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2014年9月27日 (土)

父、祷一こそ、ネットに残すべき人?

 ぼくが最近、毎日のように訪れているカフエ「織部」。横丁のまた路地の奥という立地条件の悪さから、下北沢には、こんな落ち着いた店はないというのにお客が少ない。
 
 ひまだから店長の奥村くんが、ネットを触れないぼくに、調べたいものがあると、見せてくれている。ありがたいことだ。
 
 カフエ「織部」こそ、「男の隠れ家」といっていい店だろう。「朝日新聞」と「日経新聞」が置いてあるので、必ず読むようにしていて、ブログに書くネタも、そこから得ている。
 
 誰が調べて書いてくれたのかは、知る由もないが、ありがたいことに「伊藤文学」をネットで検索すると、驚くほどの情報が入っている。若い時から、年をとってからの写真も見ることができる。よく調べてくれたものだ。
 
 大正時代に吉原のお女郎さんを千人近くも苦界から救い出した、祖父の伊藤富士雄のことも、くわしく書かれている。
 
 これはぼくがブログで「救世軍」の軍人として、身体を張ってお女郎さんを救い出した話を何度も書いてきた。
 おそらくそれらを丹念に読んで書き記してくれたのだろう。それよりも驚いたのは、ぼくの先妻、ミカ(本名・君子)のことだ。
 
 昭和60年代の後半に、それこそ疾風のように駆け抜けて、33歳で事故死してしまった、ミカの仕事は、ぼくがブログに書かなければ残るわけがない。
 
 彩流社刊の『裸の女房』は、2009年の6月に発売されたが、あまり売れなかった。しかし、最近になって、ミカのこともネット上で、経歴や、どんな仕事をしたかも、くわしく紹介されている。
 
 陰でお金にもならないことを後の世の人のために書き記してくれている人がいることを感謝するばかりだ。
 
 ぼくの親父、伊藤祷一のことは、ネット上に現れない。戦前、勤めていた第一書房の中に、名前が残されているだけだ。ネット上に名前が出てこないのは、ぼくがまったく親父のことを書かないからだ。
 
 祖父、富士雄が、父、祷一に送った葉書が見つかった。消印に大正10年6月12日とある。ぼくは旅先から、父の手紙をもらったことは一度もない。
 
 山梨県の甲府からの葉書だ。
 
「ぶどうのおみやげはないが、きゅうりの安いのには驚いたが、持ち帰るには重くてだめだ。火曜の夜か、水曜日の早朝には帰るはずだ。」と、記している。
 
 9月14日(日)三連休の真ん中の日、友人のNくんが車を運転してくれて、新潟の弥彦に連れて行ってくれた。朝、6時に東京を出て4時間ちょっとで弥彦村に着くことができた。
 
 Nくん、運転しながら父親の若いときに女道楽で、母親を泣かした話を聞かせてくれた。女だけでなく、大酒飲みだったそうだ。
 
 子供の頃から、父親の道楽ぶりを見てきたので、酒もほとんどのまないし、煙草も吸わない。浮気も一度もしたことがないそうだ。
 
 ぼくも父親の女道楽と、母親の暴力を何度も見てきたので、酒もお付き合い程度で、煙草はというと、これも吸ったことはない。
 
 女性はというと、これはNくんのようなわけにはいかない。しかし、再婚してからは一度も浮気はしていない。それは先妻の残した子どもを立派に育て、ぼくの両親を最後まで看護してくれたからだ。
 
 親父、祷一こそ、ネットに残すべき足跡を残した人だが、ぼくは書かない。別に憎んでいるわけではないが……。
 
Unnamed
Unnamed1
父、祷一が10代の頃の同人誌。
イラストは祷一のもの。

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