。伊藤禄は俳人でもあり、祷一さん(ぼくの父)から友の死を悼んで「あとさきとなりて、あわれや雁のこえ」の句があることを聞いた、号を麟趾といった。

 松代にある菩提寺に行き、また小学校長をした古老にも、祖父のことを聞いたが、何も得られなかった。

 菩提寺に門人の立てた祖父の碑があるという話だったが、見つけることはできなかった。長野市の図書館にも行ったが、手がかりはつかめなかった。

 祖父の禄は明治の瓦解で、藩主からいただいたお金を銀行に預けたが、銀行がつぶれてしまった。

 碓氷峠を下って利根川をまた船で下って、東京に出た。芝新銭座、攻玉社のとなりに居をかまえて、下宿屋を開いた。下宿人のひとりにわたし(三郎)の父、宇佐見源三がいて、わたしの母マサと結婚した。」

 ぼくも年齢を重ねると、ご先祖さまがどんな人だったのかということが気になってくる。

 世田谷学園の同級生だった、高橋民夫君(昨年亡くなってしまった)が、長野の戸倉に住んでいたので、車で松代に連れて行ってもらったが、菩提寺の名前も分からないのでは、こんなところから、東京に出てきたのかということを感じただけだ。

 今では宇佐見三郎さんの息子さん、娘さんとも、お付き合いはまったくなくなっている。ブログを見てくれる人にとって、伊藤家のご先祖さまの話など、どうでもいいことだと思うけれど、ブログってぼくが死んでも残るらしいので、なにかのごえんでつながるかも知れない。

 先妻の舞踊家ミカは、養女に行っていたので、「血」というものを真剣に考えていたようだ。血のつながりって、不思議なものだ。

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