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2013年10月

2013年10月14日 (月)

昭和の時代をふりかえれ!

 1950年、1960年代、高度成長時代でもあったし、日本は活気に満ちあふれていた。とくに新宿は、前衛的な若者が次々と頭角を現わし、いろんなジャンルで活動していた。

 そんな時代に、ぼくは富士重工のスクーター、ラビットをやっと買い求めて、走り回っていた。

 どこに駐車しても、駐車違反で持っていかれることもない。スクーターから乗用車に変わって、新宿の靖国通りに面した、Qフラットビルに「伊藤文学の談話室・祭」をオープンさせた頃だって、靖国通りに駐車しておいても駐車違反になることはなかった。

 それが今の時代はどうだろう。圧倒的に車が増えたから、取締りを強化するのはやむをえないが、行き過ぎの感がある。

 引退した警察のお偉方が経営している会社だろうが、二人ずつ組んで街中を自転車で走り回って、はげたかのように獲物を見つけると、ほんのちょっとの駐車でも、罰金をとりたててしまう。

 オートバイなんか、道路の片隅に置いたからといって、交通の邪魔になるわけでもないのに、そんなにきびしく取り締まったら、商店街はすたれてしまうだろう。

 悪い人はいつの世にもいる。小学生にいたずらをする人がいると、お役所は責任をとられるから、ガードマンをやとって守っている。

 昭和の時代は、近所の老人が孫を連れて、校庭で遊ばせているなんて光景は珍しいことではなかった。

 運動会のときなどは、近所の子供のいない人だって出入り自由で応援していたものだ。今では厳重に規制されていて、簡単に運動会を見ることができないし、写真を撮ることもできない。

 ぼくの末の妹、紀子が僧帽弁閉鎖不全病という当時としては、難病で長い間、東京女子医大の心臓病棟の8人部屋に入院して、手術の日を待っていた。

 姉や、すぐ下の妹は嫁いでいたので、ぼくしか、病室に妹を訪れるものはいなかったから、仕事の帰りに立ち寄っていた。

 幸いなことに、ほんの取次店が密集している神田から、わが家へ帰る途中に病院があった。その頃の病院は、守衛所なんてなかったから自由に出入りができた。

 妹の部屋に入院してきた5歳の坊や、和ちゃんと仲良しになって、病院の中をあっちこっちと連れ歩いてもなんにも注意されることなどなかった。

 心臓病と闘いながら、みんな自然なことで助けあって病院生活を送っていた。クリスマスの夜、ぼくはダンボールをツリーの形に切って絵の具で色を塗り、黄色いお星様をいくつも作った。

 それを壁にセロテープではりつけて、クリスマスの夜を消灯時間まで楽しく過ごしたものだ。

 今の病院では、画鋲を壁にうつくこともできないし、病院内を子供を連れて歩くことなんてとんでもないことだ。

 個人情報なんてものが、うるさくなって本名を書いたり、写真を勝手に使うこともできない。

 知らないうちに、いろんな条例や、法律ができて、がんじがらめにしばられている。昭和の時代って、自由でいい時代だった。そんな時代だから生まれた『ぼくどうして涙がでるの』のドラマを読むことによって、昭和の時代をふりかえってもらいたいのだ。

 一年に三万人を越す自殺者なんて、昭和の時代にはいなかっただろう。消費税も8%に、住みにくい世の中になってきた。

第24回「伊藤文学と語る会」

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10月26日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。

会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」

住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978

会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600

初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!

お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2013年10月12日 (土)

もう一度、昭和の時代をふりむいてほしい!

 ネットのブログのお蔭で、48年前に原稿を書き、装幀を考え、何から何までひとりで作り上げて本にした、妹と共著の『ぼくどうして涙がでるの』その本の帯には「心臓病とたたかう兄妹の記録」とある。

 その本がぼくのブログを読んでくれていて数年前に知り合った、出版社に勤めるA・Iさんという女性の目にとまったのだ。

 今の時代、自費出版でなく本を出すということはまず不可能に近い。それも48年前に、話題になり、ラジオドラマ、テレビドラマとそして日活で映画化され、ベストセラーにまでなった本とはいえ、世の中、変わってしまっているのに、今、また本にする意義があるのだろうか。

 A・Iさんは東北大震災があり、「絆」なんていう言葉が大声で叫ばれている今の時代だから、この本を読んでもらって、昭和の30年のころ、日本はまだ貧しかったけれど、新幹線が開通し、オリンピックが開催され、東京タワーが完成し、日本人が前向きで希望に満ちあふれていた時代をもう一度ふりむいてもらいたいと、この本を出す意義を語る。

「絆」なんて言われなくても、心臓病棟に入院してきた患者たちは、死と対決しながらもみんな助け合い、励ましあって入院生活を送ることは当たり前のことだった。

 小学校にもガードマンがいて警備し、運動会を応援するにしても関係者以外は入ることができない。

 病院はもっと厳重で、やたらと病院内には入れない。すべてががんじがらめに規制されているのが、今の世の中だ。

 個人情報などと、うるさいことを言われ、患者さんの写真を載せたり、名前も本名を使うことはできない。息苦しいばかりだ。

 今度出す本には、写真は妹以外のものは使えないし、すべて仮名にするしかなかった。

 妹が入院した401号室は、女性ばかり8名の大部屋だったが、子供部屋が満員なので5歳の生まれつきの心臓奇形の和ちゃんが入ってきたことで、部屋の様相が変わってしまった。

 その頃のぼくは、自転車からやっとスクーターになって、走り回っていた。車もまだ少なかったので、道路わきに置いていても、駐車違反で持っていかれる心配なんてなかった。

 妹の手術日が決まってからも、病院側の都合からか何度も延期になるものだから、わがままな妹はやけくそになって、病院から抜けだして、フジテレビ(当時は河田町にあった)のロビーに遊びに行ったり、突然わが家に帰ってきたり、街の銭湯に行ったりと、自由気ままにふるまっていた。病院には警備員なんていなかったからそんなことができたのだ。

 ぼくは思いあまって、朝日新聞の「読者の広場」という投稿欄に「妹に激励の手紙を」と呼びかける投稿を出した。朝日新聞は3日後くらいに載せてくれた。

 当時の朝日新聞の力は偉大だった。午前中に下北沢のわが家を訪ねてくれた人が何人もいた。

 午後から病院に行ったら、多くの人が励ましに訪ねてくれて、花でいっぱいだった。翌日からは手紙が束になって届けられた。

 手紙を送ってくれた人は、お金持ちや、有名人、宗教家、教育者はいない。学生、お手伝いさん、同じ病気の人たちばかりだ。

 地方で心臓の悪い人は、病院にも行けず榊原先生という心臓手術の権威がいる病院に入院できた妹をうらやましいという手紙も多かった。

 心臓が苦しいときには、お茶に醤油を入れて飲んでいるという人もいた。

 ぼくは妹の病室を訪れることによって、多くの患者さんの悩みや、苦しみを聞くことができて、ぼくの目は広く社会に向けられるようになっていった。

第24回「伊藤文学と語る会」

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10月26日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。

会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」

住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978

会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600

初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!

お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2013年10月 7日 (月)

児童ポルノの法改正に反対しよう!

 恐れていたことが、現実に近づいてきたことを予感させる内容の記事だ。

 2013年9月20日(金)の読売新聞朝刊の生活部、野倉早奈恵記者が書いたものだ。見出しには、「児童ポルノ・法改正で単純所持禁止を」とある。

「インターネットを介した児童ポルノの拡散がとまらない。民間事業者や自治体による規制の取り組みが行なわれているが、効果は限定的だ。児童買春・児童ポルノ禁止法を改正し、単純所持を禁止する必要がある。」と、記者は断定している。

「現在、児童ポルノの流通経路はインターネットが主流だ。警察庁によると、昨年の児童ポルノ事件の摘発は過去最多の1596件。そのうちインターネット関連の事件は1329件で、全体の84.5%を占める。児童ポルノ禁止法では、18歳未満の児童ポルノの販売や製造、譲渡を禁止している。しかし、個人的に児童ポルノを収集、所有する「単純所持」は禁止していない。

 このため、児童ポルノをネット上で入手して個人的に所有しても違法とはならない。こうした画像がパソコン間で、画像や動画などのファイルをやりとりする「ファイル共有ソフト」などを通じて拡散している現状がある。

(中略)

 現在、G8(主要8カ国)の中で、単純所持を禁止していないのは、日本とロシアのみだ。まずは、実在する子供を守るという観点に立ち、秋の臨時国会で、単純所持の禁止が決まることを期待したい。」

 と書いている野倉さんの顔写真まで載っているが、やさしい美女だが、鬼の顔のようにも見えてくる。

 日本で最初の同性愛の雑誌『薔薇族』を創刊し、これも初の男性ヌード写真集『脱いだ男たち』そしてこれも初の『少年たち』を世に出したぼくとしては内心おだやかではない。創刊2号目で警視庁の風紀係に出頭させられたぐらいだから、「単純所持」の第1号摘発者は、ぼくかも知れない。そう思ったから机の引き出しのすみずみまで探し出して、それらしいものはすべて捨ててしまった。

 第一、この人は少年愛者だと、どうやって断定するのか。ドイツのナチスがユダヤの人たちをあぶり出したように、密告で決めるのか。考えるだけでも恐ろしいことだ。

 この記事を書いた野倉さん、少年の写真を見たがる少年愛者の人たちの実態をまず調べてほしい。日本に少年愛者がどのくらいいるのかということは、ぼくにだって分からないが、千単位、万単位ではなく、数十万人はいると推測する。

 それに趣味で少年を好きになった人なんているわけがない。持って生まれたもので、少年を愛することは、この世で終わりを告げるまで続くということだ。

 単純所持を禁止していないのは、ロシアと日本だけだから、それが悪いように言われるが、これはむしろ誇っていいことではないか。

 自民、公明、日本維新の会の3党が、単純所持の禁止を盛り込んだ改正案を今年の5月に提出し、継続審議となっているそうだが、これらの党が半数以上の議員を占めているのだから、すんなり可決されてしまうかも知れない。

 少年愛の人たちが立ち上がり、団結して法の改正反対を叫べばいいのだが、残念ながらこれはまずありえない。

 常識あるマスコミの人たちが、反対の声をあげてもらいたい。がんじがらめに法律で規制してしまえば、恐らく地下にもぐるだろうから犯罪はむしろ増えるだろう。

 ネットで見るぐらいは、大目にみてもらいたいものだ。オリンピックが東京に決まったからといって、よろこんでばかりはいられない世の中になってしまいそうだ。

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第24回「伊藤文学と語る会」

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10月26日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。

会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」

住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978

会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600

初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!

お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2013年10月 5日 (土)

第24回「伊藤文学と語る会」

来る10月26日(土)、下北沢のカフエ「占茶」にて、第24回「伊藤文学と語る会」を開催致します。
日時・10月26日(土)午後12時~14時
場所・下北沢一番街、カフエ「占茶」
会費・各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。
世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階
電話・03ー3485ー8978

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お上にもお慈悲がある!

 花の生命は短い。写真に撮ろうかなと思いながら何日か過ぎてしまうと、もう盛りの美しさはない。

 少年愛の人から見る少年も、美しい時代というのは、あっという間に過ぎてしまうものらしい。

 その美しいひとときの少年の絵や、写真を世界中の画家や、カメラマンが描き、写真に撮ってきた。

 なかにはわいせつなものもあるかもしれないが、少年の裸の写真を持っているだけで罪にしてしまう法律を作ろうなんて、あまりにもひどい話だ。

 神奈川県のJ君が、1979年の『薔薇族』10月号にこんな投稿を載せている。

「ぼくが中二のときに初めてトイレの中でやったオナニーは、しゃがんだままで手のひらで亀頭をやみくもにこすったものだった。その時の天にものぼる気持ちは忘れられない。やってる最中、こんないいことが人生にあったのかと思ったよ。

 中三の修学旅行の夜、オナニーの話が出たわけ。オナニーのことなんて誰とも話したことのなかったぼくは、胸がドキドキしたね。そして、たいていの奴がもう経験ずみと知って、なんだと思ったわけ。

 たまたま三年間同じクラスだった奴にすごい美少年がいて、ぼくなんか異常に彼を意識しちゃって、ろくに口もきけなかったけど。

 彼なんかは常に、美しくないぼくを拒絶しているって感じだったね。まあ高校生だったのだから、そして彼は典型的美少年で、ぼくは不細工で、そのうえ彼を憧れちゃってたのだから、クラスメートだった三年間に、けっこう席もとなりになったりしたのだけど、話した回数なんて、ごく僅かだった。

 そんな美少年君も、高三の頃にはあまり似合わないメガネを常用しはじめて、急に光が薄くなっちゃったけどね。

 本当に少年愛(こういうのをそう呼ぶのだろうと思うけど)、なんとも、はかないものだね。相手が本当に美しい期間なんて、数年のことだろうからね。

 肉体にしろ精神にしろ、青年ぽさが出てくると、もう駄目なんだ、ぼくは……。それにしても彼は当時、美しかったよ。白く輝く肌、甘い瞳、形のよい鼻、少年らしく赤い唇。それにある種の聡明さ。

 大学生になってから、いくつか家庭教師のバイトやったけど、ある中二の教え子が、それにそっくりだったんだなあ。その子、口ではちょっと生意気なこと言ってたりするんだけど、かわいくてね。教えている間は、ずいぶん苦しかったなあ。

 そんなことがあって、その子が中三になって、間もなくバイトをやめたけどね。じつはその子、一番美しかったのは中二の時だったんだ。

 そしてその頃、ぼくは雑誌を通して、この世界の人たちと付き合うようになった。最初のO君はひどかった。会ってみると全然好みじゃないんだ。

 その頃は、会った以上、逃げ出すことは出来ないなんて思ってたものだから、ビジネスホテルで寝て、うんざりして翌朝別れたけど、これはと思ったのは、三人ほどだったなあ。今はひとりいるんだけどね。

 そしてさまざまなオナニーのやり方を知ったのだけど、オナニーも、もういいかげん、あきてきたんだね。オナニーは覚えてから八年たつと、もうやらないでもよくなるなんて聞くけど、ちょうどぼくも八年目なんだよね。この頃は週に三回程度だけど、もっと減らしてもいいなあ。」

 最近、「鬼平犯科帳」ばかりぼくは見ているけれど、鬼と呼ばれる鬼平だって、お上にもお慈悲があるって、大目にみのがすことも。

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花の生命は短くて

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