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2014年8月

2014年8月25日 (月)

菊の花 連想させて迷惑か?—『ゲイ性愛辞典』は、労作だ!—

 パーティー好きのぼくは、『薔薇族』の200号記念パーティーを新宿の「東京ヒルトンホテル」で開いている。
 
『週刊朝日』の1989年8月4日号に、こんな記事が載っている。
「ホテル「菊の間」で開かれた『薔薇族』創刊200号パーティーの聞かぬが花」の見出しで。
 
「ま、偶然ということにしておきましょう。シャレの分かる人には、分かるでしょうから。7月21日(今から25年前のことだ)、月刊『薔薇族』200号記念パーティーの席上だ。
 会場を東京ヒルトンの「菊の間」にしたことについて、編集長の伊藤文学さん(57)(若かったな)は、こう答えた。
「雑誌の名から「薔薇の間」にしたかったんですが、ホテルにない。それに外国では薔薇がその象徴ですが、日本では菊ですから、かえって分かりやすいと思ってね。」
 ちなみに、これ人体にある伊東沖噴火口のこと。外国では色彩から発想しているが、日本では形状から名付けているらしい。
「本当は愛読者の方達をお招きして、お礼を言いたかったのですが、ウチの読者は公の場には出てきたがらない。残念です。
 創刊号は70頁でスタートして、200号は416頁と、6倍の厚さになっているが、愛読者に対する世間の壁も厚いのだ。」
 
『週刊朝日』は、創刊したときにも、いち早く紹介してくれた。堅い雑誌なのにありがたいことだ。
 
 いけだまことさん編著の『ゲイ性愛辞典 もう一つの文化を知るバイブル』(一粒書房刊・定価2000円+税)
 ぼくは序文まで書かせてもらっている。
 
 7月に刊行されていて、書評を書かなければと思いながら、なかなか書けなかった。
 
「1万点を超える文献を読み、完成までに10年の歳月をかけた、日本に、いや、世界に類を見ない労作と言えよう」と、序文に書きながら、366頁もの分厚い本に圧倒されて、手も足も出ない。
 
 そんなときに『週刊朝日』の記事を見つけ出した。79頁を開いたら、即座に解答が出た。ゲイの用語なら、なんでも分かる便利な本だ。
 
「菊  菊の花が肛門に似ていることから、鶏姦の対象として男色における肛門の異称。例・このところついぞ味わったこともない、特製の菊を食い散らかした余韻は、まだ下のあたりで残っていたりする。『アドン』。例・最愛の彼と死別し丸一年、菊穴恋しい。『サムソン』」
 
 そのほかにも、いろいろと例が出てくる。
 とにかく、よくぞ調べたものだ。ゲイに関する用語は、すべてこの本に載っている。おひとりでワープロで打って、完成させたのだから、ただただ驚きだ。なんという執念だろう。
 
 この本は全国の書店で、注文すれば取り寄せてくれるし、書店に頼みにくかったら、ネットでも注文できるそうだ。新宿二丁目のポルノショップ「ルミエール」にも置いてある。
 
『週刊朝日』の記事は、こんなことまで書いている。
 若い人は知る由もないが、「この夜、会場でウケていたひそひそ話が一つ。例の宇野総理の芸者騒ぎの真相と称するものだ。もちろん根も葉もないパーティー・ジョーク。
「あの人は、実はこの世界の人。それがリークされてはまずいというので、あえて女性問題にすり替えた」と、いうもの。参院選の前に噂になれば支持した層が増えたかもしれない。」
 
「さようなら・美空ひばり」葬儀の写真がカラーで。遠い、遠い昔の話だ。

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2014年8月23日 (土)

半世紀の年月をかけ、裏方が表舞台に!

 最近は連日のように、カフエ「織部下北沢店」に通いつめている。息子のような奥村店長の人柄に惚れたというか、以前はデザインの仕事をしていた方で、話し相手になってくれるので……。
 
 本当のところは、ほとんどお客が入ってこないから、店長と長話ができるということだ。こんな贅沢な空間、落ち着いた店は、下北沢にないから、知られてくれば、お客が詰めかけるだろう。それまではぼくの隠れ家にしておきたいものだ。
 
「朝日新聞」と「日経新聞」が置いてあるので、それを読ませてもらっている。8月10日の「朝日新聞」朝刊の小さな記事に注目した。
 
「一途に半世紀 ついに!! 斬られ役、初出演で2冠 カナダの国際映画祭 福本さん「落ち着かない……」」という見出しだ。
 
「太秦ライムライト」を撮影中の福本清三さん」と、説明がつけられ剣を構えている福本さんの髪を振り乱した、険しい顔つきの写真が載っている。
 
 ほとんどの人が、福本清三さんの名前を知らないだろう。ぼくだって名前を知ったのはこの記事を読んだからだ。
 
 ぼくは朝起きると、時代劇専門チャンネルを見る。8時からは、松平健主演の「吉宗評判記 暴れん坊将軍」を、9時からは、高橋英樹主演の「桃太郎侍」、10時からは、加藤剛主演の「大岡越前」と、それで午前中は終わってしまう。
 
「大岡越前」のプロデューサー、西村俊一さんは、世田谷学園の同期生、西村輝成くんのお兄さんなので、親しみを持って見ている。
 
 古い時代劇は、東方や松竹で活躍した映画監督たちが、テレビの時代に移ってきて、時代劇などの監督をしているのだから、作品の質は高い。
 
 福本清三さん、時代劇の斬られ役専門で過ごしてきた方だ。
 
「カナダ・モントリオールで7日まで開かれたファンタジア国際映画祭で、落合賢監督(31)の「太秦ライムライト」が、シュバル・ノワール賞(最優秀作品賞)を、主演した福本清三さん(71)が、最優秀主演男優賞を受賞した。同映画祭で日本人の同賞は初めてで、史上最年長の受賞。
 京都、太秦の撮影所を舞台に、時代劇の「斬られ役」として生きてきた男と、師弟となる女優の交流を描く。福本さんは半世紀以上「斬られ役」一筋で活躍し、今作品が映画初出演。「信じられない。何かの間違いのように思われ、落ち着かない気持ちでいっぱいです」とコメントした。」
 
「暴れん坊将軍」最後の7、8分か、悪人たちが「こんな所に上様が来るわけがない、斬れ、斬れ」と叫ぶと、20人(もう少し多いかも。数えられないと)ぐらいの侍が駆け寄ってきて、上様に斬りかかる。
 
 その中の1人が「斬られ専門」の福本さんだ。福本さんの顔は、その中でも目立つ顔だ。上様に斬られて倒れる。それだけの役だが、福本さん、セリフをしゃべる役も、たまにはあった。
 
 福本さん、斬られて倒れる時、他の斬られ役の人たちは、前屈みに倒れるのだが、福本さんだけは、後ろにのけぞって倒れることができる、ただ1人の人だということを、テレビで見た記憶がある。
 
 最近、NHKでも時代劇の作品が増えてきているようだ。時代劇は制作費がかかるので、どこの局でも敬遠しているようだ。
 
 高齢化の時代、年配者は時代劇を見てる人が多いのでは。時代劇を制作する裏方の人たち、みんなどうしているのだろうか。福本さんの受賞は、多くの裏方の人が喜んでいるに違いない。本当に嬉しい話だ。-

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2014年8月18日 (月)

東京医科大学病院は、すばらしい病院だ!

 8年前、ぼくは左ひざの軟骨がすりへって、神経がぶつかるために、いたくて歩けなくなってしまった。
 
 近所の外科の診療所に通い、ひざに注射を打ってもらったり、たまった水をぬいたりしても、よくなる兆しは見えてこない。
 たまたま前立腺肥大で、夜、何度もトイレに起きなければならず、下北沢の間宮泌尿器科クリニックに通院していた。間宮先生が東京医科大学病院出身だったので、整形外科を紹介してくれた。
 
 手術をして、ひざに金属の人工関節をはめこむ。手術をすることを決意するまで、かなり勇気がいった。でも、思い切って受けてよかった。杖など使わずに歩けるようになったのだから……。
 
 半年ごとに病院に行き、レントゲンをとり手術をしてくれた、正岡利紀先生が診察をしてくれる。
 
 8月7日、新宿の東京医科大学病院の整形外科に予約してあったので、病院に向かった。広い駐車場だったところに、新しい病院が建設されるようで、工事が始まっている。
 
 正岡先生、笑顔で迎えてくれた。「手術をしたのは、いつでしたか?」と聞いたら、今年の9月2日で、8年になるそうだ。
 確か6人部屋だったろうか。いろんな患者が入っていた。お殿様と呼ばれていた老人はちょっとしたことでも、看護婦さんを呼びつけるわがままな人だった。
 
 家屋の解体の作業員をしているという青年がいた。空手の有段者で、かわら割りに失敗して、手首を骨折したそうだ。
 体格もがっちりして、精悍な顔つきをしている好青年で、『薔薇族』のモデルにしたらと思ったぐらいだ。
 
 病院の食事はまずいので、女房がせっせと、おいしい食べ物を運んでくれていた。いつもこの青年にも食べてもらった。
 
 さきに退院して行ったが、何度か食い物を持って見舞いにきてくれた、心の優しい青年だ。苦しいこともあったけれど、いくつもの思い出を残してくれた病院生活だった。
 
 レントゲンのぼくのひざの写真を観て、正岡先生は、「良好ですね」といってくれた。
 もう8年も経っているのだから、ぼくも年を取ったけれど、先生の髪の毛も薄くなっている。
 
 受付に置いてあった、整形外科の立派な案内書を家に帰ってから読んでみた。ひざにはめこまれた、人工関節にも寿命があるようだ。医療器具は年ごとに進歩しているだろうから、8年前にぼくのひざにはめこまれた器具よりも格段によくなっているに違いない。
 確か先生は寿命は15年くらいといったのを記憶している。ぼくの生命の方が、そんなに長くは持たないだろう。
 
 次の検査は、来年の2月だ。半年ぐらい、あっという間に過ぎてしまうから、次の東京オリンピックまでは、元気でいられるような気がしてきた。
 
 案内書の中で、宍戸孝明先生は、こんなことを書いている。
 
「当然のことですが、身だしなみや言葉遣いにも気をつけるようにしています。「患者さんの立場になって治療する」と口にするのは簡単ですが、診察や手術など医療面で配慮する以前に、一社会人としての基本ができていることが第一だと思います。
 患者さんから信頼を得るためには、治療技術だけではなく、服装や話し方にも配慮が必要です。」
 
 ぼくを歩けるようにしてくれた、東京医科大学整形外科、本当にありがとう。

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2014年8月16日 (土)

堅い本から舵を切り替えた!

 最近のぼくは、散歩や、買い物に下北沢に行くと、南口にオープンしたばかりの器と珈琲の店「織部」に、必ず行く。
 
 最近のお店は、いつでも撤退できるように内装にお金をかけないが、この店は違う。
 土地から買い求め、三階建ての豪華な和風のお店で、半分は「織部焼きの器」、いろんな和の物が展示即売されている。
 
 喫茶店の部分は、椅子もゆったりとした木の椅子で、空間も広く、落ちついた雰囲気だ。タバコを吸う席も用意され、ブレンド珈琲も400円という安さ。
 トイレをこんなに広くとっている店は他にはない。赤ちゃんのオムツをかえる設備まである。
 
 ぼくのお目当ては、置かれている朝日新聞と日経新聞。それをゆっくりと読む。
 
 初めてこの店に入った時、「週刊現代」があって、手にすると袋とじがあり、開けてみたいと頼んだことが、店長と知り合うきっかけになった。「変なじいさん」と思われたかもしれない。
 
 ぼくは株なんて買ったことがないから、「日経新聞」は読まないが、2014年8月3日の詩歌・教養欄の「愛の顛末」梯久美子さんの「中城ふみ子⑤愛と死のうた」の長い記事には注目した。
 
 父とぼくの二人だけの出版社・第二書房は、昭和23年に創業、駒大在学中から父の使い走りをさせられて、そのままどこにも勤めずに父の仕事を継ぐことになってしまった。
 
 昭和30年(1955年)4月30日に第1刷を発行した、若月彰著の『乳房よ永遠なれ』北海道帯広出身の天才歌人、中城ふみ子さんとの死を前にした、時事新報文化部の若き記者、若月彰さんとの壮絶な恋を描いた、ノンフィクションだ。
 
 梯さんの記事によると、「新聞記者、若月彰が、札幌のふみ子を取材に訪れた。23歳の彼は、数日の滞在のつもりが、ふみ子と恋に落ち、20日間にわたって病室に付き添うことになる。」
 
 余命いくばくもない、ふみ子に一首でも多く歌を作らせたいという思いがあったのだろう。
 
 当時「短歌研究」という雑誌の編集長が、作家でもある中井英夫さん、のちに寺山修司君を世に出した人でもある。
 
「短歌研究」に発表した、中城ふみ子さんの『乳房喪失』、乳がんで乳房を切り取ってしまった、31歳の中城さん、その作品は大きな反響を呼んだ。
 
「昭和29年(1954年)6月27日、札幌医大付属病院に入院中の中城ふみ子のもとに、東京の中井英夫から歌集『乳房喪失』の見本刷りが届いた。命あるうちに、ふみ子は自分の歌集を手にすることができたのである。」
 
 その歌集を出版した「作品社」の社長と、中井英夫さんは、ゲイの関係だった。梯さんはこんなことまで書いている。
 
「中井は女性を恋愛対象としない人だった。そのことを同じ手紙の中で、『ふみ子の直感が見抜いているように、このあしながおじさんは、お金持ちじゃないくせしてやっぱり女ぎらいなんです』と打ち明けている。
 恋多き女として知られ、死の床にあっても年下の男性をとりこにしたふみ子。『女ぎらい』の中井。ふたりが手紙を通してはぐくんだのは、男女間の恋愛とは別種の、魂の共鳴ともいうべきものだった。」
 
『乳房よ永遠なれ』は、1955年11月、日活で秋の芸術祭参加作品となり、ヒットした。
 この本のヒットで、第二書房は、短歌集などの堅い本から、一般書へ切り替えるきっかけを得たのだった。

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2014年8月11日 (月)

進化した人造乙女博覧会

 とんでもないチラシが、銀座の「ヴァニラ画廊」から送られてきた。
 
「2014年、乙女たちはさらに私たちの想像を超える姿になっていた。」
 
 今の世の中、すべてのものが改良され進化し続けている。「オリエント工業」が、開発し、進化させている「人造乙女博覧会」が、8月5日(火)〜8月23日(土)まで(入場料¥1000、特別パンフレット付)催される。
 
 チラシの写真を見ると、とても人形とは思えない。生きている人間のようだ。驚くべきものを作り出してしまったものだ。
 
 問題はこの人形のお値段だ。高価であっても無理をしてでも買い求めて、そばにいてもらいたいと思うが、ぼくにとってはちょっと出現するのが遅すぎた。
 
 今の若者、面倒くさいから、女性と付き合わないそうだ。近所の桜並木を犬を連れて散歩している若者を多く見るが、なんとも情けない。
 
 ぼくの仕事の発想は、マスターベーションからだったが、それが日本最初の同性愛誌『薔薇族』へと、つながっていった。
 
 女性の人造乙女を作り出してしまった、オリエント工業さん。今度は「ウホッ、いい男」と言わせるような、ハンサムな男性の人形も製作してほしいものだ。男性の人形の方が売れるかもしれない。
 
 まあ、当分は安い「ラブオイル」で、昇天するしかないか。

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2014年8月 9日 (土)

8月23日(土)「文ちゃんと語る会」開催

 8月1日の東京新聞を読むと、
「男性寿命 初の80歳超え・女性86・61歳 世界一維持」と、見出しにある。
 
 ぼくはあっという間に、平均寿命を超えて82歳になってしまった。あと何年生きられるかは分からないが、今のところ元気なので、少しでも世の中のためになる仕事を続けて死にたいと思っている。
 
「伊藤文学と語る会」は、カフエ「邪宗門」から始まったと思うが、もう何年になるのだろうか。それから「つゆ艸」に移り、下北沢のカフエ「占茶」に移してから、すでに一年以上になる。
 
 どうも会の名前が、堅苦しい。もっと気楽に話をしたいので、会場も変えて「文ちゃんと語る会」と、会の名前をしたいと思う。
 
「文ちゃん」と、子供の頃から呼ばれていた。今でも姉や妹は、ぼくのことを「文ちゃん」と呼んでくれている。それにぼくのことを「先生」と呼ぶのはやめてほしい。
 
 勉強嫌いで頭の悪いぼくは、他人様の著書をほとんど読んでいないから、偉そうなことはしゃべれない。ぼくが体験した事だけをそのまま素直に語り文章にもしている。
 
 妹の長い心臓病との闘いを描いた『ぼくどうして涙がでるの』は、まっったくフィクションはない。実際に体験したことをそのまま書いてる。それがかえって、読む人の心を打ったのかもしれない。
 
「文ちゃんと語る会」の新しい会場は、下北沢の南口を降りて、3、4分の路地の奥にある。隠れ家的存在の静かな落ちついた、カフエと器の「織部下北沢店」だ。(〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3 電話03—5432—9068 年中無休 11:00〜21:00)
 日時は8月23日(土) 18:00〜21:00。会費¥1000 ラブオイル、三島剛さんの絵、かわいいカードなどのおみやげ、ワンドリンク付)
 
 文ちゃんは「日本初の同性愛誌『薔薇族』誕生までの秘話を語る」と題しておしゃべりする気楽な会なので、友人を誘ってお出かけください。もちろん女性の出席も大歓迎だ。

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神もローマ法王も解決できない!

 もう何十年もの長いお付き合いの花田紀凱さん。ワック株式会社の月刊誌「WiLL」の編集長だ。通巻117号になるが、3回ほど原稿を書かせてもらったことがある。
 毎月26日発売で、いつの頃からか、「WiLL」を送ってくれている。
 
 9月超特大号「総力大特集・朝日を読むとバカになる」いつもの号は、韓国・中国の批判の記事が多いのが、9月号は総力をあげての朝日新聞の批判だ。
 
 元産経新聞論説委員の石井英夫さんが「私はコレで朝日をやめました」という記事を載せている。お父さんの代から90年もとり続けてきた朝日をやめたという。
 いろんな方が朝日の批判を書かれている。面白い雑誌なので、本屋さんで買って読んでみてください。
 
 朝日新聞は、ぼくの若いころ、大変お世話になったので、やはり親父の代から、90年もとり続けてきて、やめるのはつらかった。ぼくの理由は経済的理由で、今は東京新聞だけを購読している。
 
 下北沢のスーパー「オオゼキ」に、買い物に行った帰りに、最近オープンしたばかりのカフエ「織部下北沢店」に、ときどき立ち寄っている。
「朝日新聞」と「日経新聞」が置かれているので、それを読ませてもらうためでもある。
 
 7月28日(土)の朝日新聞にこんな記事が載っていた。「教会の難題 法皇果敢 聖職者の性的虐待 法改正 厳罰の姿勢」というタイトルだ。
 
 どうしても新聞は「性的虐待」という恐ろしい文字を見出しにつけてしまう。愛する少年を牧師さんが、かわいがりこそすれ、虐待するわけがない。
 
 とは言っても未成年者に手を出せば、犯罪になってしまう。
 
「教会の聖職者の2%が小児性愛者だ。そしてほかの大多数が口をつぐんでいる。非常に深刻にとらえている」。イタリアの有力誌「レプブリカ」はこのほど、法王のこんな驚くべき発言を紹介した。
 
「聖職者による自動への性的虐待」は、バチカンを揺るがしてきた。国連の「子どもの権利委員会」の報告書は、被害者が全世界で数万にに及ぶと指摘。
 世界中で告発を受けながら、対応は後手に回ってきた。問題を起こした者を異動させるだけで処罰せず、隠匿をはかってきたとすら指摘されている。
 
 これに対して、法王はバチカンの刑法を改正。聖職者の身分を取り消すなど、性的虐待を厳しき処罰する姿勢を示す。」
 
 行動を起こしてしまった聖職者は、数万人というが、理性で己の欲望を抑えている聖職者は、その何倍もいるはずだ。
 
 神が少年を愛する人間を創ってしまったのか。男が女を愛し、女が男を愛するだけの人間ばかりなら問題はないのだが……。
 
 いくら処罰したからといって、この問題は片付かない。どんなことをしたって、少年の好きな人は、少年が身近にいる職業についているからだ。どんな職業とあまり書きたくはないが。
 
 政治家はなんにも考えないで、法律を作って処罰することだけを考える。処罰するだけで、少年愛の人がいなくなってしまうわけがない。さて、どうしたらいいのだろうか。
 ローマ法王でも考えつかないことなのだから、ぼくひとりで解決できるわけがない。
 
 テレビで出会った、犯罪心理学の先生方、事件が起こると、コメントされていた方々は皆この世を去ってしまった。
 
 人間が複雑になってきたように見えるけれど、人間の心は、今も昔も変わっていないのでは。

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2014年8月 4日 (月)

真っ赤な「アウディ」で高速道を走る快感!

 35度を越す猛暑の日、下北沢のカフエ「占茶」で「伊藤文学と語る会」(2014年7月26日)が開かれる日なので、早めに家を出た。
 
 すでに表通りに出してある看板には、毎度、ぼくが書いた「ポスター」が貼り付けられていた。
 
 定刻の12時になったが、静岡から出てきてくれた、古い読者と連れの若者、そして二代目の『薔薇族』の編集長の竜超君と、いつも来てくれる青年との四人だけ。
 
 この会の何日か前に、IKDインターナショナルの小松原くんの、Twitterをやりませんかという誘いに乗って、何事かつぶやいた。
 それがなにがなんだかわからないうちに、どんどん見てくれている人が増え続け、ついに3日ぐらいの間に、6千5百人もの人が観たというのだから驚き。
 
 ブログにもつながっているそうで、これでは「語る会」に、多くの人が来てくれるのではと。しかし、カフエ「占茶」には、椅子が12脚しかない。どうしたものかと悩んでいたのだが、ふたをあけてみたら、いつもは7、8人は出席してくれていたのに、Twitterを見ての出席者は、ひとりも来なかった。
 
 途中から二、三人が来てくれたので、いつものようにおしゃべりしたが……。
 
 Twitterって時間を持て余している人が見ているのかと思ったら、TV局のディレクターの人が二人、来てくれた。
 ひとりの方は、『薔薇族』廃刊!の報が朝日新聞の夕刊に載ったのを見て、取材に来てくれたというが、ぼくは覚えていない。
 
 Twitterというものは、観ている人の数は多いのかも知れないが、400字詰原稿用紙に4枚、それが土曜と月曜に猪口コルネ君が更新してくれているブログの方も大事にして書き続けたい。
 竜超君が『薔薇族』の二代目編集長を継いでから、4年めになるそうだ。隔月で出していて、表紙はコルネ君が描いている。
 
「語る会」に出席してくれた、竜君が412号を持ってきてくれた。ぼくは一切、口出ししてないし、原稿も書いていない、まったくの竜君の個人誌だ。
 
 4コマ漫画で「ほのぼの? 4コマ漫画『文学さん』⑪」、竜君がアイデアを出してソルボンヌK子さんが絵にしている。
 笑いのネタにされて、別に気にもしていないが、今月号のマンガは、重大な間違いがある。
 
「文学さんは穏やかな人に見えるが……。実は暴走する! バラ族も文学さんの「せっかちの産物」なのだった! よし専門誌を創刊しよう!」
「せっかちの産物」が気になる。『薔薇族』を創刊しようと思いつくまでには、5年もの歳月がながれている。
 ぼくの愛車だったドイツの真っ赤な「アウディ」のスピードと一緒にされては困る。
 
 昭和41年(1966年)に、オナニーの正しいやり方を書いた、秋山正美さんの『ひとりぼっちの性生活』を出版し、その読者の反響から、ゲイの存在を知り、『薔薇の告白』『ホモテクニック』と、ゲイの人たちが読む単行本を2、30冊出し続けた。
 
 書店で買いにくいので、下北沢のわが家まで本を買いに来る読者が多かった。その人たちから、悩みや、苦しみを聞いているうちに、文通欄を入れた雑誌を出そうという、発想が湧いてきた。
 
 ぼくは岩手の山奥で生まれた母親に似て、辛抱強いし、おっとりして、決断力はあるが、「せっかち」と言われたことはない。
 
 女房の古里、新潟の弥彦までの関越自動車道を突っ走る快感。覆面パトカーに、2、3度つかまったが、「せっかち」なのは、アウディの性能の良さだということだ。悪かったね。
 

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2014年8月 2日 (土)

九州の街での少年にまつわる悲しい話

 2014年6月のカフエ「占茶」での「伊藤文学と語る会」に、はるばる九州のある街から出席してくれた青年がいて、嬉しかったことがあった。
 
 その青年と何度か手紙のやり取りをしているが、彼の住んでる街での悲しい出来事を知らせてくれた。
 
「その出来事が起きた日は、3年前、2011年の4月でした。その頃、ぼくは福岡に住んでいました。
 
 ある日の朝、職場の課長から、「以前、職場に来たことがある人が自殺した」と、小声できかされた。
 ぼくはその方を職場で見たことがあり、「おとなしい、マラソンの小出監督のような優しいおじさん」という印象で見ていました。
 
 もともと、家族経営の建設業を営んでおり、地元の市議会議員もされた人望のある方でした。
 ちょうど、立候補していた次回の選挙日を控えていて、当選し続投も確実と思っていたぼくは、「なぜ、そんな大事な時期に自殺かしてしまったんだろう」と、か思って聞いてみました。
 
 すると課長の口から思わぬことが。「その人は少年に手を出してしまい、それが少年の親にばれてしまった。
 警察の事情聴取を控えている日に自殺したそうだ」と聞かされ、体から血の気が引いて意識が遠のく気がしました。
 
 その方には奥さんもいて(お子さんのことはわかりません)ご自身のお母さんも同居されていたと聞かされました。
 
 ぼくはその方が警察の事情聴取から逃げたくて自殺したんだと思いました。残された家族はこれからどうなってしまうのか……。
 こんな田舎でそんな出来事が起こったことが信じられなかった。たとえ少年が好きだとしても、それが悪いことなのでしょうか?
 
 おとなしそうな方だったので、少年に無理矢理でなかっただろうし、暴力をふるったわけでもなく、ただ一緒にいただけだとしたら、自殺するほどのこととは思えません。
 
 でも議員選挙の投票日を控えていた中での事情聴取、これからずっと狭い田舎で、うわさを気にしながら生活できるか、家族をどうするか、いろいろ考えると、ぼく自身がその状況でも死ぬことを選んでしまうのではないかと、思いながら課長の話を聞いていました。
 
 会社の経営も厳しかったため、表向きは会社の経営難による自殺と受け止められたようで、その後は、課長以外からその話は聞きませんでした。
 
 会社は誰も引き継がず、空き家になり、家族もどこへいったのか判りません。
 その日以来、ぼくはそのことがずっと気になっていました。ぼくはその方がどうすれば死なずにすんだのかをいろいろと考えました。」
 
 なんとも悲しい話ではないか。こんな話をぼくに知らせてくれた青年に感謝している。具体的な話がないと、ぼくの考えを伝えることができないから。
 
 昔の少年だったら、大人にいたずらされたとしても、親に告げ口などしなかった。
 関西の青年が銭湯で少年のからだを触り、親に言われてしまったので、警察に逮捕されてしまった。青年は自分は触ったりしないと、言い張ったが、警察や、健二はどうしても少年の言い分を正しいと思ってしまう。
 
 こうなると裁判になり、留置所生活が長引いてしまうから、職も失ってしまう。こうした場合、素直に罪を認めてしまうことだ。そうすれば初犯であれば、悪くても罰金で済んでしまう。
 
 警察は事情聴取したことなど、職場や家族にしゃべったりはしない。大事なことは少年に手を出したりしないことだが、万が一、そのようなことになったら、素直に謝ることだ。
 
 こんなこと、二度と起きてはほしくない。

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