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2013年12月

2013年12月30日 (月)

本を売ることの難しさを!

 下北沢の駅周辺には、小さな個人商店の書店が、5,6軒はあったが、みんな消えてしまい、今では北口駅前のスーパー「ピーコック」の3階にある「三省堂書店」だけになっている。
 
 小さな書店がやっていけなくなった理由は不景気が続いているということもあるが、それよりもあっちこっちに出現したコンビニの存在だ。
 
 小さい書店の安定した収入源は、週刊誌、月刊誌などの売上だ。コンビニの出現でそれらの雑誌類がコンビニに置かれるようになったことは痛かった。
 
 それと大型のチェーン店の書店が、各地で出店し、売り場面積を拡大していったのだから、小さい書店は、廃業に追いやられてしまった。売れる本は、大書店に回されて、小さい書店にすぐに入ってこない。なんでも揃っている大書店に客を取られてしまうのは当然のことだ。
 
 今度「スペースシャワーネットワーク」社の編集部の岩崎梓さんの熱意が、ぼくの著書『ぼくどうして涙がでるの』を48年ぶりに復刻させた。
 
 ぼくとしてはなんとしても初刷だけでも完売して、損をさせてはいけないと、出来るかぎりの努力をしている最中だ。
 
 しかし、大きな壁が立ちふさがっている。今の時代、ネットの時代で本を読まない人が増えてしまっているという現実がある。それと景気が少しもよくなっていないこともある。
 
 ぼくが『薔薇族』を創刊する前に、単行本を出し続けていた頃は、取次店(本の問屋)に配本するときの卸値は、大手の出版社とそう大差はなかったが、今は取引条件がかなり悪いようだ。
 
 それに本の刷部数も、昔は初刷を5千部以上作ったので、地方の書店にもくまなく配本できたが、今は2、3千部だというのだから、どこにくばられるのだろうか。
 
 大きな書店は大量に本を扱うのだから、取次店に圧力をかけて、正味を少しでも安くする取次店から仕入れているようだ。これはどこの業界でも同じことだろう。
 
 大きな書店は、大きな出版社から売上が上がると、報奨金がもらえるので、どうしても大出版社が出す本を少しでも、長く店に置いて売ろうとする。小さな出版社の本は、棚にも置かれないままに、すぐに返本されてしまう。
 
 三省堂書店の下北沢駅前店、店長さんが一番めだつところに、手描きのポスターを立てかけてくれ、10冊置いてくれているのに、2週間ほど経って様子を見に行ったら、1冊しか売れていない。これにはがっくりしてしまった。
 
 東京新聞が、2013年12月14日の朝刊に[「患者支えた絆 復刊」の見出しで、小形佳奈記者が、じつにいい記事を書いてくれた。
 
 月刊『WiLL』にも、記事が載った。
 
 新聞・雑誌、そしてぼくの時代には、出したくても出せなかった「朝日新聞」に、暮れの30日の朝刊に広告を出してくれるというのが、それもあまり効果がない時代になっている。
 
 ネットを見ている人たちって、お金を出してまで、本を買おうという人はいないのだろうか。
 またテレビドラマ化をするべく、働きかけてくれている友人もいる。まだ諦めるのは早い。
 
 昨年から今年にかけて、大ベストセラーを出した、阿川佐和子さんが推薦文を書いてくれて、帯に入れているのだから、売れないわけがない。
 
 いつの時代でもいいものはいいのだ。読んでくれさえすれば、胸を打ち感動させることは間違いない。

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2013年12月28日 (土)

異性との結婚問題が、いちばんの悩み!

『薔薇族』誌上で「伊藤文学のひとりごと」の頁に、最初にとりあげたのは「結婚のこと」だった。
 昭和の40年代、50年代の頃は、読者の一番の悩みごとは、異性との結婚の問題だ。結婚しないわけにはいかなかったからだ。
 
 小学校の教師の話を書いている。
 
「今日、ひとりの青年が訪ねてきた。小学校の教師だった。同じ学校の女性の先生に愛されてしまい、彼女のほうが積極的で、いつの間にか親同士が会って、式場の日取りまで決められていた。
 
 迫り来る結婚式のことを考えると、不安でたまらず、ぼくのところに相談にきたのだ。そのときは「なんとかなるから結婚しなさい」と答え、「やめなさい」とは、どうしても言えなかった。
 
 彼のことなど忙しさにとりまぎれて忘れてしまっていた頃、彼から電話がかかってきた。「うまくいっているかい」と言うと、いかにも元気のない声で、「それが、どうも」ということだ。もう半年も経っているというのに、数回しかセックスはしていないという。
 
 夜、早く帰るとせがまれるものだから、なるべく外で遊んで、遅くなって帰ってくる。最初のうちは、他に女がいてそれで帰ってこないのではと追求する。変だと思った彼女は同僚の男の先生に相談したら、「君の亭主はホモじゃないの?」と言われてしまった。
 
 どうにも弁解ができなくなって、またぼくを訪ねてきた。根掘り葉掘り聞くと、彼女のからだに触れることがいやで、いざとなると勃起しないという。
 
「自分の欲望はどうして処理しているの?」と聞くと、自分の家の中のトイレで、オナニーをしているそうだ。
 
 美人の奥さんで料理は上手だし、部屋の掃除はよくするし、非の打ち所はない。それに共働きまでしてくれている奥さん。彼女にはなんの罪もない。
 
 世間体のために、ひとりでは寂しいから、年老いてから子供に面倒をみてもらうために、田舎に住んでいて長男だから、どうしても結婚しなければならなかった。
 
 それがために、どれだけ多くの女性が悩み苦しみ、傷ついたことか。そしてその子供が、どんなにか父を呪ったことか。そして自分自身もいやな思いをしたに違いない。
 
 それでもどうしても女性と結婚する。そしてまた、同じ悲劇がくりかえされる。なんというおろかなことだろう。
 
 その悩み、失敗を若い人たちに教えようとしないのだろうか。自分さえよければいいというのだろうか。なんとかうまく結婚生活を続けている人もいるのだから、どうすればうまくいくのか、若い人たちに教えてもらいたい。また、結婚をしないで、ひとりで生きている人も、その生き方を教えてほしい。
 
 女好きの男と男好きの女との結婚のことなら、つたないぼくの経験からも、多少はアドバイスできるけれど、まだわからないことばかりなので、はがゆい。
 
 他人は偽ることができても、自分は偽れないから、ぼくは一生、独身で暮らすという人もいる。でも人間って、どうしてこうも弱いのだろう。
 
 秘密をもって結婚している人もさびしい。ひとりで暮らしている人もさびしい。どちらをとるのか、それは最後は君が決めなければならないのだろうか。」
 
 創刊した頃のぼくも、読者の結婚についての相談には、うまく答えられなかった。その時代の読者のいちばんの悩みは、女性との結婚の問題だった。それに対して、ぼくがはっきりと答えられるようになったのは、数年を経てからだった。
 
 今の時代、男も女も結婚しない人が増えてしまったが、それがいいのか、悪いのか?
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2013年12月21日 (土)

二人の少年の話

「少年愛の人、聞いてくれ!」と題して、高校3年生の少年が、こんな投稿を『薔薇族』に投稿していた。古い話だけど、少年愛の人は耳をかたむけるべきだろう。今でもこのようなことがあるかも知れないから……。
 
「俺は大学入試をひかえて、勉強に熱中している高校生。
 
 俺がこの世界に入ったのは小学1年生のとき。塾の先生に教えられたのがきっかけだ。
 読者のみなさんは信じられないだろうけど、小学1年生のとき、初めて射精したんだ。その先生が尺八してくれた。その先生のこと気持ち悪かった
けど、なにしろ小さかったから、言われるままになっていた。でも、そのことを今から考えると、いやでいやでいたたまれない。
 
 俺、少年愛の人に頼みがあるんだ。絶対に少年に嫌な思いをさせないでほしい。俺はあの先生のこと、たぶん一生涯うらむだろう。
 
 俺はもっときれいな初体験をしたかったのに、それなのにあの先生は、何もわからない子供を連れてきて、自分の情欲を満たすために、俺のからだをオモチャにしやがったんだ。
 
 俺は、俺のように嫌な思いはだれにもさせたくない。だから少年愛の人たち、絶対に少年には手を出さないでくれ!
 
 それから小さい子(中学生ぐらい)の子供に「かわいい」とか、「女の子みたいにかわいい」なんて言うのは、絶対にやめるべきだ。
 
 俺、むかし、近所でも評判の美少年だった。だから俺に気のありそうな人は、いつも「かわいい」とか、「女の子みたいにかわいい」とか言った。
 
 俺もまだ小さかったから、調子にのって、女の子みたいにふるまった。でも高校に入ってから気づいたんだ。俺はいくらかわいくても「男」だから男らしくならなくては、と。
 
 だから俺、空手もやったし、毎朝、走った。そのおかげで、俺、少しは男らしくなれた。
 
 俺、ホモであることは否定しない。でも、俺は「男」だ。いくらかわいくたって、女の子よりもきれいだって、そんなのは無意味。やはり男は男らしくなくては。
 
 だから、まだあまり物事のわからない子供に変なことを言わないほうがいい。いや、大人は言ってはならない、絶対にだ。このことをみんな守ってくれ、頼む。(京都市・N)」
 
 次の投稿は、小学校の教師からのものだ。
 
「私は山の中の小さな小学校に勤めていた。教員数も少ないので、4日か5日目に宿直がまわってくる。そして宿直の夜は中学生のKが、勉強をしにきていた。夕飯がすむと彼は学校へやってくる。そして夜、10時まで勉強。
 
 ちょうど土曜日だったので、彼はその夜、一緒に泊まると言った。宿直用のふとんは、一人分しかないので、一緒に寝ることにした。
 
 Kはシャツとブリーフだけになり、私はいつも素裸にねまき一枚だったので、二人が一緒に床に入ると、からだがくっつき、Kのぬくみが私のからだに伝わった。
 
 私は彼を抱くような格好で、彼と向き合って目を閉じた。どうしようと思うと、不思議に私自身がいきり立ってくる。でも、Kは私に抱かれたまま目を閉じた。
 
 私はそっと、Kの手が私自身にふれるようにもっていった。Kはねまきの上からそっと触れてきた。
 
 初めはおずおずとしてたようだったが、次第にぐっと握りしめた。そして、じかに私自身を握ったり、毛にさわったりしていた。
 
 やがて手をはなすと、じっと私の寝息をうかがっているようだった。私は素知らぬ風をして眠った様子をしていた。再び私のものに触れてきたとき、私は手をのばして彼のものに触れた。中学1年でこんなに大きいのかなあと思って、握りしめた手を上下に動かした。それから彼の手も、私と同じ動作をくりかえした。
 
 次の宿直の夜、Kは初めて射精した。そして、その夜から、彼は少年らしく、だんだんと育っていった。勉強がすむと楽しい遊びがまっている。(滋賀県・教師)」
 
 当然のなりゆきのようにも思えるけれど、この二人の話にはコメントしないことにする。

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2013年12月19日 (木)

アウトローのぼくの会に、元検事総長が!

 今、下北沢には、北口駅前のスーパー「ピーコック」三階にある「三省堂書店」と、若者が集まる「ヴィレッジヴァンガード下北沢店」という本屋さんがある。
 ぼくの著者、48年ぶりに復刻した『ぼくどうして涙がでるの』をなんとしても81年も住みなれた地元の書店に置いてもらおうと、まず「三省堂書店」を訪れた。

 店長の雨宮雅美さん、やさしい感じのいい方で、12月14日に「東京新聞」に載った記事を厚紙にはりつけて、阿川佐和子さんの推薦文「なんと優しさに溢れた本だろう。今の時代に出会えてよかった」も書いて持っていった。
 「代沢小学校、世田谷学園、駒沢大学出身。下北沢に81年生き続けた著者の感動のドキュメント!」も書き加えて。
 出版社の営業の人が、書店に本を置いてくれと頼んでも、そう簡単には置いてくれない。それが、10冊すぐに仕入れてくれて、入ってすぐの一番めだつところに置いてくれ、東京新聞の切り抜きを貼った、手書きのポスターもそばに。なんともありがたいことだ。

 南口駅前の「ヴィレッジヴァンガード下北沢店」の書籍担当のハセガワ アキラさんは、ぼくがよく訪れる渋谷にある「ポスターハリスギャラリー」に長いこと勤めている、長谷川町子さんの弟さんだった。
 不思議なめぐり合わせで、すぐに出版社に10冊注文してくれた。本が送られてきたら、サイン本として売ってくれるそうだ。

 高田馬場駅前の「芳林堂書店」にも積みあげてくれている。あとは渋谷の駅前の「大盛堂書店」、新宿の「紀伊國屋書店」本店にも大量に置いてくれている。

 なんとしても「スペースシャワーネットワーク」の岩崎梓さんが、熱意をもって復刻してくれたのだから、売れてくれなくては困るのだ。ぼくのブログを見てくれている方々にお願いだ。アマゾンでも扱ってくれているので、お求め願いたい。

 1月18日(土)夕方6時から8時までの渋谷駅前の「大盛堂書店」での月刊「WiLL」編集長、花田紀凱さんと、ぼくのトークショウにぜひ、参加してもらいたい。

 銀座のレトロなムードのキャバレー「白いばら」での『ぼくどうして涙がでるの』の出版を祝う会、80人を越す友人たちが参加してくれて大盛況だった。
 『薔薇族』は発売禁止処分4回、警視庁の風紀係に呼ばれて、始末書を書かされたことが20数回だから、アウトローと言われても仕方がない。
 そのぼくが宝島社刊の「昭和・平成・日本アウトロー列伝」の中のひとりに入れてもらったことを誇りに思っている。

 そんなぼくの出版を祝う会に、驚くべきは、元検事総長の松尾邦弘さんが、娘さんと一緒に出席してくれた。
 15年ほど前だったろうか。『薔薇族』の編集を手伝ってくれていたM君と、松尾さんは高校時代の友人だった。
 M君の息子さんの結婚式に招かれて、座ったとなりの方が、松尾邦弘さんだった。当然、ぼくは『薔薇族』の話をしたに違いない。
 それからは年賀状のやりとりだけのお付き合いだったが、いつも松尾さんはそえがきにぼくを励ましてくれる言葉が書いてあった。
 その短い言葉は、ぼくにとってはうれしいことだった。
 初めてお会いしたときは、刑事局長だったと思うが、年を重ねるごとに出世されて、検事総長に登りつめてしまった。

 その松尾さんがスピーチで「伊藤さんはやさしさだけでなく、強さがある」と。うれしいひとことだった。

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2013年12月16日 (月)

日本は監視国家になっていくのか?

 東京新聞をぼくはずっと愛読しているが、週に1回、「世界の街・海外リポート」という頁がある。特派員が原稿を寄せているのかは分からないが、世界中の都市での出来事が書かれていて、短い記事だけど、なんとなくその国のことが伝わり、興味深いので楽しみに読んでいる。
 
 2013年12月6日のベルリンからの宮本隆彦さんの記事には、どきっとさせられた。「監視国家の姿伝える」と、題してだ。
 
「冷たい雨の中、ベルリンの東にある旧東独の国家保安省本部跡を訪れた。一党独裁の社会主義体制を守るための秘密警察。ドイツ語の略称で「シュタージ」と呼ばれた。
 
 9万2千人の職員と、市民の中に10万人の内通者を抱え、友人や同僚、時には家族の言動をも密告させた。
 
 内部は博物館として公開され、カメラを仕込んだネクタイやバッグなど、ひと昔前のスパイ映画に出てきそうな装備を紹介するコーナーがある。(中略)
 シュタージがまいた不信は、回りまわって彼ら自信をむしばんだようだ。職場で席を離れる際は、たとえわずかの間でも、すべての書類をロッカーに片付け、毎回、扉をろうで封印する決まりだった。なんとも寒々しい職場だ。
 
 ベルリンの壁崩壊から間を置かず、シュタージは解体された。今から24年前の話だ。」
 
 この記事を読んで、冷や汗が出る思いだ。日本でもこれからこのようなことが、起こりうる世の中が近づいてきているからだ。
「秘密保護法」が、12月6日、成立してしまった。いよいよ、なんにも言えなくなってしまう時代になっていくのだろうか。
 
 次は「児童買春、児童ポルノに関わる行為などの処罰、及び児童の保護などに関する法律」を改正しようという動きだ。
 児童ポルノを所持しているだけで、逮捕されてしまうというのだから恐ろしい。
 
 少年愛者の数は、万単位ではない。想像するしかないが、日本中に数10万人は存在するだろう。その人たちは、顔に少年愛者と書いてあるわけはない。どうやって見きわめるのだろうか。
 
 気に入らない男を「あいつは少年愛者で、児童ポルノを持っているぞ」と、密告することも考えられる。
 
 国会議員は、少年愛者の実態を知るわけがないし、知ろうとも思わないだろう。国会が児ポ法の改正をとりあげるようになったら、野党も反対しないのでは。すんなり国会で決められてしまうだろう。
 
「秘密保護法」は、すべてのマスコミが反対し、連日のように一般人も反対のデモを繰り返したに関わらず、多数決で成立してしまった。
 児ポ法を今から声を上げて、改正させないようにしないと、結果は目に見えている。
 
 日本中に存在する少年愛者が、それこそ「今でしょ」ではないが、自ら勇気を出して、声を上げるときではないだろうか。
 
 がんじがらみにしめつけられてしまったら、かえって犯罪は増えるのでは。アメリカや、ヨーロッパでは、少年愛者はどんなことになっているのか、その実態を教えてもらいたい。
 
『薔薇族』を出していた頃は、多くの少年愛者の人たちから、少年の写真を見せてもらったが、ポルノショップからも姿を消してしまった今は、どんなことになっているか。
 
 最近出会った若い女性から、携帯電話に取り込んだ、少年の裸体写真を見せてもらったが、ネットから集めたもののようだ。
 
「密告」。いやな言葉だ。「秘密保護法」も成立し、監視国家になっていくようで、世の中ますます暗くなっていく。
 
 景気だって、一向によくなる気配はない。日本はどうなっていくのだろうか?

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2013年12月14日 (土)

ドラマの中の『薔薇貴族』にびっくり!

『薔薇族』の知名度が、驚くほど高いということを、このドラマを見て知った。
 
 テレビ朝日・開局55周年記念二夜連続ドラマスペシャル「オリンピックの身代金〜1964年の夏〜」
 
 直木賞作家・奥田英朗の小説をもとにした、二夜連続のドラマで、1964年の東京五輪開催をテーマに、社会問題をからめて、サスペンスに仕立てた、テレビ朝日が総力をあげて製作した第一級の娯楽作品だ。
 
 秋田県の貧しい家庭出身の東大院生・島崎国男(松山ケンイチ)が、五輪関連施設で働いていて、大量のダイナマイトを盗み出した。その火薬を扱う北野火薬を刑事が調べに行くのだが、地下室にダイナマイトが置かれていて、その奥の部屋に入るのを社長はなぜかこばんだ。
 
 刑事はそれを押し切って、中の部屋に入ったら、なんと隠していたのが『薔薇貴族』という雑誌だった。社長には奥さんもいる。
 
 いわゆる「隠れゲイ」だったのだ。ハンサムな東大院生・島崎国男に社長を好意をもっていたようだ。
 
 残念ながら、オリンピックが開催されたころには、『薔薇族』は創刊されていない。奥田さんの原作に、『薔薇貴族』が載っているのか、隠れゲイを視聴者にわからせるには、『薔薇族』の知名度を利用したのだろう。
 
 北野火薬の社長が、『薔薇貴族』を隠し持っていただけで、隠れゲイだということを知らせることができたのだ。これは脚本家が考えついたことかもしれない。
 
 1960年代、同性愛者たちは、この社長のように、女性と結婚しないわけにはいかなかった。世間の人たちも、ゲイの人たちを異常視していたし、ゲイの人たちも自ら異常者だと思い、悩み苦しんでいた時代だった。
 
 朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、東京新聞の4誌のドラマ評を読んだが、ぼくが一番すぐれていると思ったのは、(京)とサインしてある、東京新聞のドラマ評だ。
 
 東京新聞は単なるドラマ評ではなく、もう少しふみこんで、今の時代が当時のオリンピックが開催されたときより、何が変わって、何が変わっていないかを疑問視している。
 
「落合(刑事)が住む、当時最先端の団地の様子。一方、島崎の出身地、秋田の農村の貧しさ。華やかな舞台の陰で過酷な労働を強いられる人々がいた。
 
 首相の「原発汚染水コントロール」発言。そして再び東京オリンピックが決まった今、タイムリーな作品だ。
 
 日本は50年前となにか変わったのか、変わっていないのか。豪華な俳優陣が織りなす、一つ一つの場面に考えさせられる。(京)」
 
 50年前のオリンピックのときのように、高速道路を作ったり、大きな道路を作ったりして東京中が、ほこりまみれになるようなことはないと思うが、どんなことになるのだろうか?
 
 そろそろ3年が経つというのに、東北大震災で被害を被ったところの復興が遅々として進んでいない。オリンピックよりも被災地の復興のほうが先だと思うけれど。
 
「テレビ朝日」の「報道ステーション」で、フランスの核のゴミ処理現場を紹介していた。フランスは地震が少ないので、地下500米も掘って地質のいい場所に、10万年も先のことまで考えて、施設を作っている。
 
 地震国の日本では、核のゴミを捨てる安全な場所はないのでは。原子力発電所など、とんでもないものを建設してしまったものだ。
 
 女性と結婚せざるを得なかった、50年前のゲイの人たち。今の時代は、少しは良くなっているのだろうか。
 

第25回「伊藤文学と語る会」

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12月21日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。

会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」

住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978

会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600

初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!

お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2013年12月12日 (木)

『ぼくどうして涙が出るの』をめぐる二人の編集長の対決!

『Will』編集長・花田紀凱
『薔薇族』編集長・伊藤文学
 
2014年1月18日(土) 夜6時〜8時
渋谷駅前「大盛堂書店」3階・集会室(ワンドリンク付)
 
★スペースシャワーネットワーク刊・伊藤文学著『ぼくどうして涙がでるの』(定価¥1300+税)か、月刊『Will』新年号¥780をお求めいただいた方が参加できます。本は会場で販売。
 
『ぼくどうして涙がでるの』の装画は、『薔薇族』の表紙絵を描き続けた、内藤ルネさんによる、かわいい少年の絵だ。
 
 阿川佐和子さんが、「なんと優しさに溢れた本だろう。今の時代にこそ出会えてよかった」と、推薦のことばを寄せてくれたノンフィクション!
 
『月刊Will』新年号には、伊藤文学が「心臓病棟で、もうこんなドラマは生まれない!」という感動的な文章を寄せている。
 どんな話が飛び出すか、恐らく話は脱線するに違いない、二人の対決は面白い、ぜひ、ご参加を!
 
★1月の「伊藤文学と語る会」は、お休みしますので、この会にぜひ、ご参加ください。

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2013年12月 9日 (月)

ネットのお蔭で、70年ぶりの出会いが……

 SM作家の団鬼六さんとは、新宿の「伊藤文学の談話室・祭」に招いて講演をお願いしたときからのお付き合いだから、かなり長い。
 
 2009年に彩流社から刊行した『裸の女房』の出版を祝う会は、銀座で一軒だけ生き残っているキャバレー「白いばら」で開いたが、団さんご夫婦が出席してくれて、スピーチをしてくれた。
 
 2010年、彩流社から出版した『やらないか!』の祝う会にも団さんは出席し、スピーチをしてくれたが、そのときはだいぶ弱られたなという印象だった。
 
 団さんは「白いばら」が気に入られたのか、講談社から出された自伝エッセイ集『死んでたまるか』の出版記念会を「白いばら」で開かれた。
 
 そのとき会場に出席されていたのが、阿川佐和子さんだ。そのとき思いきって阿川さんに声をかけなかったら、今日の『ぼくどうして涙がでるの』の帯に推薦文をいただくことはできなかった。
 
 なにを阿川さんとしゃべったのか、まったく覚えていないが、阿川さんとツウショットの写真を撮らせてもらった。その写真は大きく伸ばして、ぼくのベッドの壁面にかざってあるので、目を覚ますと、阿川さんの笑顔が飛び込んでくる。
 
 阿川さんは『ぼくどうして涙がでるの』のゲラ刷りに目を通してくれたのだろう。読まなければ書けない推薦文だった。
 人間の出会いって不思議なものだ。
 
 12月7日(土)の4時から、三度目の出版を祝う会をキャバレー「白いばら」で開く。このブログが更新される頃には終わっているだろうが、どんな会になるのか、まったく予想がつかない。
 
 団鬼六さんは亡くなられてしまったので、もう会うことはできない。ぼくがパーティをたびたび開くのは、棺桶に入ってしまえば、友人が多数来てくれたとしても、どうにもなるものではない。元気なときにしばらく会っていない友人たちと、話をしたいと思うから、開くのだ。
 
 まだ出席・欠席のはがきが半分以上戻ってきていないので、どんな方々が出席してくれるのかは分からない。
 
 今、出席と返事をしてくれた方で、当日お会いできたとしたら、奇蹟としか言いようのない方がお二人いる。
 
 お一人はなんと、70年ぶりの再会ということになる。代沢小学校時代、6年間同じクラスだった塩谷信幸君だ。彼は秀才で背が高かったので、後ろの席、ぼくは劣等生で背が小さく一番前の席、彼と6年間に、しゃべった記憶はまったくない。
 
 10数年前、アメリカのゲイ・マガジン「フロンティア」のオーナーの招きで、サンフランシスコのゲイ・パレードに招かれ参加したことがある。そのとき塩谷くんは北里大学の教授で、学会があり、ぱれーどが 行われる広い道路に面した、ホテルに宿泊されていた。
 
 部屋を掃除するおばさんがきたので、やむをえず下に降りたら、ちょうどそのとき、ぼくが乗ったオープンカーが通り過ぎるところだった。オープンカーの横っ腹に、ローマ字でぼくの名前が書いてあったので、小学校時代の同級生だということわかったという。
 
 そのときのことを塩谷君がブログに書いてくれたのだが、ぼくはネットなど見れないから知らなかった。
 
 かなり時間がたってから、ぼくのブログを更新してくれているコルネ君が、こんな記事を見つけたと、紙焼きにして見せてくれた。
 
 コルネ君に頼んで、メールで塩谷君に連絡してもらい、7日の70年ぶりの再会が実現する。まさに奇蹟としか言いようがない。
 もうお一人の方とも、20数年ぶりになる。こんな方と出会えるなんて、ふるえるような思いだ。
 
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第25回「伊藤文学と語る会」

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12月21日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。

会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」

住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978

会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600

初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!

お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2013年12月 7日 (土)

阿川佐和子さんも、涙を流してくれた!

 テレビ朝日の連続ドラマ「ドクターX」を毎週楽しみにして見ている。
 視聴率も11月14日の放送は、23.7%と、トップだ。米倉涼子演じる大門未知子の決めゼリフ「私、失敗しないので。」は、カッコいい。
 
 ドラマとしてもよく出来ているが、ぼくが注目しているのは、ドラマの中に出てくる手術室だ。ドラマの終わりに協力した会社名が出てくるのだが、文字が小さいし、右から左に流れるように消えてしまうので、判読できない。
 はっきりと映るようになっていないのに、協力会社は、どんなメリットがあるのだろうか。手術室のあれだけの設備をセットで作るのは不可能だろう。どこかの大学病院が手術室を撮影に使わしているに違いない。
 
 妹が東京女子医大の心臓血圧研究所で、2度目の手術をして、帰らぬ人となったのは昭和48年12月20日、32歳。今から40年前のことだ。
 
 日活で映画になったのが、昭和40年のアキの芸術祭参加作品としてだが、48年も前のことで、手術室も当時としては、最新の設備だ。しかし、「ドクターX」の手術室と、48年前の手術室とはまったく違う。
 
 榊原先生が初めて心臓にメスを入れたのは昭和25年のことで、患者も日本人ではなかったそうだ。それからの医療器具の進歩は、すさまじいものがある。
 
 当時は手術の前に、成功率は五分五分とか、妹の場合は、四分六分なんて言われたものだ。カテーテルという検査で亡くなる患者もいた。
 
 2013年11月14日(木)の読売新聞の夕刊に「3D手術室・京都大学病院に完成」という記事が載った。
 
「京都大病院は13日、脳や心臓などの3D(立体)映像を見ながら治療ができる最新式の手術室を整備したと発表した。
「次世代型ハイブリッド手術室」と名付けられ、整備費は、約8億5000万円。」
 
 妹が手術をした時代には、インターネットとか、携帯電話なんてなかったし、日活の映画も、カラーでなくて、モノクロだった。
 
 今なら妹は亡くなることはなかったが、多くの患者たちが亡くなり、医師たちも経験を積んで、多くの外科医たちが育っていった。
 
 妹が入院していた401号室には、患者たちに言い継がれていた、ジンクスみたいなものがあった。
 
 手術室に患者が手押し車にのせられて、運ばれていくときに、見送るものが泣いたり、患者が泣いたりしたら死んでしまうと。
 
 そのことを手術室に運ばれていく、5歳の和ちゃんもよく知っていた。だからこそ泣いてはいけないと、涙がでるのを必死にこらえていたのに、自然に涙がほほを伝って落ちてしまう。そのとき坊やが最後に言い残した言葉が「ぼくどうして涙が出るの、教えてよ看護婦さん」だった。誰も答えることはできなかった。
 
 ぼくは、和ちゃんのその最後の言葉を、ほんの題名にした。
 
 銀座のキャバレー「白いばら」で、ぼくは『裸の女房』と『やらないか!』と、2冊の出版を祝う会を盛大に開いたが、団鬼六さんが2度とも出席し、スピーチをしてくれた。そして「白いばら」が気に入られ、講談社刊の自伝エッセイ『死んでたまるか』の出版記念会を開かれた。
 
 そのとき出席していた、阿川佐和子さんに、ぼくは出会い、一緒に写真も撮らせてもらった。そのときの出会いがあって、阿川さんは推薦文をいくつも考えてくれた。
 
「答えられない。だから私も涙が止まらない」
 
 いい言葉ではないか。
 

第25回「伊藤文学と語る会」

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12月21日(土)午後12時~14時 ※途中参加・中途退出自由。

会場:下北沢一番街、カフエ「占茶」

住所:世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978

会費:各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600

初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!

お気軽なご参加を、お待ちしております。

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2013年12月 6日 (金)

第25回「伊藤文学と語る会」

来る12月21日(土)、下北沢のカフエ「占茶」にて、第25回「伊藤文学と語る会」を開催致します。
日時・12月21日(土)午後12時~14時
場所・下北沢一番街、カフエ「占茶」
会費・各自が飲食した分だけ。コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎!
お気軽なご参加を、お待ちしております。
世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階
電話・03ー3485ー8978

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2013年12月 2日 (月)

阿川佐和子さんの推薦文に泣かされた!

 昭和48年(1973年)12月20日、妹の紀子が二度目の心臓手術をして、30時間後に32歳で亡くなってから、40年の歳月が流れている。
 
 このぼくの詩は、東京の12チャンネル(現在のテレビ東京)の川口浩さんが司会をしていた「13時ショウ」に出演したときに、紀子の思い出を語り、そのとき朗読した詩だ。
 
 もうなんにも言わなくとも
 
 よっぱらいの亭主にぶんなぐられて、お岩さんのように顔をはらして、実家に帰ってくるお前。
 そんなお前を子供のために帰るんだと、いくどとなく叱りつけて帰したぼく。
 お金がなくて、朝からなんにも食べていないというお前、ごはんを食べさせ、こづかいを持たせて、そっと帰したこともたびたびだった。
 
 心臓が悪いお前だから、本当は嫁なんかにやりたくはなかったんだ。
 なんにもしなくてもいいから、家にぶらぶらさせておいておきたかった。
 
 一度目の手術のあとで、あと10年しか、生きられないと、医師に言われたお前。ましてや結婚など、とんでもないと医師に言われたのに、お前は恋をして、さっさと結婚してしまった。
 
 そして二人の男の子まで産んだ。
 
 11年めに2度目の心臓の弁をとりかえる手術をして、30時間生きていて、とうとう意識はもどらなかった。
 
 あくる日、病室にお前の荷物をとりに行って、残された日記を読んだ。
 あけても、暮れても、注射ぜめで、動かない腕で、よくぞ日記を書き続けたものだ。
 
 しょうがない亭主だと思っていたら、お前の日記には、パパに逢いたい、早くパパのところに帰りたいと。
 
 夫婦っていいものなんだ。まして命をかけて産んだ二人の男の子だ。純や響のために、殺されたって死ぬものか、ぜったいに、ぜったいに生きてみせる。お前はそう書いている。
 お前の命は短かったけれど、女としてもお前はしあわせだった。立派だった。
 
 心臓の悪いお前が、結婚し、二人の子供を育て、生き続けたということは、同じ病に苦しむ多くの人々の生きる灯になった。
 
 でも、もういい。きっと心臓も楽になったことだろう。安らかにねむるんだ。
 
 今日はお前の自慢の息子、純の8歳の誕生日だ。
 
 バースデーケーキにともされた、8本のローソクの火をうつす、純の輝く元気な瞳を見てやっておくれ。
 もう、なんにも言わなくてもいい。
 安らかにねむるんだ。
 
 川口浩さん、TV局の玄関まで、ぼくを送ってくれたことを覚えている。妹は2人の幼い男の子、二人を残して死んでいくことが、一番気がかりだったのだろう。
 
 2度目の入院のときは、『薔薇族』を創刊した後だったので、亭主にまかせて、あまり忙しくて病室に行かれなかった。
 
 純は高校の教師になっているが、響は行方しれずだ。亭主のことはあまり語りたくはない。復刻してくれた出版社に損をさせられない。ぜひ、本を買ってもらいたいものだ。
 
20131201_a
幼子、2人の息子を残して死んだ、妹の紀子

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