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2014年5月19日 (月)

「母の詩集」「父の詩集」を出したひと

「母の詩集」を出した人は多いが、なぜか「父の詩集」を出した息子は少ないように思われる。
 ぼくも自分の父のことを思い出してみた。父親に連れられて旅行に行った記憶はない。
 大学生の時代から、 1人で出版の仕事をしていた父の使い走りをしていて、大学を出てからもずっとどこにも勤めずに過ごしてしまった。
 父親から仕事のことで教えてもらったことはない。なんとなく見よう見まねで覚えていただけだ。
 
 父親とじっくりしゃべったこともなかった。今、考えてみると、父に反抗することもなく仕事をこなしてきたのだから、親孝行な息子だった。
 ただ、 働いても給料くれないのには閉口した。いちどだけたまりかねて、渋谷の大盛堂書店の社長とカフエで出会い、就職を頼んだことがあった。
 
 コーヒーを飲み干してから、コーヒー茶碗にコップの水を入れ、それに砂糖入れて飲んだ社長。こんな社長の下では働けないと思った。
 案の定、大盛堂書店、従業員のストライキがあって大変だった。紀伊国屋書店などは次々と支店を増やしていったが、大盛堂書店は社員を育てられなかったのだろう。
 
 。大盛堂書店に勤めていたら、日本最初の同性愛誌『薔薇族』誕生しなかった。とんでもない父親だったけれど、先妻のミカが学業半ばで、養父母を捨てて、我が家に転がり込んできた時、父母も何も言わなかった。
 
「 父の詩集」の著者、池上和彦さんは、昭和22年生まれ、中央大学法学部卒業。弁護士の夢を捨て、公務員生活を定年まで勤められた方だ。
 
 何もいる兄弟の末っ子だから、母親に可愛がられたろうし、母親思いは当然のことだ。
 2006年8月発行の「母の詩集」(株)童話社刊・定価・本体¥1,200+税)は、「平成3年(1991年)秋、認知症と診断され、その当時、母は父と2人で暮らしていたが、翌4年春、私は両親と一緒に暮らすようになった。
 平成9年、母は消えるように息を引き取りました。その間の詩の数は、 190篇になりました。」とあとがきにある。
 
 それをまとめたのが「母の詩集」だ。
 
 いつ
 
 1人でトイレに行かれなくなったのはいつ
 1人で歩けなくなったのはいつ
 1人で食べられなくなったのはいつ
 1人で風呂に入れなくなったのはいつ
 どれもいつからと答えられない
 
 看病でも介護でもなく
 いっしょに暮らしているだけだったから
 
 日記のように書き綴った、母への思いも詠った詩は胸を打つ。天国の両親もどんなにか池上さんの心の優しさを幸せに感じていることか。
 
 「父の詩集」は、この春、㈱コールサック社から刊行されたばかり。書店でも、アマゾンでも扱ってくれるそうだ。ぜひ、読んでもらいたい。
 
 音量
 
 テレビは最大の音量にする
 最大の音量にしても内容に変わりないが
 父は最大の音量できく
 二階で私は最大の音量をきく
 
 ぼくの2人の息子、父親のことなど、何も考えていないだろう。歳はとりたくない。

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コメント

さっそく、ありがとうございます。『母の詩集』の「いつ」も、『父の詩集』の「音量」も、自分でいうのも何ですが、もっとも好きな一篇です。引用していただき、かたじけなく思いました。渋谷の大盛堂書店へは、コールサック社の担当者と飛び込みで営業しましたが、残念ながら不調に終わりました。でも、貴ブログに取り上げていただき、勇気百倍です。ありがとうございました。御父上についての思い出の叙述、淡々とした味わいが心に染みました。深謝

投稿: 池下和彦 | 2014年5月20日 (火) 20時55分

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