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2014年4月

2014年4月19日 (土)

「日本経済新聞」に祖父の活躍ぶりが!

 いつも写真の伸ばしを頼んでいる、下北沢の本多劇場のそばの「ヒロセ フォト ショップ」の社長から珍しく電話がかかってきた。
 
「伊藤さんのおじいさんのことが、今朝の日本経済新聞に載ってますよ」と、知らせてくれた。
 早速、コンビニに行って買い求め、「イタリアン トマト」で、200円のコーヒーを飲みながら、新聞を開いてみたら、「日曜に考える」という、1頁を使ってのコーナーで、「熱風の日本史、第32回「どん底」の人々の救済(大正)」とある。
 連載記事のようだが、ヒロセさん、よく気がついて見つけてくれたものだ。
 
「弱者切り捨てた近代」の見出しだ。
 
 救世軍の大尉だった、祖父の伊藤富士雄のことは何度もブログに書いた。吉原のお女郎さんの話など、若い人は知らないから、興味を持って読んでくれたようだ。
 
「欧米並みの先進国を夢見て猛然と駆け抜けてきた日本の近代史は、多くのものを切り捨ててきた歴史でもある。最大の犠牲者は社会的弱者であった。「働かざる者食うべからず」として蔑視された貧困者。「必要悪」として維持された公娼制度下で、人権を無視された娼婦たち。
 大正期に入り、ようやくこれらの人々に救済の手が差し伸べられ出した。」
 
 と、編集委員、井上亮記者の長い記事が始まる。
 大正時代の貧しい生活ぶりは悲惨だ。
 
「貧しい人々の食事は近くの士官学校(日本陸軍の幹部を養成する学校)厨房から出る残飯だった。それを仕入れる「残飯屋」がいて、売って歩いたという。
 
 下水道から流れてくる飯粒をすくい取る「流れ残飯拾い」も行われていた。これは家畜の餌用に売っていたというが……」
 
 評論家であり、作家でもある紀田順一郎さんが、この記事の感想を「社会、余裕なく見て見ぬふり」の見出しで書かれている。
 
「近代日本で貧困層が見捨てられてきた要因に中産階級が育たなかったことがある。貧富の格差が大きく、社会が不安定で貧者を顧みる余裕がなかった。国家は文化、経済などで上層を引き上げることだけを考えていた。」
 
 今の世の中も、貧富の差は広がるばかりだ。生活保護を受ける人が増え、年収200万以下の人も多い。ぼくもその中のひとりになってしまっているが。
 
 祖父の伊藤富士雄は、大正12年6月2日に享年53歳で没している。関東大震災のちょっと前のことだ。
 
 祖父の死後、救世軍の廃娼運動が、どのように受け継がれていったのかは分からないが、祖父の葬儀のとき、廓の経営者からの花輪がずらっと並んだと、祖母から聞いた。祖父の死によって、廃娼運動のちからが弱まったことは間違いない。
 
 記事にショックなことが書かれている。
 
「廃娼運動が挫折したのは、日本が「売春立国であるとともに、「輸出国」でもあったためだ。海外に売られていった娼婦「からゆきさん」は、13(大正2)年で、総計2万2362人。
 海外在留邦人の約7.5%を占めていた。行先は欧州、南北アメリカ、シベリア、中国、東南アジアなど世界全域に及んでいた(竹村民郎『廃娼運動』)」
 
 記者の井上亮さんは、こうしめくくっている。
 
「数々の歴史資料、証言から、過酷な境遇にいた娼婦たちが望んで遊郭で働いていた事例はほとんどない。」と。
 
 祖父の活躍ぶりは、ブログをさかのぼって見てほしい。貧しいということは悲しいことだ。
 
 いつの世でも、女性はお金のために、身を売るしかなかったのだ。

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2014年4月14日 (月)

ぼくは少年が好きだ!

「ぼくは北海道札幌に住む、えぞっ子です。少年が好きなのですが、今のところひとり寂しい毎日を送っています。
 世の中は大変きびしいもので、少年を愛していることを隠していないと、「変態」などという、あだ名を頂戴したりして、暮らしにくくなってしまうのです。
 
 でも、最近は伊藤文学さんに影響されたのか、ちょっぴり堂々としてきました。しかし、少年を愛するということは、自分の心のブレーキが必要なのですね。
 
 街で出会った少年に声をかけても、変な人だななどと思われたくない、自分の見栄もあるし、いろいろと心を悩ましているのです。
 
 読者の体験談によく、電車の中でとか、バスの中で、いろいろといたずらして、どうのこうのと書いているのを読むと、ぼくも一度やってみようかなと、思ったりしても(今のところ思っているだけです)結局は想像だけで終わってしまうのです。
 
 ぼくに勇気がないのかも知れませんが、少年を愛してしまったぼくには、どうしてもできそうにないのです。伊藤さんが書いたことも思い出してくるし…。
 
 なんだかとっても苦しいのです。今のところお風呂屋で見かける少年の背中を洗ってやるぐらいのことしかできませんし、毎日、同じ少年とも会えないので、結局は話がぜんぜん進まないのです。
 最近では札幌に自分の友だちとか、弟のようになってくれるような少年はいないのではないかと思いはじめてきました。
 
 文通欄に出してもらったこともありましたが、手紙がきたのは中年紳士か、高校生ぐらいなのです。
 高校生はもう大人で、少年の持つ心はないのです(中にはいるかも知れませんが)。ぼくも大人なのに、こんなこと言うの変かも知れませんが、自分の都合だけの中年紳士や、大人の世界に憧れているような人は嫌なのです。
 
 人間はもっと自分の心に純な生き方をしなければいけないと思います。ぼくは少年が好きです。だけど大人の世界の暗い、じめじめしたものを押し付ける気もないし、大人の愛で少年を捕らえたくもありません。
 
 カッコいいようですが、ぼくは少年と友だちになりたい。一緒にふざけたり、遊んだりしたいのです。ぼくの友だちによく言われるのです。いつまでたっても子どもみたいだと。でもぼくはそれでよいと思っています。
 少年の日の心を、いつまでも大切に生きていくことが、ぼくにとっては一番なのかもしれません。
 
 この手紙を書いているうちに、ぼくの少年に対する結果が出たみたいで、なにかほっとしました。これからは気長に、友だちになってくれるような少年の出現を待ちつつペンを置きます。(札幌市・蝦夷子・24歳)」
 
 何十年か前の少年愛の青年の投書だけど、現在、60歳を越えているだろう。多くの『薔薇族』読者が、その後どんな人生を送ったのか、気になるところだが、それを知る手立ては残念ながらない。
 
 『薔薇族』2代目編集長の竜超君が、「自分でかんがえ、うごき、こしらえる 新・同性愛者の生活誌」として、隔月刊で48頁ほどの『薔薇族』を出している。
 410号を送られたので読んでみた。「少年を愛することは罪ですか?」というタイトルで、今回が11回目。
 
「特定秘密保護法」が、国会で成立してしまったことで、「児童ポルノ禁止法」も成立してしまうのではないかと恐れる。
 竜君、頭がよすぎるので、理屈っぽくて書いていることが難しい。これでは女性の読者は敬遠されるのでは。札幌の青年の投書のように、わかりやすく心情が伝わるようにしてもらいたいものだ。
 
 
 

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2014年4月12日 (土)

愛し、慈しむことに差別が許されるのか? ―映画『チョコレートドーナツ』が訴えるもの― 松下芳雄

 華やかなスポットライトを浴びて歌いまくるドラーグ・クイーン、ルディ。その魅力の虜になったのは若い弁護士ポール。二人は一瞬で惹かれ合い恋に落ちる。ニューヨーク。ブルックリン、七十年代の夜。仕事柄カミングアウトできないポールだが率直であけすけなルディの元にしばしば通うようになる。
 
 ある日、ルディは人形を抱いて街をさまようダウン症の少年マルコを発見、ポールに助言を求めたが「家庭局に相談して施設に預けろ」と言い放たれて落胆、マルコを自宅に連れ帰る。しかし家庭局職員と捜査員が現れて事態は思わぬ方向へ。マルコの母は薬物所持で逮捕されたと言うのだ。そしてマルコは強制的に連れ去られて施設入りに。その翌日、ルディの期待に応えられなかったことを詫びにポールがやって来て互いの過去や思いの深さを打ち明け、より愛しあうようになる。だがポールと別れた後、母に会いたい一心で施設を抜け出し、とぼとぼと人形を抱きしめて歩くマルコを見かけたルディは不憫さにかられて衝動的に自宅に連れ帰ってしまう。
 
 ルディの夢はペット・ミドラーのようなシンガーになること。ポールは法律で世界を変えること。マルコはドーナツ好きで優しい性格。二人を信頼しているが自分を捨てた身勝手な母親も忘れられない。そんなマルコを二人は自分たちで育て守ろうと決意する。初めて学校に通いだすマルコ。本当の両親のように接する二人。だがとんでもない災難が降りかかる。
 
 ポールの上司のパーティでゲイ・カップルであることが知れ渡ったのが試練の始まりだった。再びマルコは家庭局へ。ポールは解雇されてしまうがくじけなかった。
 
「今こそ法律で世界を変えるチャンス」とルディに背中を押されたポールは養育権をめぐる裁判に臨む。しかし二人がマルコを心底愛していることを述べる証言者たちの言葉もゲイに対する偏見を変えられなかった。おまけに服役中のマルコの母親までが証言台に立つに及んで状況は不利になるばかり。傲慢そのものの相手側弁護士。頑迷そのものの女性判事。果たして二人の主張は受け入れられるのか?
 
 日本ではこの種の裁判が行われたことなど無いのではないか? 故にこそ必見の価値有りといいたいのだが、世界中で最もゲイに寛容と思われるアメリカにしてこの現状。ヒューマニズムと正義の国の看板はどこに行ってしまったのかとさえ思いたくなるけれど最後の最後、小さな小さな希望の灯がともる…
 
 七十年代、実際にニューヨーク・ブルックリンであった事件だそうだが、映画の視点は人間社会全体の不条理に向けられているように思える。口先だけの正義派、政治家。生活弱者や高齢者の援護を叫びながら実際には何一つ行動しない識者、評論家。個人同士といえど『隣は何をする人ぞ』が常態化したかの如き個食族…と、こんな社会に誰がしたと言いたくなることばかり。
 
 本作は『障害を持ち、母親に育児放棄された子どもと、家族のように過ごすゲイの話』をさまざまな映像アートで活躍するトラヴィス・ファインが監督、脚本、製作まで手がけた。脚本にはテレビを中心にエミー賞受賞歴もあるジョージ・アーサー・ブルームも加わって温もりに満ちた人間関係と狡猾な社会の暗部をも抉り出して見せる。だが何といっても主役三人の熱演に注目してほしい。
 
 ルディに扮するアラン・カミングは『スマーフ』や『テンペスト』などでおなじみだが市民権運動や性教育でも活動し『中傷と闘うゲイ&レズビアン同盟』のヴィト・ルッソ賞を受賞、オリジナル香水を販売、売上の全てを国際ゲイ&レズビアン人権委員会などに寄付している奉仕家の側面を持つ。ポール役のギャレット・ディラハントは「ノー・カントリー」や「ウインターズ・ボーン」など社会派の名作に出演した演技派だが冷静かつ巧まぬ表現力に奥深さを感じる。マルクを演じたアイザック・レイヴァは自身ダウン症ながら読書家であり俳優としての将来を目指しているとかで、異色の名優誕生の可能性は十分。自然で愛らしい笑顔が忘れられない。
 
 くどいようだがゲイや障害者を異常とみなし蔑む社会のあり方は今も正されていない。異教徒への攻撃に狂走しながら心の救いを説く宗教家に矛盾と疑問を持ちたくなるのは私だけだろうか?
 
 何はともあれこの映画を見ることで、ひとときでもみずからの日常を振り返り多少なりとも安らいでいただければと思う。ラストシーンは少し寂しく、少し哀しいがあなたなりの小さな幸せを必ず得られるのではなかろうか。
 
 因みにこの映画はアメリカのみならず世界の映画祭で観客賞など多数の受賞を果たしたことを付け加えておきたい。生きとし生けるものすべてに放たれた愛の力が多くの観客の心に響いた結果だろう。
 
20140410
(C)2012 FAMLEEFILM,LLC
 
4月19日(土) シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー
2012年 アメリカ映画 97分 配給:ビターズ・エンド

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2014年4月10日 (木)

第28回「伊藤文学と語る会」

来る4月26日(土)、下北沢のカフエ「占茶」にて、第28回「伊藤文学と語る会」を開催致します。

 
日時・4月26日(土)午後12時~14時
場所・下北沢一番街、カフエ「占茶」
会費・各自が飲食した分だけ。
コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎! お気軽なご参加を、お待ちしております。
 
世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978

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2014年4月 7日 (月)

進化することがいいことなのか!

「オール読物」の4月号に、興味のある記事が載っていた。三浦ゆえさん、写真で見ると若くて魅力的な女性だ。ネットで調べれば、三浦さんの経歴は即座にわかるのだろうが、残念ながらぼくには調べることができない。
 
 タイトルは、「エロメンからラブグッズまで、女たちの欲望は加速する!」サブタイトルには「性の最先端がわかる展示会。女性向けAV人気……そこには男とは違う女が感じるSEX像が見えてきた。」とある。
 
 ネットばかり見ている若者は、とうに知っていることかもしれないが、時代遅れのぼくには興味津々の記事だ。
 
 東京・有明。2月28日からの3日間、アダルト展示会「PINK TOKYO」が開かれていたときの話。こんな面白い会なら行ってみたいが、ちょっと遠いかな。
 読み進むうちに、ぼくが知っているポルノショップで売られていた、「大人のおもちゃ」は、幼稚なもので、現代の「大人のおもちゃ」の進化はめざましいもののようだ。
 なにしろネットや、携帯電話のなかった時代のことなのだから。
 
 三浦さんの文章を読み進んでいるうちに、「男性用グッズ」の主役、「オナホール」といわれるマスターベーションの補助グッズ。人肌を思わせる、やわらかな素材で作られた円筒状の物体に、「入口」が設けられている。男性はそこに性器を挿入し、グッズごと手で握ったり、上下に動かしたりして快感を得る。
 このオナホールが飛ぶように売れていて、都内の某ショップでは、人気の商品は月間千個も売れているそうだ。
 
 三浦さんがいうように、「自分ひとりで手軽に快感を得られる道具が、これだけ出回っていると知れば、20代男性の約40%が異性と性交渉を持った経験がないという調査結果(日本家族計画協会・2014年)にも合点が行く。
 女性とセックスするには、時間もかかり、お金もかかるし、勇気もいる。オナホールを買って自分で処理してしまうほうがいいということか。
 
 三浦さんの書かれた記事を読んでいると、50年近くも前に、日本で最初のマスターベーションの正しいやり方を書いた本『ひとりぼっちの性生活』を出版し、愛の潤滑液「ラブオイル」を発売したぼくは、時代の先端を走っていたことは間違いない。
 
 最近のぼくは時代劇専門チャンネルばかり見ているので、あたかも江戸時代の長屋に住んでいるような気分になっているが、当然、庶民の性シーンも露骨ではないが出てくる。
 戦がなく平和が続いていた時代、庶民の性生活は四十八手なるものも考えられて、性を楽しんでいたに違いない。
 
 最近、女性から「ラブオイル」を買いたいと電話がかかってきた。今まで女性からの電話はまったくなかった。しかし三浦ゆえさんの記事で、その理由がわかった。
 
「性交痛をやわらげるためのローションも、ネットなどを利用して手軽に買えるようになった。
 女性は更年期、閉経を経てホルモンの分泌が激減する。これにより濡れにくくなり、性交痛も起きやすくなるので、性生活もこれまでどおりというわけにはいかなくなる。
 ローションでほんのちょっと潤いを加えるだけで、性交痛が緩和できる場合がある。痛みが減るだけでなく、気持ちが楽になって、心も解放される。」
 
 わが社で販売している「ラブオイル」が売れ続けているわけだ。猪口コルネ君のデザインで、素敵な「ラブオイル」のポスターが製作された。
 進化することだけが、いいことではない。江戸時代の庶民の性の方が、健全でよかったような……。
 

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変わらぬ好奇心と恋愛感情を!

 文藝春秋社から刊行されている「オール読物」という雑誌の存在は知っているが、買って読んだことはない。通巻984号とあるから、かなり歴史のある雑誌だ。
 
 胡桃沢耕史(直木賞作家)さんに連れられて、文藝春秋社の「オール読物」の編集部を訪ねたことがあった。
 そのころは清水正二郎というペンネームでエロ小説を書きまくっていたのが、直木賞を取るべく、エロ小説を書くことを一切やめていた頃の話だ。
 
「オール読物」に掲載された小説が、直木賞の候補になることが多かったから。清水さん、せっせと作品を「オール読物」に持ち込んでいた。
 
 ロビーの喫茶室で待っていたら、編集部の人がワイシャツ姿で現れた。ぼくが名刺を出したら、その人、部屋に戻って、スーツの上着を着て、また現れた。『薔薇族』編集長の肩書に敬意を表したからだろう。
 
「オール読物」なんて、小説を読まないぼくには無縁の雑誌だが、編集部の人から電話があって、『薔薇族』のことを取材したいということだ。
 
 2月のある日、渋谷の東急プラザの5Fのカフエで待ち合わせた。カメラマンまで来ていて、先に写真を撮った。最近は記者が撮ることが多いのに、さすがは文藝春秋社だ。『薔薇族』の2代目の編集長・竜超くんも一緒で、記者が話を聞いて記事にするのかと思ったら、北尾トロさんというライターの人が同道されていて、その人が記事にするということだ。
 
 北尾トロさんが編集している『季刊レポ』という雑誌を文学フリマで販売していて、そこで竜超くんと出会って親しくなったようだ。
 竜くんと出会ったことが、今度のぼくとの取材ということになったというわけだ。
 
「オール読物」の4月号が送られてきた。当然、竜超君のことが半分は書かれている。『薔薇族』は不死鳥の如く! というタイトルは、竜くんが今でも出し続けているのだから……。
 
 4月号は「女流官能短篇集」の特集だ。小説は興味がないから読まないが、「不思議の国のエロティシズム」というコーナーに入れてくれていて、サッカーの元日本代表監督、フィリップ・トルシエさんの「工場の機械のような日本のセックス」と、「永遠に変わらないものが恋愛」は、作家の渡辺淳一さん。「女たちの欲望は加速する」三浦ゆえさんの読物は面白かった。
 
『失楽園』の作家、医者でもある渡辺淳一さんの話には驚かされた。ぼくが出版の仕事をしていたころは、官能小説の書き手は、ほとんどが男性だった。それが今の時代、男性作家は恋愛小説を書かないのじゃなくて、書けなくなってしまっているそうだ。
 一般男性だけでなく、男性作家の草食化も進んで、女性へのこだわりとか執着とか、欲望ってのがあまり無いみたい。
 
 恋愛小説は恋愛を体験していないと絶対書けない。だから男性作家が恋愛を経験していないということ。女性への欲望が薄くなったのか、推理とか、頭で書く資料小説だけになってしまった。
 なんとも寂しい話だ。そう言えば、清水正二郎さんなど、頭に浮かんでくる官能小説を書きまくっていた作家たちは、すでにこの世にいない。
 
 渡辺さん、最後に記者の質問に答えて、こんなことを書いている。若さを保つ秘訣とはに、「やはり、変わらぬ好奇心と恋愛感情を持ち続けることだね。」
 
「オール読物」小説の間に挟まれている軽い読物がいい。永井義男さんの「江戸春画考=女の値段」は勉強になりました。

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2014年4月 5日 (土)

お月さんだけが見て知っている!

 3月の初旬のことだった。『薔薇族』の読者だったそうで、3月18日に神戸から上京するので、ぜひ、お会いしたいと、Sさんという方から電話があった。
 
 ぼくが経営していた、下北沢北口のカフエ「イカール館」で、学生時代に何度か出会ったというが、まったく覚えていない。
 
 そのとき19日がぼくの82歳の誕生日ですよと話したら、ぜひ、お祝いさせてほしいということだ。
 夕方の6時に渋谷の東急プラザ5Fのカフエで待ち合わせることにした。6時ちょっと前に入ろうとしたら、「伊藤さんですか?」と、声をかけてきた男性は、頭がつるつるで僧衣を着たお坊さんだった。
 
 高速道路の向かい側の「セルリアンタワー東急ホテル」の和食の店に、6時に予約してあるという。2Fの「金田中・道」という、優雅なお店だ。
 
 先日、テレビで見て知ったことだが、桜が東京で咲く前から刈り取って保存し、デパートやホテルなどで、花を早めに咲かせるという仕事師のことが紹介されていた。
 
 ホテルのロビーにも、「草」の店先にも、満開の桜が、大きなつぼに活けられ、贅沢感を感じさせるというわけだ。
 
 和食が世界中の人から注目されているようだが、10数年前、アメリカのロスや、サンフランシスコのホテルでの食事は、量が多いだけでおいしくはなかった。
 
 次から次へと料理が運ばれてきて、量は少ないけれど、その盛り付けや、皿には繊細な神経がゆきとどいて、見事だった。
 
 Sさんは誕生祝いにと、神戸の「和楽屋おかめ」というお店から、志野焼のコーヒー茶碗2ケと、「モンロワール」というお店の「神戸プチフィナンシエ」のチョコレートを贈ってくれた。
 
 Sさんはホテルの35Fに部屋をとってあり食事の後に移動した。大きなガラス窓の向こうには東京の夜景が広がっている。
 ライトアップされた「東京タワー」や「スカイツリー」も見え、夜空には満月が輝き、しばらくぶりに高いところから見る東京の夜景は美しかった。
 
 数多くの雑誌が刊行されているが、8年も前に廃刊になってしまった『薔薇族』の編集長だったぼく。どの雑誌にも編集長はいるだろうが、かつての読者の一人に、このようにな豪華な誕生日を祝ってもらっている編集長はいないのでは……。
 
 Sさんは携帯で、マッサージの先生をホテルに呼んだ。Sさんは上京するたびに、この先生を呼んでいるそうだ。
 マッサージの先生も『薔薇族』の読者だった人で、10数年前にわが家に何度かきてもんでくれたとかで、ぼくに会いたいという。さて、うっすらと先生を呼んでもんでもらった記憶があるが忘れている。
 
 先生がやってきて、ぼくのからだをもんでくれるという。マッサージの先生を自宅に呼んでなんていうことは、今のぼくにはできるわけがないのでありがたかったが……。
 ちょこっとだけもんでくれるのかと思ったら、フルコースで一時間以上も丁寧にもんでくれた。ベッドから落ちて腰を痛めたところは念入りに。
 
 おふたりとも結婚していて、お子さんもいるという。住所も電話番号も教えてくれない。
 今夜の出来事は、満月のお月さんしか知らない夢のようだった。
 
 12時近くなのでバスはもうない。タクシーで帰ることにしたので、ホテルの玄関先まで送ってくれたが、タクシー代にしてと、封筒を渡された。
 帰宅してから封筒を開けたら、2万円も入っていた。
 お礼を言いたくてもできない。お礼は『薔薇族』という雑誌にするべきだろうか。

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