もう一度、昭和の時代をふりむいてほしい!
ネットのブログのお蔭で、48年前に原稿を書き、装幀を考え、何から何までひとりで作り上げて本にした、妹と共著の『ぼくどうして涙がでるの』その本の帯には「心臓病とたたかう兄妹の記録」とある。
その本がぼくのブログを読んでくれていて数年前に知り合った、出版社に勤めるA・Iさんという女性の目にとまったのだ。
今の時代、自費出版でなく本を出すということはまず不可能に近い。それも48年前に、話題になり、ラジオドラマ、テレビドラマとそして日活で映画化され、ベストセラーにまでなった本とはいえ、世の中、変わってしまっているのに、今、また本にする意義があるのだろうか。
A・Iさんは東北大震災があり、「絆」なんていう言葉が大声で叫ばれている今の時代だから、この本を読んでもらって、昭和の30年のころ、日本はまだ貧しかったけれど、新幹線が開通し、オリンピックが開催され、東京タワーが完成し、日本人が前向きで希望に満ちあふれていた時代をもう一度ふりむいてもらいたいと、この本を出す意義を語る。
「絆」なんて言われなくても、心臓病棟に入院してきた患者たちは、死と対決しながらもみんな助け合い、励ましあって入院生活を送ることは当たり前のことだった。
小学校にもガードマンがいて警備し、運動会を応援するにしても関係者以外は入ることができない。
病院はもっと厳重で、やたらと病院内には入れない。すべてががんじがらめに規制されているのが、今の世の中だ。
個人情報などと、うるさいことを言われ、患者さんの写真を載せたり、名前も本名を使うことはできない。息苦しいばかりだ。
今度出す本には、写真は妹以外のものは使えないし、すべて仮名にするしかなかった。
妹が入院した401号室は、女性ばかり8名の大部屋だったが、子供部屋が満員なので5歳の生まれつきの心臓奇形の和ちゃんが入ってきたことで、部屋の様相が変わってしまった。
その頃のぼくは、自転車からやっとスクーターになって、走り回っていた。車もまだ少なかったので、道路わきに置いていても、駐車違反で持っていかれる心配なんてなかった。
妹の手術日が決まってからも、病院側の都合からか何度も延期になるものだから、わがままな妹はやけくそになって、病院から抜けだして、フジテレビ(当時は河田町にあった)のロビーに遊びに行ったり、突然わが家に帰ってきたり、街の銭湯に行ったりと、自由気ままにふるまっていた。病院には警備員なんていなかったからそんなことができたのだ。
ぼくは思いあまって、朝日新聞の「読者の広場」という投稿欄に「妹に激励の手紙を」と呼びかける投稿を出した。朝日新聞は3日後くらいに載せてくれた。
当時の朝日新聞の力は偉大だった。午前中に下北沢のわが家を訪ねてくれた人が何人もいた。
午後から病院に行ったら、多くの人が励ましに訪ねてくれて、花でいっぱいだった。翌日からは手紙が束になって届けられた。
手紙を送ってくれた人は、お金持ちや、有名人、宗教家、教育者はいない。学生、お手伝いさん、同じ病気の人たちばかりだ。
地方で心臓の悪い人は、病院にも行けず榊原先生という心臓手術の権威がいる病院に入院できた妹をうらやましいという手紙も多かった。
心臓が苦しいときには、お茶に醤油を入れて飲んでいるという人もいた。
ぼくは妹の病室を訪れることによって、多くの患者さんの悩みや、苦しみを聞くことができて、ぼくの目は広く社会に向けられるようになっていった。
第24回「伊藤文学と語る会」
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10月26日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。
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