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2014年9月 6日 (土)

ひとつの椅子から物語は始まった!

 1969年9月17日の夜、渋谷の山の手教会の地下にある劇場「渋谷・ジャン・ジャン」(現在はカフエ、1969年7月開館、2000年4月に閉館。オーナーは高嶋進さん。『ジャン・ジャン狂宴』(左右社刊)の著書がある。)
 
「渋谷・ジャン・ジャン」が開館して、間もなくの頃だ。西独とイタリアの合作映画「マルキ・ド・サドのジュスティーヌ」の宣伝のために、配給会社・ヘラルド映画の宣伝部長と親しかった、漫画家の富田英三さんが企画したものだ。
 
「週刊ポスト」の10月3日号の記事によると「教会の下のサド・ストリップがあげた宣伝効果」と題して、「この催しは日本ヘラルド映画『マルキ・ド・サドのジュスティーヌ』のPRのためのもの。20万円出したというヘラルド側も、この日、集まったジャーナリストが55人というわけで、安い宣伝費だと大ニコニコ。サドの後継者をもって任ずる前衛舞踊家が商魂に踊らされた。この一幕、地下のサドが見たらサド悲しむだろう」と、皮肉めいた記事にしている。(週刊ポストの誌代が70円。45年も前のことだから、今だと100万円ぐらいの価値か。)
 
 ぼくの先妻の舞踊家ミカは、それ以前に「オー嬢の物語」「愛奴」を舞踊化して、センセーションを巻き起こしたあとだけに、マスコミが押しかけたのは当然のことだ。
 
 ありとあらゆる新聞、週刊誌が記事にしたり、グラビアで紹介され、裸の部分だけをとりあげて、面白おかしく紹介しているが、これは売らんかなで仕方がないことだ。
 
 ミカはPRのためのショウであっても、かなりの時間をさいてコンテを作り、練習を重ねて、この日のためにそなえていた。
 
 ぼくはこの日のショウは、最高の出来ばえで、ミカの隠れた部分を赤裸々に出したもので、どの週刊誌も「彼女の真に迫った演技には、ドギモを抜かれたようで、水を打ったような静けさだった。」と書いている。
 
 その日のミカは、マスコミの人たち、多くのお客さんの中にまじって、椅子に座っていた。それが服を脱いで、はだかになりショウが始まった。
 
 それからのことは、「内外スポーツ」がくわしく書いているので紹介するが、11月28日から、12月7日までの10日間、渋谷の「ポスター・ハリスギャラリー」で、45年前のミカの写真のネガを見つけ出したので、まだタイトルは決まっていないが、「裸の女房」写真展を開催する。
 
 観客のドギモを抜いたショウは、写真を見ていただければ納得されるだろう。まさかミカの写真がTシャツになるとは夢にも思わなかったが、毎日のように訪れているカフエ「織部」の店長が、デザイナーだったそうで、ミカの写真をちらと見せたら感動してくれて、名古屋のTシャツの工房の友人と一緒に、素晴らしいTシャツを3通りも作ってくれた。
 
 因縁というべきだろうか、ミカが「ジャン・ジャン」で座っていた椅子が、なんとミカの写真展を開く、「ポスター・ハリスギャラリー」に、10脚も置いてあるではないか。
 
「ジャン・ジャン」が閉館になったとき、譲り受けたものだそうだ。人間との出会い、モノとの出会いって不思議なものだ。
 
「内外スポーツ」は「キリストもびっくり、ド肝抜いたサドショウ」の見出しで、「肉体こそ武器というヌード舞踊家として知られる伊藤女史は、ほとんど全裸に近い格好で、満員の客席の間を走り抜け、太い鎖で両手をしばられ、鞭打たれたり、異様にして熱気ムンムンたる舞台を展開、満員の客席は一様に目を剥き、ショックに打たれてた。」とある。
 
 ミカの踊りが芸術なのかどうかは、ぜひ、写真展を見て、ご判断を!

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