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2013年11月 2日 (土)

一枚の写真から祖父を思う

 ぼくの父、祷一と姉、利世子(りよこ)が二人並んで撮った写真が、仏壇の片隅から出てきた。
 青山の杉浦写真館で、明治44年1月1日写すと、写真の裏で墨で書いてある。利世子は同じ年の11月8日に昇天と書かれている。享年15歳だ。祖父、伊藤富士雄は、この長女の利世子をとくにかわいがっていたようだ。
 女流作家、吉屋信子さん(1896年、1月12日生まれ、1973年7月11日没。享年77歳、代表作は『花物語』など)の『ときの声』が、読売新聞に載ったのは、昭和39年(1964年、11月6日)から、40年、4月29日までだ。
 少女小説などを得意としていた吉屋信子さんが、なぜ、これほどまでに情熱を燃やして調べ上げ、救世軍の活動を書いたのだろうか?
 丁度、連載中に『ぼくどうして涙が出るの』の本が出版され、映画化もされたので、もう記憶にはないが、吉屋さんにお願いして推薦文を書いてもらったのだろう。
 祖父、富士雄から直接話を聞いて、昭和5年に中央公論社から刊行された『娼妓解放哀話』は、難しい。
 吉屋さんは作家だし、読売新聞の連載小説だから、一般読者にもわかりやすく書かれているというものの、理解しにくかったのでは。
 祖父、富士雄がからだをはって、千人近い女郎たちを解放した話は、孫としても誇りにも思うし、また、子孫にも語り継いでいかなければならない。
「愛妹の心臓手術の入院中を見舞う、その兄が同室の同病の五歳の童児を知って、そそいだ人間愛の手記には、じい〜んと胸を打たれる。
 手記の筆者、兄妹には祖父の救世軍士官・伊藤富士雄の血が時代を変えて生きているのだった。」
 ありがたい言葉だった。
 吉屋さんは、利世子の死が、8歳で早逝したと書いているが、15歳で本当で、渋谷の実践女子学園に通っていたようだ。かわいがっていた利世子の死は、祖父にとってショックだったようだ。
「伊藤富士雄は、最初、救世軍に入った当時は、銀座玉屋の測量機製作所の工場長として、五十人ほどの職工を監督していた。彼はその頃から早くも労働運動に目覚めていた。それが救世軍の実践的献身に感動し、入信・入隊して、のち士官となった。
 その時、彼をよく識る片山潜は、山室軍平に「伊藤くんはなかなか硬骨な真剣な人物だから、君の方へ行ったら、必ず将来に役に立つ働きをするだろう。」と伊藤富士雄の未来を予言した。
 明治36年4月、大阪で内国勧業博覧会開催の時に、大阪難波に救世軍小隊を開いて、小隊長として赴任したが、まもなく――。
 軍平(日本の救世軍の最高位にいた人)に引き回されて丸裸
 さるべえ(猿兵衛)損と人は言うなり
 と、小隊事務室の襖に落書きして、救世軍を飛び出してしまった。
 (救世)のsalvationに(猿兵衛損)をあてはめた狂句の作家、伊藤富士雄は長野県松代出身の熱血児で、しかも、ユーモリストだった。
 工場主任の職も収入もすてて、薄給の救世軍士官となれば、丸裸は覚悟だったが、上の指導権は、日本をよく知らぬ外国士官が握りそれに反抗もせず従う、山室軍平に引き回される猿の一匹には甘んじられぬと、不平を起こした伊藤富士雄が、飛び出して測量機械の熟練工の生活に戻って、数年を経た明治四十四年、長女、利世子が十五歳で早逝した。
 悲嘆に打ち沈んだ富士雄は、それが動機でふたたび救世軍の事業に、今度こそは生涯を投身したいと決心した。」
(吉屋信子全集12 朝日新聞社刊より引用)
20131025_1
父、祷一と姉の利世子
第25回「伊藤文学と語る会」
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11月30日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。
会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」
住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978
会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。
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