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2014年8月16日 (土)

堅い本から舵を切り替えた!

 最近のぼくは、散歩や、買い物に下北沢に行くと、南口にオープンしたばかりの器と珈琲の店「織部」に、必ず行く。
 
 最近のお店は、いつでも撤退できるように内装にお金をかけないが、この店は違う。
 土地から買い求め、三階建ての豪華な和風のお店で、半分は「織部焼きの器」、いろんな和の物が展示即売されている。
 
 喫茶店の部分は、椅子もゆったりとした木の椅子で、空間も広く、落ちついた雰囲気だ。タバコを吸う席も用意され、ブレンド珈琲も400円という安さ。
 トイレをこんなに広くとっている店は他にはない。赤ちゃんのオムツをかえる設備まである。
 
 ぼくのお目当ては、置かれている朝日新聞と日経新聞。それをゆっくりと読む。
 
 初めてこの店に入った時、「週刊現代」があって、手にすると袋とじがあり、開けてみたいと頼んだことが、店長と知り合うきっかけになった。「変なじいさん」と思われたかもしれない。
 
 ぼくは株なんて買ったことがないから、「日経新聞」は読まないが、2014年8月3日の詩歌・教養欄の「愛の顛末」梯久美子さんの「中城ふみ子⑤愛と死のうた」の長い記事には注目した。
 
 父とぼくの二人だけの出版社・第二書房は、昭和23年に創業、駒大在学中から父の使い走りをさせられて、そのままどこにも勤めずに父の仕事を継ぐことになってしまった。
 
 昭和30年(1955年)4月30日に第1刷を発行した、若月彰著の『乳房よ永遠なれ』北海道帯広出身の天才歌人、中城ふみ子さんとの死を前にした、時事新報文化部の若き記者、若月彰さんとの壮絶な恋を描いた、ノンフィクションだ。
 
 梯さんの記事によると、「新聞記者、若月彰が、札幌のふみ子を取材に訪れた。23歳の彼は、数日の滞在のつもりが、ふみ子と恋に落ち、20日間にわたって病室に付き添うことになる。」
 
 余命いくばくもない、ふみ子に一首でも多く歌を作らせたいという思いがあったのだろう。
 
 当時「短歌研究」という雑誌の編集長が、作家でもある中井英夫さん、のちに寺山修司君を世に出した人でもある。
 
「短歌研究」に発表した、中城ふみ子さんの『乳房喪失』、乳がんで乳房を切り取ってしまった、31歳の中城さん、その作品は大きな反響を呼んだ。
 
「昭和29年(1954年)6月27日、札幌医大付属病院に入院中の中城ふみ子のもとに、東京の中井英夫から歌集『乳房喪失』の見本刷りが届いた。命あるうちに、ふみ子は自分の歌集を手にすることができたのである。」
 
 その歌集を出版した「作品社」の社長と、中井英夫さんは、ゲイの関係だった。梯さんはこんなことまで書いている。
 
「中井は女性を恋愛対象としない人だった。そのことを同じ手紙の中で、『ふみ子の直感が見抜いているように、このあしながおじさんは、お金持ちじゃないくせしてやっぱり女ぎらいなんです』と打ち明けている。
 恋多き女として知られ、死の床にあっても年下の男性をとりこにしたふみ子。『女ぎらい』の中井。ふたりが手紙を通してはぐくんだのは、男女間の恋愛とは別種の、魂の共鳴ともいうべきものだった。」
 
『乳房よ永遠なれ』は、1955年11月、日活で秋の芸術祭参加作品となり、ヒットした。
 この本のヒットで、第二書房は、短歌集などの堅い本から、一般書へ切り替えるきっかけを得たのだった。

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