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2014年2月

2014年2月24日 (月)

母親だけが悩んでしまうなんて!

「1月のことだった。冬だというのに朝から陽が当たって、春のようなあたたかい日だった。布団でも干そうかなと思っていたところ、電話のベルが鳴った。
 
 電話の声は女性だった。
 
「じつは息子のことで相談したことがあるのですが……」
 
 このお母さんも、ぼくと同じように朝から天気がいいので、ひとり息子の布団を干そうと思って、勤めに出た息子の部屋に入って掃除を始め、なんとなく机の引き出しを開けたらしいのだ。そうしたら引き出しの中から『薔薇族』が何冊も出てきたという。
 
 前日から26歳になる息子さんに、女の友だちはいないし、変だなとは思っていたらしいのですが、現実に雑誌を目の前にして、手にとって頁を開けたときの驚きというのは、想像もつきません。
 
 男が男を愛するということが、不道徳なことであり、汚らわしいことで、恥ずべきことだという、一般の人が抱いている概念がある。その上、異常で変態的な行為だと、ほとんどの人が思っている。それに当事者である本人までが、自分が同性愛者だと気づいたときに罪悪感を抱いてしまう。
 
 もちろん、電話では母親に、同性愛とはこういうもので、異常でも変態でもないということを力説しましたが、なかなか悪いことだと信じきっている母親の気持ちをくつがえすことは難しかった。
 
 お母さんが息子の引き出しの中から『薔薇族』を見つけ出し、手にとって開いたときの驚きを思うと、この本を作っている当事者のぼくとしては複雑な気持ちだ。
 
 80%はポルノ雑誌として作っているのだから、まったく関係のない人が見たら、なんというひどい雑誌だと思うに違いない。
 
 少しでも息子さんのことを理解してもらいたい、そう思ってぼくの著書『心が破けてしまいそう』と、『薔薇族編集長奮戦記』を宅配で母親に送った。
 
 その後、しばらくしてその本がまた宅配で送りかえされてきた。その中に手紙が入っていて、こんなことが書かれていた。
 
「ガラス戸越しに射す陽は明るく、春はもうすぐという気持ちにさせてくれます。過日は私の電話に応えて、早速に、しかも宅急便で本を送っていただき、ありがとうございました。
 
 すぐに礼状を出さなければと思いながら、すっかり気持ちが落ち込んでしまい、なかなか読む気にならず、そのままになって、今日にまで時間が過ぎてしまいました。
 
 その間、予定どおりをこなす日々もありましたが、フラフラと外出すること多くなり、気持ちを整理していたのではないかと、目下はそんな風に考えられます。
 
 自問自答しつつも、自分を責めるのはやめよう、しかし、親として彼に申し訳ないと思う気持ちに変わりはありません。今はただ見守るしかないという気持ちと、先のことをいろいろと思い煩うのはやめよう、と思えるようになりました。ありがとうございました。お礼を申します。ご本はお返しいたします。」
 
 お母さんが悪いわけでもない。まして息子さんが悪いわけではない。それなのになんでこんなにお母さんが苦しまなければならないのだろう。
 
 恐らくご主人には相談しなかったと思う。自分が産んだ息子だからと、自分だけが背負い込んでしまった。
 
 これは21年も前の母親と、息子の話だけど、今、このようなことがあったら、母親はどうするだろうか。
 
 世の中、さまがわりしてしまったから、母親はおどろかないかもしれない。母親の存在って、いつの世にもありがたいものだ。

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2014年2月22日 (土)

読む人の心が少しでも晴れてくれれば!

読む人の心が少しでも晴れてくれれば!
 30数年間、ぼくのよき相棒だった藤田竜君、彼と出会わなかったら『薔薇族』の誌名は多くの人々の心の中に残らなかっただろう。
 
 1993年9月21日発行の『薔薇を散らせはしまい』(批評社刊)462ページもの分厚い本だ。
 
『薔薇族』の24号から連載を始めた「伊藤文学のひとりごと」という2ページのエッセイ。249号までに書きためたものを1冊にまとめた本だ。
 
 今は亡き國學院大學の教授、阿部正路君が「再び終わりのない友情の証として」のタイトルで序文を寄せてくれている。
 
 巻末の藤田竜君の文章「少しでも心が晴れてくれれば=伊藤文学の仕事の軌跡」と題してのそれは、長い間、雑誌を共に出し続けてきて、ぼくのことを理解してくれた、うれしい内容だった。
 
「この世にまれな雑誌を世間に広めた伊藤文学の営業面の苦労を僕は直接には体験していない。販路を独自に開拓し、取次会社を説得し、少しずつ市場を広げていった。大変な努力だったと思われる。
 
 競合誌が僕たちの敷いたレールに乗って、ラクラクと登場してくる。だがありがたいことに『薔薇族』は、部数が落ちることはなかった。
 
 それは伊藤文学の志が、長い時間を経て、気まぐれな読者にも通じたからである。すべてを受け入れる伊藤文学の人柄の温かさが、誌面ににじみ出ていたからである。
 
 猟奇や陰湿や、変態や、非人間的という―今では信じられない―それまでの色彩を切り離した、同じ人間としての姿勢がそこにあったからである。
 
 自分には肉体的な共感があるわけではなかったのに、悩むものには部外者であろうと必ずや力になれるという確信が彼にはあった。
 
 時には誠実を通り越して、僕には愚直に映ることもあった。明らかに読者ではないとわかる男たちからの相談や、問い合わせや、愚痴、一方的なおしゃべりのくどくどしい電話に、ずうっと付き合うのである。同席していていらいらするのが常であった。僕なら切り口上や、嫌味を言って切ってしまうのにと、いつも思っていた。おしゃべりが自己解放の無意識の手段とわかっていても―。
 
 伊藤文学は自社の客ではない人にも親切であった。それらの積み重ねも、扇情しかできない競合誌との差を作っているのだろう。ただのエロ雑誌は、とうてい作れない人なのである。同性愛者しか、同性愛者の心をつかまえられないという考えは通用しないのであった。この点を伊藤文学という人から、僕は教えられた。人間同士のおもいやりに何の代わりがあろうか。
 
 自分だけが変わって生まれていたのではない。同じ人間がこんなにもいる。早いうちにそれを知ることは、人間形成の上でどれほど大切なことか。
 
 若者だけではない。心底打ち解け会える同族に巡りあうことなく、隠れて暮らす人々の寂しさ、虚しさは働き盛りを過ぎてからのほうが濃密かもしれない。
 
 人を救った出版物は数知れずあろう。しかし、世に知られることなく、救われた当人も口にはしないものとして『薔薇族』はあり、これからもそうであろう。
 
 それゆえに伊藤文学は、一般的には評価されにくい。
 
 それでもいいではないか、と僕は思っている。もともと分かってくれる人だけに心を通じたいと始めたことなのだ。百人か、千人か、あるいは何万の人か、『薔薇族』を見る前より、少しでも心が晴れれば、それだけでいいではないか。」
 
 ネットのブログなるものを知らないで、藤田竜くんは、この世を去ってしまった。彼の言葉を肝に銘じて、「伊藤文学のひとりごと」を書き続けたいものだ。
 
★読書感想をぜひ聞かせてください。下北沢南口のカフエ「つゆ艸」のママの由美さんに、携帯電話でコメントを見せてもらっています。

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2014年2月17日 (月)

少年愛教師、逮捕の悲しい記事が

 ぼくは「朝日新聞」「毎日新聞」「東京新聞」と、三紙も購読している。本当のところ「東京新聞」一紙だけにしたいのだが、年配の勧誘員が訪ねてきて、「なんとか」と言われると、ついつい同情して、購読することにしてしまう。
 
「朝日新聞」などは、半分は広告ページで、一ページ広告がやたらと多い。読みたい記事が少なくて、見出しだけ見ることに……。
 
「東京新聞」は読みごたえのある記事が多い。五輪開催地の「ソチ」の同性愛に関する記事は、「ソチ」の人たちの情報をくわしく伝えてくれている。
 
「勤め先児童にわいせつ容疑・都内の小学教諭逮捕」の見出しの「朝日新聞」朝刊(2014・2/8 土)、たまにこのような記事が載ると、悲しい思いにさせられてしまう。
 
 少年愛の人、ほとんどの人が欲望を抑えているのだろうが、「好み」の少年を目の前にしてしまうと、欲望を抑えられず行動に移してしまう。
 
 やはり小学校の教師の少年愛の人から話を聞いたことがあるが、子どもが先生を信頼してくれるまで、長い時間をかけるという。
 
 この逮捕された先生、こんなことをしたら大変なことになるということを考えなかったのだろうか。すべて盲目になっていたのかもしれない。
 
「男子児童にわいせつな行為をしたとして、警視庁が東京都内の区立小学校教諭、根本信一容疑者(32)を逮捕していたことが、7日捜査関係者への取材でわかった。根本容疑者は大筋で容疑を認め、「もうしません」と話している。」
 
「もうしません」で、すむ問題ではない。教師の職も辞めざるをえないだろう。32歳にもなっているのだから、自分の性癖をよく理解して、どうしたら子どもに手を出さずにすうのかを理解すべきだろう。
 
「捜査関係者によると、根本容疑者が逮捕されたのは今月4日。地元の区教育委員会の話では、根本容疑者は昨年4月以降、勤め先の小学校内で、特定の児童の体を複数回にわたって触るなどした。
 
 児童は根本容疑者を怖がり、今年1月20日から、学校を休むようになり、31日に父親が警視庁に相談したという。
 
 根本容疑者は、この児童に対し、「塾が終わったら一緒に帰ろう」などと言い、塾近くで待ち伏せする行為を繰り返していた。
 
 今月3日夜も、塾の近くに姿を見せたため、父親が学校に連絡。駆けつけた校長が110番通報したという。
 
 区教委は朝日新聞の取材に対して「事実であれば許しがたい行為。捜査を見守りたい」と説明した。」
 
 今、小学校の校門前には、ガードマンが立っていて、不審な者が校内に入ることがないようにしている。しかし、内部の先生の犯罪となれば、防ぎようがない。
 
 このような事件が起きると、ますます少年の愛の人たちは、声をあげられなくなってしまう。
 
 ぼくがこのような行動を起こしてしまった容疑者の行為を肯定するかのように、思っている人もいるかもしれないが、18歳未満の少年にわいせつ行為をすることは、法律で禁止されているのだから、逮捕されるのは当然のことだ。
 
 今、ネットのような便利なものがある時代だから、少年愛の人たちがネットを通じて、悩みや、苦しみを話し合って、自己の欲望を爆発させないようにすべきではなかろうか。
 
 もう、こんな記事を見ないような世の中にしたいものだ。

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2014年2月15日 (土)

いつの世でも、弱いものはいじめられる!

 しばらくぶりに日比谷公園に足を踏み入れた。2月といえば、東京は一番寒い日が続き、池の水が凍り、鶴の噴水がつららで垂れ下がる光景が見れたものだが、2月3日は18度のあたたかさ、春のようだった。
 
 午前中だから人も少なく、美しく清掃された池のほとりのベンチで、しばらく鶴の噴水に見とれていた。
 
 鶴の噴水の銅像は、日本で3番目に古いもので、かつては台座も銅でつくられていたが、戦時中に軍に持って行かれ、石の台座になっている。
 
 今のぼくは噴水に見とれているようなのんびりした状態ではない。すぐ道をへだてた建物の東京簡易裁判所(民事)に、10時30分に出頭を命じられていて、少し早く来すぎてしまったので、日比谷公園のベンチに座って、時の経つのを待っていただけのことだ。
 
 このあたり、検察庁、法務省などのお役所が並んでいるので、警察官が歩道のあちこちに立っている。
 
 玄関を入ると、金属探知機がとりつけられていて、荷物も調べられる。ひどい世の中になったものだ。
 
 債権回収会社に訴えられたのは、平成5年11月に、女房の古里の弥彦村にオープンさせた「ロマンの泉美術館」に使用する電話機のリース代を払いきれていなかったからだ。
 
 電話機を売る会社が、未払の取り立てを債権回収会社に権利をゆずっていたのだ。
 
 301号法定に入ると、後ろの席には10人ほどの訴えられた人たちが待っている。正面の高い座席には裁判長と両側に2人と、下段にひとりが並んでいる。
 
 左側に人相の悪い債権者が座り、テーブルをへだてて右側に被告席。順番がきて椅子に座ったが、裁判長の声が、ぼそぼそ声で聞きづらい。「年をとって耳が遠くなってきたので、大きな声でお願いします」と、頼んでしまった。
 
 あらかじめ毎月、分割で¥30000ずつ払いますと、書類を提出していたので、話は簡単でその通りになったが、驚いたのは、70万足らずの未払金に、利子が年利14.5%も加算されていて、150万を越すお金を4年と2ヶ月かけて払わなければならない。
 
 お金がなくて払えない人から、高利貸しのような利子をとるなんて、だれがこんな法律を決めたのか。お金持ちには安い利子でお金を銀行は貸すが、貧乏人が借りようとすると高い利子をとられる。
 
 訴えられて呼び出されてる人を見ていると、若い男も多い。何かを買ってリース代を払いきれずに訴えられたのだろうか。
 
 お店を出し、冷蔵庫などの備品を買い、一年もしないで店じまいになったりして、リース代を払えず訴えられるというケースも多いのでは。
 
 友人に頼まれて、うっかり連帯保証人になったりすると、友人が借金を返せないと、催促は保証人の方へ。当然のことだが、断りきれない場合もあり、これは難しい問題だ。
 
 外に出て建物の写真を撮ろうとしたら、敷地内では駄目と叱られてしまった。道をへだてた遠くからならいいそうだが。
 
 こんなに多くの人が借金を払えずにいるということだ。
 
 冬季五輪の舞台、ロシアのソチ。
 
 2月4日の東京新聞によると「泣き叫ぶ子どもたち。自宅が壊されるのをただ呆然と眺めるしかなかった。
 
 一昨年10月、エレーナ・チョバニャンさんは同じ敷地に立つ、三軒の家を強制的に壊され、土地を奪われた。」と。
 
 まだ日本はいいほうか。弱いものはいつまでもいじめられっぱなしだ。
 

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2014年2月11日 (火)

ロシア、五輪開催地、ソチにはゲイはいない

 2月7日から冬季五輪が、ロシア南部の「ソチ」という街で開催される。日本からも選手団がすでに「ソチ」の街に入っていることだろう。
 
 2014年、1月28日(火)の朝日新聞の朝刊に、「市長・ソチにゲイいない」という見出しで、小さな記事が載っていた。
 
 児童ポルノを所持しているだけで、罪になるという法律がない国は、日本とロシアだけだそうだ。ロシアという国はちゃんとした見識があって法律がないのではなく、少年愛の人たちのことなど、まったく考えていないからだ。それは、この小さな記事を読んだだけでも、なんとなく分かってくる。
 
「ロシア南部・ソチの市長が、「ソチにはゲイ(同性愛者)はいない」などと、英国のBBCの取材に答えた。
 
 ソチ五輪をめぐっては、ロシアで性的少数者の差別につながる恐れのある法律が、昨年成立し、世界各地でボイコット運動が起きた。市長の発言は、新たな波紋を広げそうだ。
 
 BBCは「プーチンのゲーム」と題し、ソチ五輪をめぐる開発利権や、汚職などの問題点を報告する番組を制作。その中で、ソチのパホモフ市長にもインタビューした。
 
 BBC電子版によると、記者は「ソチではゲイの人たちは自身の性的指向を隠さざるをえないのか」と質問。市長は「(ソチがある)カフカス地域では、そんなこと(同性愛者を公言すること)は許されない。それにソチにはゲイはいない」と答えた。
 
 だが、この記者はインタビューの前日、ソチのゲイバーを取材していたという。」
 
 モスクワの関根和弘さんの記事だ。
 
 十数年前に、韓国に『薔薇族』の取材で行ったことがあったが、韓国も表向きはゲイの人はいないということだった。今の韓国がどう変わったのかは知らない。
 
 各国から選ばれた選手の中にも、ゲイの人はいるに違いない。その人たちは、どんな思いで選手村で過ごすのか。
 
 世界中から応援に行く人々の中にも、ゲイの人は多くいることだろう。夜になればゲイバアにも行きたいと思うに違いない。
 
 テロを恐れて、警備に大変だろうが、ゲイバアなども、まきぞえをくって、摘発されることもあるかもしれない。
 
 2013年6月にロシアで「同性愛宣伝禁止法」が成立している。
 
 東京新聞、2013年8月22日、朝刊に「欧米の流れになぜ逆行・ロシア同性愛者に差別法」の見出しで、林啓太記者の記事が載っている。
 
「『非常に忌まわしく 汚らわしい』。ロシア人の多くは同性愛に対して、こんな負のイメージを持っている」。新潟県立大の袴田茂樹教授(ロシア社会論)はそう話す。
 
 この法律は「未成年者に対する非伝統的な性的関係のプロパガンダ(宣伝)」を禁止。同性愛者の人権擁護を求めるパレードや、ネットへの記載などを取り締まる。街頭での宣伝に対しては最大5千ルーブル(約1万4千8百円)以下の罰金が課せられる。
 
 外国人も罰金や国外退去などの処分の対象だ。
 
 この法律の制定にオバマ大統領は「私ほど怒りを覚えている人間はいない」と批判。
 ロシア社会の同性愛者への偏見や反発は根強い。」
 
 ロシアは人口の約半数を組織するロシア正教会も、同性愛を性的な逸脱ととらえる。
 
 さて、日本の総理大臣は、この法律の制定に対して、なんの発言もしていない。同性愛の問題など、議員もなんの関心もないのだろう。
 
 ロシアの人たちをバカにしてはいられない。日本でも国会議員にゲイの問題に関心を持たせるように行動を起こさなければ、いつまでたっても、世の中変わらない。

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2014年2月 8日 (土)

ヤマジュンファンの熱気はすごい!

「ニコニコ動画」に出演するのは、4度目ということか。秋葉原の改札口で待ち合わせて、主催者が迎えに来るということだった。
 
 1月19日(日)夕方6時、15分も前についてしまった。暑がりのぼくは少々の寒さはなんともないのだが、その日の寒さは風が強く身にしみた。
 
 やっと迎えに来てくれて、10分ほど歩いたビルの2階が会場で、すでに寒空の中を30人ほどの若者が並んで待っていた。女性もかなりいた。
 
 今日のテーマは、ヤマジュンこと山川純一くんの話ということだ。今や、この世で山川純一くんと出会い、話をしたものは、ぼくしかいない。
 
 今日集まってくれた若者たちは、みんなぼくのブログを見てくれている人たちで、熱狂的なヤマジュンファンばかりのようだ。
 
 司会の女性は『股間若衆』のときに司会をしてくれた、金田淳子さん。生放送で6時半から8時まで。
 
『薔薇族』は、8年ぐらい前に廃刊になってしまっているから、ヤマジュンファンは、その生い立ちを知らないと思うから、『薔薇族』を創刊したころの時代背景から説明して、それからヤマジュンと出会ったときのことを話した。
 
 山川純一というペンネームも、ぼくが名づけたことも。ヤマジュンの人となりも、しゃべったから、ヤマジュンがどんな人だったかということを理解してもらえたのでは。
 
「ラブオイル校長」の話と、「ラブオイル」の生い立ちも説明することができた。「ラブオイル校長」と名づけてくれたことをぼくは誇りにさえ思っている。
 
 放映が終了してから、テーブルに座っていた女性のひとりが、勇気を出してぼくに声をかけてくれた。大手の保険会社の社員で、一緒ンに住んでいる同性愛者のカップルが入れる保険を作りたいという希望を持っていることを話してくれた。
 
 ぼくは次々と女性たちと握手をし、抱き合った。男性とタチも次々と、ぼくの周りを囲んできて、抱き合った。
 
 こんなにブログを見てくれている若者たちと、心が通い合ったのは初めての経験だった。「阿部」というバッチを胸につけている若者に、なにを意味するのかを尋ねたら、ヤマジュンの「くそみそテクニック」の主人公の名前が「阿部高和」というのだそうだ。
 
 その若者は「くそみそテクニック」の主人公になりきっているのだろう。ここまで愛されている「ヤマジュン」の人気ってなんなんだろう。
 
 最初は2ちゃんねるから、徐々に話題になってきたそうだが、もう4,5年になるのに、その人気がおとろえないということはすごいことだ。
 
 ぼくがしゃべっていると、見ている人が感想を入れてくれているのだが、その数はものすごかった。
 
 ニコニコ動画の担当のディレクターの話だと、なんと3万人近い人が見てくれて、「よかった」という人が、8割にも達したそうだ。
 
 武道館の満員のお客さんが見てくれたようなものだから、こんなにうれしいことはない。
 
 ヤマジュンと出会った生き証人みたいなものだから、ヤマジュンを愛してくれる人たちが増え続けている以上、長生きしなければと思っている。
 
 皆の熱気で寒さも吹き飛んでしまった。
 
 ネットの凄さを身にしみて感じることができたが、どんどん進化し続け、どんなことになっていくのだろうか。
 
 胃カメラで調べてもらったら、ぼくの胃は若いそうだ。まだまだ頑張れるぞ!

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2014年2月 3日 (月)

最初で最後の手紙をもらって!

 30年前、40年前のゲイである『薔薇族』の読者は、異性との結婚問題で、みんな悩んでいた。そのころのゲイの人たちは、ある年齢に達すれば、どんなに女が嫌いでも、いろんな理由で結婚しないわけにいかなかった。
 
 今の時代に生きている人たちにも、そのころのゲイの人たちの悩み、苦しみも、少しは知ってほしいと思う。
 
「私はこの手紙を最後に同性愛をやめようと思います。キャリア10年の私ですが、その間に結婚もし、子どもも出来ました。何不自由ない快適な毎日を過ごしているのですが、ときどき同性愛の欲望が顔を出します。
 
 と、言っても地方に住んでいますから、具体的に付き合っている人はいません。家族に隠れながら、雑誌を読んでいる程度で、たまに仕事で上京したときに、それらしき場所へ顔を出す程度です。
 
 私は過去に一度、妻にホモ雑誌を見つけられた経験があります。まだ、幼かった子どもを抱いて、がっくりと肩を落として、泣き崩れていました。
 
 私はホモとも、バイセクシャルともつかないほうですから、他の雑誌とまぎれて、単なる興味でホモ雑誌を買ってしまったということで、その場は逃れました。
 
 その後、妻は私を疑っていないようで、一年経っている間に、私はまた雑誌や、写真を集め、きわどいバランスで、バレないように楽しんできました。妻にとってはひどい話です。
 
 結婚を境に、私はストレートになる決心をしました。地方というギャップが私は幸いしました。世間体もあるし、ハッテン場も知らないし、一見、私はやさしい夫として、蔭で楽しんでいたのです。
 
 ホモ雑誌をみつけて、涙にくれていた妻の姿が浮かんできます。もう二度と、あんな辛い情けない気持ちに妻をさせることはできません。家庭を生活を捨てるのと同じです。
 
「禁煙」と言いつつも、ついタバコに手を出す男でも、自分の人生、家庭を代償にするほど意志は弱くないはず。その決心を誰かに伝えたくて、こうして最初で最後の手紙を書いてます。
 
 一見してやさしいのでなく、本当にやさしい、大きな心の人間になって、妻や子、そして私とかかわるすべての人たちと、温かくつきあっていきたい。
 
 雑誌や、写真はすべて焼きました。私の過去も一緒に。裏切りの行為は自分の心もみじめにしてしまいます。欲望にもだえては、自己嫌悪の繰り返しの中で、私は何を得たのでしょうか。
 
「結婚をすることが、すでにひとりの女性を不幸にしている」ということにならないうちに、私のほうが妻によって、ストレートになれたと信じているのです。」
 
 宮崎の消印のある一通の手紙でした。この手紙を受け取ってから、何十年という月日が流れていますが、この人、この決意をもったまま一生を終えただろうか。
 
 このような手紙をもらったことは、この人だけではなかった。近々結婚しますという手紙をもらって、いつでも温かく迎えるから、万が一、離婚するようなことになったら、戻っておいでと書いた。
 
 たばこをやめるやめないも、わが家の女房や息子のように簡単にはやめられないが、同性愛者で生まれてしまったということは、もっと本質的なものなので、死ぬまでやめられるものではない。
 
 誰が悪いわけでない、本来なら結婚生活って楽しいものなのに、こんな悲しい、つらい思いをするなんて…。
 
 ゲイでなくても、結婚してすぐに別れてしまう人が多い今の世の中。こんな思いをしても家庭を大事にしようというゲイの人がいたことを知っててほしいものだ。

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2014年2月 1日 (土)

「伊藤文学のひとりごと」を一番先に!

 こんなうれしい読者からの投稿が載っていた。何時の頃から『薔薇族』の誌上に「伊藤文学のひとりごと」というエッセイ欄を載せはじめたのか、忘れてしまっているが、創刊して数年のちのことだろう。
 
 神奈川県の岬君からのものだ。
 
「『薔薇族』を買ってくると、いちばん先に「伊藤文学のひとりごと」を読むことにしています。いつものように2月号(1978年)の「いつでも帰っておいで」(女性と結婚しなければならなくなり、もう『薔薇族』とは、お別れですと言ってきた読者に呼びかけたもの)を読み出すと、小生の目に涙があふれ、読み終わるや、どうしようもなく嗚咽がもれ、その声を隠すために急ぎ庭へとびだしました。
 
 師走の夜空へ顔をあげてみると、そこには北斗七星が輝いていて、探し当てた小生の思いは、K.I君と共通するその心で、いっぱいだということでした。こんなにもやさしい青年、お母さん思いの人が実在していたことに感激、感涙するばかりです。(K.I君というのは、ぼくがとりあげた青年で、ぼくが母にしてやれる親孝行は、今は結婚することしかないと訴えてきた人のこと)(中略)
 
 小生もK.I君と同じような境遇だった。そんな中で結婚した。そして小生は、言うに言われぬ努力の結果、一応は結婚生活を成功させた。
 
 そして、今は二人の男の子を成人させ、長男の方は、もう恋愛結婚して、二人の孫までいるのに、まだまだ小生は、40代の働き盛りの人生を過ごしているではないか。
 
 突然、小生は夜空に続く海の向こうへ、おもいっきり叫んでみることにしました。
 
「心のやさしいK.I君よ、この夜空の下のどこにいるんだい? 教えてもらえるものならそっと言っておくれ!」
 
 そう繰り返し、繰り返し、呼びかける小生の声は、だんだん小さくなって、岬の沖へこだまし、やがて沈黙してゆきました。
 
 お互いに会えるものなら会って、小生の体験をもっとくわしく話したい。そう思う小生は、あきらめられない心でいっぱいなのです。
 
 遠くの潮騒の音が、近くの海へだんだん押しよせて来たようです。沖合を眺めていると、伊豆半島の山中に、ぴかりとひとつ、それは小さな灯りが光っているのが見えました。
 
 さっき呼びかけてみた、その返事が、そこから聞こえてくるように思われました。
 
「決心したんだ。頑張って、頑張ってみるんだろうよ。いつか『薔薇族』に便りが送られてくる日もあるだろう」
 
 小生は、その日を待つことにして、心からK.I君の健闘を祈りたいけれど、伊藤文学さんが言っている「いつでも帰っておいで」という、その言葉の意味において、結婚生活を失敗させたくないのが本心なのです。
 
 それは心やさしい、K.I君のことを思えばこそであって、そのほかに、何も言うことはありません。
 
 いずれにしても伊藤文学さん、その日にはよろしくお願いいたします。」
 
 このように他人のことを思いやる読者は、残念ながら少なかった。K.I君と、岬さんの境遇がよく似ていたので、女性との結婚生活を上手く過ごしたものとして、だまってはいられなかったのだろう。
 
 40代半ばで、二人の男の子が成人しているようなので、かなり早く結婚したのでは。
 
「言うに言われぬ努力の結果」と、書いているけれど、その努力は大変なものだったに違いない。
 
 今の人には考えられないほど、昔の人は頑張ったということだ。この岬さん、それからの人生をどう送ったのだろうか。
 
 読者の中では、離婚した人も多かったし、自殺する人も多かった。今の世の中、よくなったんだと思うしかない。

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