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2014年9月13日 (土)

審判は蛾をふみ殺さなかった!

 以前のぼくはジャイアンツを応援していた。DeNAに駒沢大学出身の中畑監督が就任してから、DeNAに変えてしまった。女房は相変わらずジャイアンツ。一緒に住んでいる息子夫婦は阪神フアン。家中がバラバラだ。
 
 昨年までのDeNAは、再開で不甲斐ないチームだったが、中畑監督は他の球団の監督と違って、感情を身体全体で表現する。テレビの時代でベンチの表情も映しだすから、勝っても負けても無表情の監督では、見ていて面白くない。
 
 今年のDeNAは強い。3月、4月は負けがこんだが、それからは立ち直り、順位も4位とあげてきた。9月8日(日)の広島との試合、逆転勝ちで11対4と打ちまくった。tvkの3チャンネルで、DeNAの試合が見れることを最近になって知り、もうひとつのテレビは、ジャイアンツフアンの女房に独占されているが、DeNAno試合を楽しむことができている。
 
 徐々に選手たちの名前や、顔を覚えてきた。DeNAの選手がバッターボックスに立ってかまえているとき、横浜球場は屋根がないから、虫などがとんでくる。
 大きな蛾が選手の顔にあたって、下に落ちた。それを見た審判は、素早く地面に落ちている蛾を手づかみにして、後ろに投げた。
 
 靴で一瞬のことだから、踏み殺すのかと思ったら、審判は蛾を殺さなかった。この光景を見て、審判は心の優しい人だと思い、心がなごむ思いがした。
 
「人間残酷物語 マゾヒスト伊藤ミカの生涯――被虐の舞踊家、忌まわしい血の烙印を負って奴隷の快楽を踊り求めた美貌のダンサー!」
 1971年(昭和46年)8月1日発行の『小説現代』(講談社刊)の見出しに、恐ろしいような文字が並び、丸川賀世子さんという女流作家の作品が載った。
 
 先妻の女房、ミカが風呂場の浴槽の中で、酸欠による事故死をとげたとき、多くの週刊誌が記事にしてくれたのを見て、丸川さんが小説にしたいと取材を求めてきた。
 
 そのとき、週刊誌や、新聞に乗った切抜帳、日記、写真などを丸川さんに届けたが、その後、すっかり忘れていた。
 
 30数年も経ってから、丸川さんが身体を悪くして、古里の徳島に帰ることになり、荷物を片付けていたら
ぼくが化していたミカの資料を見つけ出し、送り返してくれた。
 
 この資料がなかったら、ぼくの著書『裸の女房』(彩流社刊)は、世にでることはなかったし、ミカの写真を使ってのTシャツも生まれないし、渋谷の「ポスター・ハリスギャラリー」での写真展も開くことはできなかったろう。
 
 最近、「文ちゃんと語る会」の会場をカフエ「織部」に移したが、店長の奥村くんが、ネットをいじれないぼくにネットを見せてくれている。
 
 丸川賀世子さん、どうしているのかと思ってネットで調べてもらったら、2013年の10月25日、82歳で亡くなっていることがわかった。ネットってスゴイ。なんでも知ることができるのだから…。
 
 伊藤ミカはネット上で、その経歴、舞踊の仕事ぶりはどうなっているのか、奥村くんに調べてもらったら、その生い立ちから、出身学校などすべて記録されている。どなたが調べて書いてくれたのかは知る由もないが、奇特な方がいるものだと驚いてしまった。
 
 ぼくの書いたものを丹念に読み、間違いなく記事にしているのだから、大変な時間を費やしたに違いない。
 この方のためにも、ミカの写真展はなんとしても成功させたいものだ。
 

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