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2014年7月19日 (土)

中学生位の少年の特攻隊員が!—「集団的自衛権」の行使に思うこと— 松田和子

 同居しているぼくの次男、文久(42歳)が代沢小学校で教わった松田和子先生(87歳)からの文章だ。
 
「昭和20年(1945年)私は17歳、帰り官立朝鮮京城女子師範学校に在学、翌年には教師として巣立つはずで、私たち学生は日韓共学で朝鮮半島各地から選ばれた、優秀な学生たちでした。
 
 私ども女子師範学校の学生たちは、「敵の空襲を受けて、怪我をした教え子や、一般住民の手当てもできないようでは、皇国の国民としての資格はない」ということで、学問を教える教師であると同時に、看護のできる教師となるようにと、学業半ばにして京城大学医学部附属病院へ、1ヶ月看護実習生として動員されたのです。
 
 私ども学生たちは、各科の看護婦さんの仕事を覚えなければなりません。血圧測定、包帯交換、静脈注射など、厳しく教え込まれました。
 
 内科の病棟には特別の小部屋があり、いっぱの看護婦たちの出入りは禁止され、婦長だけが出入りできました。
 どんな人が入院されているのだろうと、私ども看護学生にとっては、大変な噂の種になっていました。
 
 ある日、婦長さんから「ここは特別の個室で、特攻隊員の方で出撃するはずが、急病で一時ここで静養されることになりました。みんなはやく回復されるように静かにしてあげてくださいね」と、言われたのです。
 
 ある日のこと、廊下を通っていたら、急に特別室のドアが開いて、現れた少年は私どもより、ずっと年下のようで、中学2、3年生ぐらいの子どものような少年でした。
 
 こんな幼い少年が特攻隊員として、敵艦に突っ込むのかと思うと胸が痛くなりました。
 仕事の間に休み時間があり、各病棟間には小さな庭があって、ベンチが置いてありました。私たちは休み時間になると、この小さな庭で少年を慰めてあげようと、心を込めて歌を歌いました。
 
 その歌声に耳を傾け、物思いにふけるかのように、じっと空を眺めていたのが、あの特攻隊員の少年だったのです。
 
 やがて実習の期間を無事に終える事ができ、すべての病棟勤務は終了、懐かしい母校への通学が再開されることになりました。
 学校に戻ってからも、少年の特攻隊員のことは、みんな気にはしていたものの、戦況は厳しくなるばかりでした。
 
 ある日、ばったり婦長さんに出会ったので、特攻隊の少年のことをたずねてみました。
 
「彼は4日前、出撃命令が出て、青島(チンタオ)の基地に帰られました」と。
 
 あれからおよそ70年、今もあの時のままの少年の身の上に思いを馳せると、激しく心の痛みを感じずにはいられません。
 いくら自分の立場を美化しようと、血で血を洗う殺し合いであることに、なんらかわりはない。自分が生きたいという理由で、人を殺すことが許されるのか、「集団的自衛権」の行使を主張する人々に問うてみたい。
 
 あなたは敵という名の人間に、砲筒の照準合わせて、引き金を引くことができるのか。自衛権の行使を主張する人々は、果たして自ら戦場に立つことができるのか。
 
 あなたたちは戦えと命令するだけで、実際に戦場で敵という人間と、命のやりとりをすることができるのか。自分の息子や、孫を戦場に赴かせることができるのか。
 
 際限もなく悲しみに暮れていた私も、近頃では、ようやく早過ぎた彼の死を無駄にしてはならないと、幾百万の若い尊い命の代償として勝ち取った、日本国憲法の精神を改めて深く刻み込み、不戦の誓いを広く世界中の人々に、訴え続けなければと、強く心に刻み誓う昨今です」
 
 戦争の体験者は、その恐ろしさを身にしみて感じているので、「集団的自衛権」の行使を危惧している。

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