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2014年10月

2014年10月31日 (金)

「朝日新聞」を怒らせた「週刊文春」の記事!

 ぼくは母校、世田谷学園の同窓会の役員会に欠席したことはない。そのためか本を出版するたびに新宿の京王プラザホテルで、出版を祝う会を開くと、同窓会と校長が立派な花輪を贈ってくれた。
 
 今の山本校長のお父さんは、ぼくの一年上の先輩だったが、出席してくれてスピーチもしてくれた。
 
 昭和56年(1980年)4月16日発行の「週刊文春」の奥付の「編集長からのメッセージ」欄に「縫合から編集長を引き継ぎます。6年ぶりのなつかしい古巣です」
 
 その編集長が村田耕二君、世田谷学園時代の何年かの後輩だ。村田君も同窓会の役員だった。
 
 34年ぐらい前の同窓会の役員会に出席したとき、先輩の大手ゼネコンのお偉方がきていて、当時の校長、杉邦雄先生と、村田耕二君と、なぜかぼくを誘ってくれて、新宿の歌舞伎町のクラブ「リー」に連れて行ってくれた。
 
 高級クラブだから、とってもそんなところへ行けるわけがない。舞台では踊りながら指揮をとることで有名だった、スマイリー小原さんのバンドが出演していた。
 
 歌手は朝丘雪路さんだ。その時の記念写真がまだ手許に残っている。ぼくだけがにこりともしていない。みんな笑顔なのに……。緊張していたのだろうか。
 
 それ以来、文春の村田耕二と親しくなった。ちょうど、『薔薇族』が百号の記念号を出したときだったので、「週刊文春」が3頁を使って記事にしてくれた。
 
 なんとその見出しが凄い。「〝ホモ界の朝日新聞〟『薔薇族』百号記念までの悪戦苦闘」とある。朝日新聞は怒ったそうだ。
 
 車内吊りのポスター、新聞広告の見出しを変えろと言われたそうだが、ポスターは印刷済みで変えられない。新聞広告の見出しだけは変えたそうだ。
 
 ぼくは47歳ぐらいの頃だったろうか。髪の毛もふさふさしているが、掲載されている写真はきびしい顔をしている。『薔薇族』の取材できて撮られた写真で、にこっとしている写真はない。すべて敵だと思うから、笑顔など見せられなかったのか。
 
 直木賞作家の胡桃沢耕史さんが、コメントを寄せている。
 
「誰も相手にしなかったホモの世界を地上に引き上げた『薔薇族』の功績は大きいですね。『薔薇族』という言葉は、日常語辞典の類にまでのっていますし、近いうちには国語辞典にものるんじゃないかな。
 
 今や「ホモの文芸春秋」とか、「ホモの朝日新聞」と言われるぐらいで、この世界では一つの権威になっています」と。
 
「ホモ界の朝日新聞」と、文春の記事に書いた本当の意味は、営業がかけずり回って、スポンサーを探さなくても、スポンサーの方から、広告を載せてほしいと頼みにくるが、朝日新聞だった。いかがわしい広告は審査が厳しくて載せてもらえなかった。
 その上、広告料が高かった。第二書房から出版した『匪賊と共に』や、『ぼくどうして涙がでるの』が、ベストセラーになったとき、朝日に広告を出したかったが、ついに一度も朝日には広告代が高くて出せなかった。
 
『薔薇族』も朝日と同じように、営業を使わなくても、自然に広告が集まってしまった。本当にありがたいことだった。
 
 世田谷学園は今や、進学校になってしまって、一流大学に入学する学生が増えている。ぼくのような異端な卒業生がいるということは迷惑なのかも知れない。
 村田耕二君は、文春の重役にまでなって、引退されている。それにしても当時の『週刊文春』の威力と効果はものすごかった。
 
★11月と12月の「文ちゃんと語る会」は、お休みにします。渋谷の「ポスターハリスギャラリー」での11月28日〜12月7日までの催し会場にいますので、気軽に声をかけてください。
 
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2014年10月27日 (月)

「葉巻」は紳士のステイタス・シンボル!

 11月28日から、12月7日まで、渋谷の「ポスターハリスギャラリー」で催される「文ちゃん<伊藤文学>のアンティーク・コレクション蚤の市」で展示、販売される品々を紹介していきたい。
 
 2003年の9月に渋谷の「たばこと塩の博物館」で催された「シガーラベルの世界=葉巻の箱の小さな芸術」を見に行き、解説書をもらったので、それがどんなものかが、よく理解できた。
 
 それ以前にアメリカ人のジョージ・リンチさん(ゲイの人)から、シガーラベルを譲り受けていたので、その存在も知っていたし芸術性が高いことも承知していた。
 解説書から引用させていただくが、「葉巻」といってもどんなものか知らない人が多いだろう。
 
 葉巻は高価なもので、お金持ちの人しか吸うことはできなかった。アメリカの西部劇の映画を見ると、将軍の部屋の机の上に、マホガニーの箱に入れられた、葉巻が置かれていた。
 後楽園ホールの入り口に、試合前のプロレスのジャイアント馬場が、椅子に座って葉巻をくゆらせていた姿を忘れることはできない。
 
「葉巻を入れた箱の蓋の裏側には「ビュー(View)」と呼ばれる美しいラベル=シガーラベルが貼られていた。
 かつては18世紀末に生み出され、19世紀を通じて発展していった、石版印刷技術により製作されたシガーラベルが主流を占めていた。
 
 とくに1890年代から、1920年代にかけて製作されたキューバや、アメリカのシガーラベルには、当時絶頂期にあった葉巻産業を象徴するかのように、豪華で華麗なものが多く見られる。
 より高価に見せるために、金箔を多く使っているが、時が経ってもその輝きを失せることはない。
 
 いかに人目を引きつけるかを考えて、製作されたラベルには、有名な人物の肖像、風景、動物、あるいは葉巻の愛用者が主に男性であったことから、美しい女性が描かれたものなどがあり、その内容は非常にバラエティに富んでいる。」
 
 スペインに葉巻が広まっていくのは、18世紀後半になってからのことで、セビリアに創設された王立たばこ工場(1728年竣工)では、本格的・独占的に葉巻の大量生産がはじめられるようになった。
 ちなみに、このセビリアのたばこ工場は、フランスの小説家メリメの『カルメン』の舞台として知られている。
 
 このシガーラベルの分厚い参考書が25年前に出版されている。その中には、印刷の仕方や、印刷工場が載っているが、広大な印刷工場だ。
 キューバや、アメリカの「葉巻」が、上流階級、特に紳士たちのステイタス・シンボルのひとつとして、広くたしなまれるようになっていた。
 
 欧米ではコレクターの層が厚い。日本とは比べ物にならないが、これらは日本人の目に触れる機会が少なかったのだから、仕方がないことだ。
 パリのレストランのシェフが使ったメニュー、カルフォルニアのフルーツ・ラベル、パリの古いデパート「ボン・マルシェ」がお客にくばっていたかわいいカード。
 戦前の軍隊の兵士たちが、かぶっていた帽子。どんな「いい男たち」が使用していたのか、想像するだけでも楽しい。
 
 19世紀初頭の「絵葉書」など紙物の種類が多いから、集めるのは楽しいが、みんな中途半端になってしまった。こんなものを集めるより、ネットにかじりついていた方が、楽しいのかもしれないが……。
 
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★写真はキューバのシガーラベル。天地16センチ、左右23センチ。

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2014年10月25日 (土)

スマホを持ち歩かねば生きていけない人って!

「文ちゃんと語る会」の会場になっている、カフエ「織部」。住所さえ書いておけば、初めて訪ねてくる人でも、スマホを持っていれば簡単にたどりつける。
 
 車もカーナビをつけていれば、どんなところでもたどりつけてしまうのだから、便利な時代になったものだ。
 
 ぼくの若い頃、1965年(昭和30年)、今から59年も前の話だ。こんな時代があったということを今の若い人にも知っておいてもらいたいものだ。
 
 先妻のミカと、夜汽車の中で出会い、1956年には、我が家にころがりこんできた。日本女子体育短期大学の2年生のときだ。
 
「週刊新潮」が創刊、週刊誌ブームが始まる。石原裕次郎の「太陽の季節」「狂った果実」がヒットし、歌謡曲では「ここに幸あり」「若いお巡りさん」が歌われていた時代。
 
 ミカは体育の教師になることが夢だった。ミカの日記には、こんなことが書かれていた。
 
「就職のための履歴書を何枚書いたことか。私は夜になると使いつけない、すずりと筆を持ち出して履歴書を書いていました。親類の中学の校長先生からいただいた、都内中学の校長先生の名刺を並べては、明日はどんな順序で学校を回るか、地図の上で探していました。
 
 東京に出てきて2年しか経っていない私には、まるで方向がわかりません。ある時は商店街を、ある時は住宅街をと、行きずりの見知らぬ人に道を聞いたり、交番で地図を書いてもらったりしながら、一枚の名刺を頼りに歩きました。
 
 せいぜい、一日尋ね歩いて三つの学校しか歩けません。ようやく名刺の裏に書かれた先生のお宅を探し当てても、留守であったり、たまたまお会いできても、「悪い時代に生まれましたね」ということで、就職口などどこにもないような、絶望的な日々が、一ヶ月ほど続きました。
 
 卒業式が終わった翌日から、一日として歩き回らなかった日がなかった、一ヶ月でした。偶然にもある学校の校長先生から拾われました。
 
 そのときも何か運命的な大きな力を私は感じました。東京を隅から隅まで歩き尽くしたように思っていたのに、その学校は自宅から歩いても30分と、かからないところでした。もちろん時節がら専任の教師になれるはずはありません。校長の話だと、他に例のない待ち時間の多い、特別時間講師になるでしょうということでした。
 
 入学式から二週間が過ぎたとき、私は急に五月一日付けの辞令をいただき、専任の教師という夢はついに実現したのです。
 
 早速、母校に専任になれたことを報告に行ったところ、四百人近い卒業生のほとんどが体育の教師を希望し、そのうちの半数が都内での就職を希望していたそうですが、専任の第一号になったそうで、教務課の先生方がよろこんでくれたのに、私は悲しい気持ちで眺め、一方ではそれだけに良い先生になりたいと思ったものでした。こうして私は教師の道を歩み始めたのです。」
 
 学生時代に朝顔園にアルバイトに行ったぐらいで、履歴書など一枚も書いたことがなく、親父が始めた株式会社「第二書房」の出版の仕事を無休で勤めたぼくとは、ミカの生き様は全く違う。
 
 ぼくと正反対で、頭が良くて努力家のミカ。ぼくと出会ったことがよかったのか、悪かったのか。
 
 東京中を地図を頼りに、学校や、校長の家を尋ね歩いたミカ。その努力が報いられて教師になれたよろこびは、本人にしかわからない。便利になった時代の若者たち。果たして幸せといえるのだろうか?(写真は新婚時代のミカとぼく)
 
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★伊藤文学著『裸の女房』(彩流社刊)をぜひ、ご購読を!

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2014年10月20日 (月)

2丁目の男たちの愛の葛藤が、ミステリアスに描かれる異色作! 『東京〜ここは硝子の街〜』 松下芳雄

 世界最大のゲイタウンと称される新宿2丁目。そこに集う男たちもさまざまだ。自らの嗜好に叶う相手を求めてさまよう者もいれば生活の糧とする者もいる。この映画は夢と愛を求めてこの街に生きる美しい男たちの宿命的な出会いと歓び、そして葛藤を飾らず、誇張せず、ありのままに捉えた異色作だ。
 
 中心となるのは若いバーの経営者でモデル、そして「東京ボーイズ・コレクション」を企画、主催するトオルと偶然、彼に助けられた韓国人ヨン。日本で芸能界デビューを志すヨンだったが追い詰められて無銭飲食をするほどに。その現場で知りあったのがトオルだ。
 
 生活費を稼ぐためヨンは売り専バーで働き出し再会したトオルと愛しあい同棲。しかしヨンが芸能プロ社長の甘言に乗せられ肉体関係を結んだことを知ったトオルは不信感をいだき、同棲していた家から追い出す。けれども失うものの大きさを悟ったトオルはヨンを許し、二人はより深く愛し合うようになるのだが……。
 
 男と男のデリケートな感情の起伏が三島由紀夫の名作「仮面の告白」のモチーフを借りて描かれる。傷害から殺人に至る悲劇。闇世界の存在や刑事の執念、謎めいた熟女たちの行動と、ミステリックな物語が20年前に起きた殺人事件と行き来しながら展開する。
 
 カナダのモントリオール世界映画祭「フォーカス・オン・ワールド・シネマ部門」にも正式招待され、寺西一浩監督、主演のJK、中島知子らが公式上映に臨んだという注目作。ヨンに扮するのは韓国KMTVの人気番組「ミュージックタンク」でMCとしてデビュー、現在は俳優・モデルなど多彩な活動をしているJK。トオルには2010年のベストジーニスト賞1位、モデルであり、自己写真集「激アツ」の出版など、ミュージカルの舞台や俳優としても人気の木村敦が複雑な心理表現を要求される難役に挑戦してみせる。
 
 2丁目が舞台の作品は意外と少ないし、お仲間には必見。もちろん一般向けの本格ドラマとしても見応え十分。ぶっつけ本番、手持ちカメラによるロケなど場所が場所だけに貴重かも。ゲイの世界に食い入った構成。大胆な交歓シーンも随所に。
 
*監督・原作・脚本:寺西一浩 脚本:入江おろぱ 主演:JK 木村敦 中島知子 内山磨我 田島令子ほか
2014年/日本映画/カラー/ビスタサイズ/105分
11月8(土)からヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国で順次ロードショー公開
配給:ムービー・マジック 株式会社HumanPictures
配給会社:アルファビル
 
★試写会に誘われたのですが、観に行けず『薔薇族』誌上に映画評を書き続けてくれた、松下さんに映画評を書いてもらいました。
 
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2014年10月18日 (土)

椅子と写真展とTシャツと!

 渋谷の「パルコ」の手前の教会の地下に、かつて小劇場の「ジャン・ジャン」があった。今は喫茶店になっているが……。
 
 1969年(昭和44年)、今から43年も前の話だから、若い人は知る由もない。ぼくの先妻の舞踊家、ミカが、一番活躍していた年のことだ。
 
 西独とイタリアの合作映画「マルキ・ド・サドのジュスティーヌ」の宣伝のための催しが、9月17日の夜に、「ジャン・ジャン」で、漫画家の富田英三さん(ビザールの会 会長)の企画で催された。
 
 会場は100人ほどの椅子席で、50人以上が取材に訪れたマスコミ関係者、あとは一般のお客で超満員だった。
 
 その前年、ミカは「伊藤ミカ・ビザール・バレエ・グループ」を結成し、フランスの地下文学の傑作と評されていた、澁澤龍彦さん訳の「オー嬢の物語」を舞踊化し、センセーションを巻き起こし、その翌々年には、栗田勇さん原作の「愛奴」も舞踊化し、話題を集めていた。
 
 映画の宣伝のためのミカのショウ。どんなすさまじいショウになるのかと、マスコミが押しかけていた。その時代はテレビの取材はない。スポーツ紙、週刊誌の記者たちだ。
 
 ミカはお客の中にまじって、椅子に座っていて、そこで衣服を脱ぎ全裸に近い状態になったのだから、記者たちも、お客もあぜんとさせられてしまった。そこからミカのショウは始まった。
 
 その座っていた椅子が、11月28日から、10日間、写真展が開かれる、『ポスター・ハリス・ギャラリー」に10何脚かあるのだから不思議な因縁だ。
 
「ポスター・ハリス・ギャラリー」で、7年も働いている長谷川町子さん。社長から展示の日程から企画もまかせられているようだ。
 その町子さんが、ぼくの後妻の久美子の古里、新潟県弥彦村に建設し、平成5年11月にオープンさせた「ロマンの泉美術館」に、訪れてくれていたのだ。
 
 ぼくが館長だが、人まかせで『薔薇族』の仕事が忙しいから、月に一度も訪れることはない。たまたま、ぼくが美術館にいたときで、それと批評社から『薔薇を散らせはしまい 『薔薇族』と共に歩んだ22年』という本(1933年刊)を出版したばかりだったので、美術館の売店に置いてあった。
 その本を町子さんは買って、ぼくにサインをと頼んだようだ。下手な字のサインだが、町子さんはその本を見せてくれた。
 
 ギャラリーに勤める前のことだったのだろう。ぼくはまったく覚えていないが、よくぞあんなへんぴな場所の美術館を訪れてきてくれたものだ。
 
 その町子さんの協力で、ミカの写真展を開けるようになったのだから、「ジャン・ジャン」の椅子といい、写真展といい、不思議なめぐり合わせだ。
 
 まだまだ不思議なめぐり合わせがある。ぼくは82年間、代沢の街で暮らしているが、下北沢駅前の本多劇場の一階にある、本屋さんと雑貨屋? 若い人に人気の「ビレッジ・ヴァンガード」に、長谷川町子さんの弟さんの長谷川朗さんが勤めているのだ。
 
 まさかミカの映画の宣伝のためのショウ、赤坂のクラブ「スペース・カプセル」でのショウの写真が、Tシャツになるとは夢にも思わなかった。
 下北沢のカフエ「織部」の奥村さんと、その友人のTシャツの工房の植田さんとが、三通りのミカのTシャツを作ってくれた。
 
「ビレッジ・ヴァンガード」の長谷川朗さんにお願いして、Tシャツと『裸の女房』(彩流社刊)を置いてもらうことになった。これも不思議なごえんだ。
 
 ミカと出会ったのも仙台の七夕祭りに行く夜汽車の中、人間の出会いって不思議なものだ。
 
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2014年10月13日 (月)

女房の陰毛を何十回も剃って!

 今から31年前、1983年の『薔薇族』98号の「人生薔薇模様」の読者投稿欄に載っていた、神戸の境浜男さんからの投稿だ。
 
「イスラムでは毎週金曜日には、陰毛を剃らねばならぬことが戒律で決められているとか。1日5回、メッカの方向へお祈りする人たちは、口ひげをのばしているが、下の方はツルツルということになる。
 
 われわれは口のまわりや、頬は剃って、ツルツルでないと無精ヒゲだが、下の方は剃らない。逆になっている。
 
 この頃の若い女性は、ほとんど腋を剃っている。たまにモジャモジャを見ると、なんとも不潔、不快になってくる。しかし、男の脇毛は、べつに不快に思うことはない。
 
 江戸時代のサカヤキも同じことが言える。恐らく中高年のハゲが髪を結んだ状態を「成人」として若い男が真似たもので、オデコからテッペンまで剃り上げたものだろう。若い男では、すぐに毛がまた生える。モジャモジャは見苦しいと、ツルツルに剃りたてたのが、サカヤキのはじまりだと思われる。
 
 ホモビーチで褌をしたピカピカの褐色肌をした男たちの中には、陰毛を剃っているのが案外いる。
 チョロチョロと黒い縮れ毛が、白い褌からはみ出しているのは、なんとも卑猥でよくないという。
 実際に褌をしていると、小便をするときにペニスをつまみ出す際、毛を引っ張ることが多いし、仮性包茎があると、毛を巻き込んでしまう。よくトイレのアサガオに陰毛が落ちているのを見るが、まったく卑猥な感じがする。
 
 六尺褌を常用し始めてから、毛が邪魔になるので、3センチくらいのショートカットにしていたが、三角褌にしてからは、結局剃ってしまうほうが手っ取り早いし、簡単なので、月一回、散髪をした晩に風呂場でやっている。(後略)」
 
 ぼくも胆石の手術をした時と、左ひざに人工ひざを入れる手術をしたときに、看護婦さんにカミソリで陰毛を剃られたことがある。看護婦さんって、仕事とはいえ、ご苦労なことだ。
 少しのびてきたときの感触って、もう忘れているが、チクチクして妙な感触だった。
 
 体操競技の男性選手は、脇毛は剃っていない。鉄棒から着地したときに、腕を上げると、テレビの画面に脇毛が映し出される。それは卑猥でもないし、むしろセクシーさを感じさせる。
 
 ぼくの先妻の舞踊家、ミカは世田谷区立松沢中学の体育教師を10年間勤めていたが、「伊藤ミカ・ビザール・バレエグループ」を結成し、フランスの地下文学の最高傑作と評されていた『オー嬢の物語』を舞踊化、1967年、新宿厚生年金会館の小ホールで公演したが、そのとき舞台でくさりにつながれ全裸になった。
 
 公演の前夜、ミカの陰毛をぼくが剃り落とした。そのときが最初で、それから翌年の『愛奴』、そして赤坂のクラブ「スペース・カプセル」で、毎週1回のショウを続けるようになってからは、「私は皮膚という衣装を身につけて踊っている」と言っていたぐらいだから、ミカにとって裸は自然のことだ。
 
 ミカの陰毛を剃る仕事は、ぼくにとっては理髪師が髪の毛を切るのと同じくらい当たり前のことになっていた。
 
 考えてみたら、女房の陰毛を何10回も剃っていた亭主っていないだろう。ツルツルになった、アソコを見たときの気持ちって、50年も前のことだから、カゲロウのようにしか思い出すことはできないが……。
 
★11月28日(金)〜12月7日(日) 渋谷ポスターハリスギャラリーでの「伝説の舞踊家・伊藤ミカ写真展」をぜひ見に来てください。
 彩流社刊・伊藤文学著・『裸の女房』をアマゾンでぜひご注文を!
 
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2014年10月11日 (土)

時代劇は生き残れるか?

 高橋英樹主演の「桃太郎侍」、加藤剛主演の「大岡越前」を時代劇専門チャンネルで見終わったばかりだ。ぼくは時代劇にはまっている。
 
 民放はくだらない、お笑い芸人ばかりの番組で見るものはない。日本テレビの「笑点」台本通りにしゃべっていて、マンネリもいいところだけど、年配者が笑える番組は、これしかないのだから、ついつい見てしまう。
 
 2014年9月30日の朝日新聞の朝刊を、カフエ「織部」で読んで、これはブログのネタになると、店長に頼んでもらってきてしまった。あと日経新聞も置いてくれているが、ぼくのために置いてくれているようなものでお客さんは携帯ばかり見ているのだから、置くのはやめたほうがいいとさえ思ってしまう。
 
「耕論・時代劇は生き残れるか?」という、一ページを使って、俳優の中井貴一さん、文芸評論家の縄田一男さん、コラムニストのペリー荻野さんから記者が話を聞いてまとめている。
 
 荻野さんも書いているが、「いま売上が順調に伸びているBSも柱の一つは時代劇。関係者に聞くと「みんな時代劇が強い」って言う」
 こんな時代の流れから、この記事が生まれたのだろう。
 
 中井貴一さんは、「なぜ、こだわるのか。演じる者として言わせてもらえば、時代劇には現代劇では作りにくい想像力という魅力があるんです。
 
 登場人物の背景に、どんな社会や組織があったか、苦難や戦いにぶち当たって、どう考え、どうしのごうと努力したか、見る人の中に、どれだけ想像をかきたてられるかが役者の腕の見せどころです。
 
 とりわけ、想像してもらいたいことの一つに「侍の心」があります。」
 
 縄田一男さんは、批判的で「脚本が弱いのです。実力より人気優先で配役を決め、万人にわかりやすい物語を届けている。目の肥えた視聴者を馬鹿にしていると、いわざるをえません。
 
 いま、殺陣をこなす俳優がどれだけいるのか。きちんと学ぼうとする俳優も減り、学ばなければ時代劇俳優として認めないという空気も失われている。マンガのようなCGでお茶を濁しているだけです。」
 
 最近のNHKの時代劇など、すべてが安っぽくて見る気がしない。
 
 ペリー荻野さんは、「時代劇はじつは強い。それは時が流れてもくさらないからです。
 時代劇は違う。たとえば今日見た「御宿かわせみ」は、30年以上前の作品なのに、全然古くさくない。人間をきちんと描けた作品は、いつまでたっても面白い。」
 
 ぼくは「鬼平犯科帳」「剣客商売」「江戸の旋風」などを多数監督した高瀬昌弘さんに世田谷文学館で出会えたことを幸せに思っている。
 
 高瀬さんの書かれた本の出版記念会に招かれて、鬼平に出演していた、江戸家猫八さんと出会い、女優の久我美子さんとは、ツウショットの写真をとらせてもらった。憧れの人だったので、今でも机の上にかざって眺めている。
 
 鬼平犯科帳を見て感動したという手紙を出すと、高瀬さんから、こんな手紙が返ってくる。
 
「あの作品は、プロデューサーの市川さんと原作の池波さんとの結びつき、市川さんとシナリオライターとの永い、永い付き合いと、人と人とのつながりがあっての作品でした。
 
 松竹京都の一流メンバー、私も一本、一本楽しく仕事ができました。恐らく二度とあんな作品はできないでしょう。職人たちの集まりでした。」
 
 これらの作品にたずさわった、職人たちがバラバラになってしまっているのだから、時代劇は残念ながら生き残れないのでは……。
 
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2014年10月 6日 (月)

創刊号50万部が発売即日完売の雑誌から!

 日本に住む同性愛者は幸せだ。日本には同性愛者を罰する法律など、一切ないのだから。
 
「東京新聞」が毎週金曜日に、「世界の街・海外リポート」という、各国に駐在している記者からのリポートを載せている。
 
 短い記事だけど、いろんな国の街の様子がなんとなく読み取れるので、ぼくは毎週、楽しみに読んでいる。
 
 エジプトのカイロからの「同性愛 医学で判別?」というリポートに注目した。
 
「エジプトで同性愛者の結婚式を撮影したとされる動画が最近、インターネット上で拡がった。動画には、友人らが歓声を上げる中で指輪を交換する男性二人が映っている。
 
 エジプトでは、法的に同性愛が禁じられているわけではないが、宗教的背景から社会的には認められていない。
 AFP通信などによると、検察当局は、動画に映っていた16人のうち、指輪を交換していた男性2人を含む、9人の身元を突き止め、背徳行為の容疑などで拘束した。
 
 当局は全員に同性愛者であるか否かがわかるとする医学的検査を受けさせた。その結果、いずれも同性愛者ではないことが判明したという。(後略)」
 
「医学的検査への疑問の声も聞こえてこない」と記事はしめくくられているが、同性愛者と判別する医学的検査って、どんな検査なのか、分かるわけがないのに、エジプトの人が疑問視しないというのも変な話ではある。
 
 医学的ではないけれど、同性愛者であることを判別するというテストを考案した男がいた。そのとんでもない男は、伊藤文学だ。
 今でも集英社から『週刊プレイボーイ』は刊行されているが、『月刊PLAYBOY』は、姿を消している。
 
 毎日新聞社刊の『毎日ムック・戦後50年』の1975年(昭和50年)今から39年前の頁を見ると、『月刊PLAYBOY・日本版』創刊50万部即日完売と書かれている。
 
 アメリカの美人のヌード写真が、カラーでふんだんに使われている。アメリカのプレイボーイのオーナーの美人に囲まれた生活ぶりをテレビで見て、うらやましく思ったものだ。
 
 蝶ネクタイをした、うさぎのマークが街にあふれたことがある。こんなスゴイ雑誌の日本版第6号に、ぼくは原稿を依頼されたのだ。
 
 女のヌードを好む男性が見る雑誌に、なんで『薔薇族』の編集長が登場したのか、今見てもその真意は、よくわからない。
 
『薔薇族』が創刊されて、4、5年経った頃で、その存在がマスコミの間でも注目されていたからか?
 
「もしかして、あなたもアレかもしれないぞ! やってみよう……」そして、タイトルが「ホモセクシャル・テスト」
 
「このテストには、学問的な裏付けは、まったくないのです。ぼくは4年ほど前に、日本で初めてホモ専門誌『薔薇族』を創刊し、今日に至るまで、千人を越す読者に会い、数千人の人たちと電話で話をしました。そして雑誌を出し続けてきた過程から、その体験で割り出し、肌で感じた、ぼくのうそ偽りのない体験的ホモセクシャル/テストというべきものです」と、書き出している。
 
 これは間宮浩さんという、ゲイの世界の生き字引のような人の智慧を借りて作成したものだ。
 
 テストの問題は、たわいないものだが、当時のゲイの人たちの状況を4頁も書かせてくれたのが救いと言えよう。
 
 創刊号の50万部が、即日完売なんて、夢のような時代。いい時代に出版の仕事を続けてこられたぼくは幸せ者だった。
 
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2014年10月 4日 (土)

淫嬢の太ももに黒くもが!

 ぼくが毎日のように通っている、下北沢南口のカフエ「織部」に、毎土曜日の昼休みの時間に、ぼくのことを待っている女性がいると、店長から聞かされた。
 
 どうやらぼくのブログを見てくれている人のようだ。店長からその話を聞かされて、ぜひ会ってみたいと思い、土曜日にその女性が現れたら、電話をかけてほしいと頼んでおいた。
 
 土曜日の昼過ぎ、店長からその女性がきているという電話がかかってきた。残念ながら今のぼくは走るなんていうことはできない。
 早く歩こうにも、それも無理だ。「織部」にやっとの思いでたどりついたら、2、3分前に帰ってしまったという。
 
 色白で30歳前後の女性。こうなったらなんとしても会わねばという思いが強くなってきた。
 
 この女性が「織部」に置いていったという画廊での催しのはがき。「淫嬢展」とある。毒ぐもであろうか、太ももに一匹の黒いくもがはっている。この黒いくもが、これからどうなっていくのか?
 
 この女性、何者だろうか? そのへんを歩いているただの女性ではない。心の奥底になにか、ひそんでいる女性ではなかろうか。
 ぼくの妄想は、このくもが動き始めるところからひろがっていく。
 
 1967年(昭和42年)10月、先妻の舞踊家・ミカは、「伊藤ミカ・ビザール・バレエ・グループ」の旗揚げ公演に、フランス地下文学の傑作と評された『オー嬢の物語』を舞踊化した。今から47年も前のことだ。
 
『オー嬢の物語』は大好評で、「週刊新潮」などに紹介されたので、翌年の再演の時などは、700人収容の劇場に当日売りのお客で長蛇の列ができた。
 
 週刊誌を見て全国からお客が来てくれたが、その中に仙台に住むSMマニアの方がいた。この人のミカに対する気持ちと、ぼくが「織部」で会いたいと思っている女性への気持ちは、多少似通ったところがあると感じている。
 
 仙台の人がミカに寄越した手紙には、ものすごい妄想が描かれてあった。『オー嬢の物語』の次の公演を期待するものだ。
 
「題名は「奴隷ミカ昇天す」。奴隷ミカには、あらゆる屈辱、拷問、責め、苦痛が怒涛のごとく襲います。全裸のまま両手吊り、両足に鉄の枷をはめられたミカの胸といわず、背中といわず、連打される鞭、鞭。
 
 全裸に犬の首輪、くさりのふんどしをはかされ、四つん這いで歩く、奴隷ミカ。全裸に鼻ぐさりをつけられ、後ろ手錠、足枷をはめられ、鉄の檻に入れられた、奴隷ミカ。
 全裸の白い盛り上がったり尻に、ドレイと焼きごてを当てられるミカ。全裸の胸や、腹に無数の針を刺し貫かれるミカ。そして最後に十字架にはりつけにされ、再び、激しい鞭の乱打を浴びるミカ。
 
 舞台が暗くなり、やがて明るくなると、降りしきる雪に十字架だけが毅然と立ち、一糸まとわぬ奴隷ミカは、すでに息絶えているが、その顔には苦痛のあとはひとかけらもない。むしろ歓喜の相すら見えている。全裸の肌に鞭痕だけが、はっきり観客に見える。聖なる殉教者の神々しさが舞台にみなぎる。といったような、これは単なる小生の妄想に過ぎません。」
 
 人の女房に対して、とんでもない妄想をと思うが、こんな妄想を抱かせたミカはすごい女性だった。「織部」にくる女性に対するぼくの妄想などかわいいものだ。
 
 今の世の中、平凡な人間ばかりで面白くない。しかし、中国と戦争したらなんて妄想だけは持ってもらいたくないものだ。
 
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★「伝説の舞踊家・伊藤ミカ展」2014年11月28日(金)〜12月7日(日)まで、「渋谷ポスター・ハリス・ギャラリー」で開催。

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2014年10月 1日 (水)

10月25日(土)「文ちゃんと語る会」開催

来る10月25日(土)、器と珈琲の「織部下北沢店」にて、「文ちゃんと語る会」を開催致します。
 
日時・10月25日(土)午後17時~19時
場所・下北沢南口から4分、器と珈琲の「織部」
(〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3 電話03—5432—9068)
※各自飲んだ分の実費のみ
※女性の方も大歓迎!

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