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2013年11月

2013年11月30日 (土)

日本という国に生まれたことの幸せ!

 2013年の11月15日(金)の読売新聞の記事を読んで驚いた。「国民医療費38.5兆円11年度」と見出しにある小さな記事だ。
 
「厚生労働省は14日、2011年度に医療機関の保険診療に対して支払われた国民医療費が、前年度比3・1%増の38兆5850億円になったと発表した。1人当たりの医療費は同3.3%増の30万1900円で、いずれも5年連続で最高を更新した。
 厚労省は「医療の高度化と高齢化が増加の要因」と分析している。」
 
 丁度、この記事を読んだあとに、「東京都後期高齢者医療広域連合」というところからぼくが平成24年7月から平成25年6月までにいろんな医療機関に支払った、明細書が送られてきた。いつもはちらっと見て、ゴミ箱に捨ててしまっていたが、気になって使った金額を合計してみた。
 
 耳鼻科、皮膚科、泌尿器科、内科、歯科と診察券は何枚もある。そして薬局だ。その合計は、なんと35万5千9百9拾円にもなる。そのうち1割だけが、ぼくの財布から出て、あとは、お国が負担してくれている。
 
『薔薇族』のカメラマンだった、T君がアメリカに渡ったが、彼は老人が好きな人で、大学教授を定年で引退した人と、一緒に住んでいた。その人の最期まで見とったそうだが、保険に加入していても、アメリカでは医療費は莫大だったそうだ。
 
 日本のこの制度は、医師の生活を保護するためと、薬局・薬を販売する会社のためのような気がする。
 
 まったく診察もしないで、薬を出すだけで何千円もとるし、薬屋は医院のそばに、それも1階で、家賃も高いと思うけれど、広いお店で営業している。
 
 指圧屋さんも、ただ腰が痛いだけなのに、ころんで腰を打ったことにして、保険扱いにしてしまう。何十兆円も医師や薬局に支払ってお国がやっていけるならいいが、ちょっと心配になってくる。
 
 下北沢に開業している泌尿器科に、もう7、8年も前立腺肥大で、夜中に何度もトイレに起きるので、診察してもらい、薬を処方してもらっているが、まったく効果が現れない。
 
 最近のテレビのコマーシャルは、健康食品のものが多い。ぼくは時代劇専門チャンネルばかりを見ているが、ひとつの話が45分で終わる。あとの15分はコマーシャルを間に入れていたのだろう。それがないから高齢者向けの薬の広告がやたらと多い。
 
「ノコギリヤシ」という薬の広告も多くて、それも3社ぐらいが、提供していて、どこも初回限定で通常価格より安くして、980円なんてあるが、お1人さま1個限りで2週間分だ。あと続けるとなると高価なものをのみ続けなければならない。
 
 だまされてもと思って、電話をかけて送ってもらった。養蜂堂というはちみつなどを売っている会社だ。
 
 一日に4粒を飲めということだ。これは奇蹟としか言いようがない。泌尿器科の専門医から処方されて、7、8年ものみ続けて効かないというのに、数日にして夜中に1回か、2回、トイレに行くだけになったとは……。
 
 さて、これから先が問題だ。もう薬「ノコギリヤシ」は、数日分しかない。あと飲み続けるためには、月に4、5千円の薬を買い続けなければならない。
 
 年金生活者にとっては辛い話だ。今、新聞を2紙とっているが、これを東京新聞だけにしてしまうかだ。
 若い人たちにとっては、バカバカしい話だが、老人にとっては深刻な話なのだ。夜中に何度起きても、がまんするとするか。

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2013年11月25日 (月)

母校、駒大を愛するからこそ!

 2013・11・3・陸上・全日本大学駅伝対校選手権が、熱田神宮―伊勢神宮、8区間106.8キロで、駒大が5時間13分9秒で、3連覇を果たした。
 
 その日、朝8時スタートの駅伝が始まったが、午後1時からの母校、駒大の開校130周年・駒沢移転100年記念「第10回・ホームカミングデー」が、会場を渋谷のヒカリエに移してのパーティに参加するために、優勝のシーンを見ずにバスに乗った。
 
「ヒカリエ」の9階の宴会場・体育館のような広さ。千人を越す卒業生が集まるのだから今までの構内の学生食堂では、収容しきれず、ここを会場に選んだのだろう。
 
 美輪明宏さんが、この会場を見たら、烈火のごとく怒るだろうが、壁面には何の装飾もない。天井の照明器具も体育館と変わりがない。
 
 以前、代議士のパーティに参加したことがあったが、ホテルでの会なのに、卓上に花一本飾られていなかった。
 
 今度のパーティもそのときと同じで、花一本飾られていない。ここは単なる貸ホールで、料理も出張レストランのようなところにまかせたのだろう。
 
 ビール、ジュースをのむのも紙コップとは驚きだ。パーティというのは、会場のムード作りも大切なことなのだ。出席者のほとんどの人は、そんなこと気にしないだろうが、パーティ好きで、過去に何十回となく催してきたぼくとしては気になるところだ。
 
 もっと驚いたのは、スペシャルゲストに招いたのが「サンドウィッチマン」という2人組のお笑い芸人だったことだ。
 
 卒業生でもなんでもない、ただ東北出身で、「みやぎ絆大使」などをやっているから招いたのだろうが、お酒を飲んでざわついている席では、漫才は前の方にいる人だけにしか聞こえない。
 
 もう少し考えて、ゲストを招いてもらいたいものだ。何年か前になんだか分からないものに投資をして、儲けようと思ったのが失敗し、パアになってしまったことがあった。
 
 そのとき理事長はじめ、総長・学長などが辞任し、新しくなった人たちが壇上に並んだ。そんなことがあって、国文科の同窓会も長いこと続いたのに、会員に通知する郵送料の援助がなくなり、去年で会を開けなくなってしまった。
 
 毎年、八戸から出席していた、高校の女の先生、いつも名物のほやのびんづめをおみやげに持ってきてくれ、好物だったのに、残念なことだ。
 
 いずれの世界もトップに立つ人の器が小粒になっているが、総長、学長のスピーチも最低だ。メモ書きしてきたものを読み上げているとは情けない。
 みなさん宗教家なのだから、こんなときに胸を打つような話をしてもらいたかった。
 
 料理もまずいし、量も少ない。すぐになくなってしまった。学生食堂で催していたときは、料理が残るぐらいで、最後にケーキやコーヒーも用意されていた。
 
 参加費はタダだから文句は言えないが、タダほど恐ろしいものはない。子供の数がへってきて大学の経営も大変だと思う。将来を見越して、このような会を開いているのだろうが、それだけに知恵を絞ってほしいものだ。
 
 会費を払ってもいいから、ムードもいい、サービスもいいホテルで催すべきだろう。
 
 うれしかったのは、91歳になる元高校の先生で、『薔薇族』の読者だった人が、ぼくに会いたいために名古屋から出てきてくれたことだ。
「伊藤さんですね」と、胸に名札をつえkているのを見て声をかけてくれた人もいた。
 大手のデパートに勤めている人で、「読者です」と名乗って名刺をくれた。
 
 悪口ばかり書いてしまったが、母校、駒大を心から愛しているからだ。正月の箱根駅伝にも勝利して、3冠を勝ち取ってもらいたいものだ。
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2013年11月23日 (土)

ぼくらの夫婦の仲人は、文化勲章授章者だ!

 ぼくの生涯の大恩人の中西進さんが、文化勲章を授章された。テレビは俳優の高倉健さんばかりを報道していて、面白くなかったが、ぼくにとっては、うれしいニュースだった。
 
 中西さんと出会ったのは、なんとも古い話だが、昭和25年5月(1950年)今から63年前のことだ。駒沢大学の国文科に入学したのが、戦後間もない昭和23年、万葉集の研究者で、歌人でもあった森本治吉先生が主催する歌誌『白路』に入会して、作歌の教えを受けていた。
 
 國學院大學は歌人の釈先生もおられたので、短歌を作歌する学生が多かった。共立女子大学には、『おだまき』を主催する中河幹子先生がおられたので、やはり短歌愛好家が多くいた。
 
 それらの学生を集めて、短歌会を催したのは、東大の構内の三四郎池のほとりにあった山上会議所での歌会が最初だった。
 
 当時の駒大は三流大学で、劣等感を持っていたので、早大、中央大、学習院などの学生にまじって、ぼくは小さくなっていた。
 
 そんなときにどんな作品を出したのか、思い出せないが、東大国文科の中西進さんが、ぼくの作品を絶讃してくれたのだ。うれしかったのなんのって、こんなにうれしかったことはない。
 
 ぼくの生涯の生き方が変わったと言っても過言ではない出来事だった。それから國學院大學の学生だった阿部正路君(のちに國學院大學の教授にもなられ、無二の親友だったが、早死にされてしまった)と、会を組織化し、「大学歌人会」を結成、活動を始めた。
 
 わが家を事務所にして、ガリ版を刷って会の通知を出した。その頃からイベントを企画するのが好きで、寺山修司君を招いて、会を開いたりもした。
 今考えても、われながらすごいことを考えたのは、手のひらにのってしまうような、タテ9センチ、ヨコ6センチほどの豆歌集の出版だ。
 
 ちゃんとした歌集を作るとしたら、当時でも何十万円とかかってしまう。それに百部二百部しか作れない。
 
 豆歌集は五千円で、千部も作れたから、一冊十円で売ることができた。友人の教育大学生の、相沢一好君と、二人で刊行した。その後、会員たちが続いて出して大好評だった。
 
 中西進さんと親しくさせて頂いて、吉祥寺に近いお宅へ何度もお邪魔したこともある。
 
 そのぼくの豆本歌集『渦』に、序文を書いてくれたのも、中西進さんだ。前にもブログに書いたと思うが、あまりにも詩のような文章でむずかしいと手紙を出したら、今度は分かりやすい序文を書きなおして送ってくれた。
 
 ぼくの女房、久美子との仲人の役を引き受けてくれたのも中西進さんだ。
 
 昭和47年(1972年)、今から41年も前に出版された、毎日新聞社刊の中西さんの著書『万葉の心』の著者近影とある、着物姿の写真は、ぼくが撮影したもので、いい写真だ。
 
 あとがきに、「写真は友人の伊藤文学君がとってくれた。うれしいことだ。」と書いてくれている。
 
「万葉びとは、こうしたひたむきな叙情をもって、この歌集の中につどうた。そしてそれ以上のことは、何もしていない。歌をうたったからとて、現実には何の足しにもならないだろう。そのとおりに、彼らは悲しければ悲しいと言い、うれしければうれしいと訴えただけである。」
 
 こんなことを序文に書かれているのに、なぜ、ぼくの歌集『渦』の序文にはむずかしく書いてしまったのか? ぼくは万葉びとのような気持ちで、これからも分かりやすいブログを書き続けていくつもりだ。
 
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歌集『渦』の表紙
 
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難解な『渦』の序文

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2013年11月18日 (月)

『バディ』創刊20週年おめでとう!

『バディ』を月刊で出している、テラ出版の新井さんから、10月21日、メールが『薔薇族』伊藤文学に入ってきた。
 息子が紙焼きにしてくれたので読んでみた。
「以前、大黒堂ミロさんの主催でおこなわれた「リスク」というイベントで挨拶させていだきました。」とあるが、10数年前に一度ぐらいお会いしたくらいでは、申し訳ないが、まったく覚えていない。それは新井さんだけでなく、よほど印象に残るような方でないと忘れている。
『バディ』が2013年11月21日発売号で、創刊20週年を迎えるそうだ。そ「の創刊20周年号において、『バディ』に携わっていただいた、各方面の方々や、団体の皆様にコメントをお願いしたく、ご連絡をさせていただきました。」
 文字数は200字でとのことだ。『バディ』は創刊20年とのことだが、もっと前からと思っていた。
『薔薇族』が、1971年に、商業誌として、日本初の同性愛誌として創刊された。そして3年後に『アドン』が創刊、サン出版から、1974年に『ザ・ゲイ』が、1982年に『サムソン』『Gメン』そして1993年に『バディ』と、次々と創刊された。
 最初に「トーハン」「日販」などのルートで、全国の書店に雑誌を送れるようにするためにコード番号をとった、ぼくの功績は大きい。
 後続の雑誌は、すでに道がひらけているのだから、『薔薇族』が売れている書店に配本すればいい。あとから出た雑誌は楽なものだ。
 しかし、時代はめまぐるしく変わった。インターネットと携帯電話が普及するにつれて、雑誌は売れなくなっていった。
 すでに『さぶ』『アドン』『薔薇族』は廃刊になり、残るは3誌のみだ。
『バディ』が出版不況と言われて生き残っているのは、編集部の努力もさることながら、オーナーが商売上手で、ポルノショップとウリセンのお店を経営して利益を上げているから、雑誌が赤字になったとしても、なんでもないことだ。
 ポルノショップで売っている商品の広告を雑誌に載せられるという強みもある。200字でコメントしろと言われても、とっても書ききれるものではない。
『バディ』に言いたいことは山ほどあるが、今は「創刊20周年おめでとう」としか、言いようがない。
 あと10年、20年、出し続けて、『薔薇族』の継続した記録を抜いてもらいたいものだ。「ゲイのことは、ゲイにまかせろ!」というのが、『バディ』の目標だと思う。ぼくがやり残してしまったこと、同性婚の問題もそうだ。キリスト教の国が多い先進国で、法律が制定されて、実現しているというのに、日本のゲイたちは声をあげないし、団結しないのだから、雑誌の力で同性婚を勝ち取ってもらいたい。
『バディ』は、少年愛については消極的なようだが、ポルノショップでは規制される前に、大量の少年の写真を販売してしまった。これらの写真を所持しているだけで、逮捕されてしまう法律を制定しようとしていることに、断固反対すべきだ。
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 10数年前にロサンゼルスのゲイ・パレードに参加するために訪れた時に、なんという美術館か忘れてしまったが、外に出た時、たまたま出会った少年だ。
 何を見つめているのだろうか? その横顔が美しかった。となりの日本ではあまり見られない太めのご婦人が、座っていたのを不思議に覚えている。
第25回「伊藤文学と語る会」
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11月30日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。
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2013年11月16日 (土)

なんとしても出版社に損をさせたくない! ――48年ぶりに『ぼくどうして涙がでるの』が本になる!

 48年前に我が社、第二書房から出版した、末娘の紀子との共著、『ぼくどうして涙がでるの』が、いよいよ12月初旬に再び本になって発売される。
 株式会社スペースシャワーネットワークからだ。この会社は音楽関係の雑誌を出していて知られているそうだが、ぼくは全く知らなかった。
 書籍も毎月、数点は出しているというのに、本読まないぼくは、これも知らない。編集部の企画会議で、全員が出そうと決めてくれたのだから、著者としては、なんとしても損をさせてはいけないと、売る方法をいろいろと考えている。
 そんなときに10月20日の「読売新聞」の朝刊の記事はショックだった。見出しには「1ヶ月全く読まず53%、本離れ懸念」とある。
 10月27日から読書週間が始まるので、毎年全国世論調査を新聞社は実施している。
 ぼくも図書館など一度も足を踏み入れたことがないが、1年間に図書館を利用した人は35%しかいないそうだ。
 スマートフォンなどという便利なものが登場してきて、20歳代全体で、スマホを持っている人は、86%というのだから、こんなものを見ていたのでは、本や、雑誌を読むわけがない。
 今の時代、自費出版でなくて、本を出すということは、至難の業だ。48年前に原稿を書くことから、本づくり、そして取次店(本の問屋)への営業、そして新聞広告のレイアウト、なにからなにまで、ひとりでこなしたのだから、これは若かったからできたことか。
 なによりも新聞の力は、すさまじかった。朝日新聞の都内版に記事が載っただけで、それを読んだ、週刊誌、月刊誌、子供向けの雑誌、ラジオ、テレビと次々に広がっていって、最後に日活で映画にまでなったのだからラッキーだった。
 意外だったのは、本を買うのはネットでという人が一番多いのかと思ったら、書店でという人が、70%と圧倒的に多く、ネットの通信販売は、12%だった。
 いくら本を読まなくなったといっても、本好きの人も多い。どうやってぼくの本を買ってもらうかだ。
 先月、高田馬場の駅前の「芳林堂書店」という大きな書店のホールで、彩流社刊の『ゲイの誕生』という本の著者、匠雅音さんとぼくとで、トークショウをやらせてもらった。そのとき書店の人たちと、名刺を交換させてもらったが、親切でやさしくて、本に愛情を持っている人たちだ。
 この人たちに、本が出来上がったら訪ねて、どうしたら本が売れるのか、相談してみたいと思っている。
 ぼくも出版の仕事を長いこと続けてきたから、どうしたら本が売れるかということは、分かっているつもりだが、とにかく時代の変化はめまぐるしい。ネットも触ったことがない、相変わらず原稿用紙に書いていて、それに携帯電話ももっていないなんて言ったら、誰もがあきれかえってしまうだろう。
 しかし、本の内容が読む人の心を打つことができるかということが一番だ。自分で自分の書いたものをほめるわけにもいかないが、48年ぶりに読み返したのだから、客観的に読むことができた。見たもの、感じたものをそのままかざらずに書くこと。これは今、ブログを書いていることも変わらない。
 それに何よりも、妹の日記のすばらしさだ。死と向き合い書き続けた、その文章はすさまじい迫力がある。
 ネットを見てくれている人って、お金をだして本など買わないと、よく聞くが、ぼくのブログを読んでくれている人は、みんなぼくの本を購入してくれると信じている。
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マネージャーに許可をもらっています。
元気になった紀子と十朱幸代さん
第25回「伊藤文学と語る会」
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11月30日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。
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2013年11月12日 (火)

三度、キャバレー「白いばら」で祝う会を!

「人生いろいろ」81歳を越えたぼくにも、いろいろな出来事があり、今まさに「奇蹟」といっていいようなことが……。
 
 今の時代、本を出すということは難しい。それがぼくのブログを読んでくれている、出版社に勤める女性が、48年前の処女出版というべき『ぼくどうして涙がでるの』を読んで感動し、出版を依頼してきたではないか。
 
 その本は、(株)スペースシャワーネットワークから、12月6日、全国の書店で販売される。予価¥1400(税別)
 
 うれしいことに、今の日本で抜群に輝き、知名度も高い、阿川佐和子さんが、ぼくと一度しかお会いしたことがないのに、推薦文を書いてくれた。
 
 日活で映画化もされ、ベストセラーになったこの本がきっかけとなり、「全国心臓病の子どもを守る会」が設立され、今では会員が4千数百人に及ぶ、大きな組織に発展している。
 大塚にある守る会の事務局を訪ね、局長の下堂前享さんからお話を伺った。
 
 ぼくの末の妹、紀子が心臓病棟に入院してから、生まれついたときからの心臓奇形の子どもたちの存在を知った。
 それまでは心臓病の知識は、まるでなかったが、患者から話を聞いたり、心臓外科の権威の榊原教授の『心臓病を語る』という本を読み、この子どもたちのために、何かをしなければと考えるようになった。
 ぼくでさえ知らなかったのだから、当時の学校の先生が、心臓病のことなど知るわけがない。学校の体育の先生にいじめられたと、妹と同室の中学2年制の早苗ちゃんが、ぼくに話してくれた。
 心臓が悪いということは、外見から見ただけではわからないから、体育の授業ばかり休んでいることが、なまけていると先生は思ったようだ。
 
 ところが今の時代は、学校側が心臓病の知識を知りすぎ、そんな子どもを入学させ、校内で発作を起こし、亡くなったりしたら、学校の責任を問われることを恐れ、入学を拒否することもあるそうだ。
 
 48年前は医師に、「手術の成功率は、5分5分ですよ」とか、妹の場合は確か「4分、6分ですよ」と、言われた記憶がある。
 停ってしまえば、その患者は死んでしまう手術をするのだから、48年前は大変な手術だった。
 現在は9割は成功するようになってきたが、大人に成長するころに、その子どもがどうなるのかまでは分からないようだ。
 多くの亡くなった患者がいて、医師は経験を積み、医療器具も進歩し、今では多くの病院で手術ができるようになってきた。
 
 ぼくはこの本の「まえがき」に、「心臓病棟で、もうこんなドラマは生まれない!」と書いたが、なんでも規制されてしまっている今の病院では、ありえないドキュメントだ。
 当時の「読売新聞」の書評に「甘やいだ文章に関わらず、ドキュメントには珍しい文学性が、全編にキラキラしていて、不思議な感動を呼ぶ書物である」と、うれしいことを書いてくれた。
 
 パーティ好きのぼくは、二度も銀座の、豪華でレトロなキャバレー「白いばら」で、出版を祝う会を開いたが、三度「白いばら」で、12月7日(土)、午後4時受付、7時終宴で、出版を祝う会を開く。
 
 ブログを読んでくれている方々にも、ぜひ参加をしてもらいたい。とくに女性にとってはキャバレーって入りにくいところだが、素敵なショウも見られ、生バンドの演奏も聴けるので、ぜひこの機会にご参加を!(著書も進呈)
 
 参加費・1万円です。先に伊藤文学の口座に、お振込ください。
 
振込先
みずほ総合口座 店番号 北沢支店213
普通預金口座番号 0415466 伊藤文学
11月末日までにお願いします。
 
「白いばら」
〒104-0061
中央区銀座3-5-18
TEL 03-3564-0967
 
51geo375iul

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2013年11月11日 (月)

日本は暗黒時代になって行くのだろうか!

 2013年10月8日、東京新聞の朝刊の「こちら特報部」に恐ろしい記事が載っていた。「軽微な件で検挙の恐れ 規制の対象は「国民」」という大見出しでだ。
「臨時国会が十五日から始まる。焦点の一つは特定秘密保護法案の行方だ。防衛省では二◯◯六年の通達で、職員たちに部外者との接触について報告を課した。他官庁でも情報管理が進む。にもかかわらず、この法案は何を狙うのか。
 戦前、「軍機保護法」という法律があった。機密保護を名目に、国民の日常生活を統制した。「秘密保護法は軍機保護法の復活」という指摘も出ている。」
 とにかく恐ろしい法律のようだ。
 山口大学の纐纈厚副学長は、「規制しようとする対象は、国民の日常生活だ」と警鐘を鳴らす。
「秘密保護法の制定は、民主主義の窒息死を意味する。制定されてしまえば、市民が『これは軍事情報っぽいから、ネット検索はやめておこう』などと萎縮するようになる。モノが言えない社会になってしまう」
 自民、公明の議員が大多数をしめているのだから、sんなりと法案が通ってしまうだろう。
 児童ポルノの単純所持禁止の法案も、すんなり可決してしまうのだろうか。日本はうっかりモノが言えない、暗黒時代に突入していくような恐ろしさを感じる。
 何にもしないで、平凡に一日を過ごしていれば、何事もなく過ぎてしまうだろうが、今年は人がやらないような仕事をしたお陰で、お役人の考えていることが、はっきりとわかった。
 ボランティアで桜並木のせせらぎを清掃しつづけている林清孝さんと二人で、歌人、斎藤茂吉の歌碑を建てることができた。そのとき初めて世田谷区役所の土木公園課の人たちと出会ったが、常識では考えられない、びっくりするようなことばかりだった。
 2米半もの歌碑を建てて、それが地震でひっくりかえって、けが人が出たらという心配が最初だった。
 次は歌碑を建てるその下が、暗渠になって、下水が流れている。そのコンクリートがこわれやしないかという心配だ。
 まさに「保身」としか言いようがない。何事もなく、すごして 別の場所に移っていく。それしか考えていないのだから、許可がおりるにも一年以上もかかってしまった。
 次は48年ぶりに、ぼくと妹とが書いた本が出版される。その間の時代の変わりようは、ものすごいものがある。
 いかに昭和の30年、40年代は、自由でのびのびしていたかということを思い知らされた。
 まず個人情報なんていうものが、うるさくなり、本に載せる氏名なども仮名に変えるしかなかった。
 病院にガードマンなんていないし、出入りも自由だった。スクーターもどこに置いても違反にならない。
 孫の小学校で授業参観日だったので、学校を訪れたが、門にはガードマンが立っている。
 その上、権利を主張するようになって、何をするにしても、お金を払わなければならない。
 48年という時の流れとともに、知らないうちに、いろんな規制ができたり、法律がつくられてしまって、がんじがらめだ。
 本の取次店(問屋)の副社長を勤めて定年で辞められたYさんに、仕入れの人に少しでも多く本をとってもらおうと口添えをと思って、手紙を出したら、返事がかえってきた。
「現役を卒業して、はや15年。知らない顔ぶればかりとなってしまいました。時代の流れというものでしょう。」
第25回「伊藤文学と語る会」
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11月30日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。
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2013年11月 9日 (土)

国士舘大学の『ウゴパン』は素晴らしい!

 毎月、「伊藤文学と語る会」の会場として使わせてもらっている、下北沢北口商店街の中にあるカフエ「占茶」。感じの良いご夫婦、二人でやさしくぼくらを迎えてくれている。
 9月の会に出席してくれた、中年のご婦人から、ぼくと二人で撮った写真を入れて送ってくれた発信地が、なんと札幌。18歳になる息子さんが、ニコニコ動画で見つけて、お母さんに知らせたようだ。
「ただのオコゲ出身の『薔薇族』フアンの私が……」とあるから、若いときに愛読してくれていたということだろうか。
 毎回、初めて出席してくれる人が、必ず何人かいるので、ぼくとしてもこれ以上、うれしいことはない。
 遠く九州から出席してくれる人もいて、少しでもお役に立てればと思っている。
 このカフエ「占茶」に、国士舘大学の学生が「置かしてください」と言って、置いていく、大学広報課発行の『ウゴパン』という、頁数22ページのシャレた雑誌がある。
 すでに30号も出ていて、「ご自宅までお持ち帰りください」と書いてあるから、無料のようで、大学のイメージをよくするために刊行しているのだろう。
 前の号にもいい記事が載っていたので、ブログに書くので引用させてもらいたいと、広報課に電話したら、断られてしまった。
 30号の表紙の写真がいい。なぎさで少年と少女が手を握っての後ろ向き写真。乱れた少女の長い髪の毛が、何かを物語っている。
 特集は「恋愛観は中学生なみ!? 恋に恋する大学生」。「男子200人と女子200人の合計400人の国士舘生に緊急アンケートを実施!」とあって、グラフにしてくわしく載っていて面白い。
1・現在付き合っている人はいる?
 男子:YES・53人 NO・147人
 女子・YES・81人 NO・119人
 こんなに恋人がいない学生がいるなんて、おどろきだ。今どきの大学生って、恋人を見つけに学校に行っているのかと思っていたのに。
5・ズバリ、セックスの経験はある?
 男子:YES・92人 NO・108人
 女子:YES・85人 NO・115人
 今どきの大学生、相手をみつけたら、すぐにセックスしてるのかと思ったら、これも意外、まじめなのか、気が弱いのか。
3・理想として恋人とはどれくらいのペースで会いたい?
 1位:1週間に1度・73人 2位:3日に1度・65人 3位:2週間に1度・19人
 これもおどろきだ。7位に男女とも5人もいるなんて。これで恋人と言えるのだろうか。ぼくなんか一日に何回も会っていたっけ。
 今から30年以上も前の国士舘生といったらバンカラが売りものだった。応援団の学生に『薔薇族』のモデルをお願いしたことがあったが、脂ぎってこわいような男の匂いぷんぷんの学生だった。
 最近話題になっている、高校3年の女子高生を自宅にまで入り込んで、待ち伏せていてナイフで刺し殺してしまった男。
 フィリッピン人の母親を持つ男だけに、情熱的な男だったのでは。テレビに映し出された犯人の男は、今どきあまり見かけないタイプの、がっしりとしたいい男だ。
 ネットで知り合ったようだが、女子高生、彼の外見だけにホレてしまったのだろう。無職なのに大学生と偽っていたのだが、だんだんにバレてきて、女子高生は別れようとしたのか。
 別れ方って難しい。相手を怒らせないように時間をかけなければ。恋のベテランの人がなぜ、そのへんを教えようとしないのか?
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第25回「伊藤文学と語る会」
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11月30日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。
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2013年11月 4日 (月)

昭和の時代、父親はこわかった!

 貧しかったけれど、みんな瞳は輝いて、希望を持って夢に満ちあふれていた昭和の時代。もう一度、ふりかえってもらいたいと、48年も前に出版した、妹、紀子との共著、『ぼくどうして涙がでるの』を復刻することにした。
 昭和の時代って、どんな時代だったのか? 書棚の中から、こんな本を見つけ出した。
『昭和こども図鑑・20年代、30年代、40年代の昭和こども誌』文・奥成達 絵・ながたはるみ ポプラ社刊 定価本体1600円 2001年7月に刊行され、8月には2刷りが出されている。
 なんとぼくは興味があって、この本を買ったのだが、一度も読まずに書棚に入れっぱなしだった。
 ぼくの子供時代の生活が、子供たちの遊びがすべて描かれているではないか。「まえがき」には、こんなことが書かれている。
「昔のこどもに目覚まし時計なんか必要なかった。毎朝きまって聞こえてる牛乳屋さんのカタカタという自転車の音、いそぎ足の新聞配達の少年の足音。こんな朝の音たちを聞きながらウツラウツラと、少しずつ目を覚ましていくのだ。」
 昔の家は、サッシなんていう窓ガラスで密閉されていない、隙間だらけの窓ガラスだったから、外の物音がよく聞こえた。
「ナットウ、ナットウ」と叫びながら、納豆を売り歩く少年やおばさんの声も部屋の仲間でよく聞こえた。
 新聞配達の少年がポストに投げ入れるときに「キュッ、キュッ」と音をさせていたといっても、今どきの人にわかるわけがない。
 この時代、父親は絶対的な権力を持っていて、食事をするときにも、座る場所が決まっていた。
 明治生まれの親父が、ほとんどだったろうが、親父の言うことには、さからえなかった。
 ぼくの親父は、母が肺炎で入院していても一度も見舞いに行かなかったし、妹が心臓病棟に長いこと入院していても、見舞いに行かなかった。
 手術の承諾書に印鑑を押さなかったなんてどういうつもりだったのか。日活映画『ぼくどうして涙がでるの』の中では、父親は小さいときに亡くなっていないことにしてしまった。
 それにしても十朱幸代さんや、佐藤英夫さんの写真を使うにしても、日活の本社に版権を扱う係がいて、そこで使用料を払って使わせてもらわなければならない。
 昭和の時代には、映画のスチール写真を使っても誰にも文句は言われなかった。内藤ルネさんのイラストを使うにしても、使用料を払わなければならない。
 今の時代、版権とか、いろいろとうるさくなって、すべて承諾してもらうには、使用料を払わなければならない。当たり前のことだけど、ぼくなどは本を出すのに、著者と契約書なんて一度も書いたことがなくて、終わってしまった。なんとも窮屈な世の中になってしまった。
 奥成さんの「まえがき」には、こんなことも書いてある。
「トントントン」「トントントン」母親がまな板で朝食を作る音がする。
 味噌汁の大根を刻む包丁の音だ。
 一昔前の母親の姿といえば、いつでも夜なべしている、少し前かがみの後ろ姿であった。母親が針仕事をしている気配の隣の部屋でうっすらと感じながら、子どもたちはウツラウツラと今度は少しずつ眠りに入っていく。」
 今度こそ、この本を読んでみよう。今の若い人にも、昭和の時代の空気を吸ってもらいたいものだ。

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第25回「伊藤文学と語る会」
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11月30日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。
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2013年11月 2日 (土)

一枚の写真から祖父を思う

 ぼくの父、祷一と姉、利世子(りよこ)が二人並んで撮った写真が、仏壇の片隅から出てきた。
 青山の杉浦写真館で、明治44年1月1日写すと、写真の裏で墨で書いてある。利世子は同じ年の11月8日に昇天と書かれている。享年15歳だ。祖父、伊藤富士雄は、この長女の利世子をとくにかわいがっていたようだ。
 女流作家、吉屋信子さん(1896年、1月12日生まれ、1973年7月11日没。享年77歳、代表作は『花物語』など)の『ときの声』が、読売新聞に載ったのは、昭和39年(1964年、11月6日)から、40年、4月29日までだ。
 少女小説などを得意としていた吉屋信子さんが、なぜ、これほどまでに情熱を燃やして調べ上げ、救世軍の活動を書いたのだろうか?
 丁度、連載中に『ぼくどうして涙が出るの』の本が出版され、映画化もされたので、もう記憶にはないが、吉屋さんにお願いして推薦文を書いてもらったのだろう。
 祖父、富士雄から直接話を聞いて、昭和5年に中央公論社から刊行された『娼妓解放哀話』は、難しい。
 吉屋さんは作家だし、読売新聞の連載小説だから、一般読者にもわかりやすく書かれているというものの、理解しにくかったのでは。
 祖父、富士雄がからだをはって、千人近い女郎たちを解放した話は、孫としても誇りにも思うし、また、子孫にも語り継いでいかなければならない。
「愛妹の心臓手術の入院中を見舞う、その兄が同室の同病の五歳の童児を知って、そそいだ人間愛の手記には、じい〜んと胸を打たれる。
 手記の筆者、兄妹には祖父の救世軍士官・伊藤富士雄の血が時代を変えて生きているのだった。」
 ありがたい言葉だった。
 吉屋さんは、利世子の死が、8歳で早逝したと書いているが、15歳で本当で、渋谷の実践女子学園に通っていたようだ。かわいがっていた利世子の死は、祖父にとってショックだったようだ。
「伊藤富士雄は、最初、救世軍に入った当時は、銀座玉屋の測量機製作所の工場長として、五十人ほどの職工を監督していた。彼はその頃から早くも労働運動に目覚めていた。それが救世軍の実践的献身に感動し、入信・入隊して、のち士官となった。
 その時、彼をよく識る片山潜は、山室軍平に「伊藤くんはなかなか硬骨な真剣な人物だから、君の方へ行ったら、必ず将来に役に立つ働きをするだろう。」と伊藤富士雄の未来を予言した。
 明治36年4月、大阪で内国勧業博覧会開催の時に、大阪難波に救世軍小隊を開いて、小隊長として赴任したが、まもなく――。
 軍平(日本の救世軍の最高位にいた人)に引き回されて丸裸
 さるべえ(猿兵衛)損と人は言うなり
 と、小隊事務室の襖に落書きして、救世軍を飛び出してしまった。
 (救世)のsalvationに(猿兵衛損)をあてはめた狂句の作家、伊藤富士雄は長野県松代出身の熱血児で、しかも、ユーモリストだった。
 工場主任の職も収入もすてて、薄給の救世軍士官となれば、丸裸は覚悟だったが、上の指導権は、日本をよく知らぬ外国士官が握りそれに反抗もせず従う、山室軍平に引き回される猿の一匹には甘んじられぬと、不平を起こした伊藤富士雄が、飛び出して測量機械の熟練工の生活に戻って、数年を経た明治四十四年、長女、利世子が十五歳で早逝した。
 悲嘆に打ち沈んだ富士雄は、それが動機でふたたび救世軍の事業に、今度こそは生涯を投身したいと決心した。」
(吉屋信子全集12 朝日新聞社刊より引用)
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父、祷一と姉の利世子
第25回「伊藤文学と語る会」
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11月30日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。
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2013年11月 1日 (金)

おわび こんなことで中断とは!

 突然の「伊藤文学のひとりごと」の中断、伊藤はもうこの世にいない、そう思われた方もいたかもしれません。
 
 他人様の猪口コルネ君の親身な協力で、ボランティアで、ここ数年、毎土曜日と月曜日に、きちんと更新し続けてきたので、ぼくのブログを読んでくれている方々が、増え続けています。ありがたいことです。
 
 ぼくも猪口君の協力にこたえて、ぼくなりに頑張って書き続けていて、からだはすこぶる元気です。
 
 今回の中断の原因は、ふところ具合がさびしくなってきて、「ニフティ」への支払いがとどこおっていたので、停められてしまったということです。
 また復活しましたので、今まで以上にご支援のほど、お願いします。
 
 ぼくの81歳の生涯で、数えきれないほどの困難なこと、不幸な出来事にも出会いましたが、くよくよしない性格のおかげと、嫌なことを忘れてしまう、これは頭の悪さかもしれませんが、なんとか乗り越えられました。
 
 今年の春には、歌人、斎藤茂吉の歌碑、文学の小路の石柱を建てることもでき、大きな仕事を成し遂げることが出来ました。
 
「奇蹟」のようなことって、現実に起こって、ぼくが原稿書きから、出版、販売まで、一人で成し遂げた本、『ぼくどうして涙がでるの』が、なんと58年ぶりに復刻されて、12月初旬に、(株)スペースシャワーネットワーク社から、全国の書店で発売されます。
 
 この本は、妹、紀子の生きんがための心臓病との戦い、8人部屋の患者たちが、助け合い、励まし合って生きようとする姿を描いたドキュメントです。
 
 5歳の坊や、和ちゃんと、ぼくとの心の交流を描き、手術の甲斐なく亡くなってしまったとはいえ、和ちゃんの生きざまは見事でした。
 
 朝日新聞をはじめ、ありとあらゆるマスコミがこの本をとりあげてくれて、昭和40年秋の芸術祭参加作品として、日活で映画化され大ヒットしました。本もベストセラーになり、生まれつき心臓奇形の子どもたちのことが世に知られることになり、「全国心臓病の子どもを守る会」の設立のきっかけとなったのです。
 なんとしても、この本をヒットさせたいので、みなさんのご支援をお願いします。
 
 下北沢のカフエ「占茶」での「伊藤文学と語る会」も、毎回、初めての出席者も何人かいて、それも遠方から来られる方もあり、感激しています。
 女性の出席者も増えてきていることは、嬉しい限りです。
 
 次の11月の会は、11月30日(土)、12時から2時までです。ぜひ、ご遠慮なくおでかけください。
 
第25回「伊藤文学と語る会」
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11月30日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。
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