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2014年7月

2014年7月28日 (月)

『薔薇族』次の伊藤文学 Twitterに初登場!

 ぼくのブログを一日に2千人もの人が見てくれているそうで、それだけでもありがたいことだ。
 
 自分ではネットなんていう、文明の利器を触ったことも無いのだから、若い人の力をかりなければ続けることができない。
 
「IKBインターナショナル」という会社を運営する若者が、今度はTwitterなるものを、ぼくの代行でやってくれるという。
 
 ブログのように長ったらしい文章でなく、140字の中で、呟けばいいのだそうだ。ぼくは学生時代に短歌を作っていたから、短く表現することは得意だし、自信もあったから、彼に任せてつぶやくことにした。
 
 7月17日ごろからネットで見れるようにしてくれた。自分では見ることができないから、最近、ぼくの隠れ家的存在になっている、下北沢南口の裏通りに大きな靴屋が二軒ある。その路地を曲がって住宅街に入った所の、路地の突き当たりにある、カフエ「織部」に、足繁く通っている。
 
 まだ開店したばかりでお客が少ないので、店長がTwitterを見せてくれる。それが驚いたのが、ネットで見れるようになって、まだ数時間しか経っていないというのに、見ている人の数字が、どんどん増えて、たちまち2千人を越えてしまった。
 
 数日しか経っていないのに、今では6,400人もの人が見てくれているようだ。なんでこんなに注目されるのか、ぼくには理解できない。
 Twitterを見ている人は、10年ほど前に廃刊になってしまった、ぼくが出し続けた日本で最初の同性愛誌『薔薇族』を読んだことのない人たちだろう。
 
 しかし、その知名度はすごい。『薔薇族』に掲載していた劇画、「くそみそテクニック」をはじめとする作者の山川純一の名前を知らない人はいない。
 「ラブオイル校長」と言われるぼくのことをネットを見ている人はみんな知っているようだ。それらのいくつかの要因が重なって、6,400人という数字が出てきたのだろうか。
 
 これから何をつぶやきつづければいいのかは、ぼくにはわからないから、若者に任せてつぶやくしかない。
 
 ぼくと一緒に住んでいる次男の文久は、42歳になるが、つい最近、代沢小学校時代の同窓会があって、珍しく出席したら、20名ほど集まったようだ。
 
 ぼくの家は代沢小学校のすぐそばにあったから、友達がよく遊びにきた。母親はよくその子達の面倒をみて、お菓子を食べさせたり、お腹の空いている子には、にぎりめしを食べさせたりしていた。
 
 友人の1人に父親がいなくて、母親と2人で暮らしている少年がいた。ぼくもその子をかわいがって、車で雑誌を配達して、書店や、ポルノショップを回ったとき、助手席に乗せてよく走ったものだ。
 
 その子が、小学校の3年か4年の時だったと思うが、目に入る看板の文字や、難しい漢字でもすらすらと読んでしまうので、びっくりしたことを覚えている。
 
 少年も42歳位になっているが、ぼくの息子に、その頃のことを鮮明に覚えていて感謝していると話してくれたとか。
 その上、ぼくのブログを見てくれているというから驚きだ。この少年、頭のいい子だったから、アメリカに留学したりして、何かの研究者になっているようだ。
 
 成人した少年に会ってみたいと思っている。健康に注意し、長生きして、そしていつまでもつぶやき続けよう。

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2014年7月26日 (土)

夏が終わったのに咲いている最後のバラ

「朝日新聞」の購読をやめてしまって、今は「東京新聞」だけにしてしまっている。やはり「朝日新聞」は読んでいないと困ることがある。
 
 ぼくはシャンソンが好きで、7月14日の「巴里祭」の前後に、NHKホールで催される「シャンソンの祭典・巴里祭」(今年で52回)には、十数年来、女房と2人で聴きに行っている。
 
 若い頃から応援してきた歌手の「クミコ」さんが、7月13日(日)に出演するというので、その日のチケット手に入れた。
 ゲストに永六輔さんと、宝塚の男役でトップスターの麻実れいさんも出演する。
 
 永六輔さん、昨年も車椅子に乗って出演されたが、ろれつが回らず、何をしゃべっているのかわからなかったが、今年はハッキリとしゃべり、歌まで歌われた。
 話の中で「巴里祭」が、俳句の歳時記に入ってると驚かれて、何句か俳句も詠まれた。
 
「小笹寿司」という江戸前の名店が、ぼくの家のすぐ近所にあって、そこで知り合ったのが、「巴里祭」の演出家、高平哲郎さん。
 高平さんの奥さんは、十数匹も飼っている犬の散歩の途中で、よく出会い、親しくさせてもらっている。
 
「巴里祭」の舞台美術は朝倉摂さんが担当されていたが、今年の3月に亡くなられてしまった。
 
 この「巴里祭」を主催されていた、石井好子さんもこの世を去り、ベテラン歌手の高英男さん、芦野宏さんの歌声も聴くことはできない。
 
「男の隠れ家」というべきカフエ。下北沢南口の路地の突き当たりに「器と珈琲・織部下北沢店」が、つい最近オープンした。
 下北沢南口商店街の裏通りの横丁を曲がって、また路地の突き当りにひっそり建っている三階建ての一階だ。
 
 最近、どこの店もすぐに撤退してもいいように、内装にお金をかけないが、この店は違う。椅子もゆったりとして、いつまでも座っていたいぐらい。
 トイレも狭苦しい店が多いが、広くて赤ちゃんのオムツを替える道具までついている、豪華なトイレだ。タバコを吸えるコーナーもある。
 
 ここの店には「朝日新聞」「日経新聞」が置いてある。ぼくの目当ては「朝日新聞」をお客がいない店でゆっくりと読めることだ。
 
 本当のところ、ブログに書いてたくさんのお客さんが来てくれて、がやがやするお店になってほしくはないので、紹介したくはなかった。
 
 いまどきの若者は、100円ショップで陶器類は買って使っているだろうが、織部焼きの陶器類が、ずらっと展示即売されているから、見るだけでも楽しい店だ。ぼくはお箸を買い求めて、食事をしている。
 
 さて「朝日新聞」の一面下段の「天声人語」ベテランの記者が書かれているのだろうが、昨夜聞いた永さんの歳時記に収まっている言葉に「巴里祭」があるという話が書かれている。
 
 昨夜もフィナーレは、出演歌手みんなが歌う、映画「巴里祭」の主題歌、これを聞くと青春が蘇ってくるようだ。
 愛らしい花売り娘役で主演したアナベラを朝日新聞は、パリ郊外でテリア犬と暮らす、家に取材したことがあるそうだ。
 
 その時アナベラは83歳、「私は夏が終わったのに咲いている最後のバラ」と話したとか。歳は取りたくない。ぼくも同じ思いだ。

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2014年7月21日 (月)

そそり立つものを本のとびらに!

『薔薇族』は、昭和46年7月に創刊されたが、同じ月に単行本として出された本がある。三木春彦さんの『ホモセクシュアル』という、彼の自伝ともいうべき本だ。
 
 雑誌『薔薇族』を創刊する数年前は、ゲイ関係の単行本を次から次へと刊行している。新宿の「京王プラザホテル」も創刊の年にオープンしているから、もう43年もの月日が流れている。
 
 この時代は、マスコミの間でも同性愛はタブーだったし、ゲイの人たちは息をひそめて生きていた。
 
 三木春彦さんの『ホモセクシュアル』の冒頭の書き出しを読むと、その辺のところが伺うことができる。
 昭和の2、30年頃のことだったのか。
 
「私が最初、この未知の世界へ足を一歩踏み入れた時、私は言うに言われぬ大きな不安とともに、今まで経験したこともない喜びをともなった期待に、胸が波打つのを感じた。
 
 この世界に入国できるビザを手に入れるために、私はその機会の到来をどれほど、密かに待ち続けてきたことだろうか。しかし、ついに私は、独立でここへ至る道を開拓したのだ。
 
 私には最初からガイドもなければ、この保険を共に企てる仲間もいなかった。それはもちろん、何人にももらすべきことではなかったし、何人に対しても知られることは、極力避けねばならないことでもあった。
 
 それは現在では、男性化粧品の広告用に、男性週刊誌の大裏にまで、誰はばかるところもなく、姿をあらわす時代となったが、当時はまだ、秘密をその掟とする行為でもあった。」
 
 三木春彦さんの略歴を読むと、「東京大学文学部卒。著書に「背徳」一部、二部等あり。現在、某大学講師」と書かれている。
 
 三木さんは、この本を出した頃は、渋谷のNHKの建物から道を隔てたところにあり、建てられたときには、おそらく昭和初期のころの2階建ての立派なアパートの一室に住んでいた。
 
 何度かお邪魔したことがあったが、照明は薄暗く、部屋の中に仏像が何体も置かれ、お香の匂いが漂い、陰気でそう長くはいたくない部屋だった。
 
 書名もそのものズバリで、増刊もしているから、そこそこ売れたのだろう。書き出しは具体的でないが、読み進むうちに話は具体的になり面白くなっていく。
 
 40歳になったかならなかった頃のぼくは若かったから、思いきった本を次々と刊行し、『薔薇族』も創刊したばかりで、ぼくのテンションは上がるばかりだった。
 
 この本の扉をみると、なんと男の陰茎が、魚拓と同じ方法で、墨を塗り、和紙に移したものが、茶褐色で印刷されている。
 
 なんともたくましい陰茎ではないか。突端のかま首もかっこいい。よくまあ、こんなものをのせたものだ。
 
 告白すると、この陰茎は、なんとぼくのものだ。こんなに巨大ならいうことはないが、かなり拡大している。
 何度も、何度も墨を塗って、うまくいかずやり直したことを覚えている。馬鹿なことをしたと思うが、この頃はすべて体当たりで仕事をしていた。
 
 三木さんは最後のページにこんなこと書いている。
 
「その書物の扉には、この決意を永久に維持し、それを実行する勇気を持ち続けるための自己試練として、自分のペニスを鮮やかに刻印すべきだという幻想が私をとらえた。」
 
 現在のぼくの陰茎は、ちぢまったままだ。

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2014年7月19日 (土)

中学生位の少年の特攻隊員が!—「集団的自衛権」の行使に思うこと— 松田和子

 同居しているぼくの次男、文久(42歳)が代沢小学校で教わった松田和子先生(87歳)からの文章だ。
 
「昭和20年(1945年)私は17歳、帰り官立朝鮮京城女子師範学校に在学、翌年には教師として巣立つはずで、私たち学生は日韓共学で朝鮮半島各地から選ばれた、優秀な学生たちでした。
 
 私ども女子師範学校の学生たちは、「敵の空襲を受けて、怪我をした教え子や、一般住民の手当てもできないようでは、皇国の国民としての資格はない」ということで、学問を教える教師であると同時に、看護のできる教師となるようにと、学業半ばにして京城大学医学部附属病院へ、1ヶ月看護実習生として動員されたのです。
 
 私ども学生たちは、各科の看護婦さんの仕事を覚えなければなりません。血圧測定、包帯交換、静脈注射など、厳しく教え込まれました。
 
 内科の病棟には特別の小部屋があり、いっぱの看護婦たちの出入りは禁止され、婦長だけが出入りできました。
 どんな人が入院されているのだろうと、私ども看護学生にとっては、大変な噂の種になっていました。
 
 ある日、婦長さんから「ここは特別の個室で、特攻隊員の方で出撃するはずが、急病で一時ここで静養されることになりました。みんなはやく回復されるように静かにしてあげてくださいね」と、言われたのです。
 
 ある日のこと、廊下を通っていたら、急に特別室のドアが開いて、現れた少年は私どもより、ずっと年下のようで、中学2、3年生ぐらいの子どものような少年でした。
 
 こんな幼い少年が特攻隊員として、敵艦に突っ込むのかと思うと胸が痛くなりました。
 仕事の間に休み時間があり、各病棟間には小さな庭があって、ベンチが置いてありました。私たちは休み時間になると、この小さな庭で少年を慰めてあげようと、心を込めて歌を歌いました。
 
 その歌声に耳を傾け、物思いにふけるかのように、じっと空を眺めていたのが、あの特攻隊員の少年だったのです。
 
 やがて実習の期間を無事に終える事ができ、すべての病棟勤務は終了、懐かしい母校への通学が再開されることになりました。
 学校に戻ってからも、少年の特攻隊員のことは、みんな気にはしていたものの、戦況は厳しくなるばかりでした。
 
 ある日、ばったり婦長さんに出会ったので、特攻隊の少年のことをたずねてみました。
 
「彼は4日前、出撃命令が出て、青島(チンタオ)の基地に帰られました」と。
 
 あれからおよそ70年、今もあの時のままの少年の身の上に思いを馳せると、激しく心の痛みを感じずにはいられません。
 いくら自分の立場を美化しようと、血で血を洗う殺し合いであることに、なんらかわりはない。自分が生きたいという理由で、人を殺すことが許されるのか、「集団的自衛権」の行使を主張する人々に問うてみたい。
 
 あなたは敵という名の人間に、砲筒の照準合わせて、引き金を引くことができるのか。自衛権の行使を主張する人々は、果たして自ら戦場に立つことができるのか。
 
 あなたたちは戦えと命令するだけで、実際に戦場で敵という人間と、命のやりとりをすることができるのか。自分の息子や、孫を戦場に赴かせることができるのか。
 
 際限もなく悲しみに暮れていた私も、近頃では、ようやく早過ぎた彼の死を無駄にしてはならないと、幾百万の若い尊い命の代償として勝ち取った、日本国憲法の精神を改めて深く刻み込み、不戦の誓いを広く世界中の人々に、訴え続けなければと、強く心に刻み誓う昨今です」
 
 戦争の体験者は、その恐ろしさを身にしみて感じているので、「集団的自衛権」の行使を危惧している。

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2014年7月 7日 (月)

出会いは手紙からネットへ!

 ネットで知り合った女子高生が、年配の男に殺されたという事件があった。これほどネットが普及して、殺されないものの、女子高生と好色な男との出会いは、数多くあるのでは……。
 
 ネットがなかった時代は、文通欄を通じて知り合ったものだ。大手のゼネコンの会長さん。当時、 80歳を超えていたが、文通欄の常連さんだった。『薔薇族』が発売されるや、いち早く買い求めて、若者を求めて手紙をどかっと送ってくる。
 
 ぼくも何度かこの方とお会いしているが、いつもスーツを着こなし、中折帽をかぶった紳士で、いい仕事を残された方だ。
 
 18歳の高校生からの投稿があって、この紳士の裏の行状を知ることができた。
 
「ぼくはつい最近まで、文通欄で知り合った人と交際していました。交際といっても体だけの付き合いで、1回会うたびに1万円と、交通費2千円をもらっていました。ぼくもお金欲しさに馬鹿なことをしてしまいました。「経済援助をする」と、投稿文にあったので手紙を出しました。相手は大手のゼネコンの会長さんで、86歳のよぼよぼの爺さんでした。
 
 デパートのカフエで待ち合わせて、タクシーに乗って旅館まで行き、そこでやってバイバイする。
 もう7回くらい、そんなことが続き、昨日、とうとう我慢できずにさよならした。(中略)
 最初に会ったとき、その人はぼくにいった。
 
「君は東北の人じゃないけど、真面目そうだし、変なところへも遊びに行かないからね」
 
 ぼくはつまり病気の心配がないといいたかったんだろうけど、この爺さん、何人、いや何十人の少年たちと関係を持っているかわからないのだから、爺さんの方こそ病気が心配だ。
 
 このじいさん、確かに金持ちで、若い頃は海外に留学したりして、楽ばかりして生きてきたらしく、まるでぶっきらぼうというか、だれかれ構わず「おい、おい、ちょっと」と呼びつけ、偉そうなことばかり言う。カフエでも、タクシーの中でも、一緒に入るのがたまらなく恥ずかしかった。何でも自分の思い通りになると思っているらしい。
 
 ぼくも、まるで反省してないわけじゃない。でも、ぼくはその時お金が必要でした。88歳の爺さんを好きになるわけありません。
 性格も最悪。タクシーのおつりも、しっくりもらうほどのドケチなじいさんを好きにはなれない。
 ぼくは目が覚めました。馬鹿なことをしてしまいました。楽をして金を得ても満足しません。金欲しさに弄ばれている仲間たちにも、目を覚まして欲しい。苦労しないで金持ちになった人にろくなやつはいない。そして、このじいさん以外にも、同じような奴らや、それに関わっている少年たちも、目を覚まして欲しい。そして薔薇通信も経済援助の投稿は載せないでください。
 
 これからは真面目なアルバイトをみつけて頑張ります。」
 
 J・BOY君からの投稿があったから「経済援助」の文字は消した。
 
 もう、このじいさんも10数年前に、この世を去っている。
 ぼくも同じくらいの年齢になってしまったが、とってもこんな元気はない。すごい人だった。
 
 手紙によって、相手を見つける。それがネットなるものが出現して、瞬時に相手と出会うことができる。
 よかったのか、悪かったのかは、何とも言えない。あのじいさん、今の時代に生きていたら、どんなことになっているだろうか?

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2014年7月 5日 (土)

恐るべき「改正児童ポルノ禁止法」成立!

 最も恐れていたことが、現実になってしまった。 2014年6月18日(水)午前の参院本会議で自民、公明、民主各党などの賛成多数により可決、成立した。
 改正児童ポルノ禁止法が成立してしまった。「東京新聞」の6月18日の夕刊の記事によると、記事ののっけから「個人の趣味で児童ポルノの写真や映像をもつ「単純所持」の禁止を盛り込んだ、改正児童買春・ポルノ禁止法は……」とある。
 
 新聞社の記者たちも、少年愛、少女愛の人たちの実態を知らないで記事にしているのだから、いとも簡単に「趣味」と決めつけてしまう。
 人間、いろんな人がいるから、「趣味」で児童ポルノ(何を称するのかわからない)の写真や映像をコレクションしている人もいることは間違いない。
 
 少年、少女は誰が見たって美しい。古今東西、多くの画家、彫刻家が、その美しい少年、少女たちを描き、彫刻しているのは当然のことだ。
 
 少年、少女を愛する人たちは、「趣味」で愛している人はいない。持って生まれた本能で、これは死ぬまで変わることがないということをよく理解してもらいたい。
「改正法のポイント」が記事になっている。
 
「個人の趣味で(ここでも「趣味」とある)児童ポルノの写真や映像を持つ「単純所持」を禁止。漫画やアニメ、コンピューターグラフィックス(CG)等は規制対象外。
 自分の意思に基づき性的好奇心を満たす目的で18歳未満の児童ポルノ写真などを所持した場合、1年以下の懲役、または100万円以下の罰金。
 個人が既に所有する写真などを処分するために罰則適用を法施行後1年間猶予。」
 
「児童ポルノ」とは何なのか、よく理解できない。いかにもあいまいだ。自分の子供が小さいとき、暑い夏の日に行水をさせて、すっぽんぽんの写真を撮ったものまでいけないのか。
『薔薇族』を創刊して、2号目のグラビアに載せた写真、影のようにしか見えないが、陰毛のようなものが見える。
 そんな写真でも、猥褻だということで警視庁の風紀係に出頭させられて、始末書を書かされてしまったことがあった。
 
「趣味」で少年、少女の写真などをコレクションしている人と、少年少女を愛してる人とを区別してもらわないと困る。
 女性の好きな男たちは、女性のヘアヌードまで街に溢れているから、それらを見ることによって、自分の欲望を抑えることができる。
 
『薔薇族』は、少年愛の人たちのために、小説、絵、写真などをできるだけ載せるようにしてきた。
 大多数の少年愛の人たちは、自分の欲望を理性で抑えているが、ごく少数の人たちが欲望を抑えられなくなって、少年に手を出てしまっている。
 見るものを全てなくしてしまったら、どんなことになるのだろうか。どんなことをしても手に入れたいと思うから、地下に潜り高価にもなる。考えるだけでも恐ろしい。
 
 少年愛の人たちって、日本に何人ぐらいいるのか、これは誰にもわからない。推測するしかないか、千や万の単位ではなく、何十万人はいると思う。
 この法律が施行されるようになったら、警察は見せしめのために、誰かが犠牲にされるだろう。『薔薇族』は4回も発禁処分になったが、他誌は発禁にならない。一番目立つ雑誌を発禁にすれば、他誌は、自粛するからだ。
 
 これは警察の常套手段、暗黒時代がやって来なければいいが…。

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2014年7月 4日 (金)

第31回「伊藤文学と語る会」

来る7月26日(土)、下北沢のカフエ「占茶」にて、第31回「伊藤文学と語る会」開催致します。
 
日時・7月26日(土)午後12時~14時
場所・下北沢一番街、カフエ「占茶」
会費・各自が飲食した分だけ。
コーヒー¥380、ハヤシライス¥600
初めての方、女性の方、ご年配の方、お一人様、大歓迎! お気軽なご参加を、お待ちしております。
 
世田谷区北沢2ー34ー11 リアンビル2階 電話・03ー3485ー8978

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