15歳の少年からの手紙
「私は30代後半の今日まで、ずっと少年を愛し続けてきた。少年愛者は君たちが法的にいう未成年者であるので、立場上責任があるだけに悩みはより深刻なんだ。
いくら好きでたまらない少年がいても、そこに性が介在するだけに法的(社会的)な罪悪感が生じ、声すらかけられないでいる。また少年愛者は年をとると共に、悲哀も深まる。なぜなら少年との差が広がれば広がるほど、少年との関係がますますできにくくなるからだ。
少年愛者は、その肉体と同等に精神を愛するし大事にする。そのへんがこの世界に多いセックス・ワンステップの人たちとは違うところだ。
過日も博多に出かけたとき、公園でスケッチをしている中学生数人と出会った。私が絵を描くことを仕事としているので、いろいろと助言をしたが、みんな素直で無邪気で、別に私を怪しむでもなく、すぐに打ちとけてくれた。
なかでもとくにアドバイスを積極的に申しでるおとなしそうな少年に、すごく心をひかれ、絵の助言をしながら、彼の中学生活のこと、将来のことなどを聞いたりしているうちに、3時間があっという間にすぎてしまった。
他の用事できたので、仕方なく心を少年たちに残して、そこを立ち去ったが、そのときみんなが「ありがとうございました」と言ってくれたことが、とてもうれしく、今でも耳に残っている。
少年を愛する大人って、どんな人なんだろうと思っていると思うが、少年愛者は少年の無邪気、素直さに救いを求めているのだ。少年から甘え慕われ、頼られているときが、一番心が満たされるのだ。
こんなことは滅多にないことだが、『薔薇族』の文通欄を通じて、15歳の高校生、ノブヒロ君から写真同封の手紙が届いた。
「思いきって勇気を出して手紙を出した。ぼくは一人っ子で、なんでも話せる兄が欲しい。断りの手紙でもいいから返事をほしい」といった、切実な手紙だった。
このときの喜びは筆舌に尽くしがたく、早速、浮足立つ思いで、相手が少年であることをよくふまえた上での返事を出した。
しかし、10日を過ぎても返事がない。ひょっとしたらと思っていたら、案の定、少年の母親から私が出した手紙と、写真を同封した手紙がきた。
内容は、あなたの手紙を読んだ。私どもとしては、ひとり息子であるので、今後、一切手紙など出さぬようにお願いする。息子には手紙を見せていない。といったものだ。
私はがっかりしたというよりも、むしろこの母親に憤りを感じた。これが一般的な母親なのであろうが、息子にきた手紙をいくら保護者とはいえ、独断で読み、かつ返送し、それで息子の問題を解決しようとしている母親。
だからといって母親を説得しても理解してもらうことは不可能だし、かえって結果は悪くなる。
でも私としては、ノブヒロ君、君自身からでた欲求に対する切なる勇気ある行為(手紙を出したこと)に対する大人への不信感の方が大事。なんとかして彼に連絡をと、電話帳であたりをつけ、やっと彼に連絡をとることができた。
でも私との電話応対で、母親に気づかれてはと思い、簡単に返事を出したが、母親に読まれ、そのまま返送された。詳しくはあとで話すので、君の方から電話を必ずかけるように頼んだ。しかし、電話は少年からかかってこなかった。(後略)(福岡県・少年愛者)」
今の時代、少年愛者は声をあげられない。36年も前の少年愛者がどんなことを考えていたのか、紹介していきたいと思う。
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