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2014年10月31日 (金)

「朝日新聞」を怒らせた「週刊文春」の記事!

 ぼくは母校、世田谷学園の同窓会の役員会に欠席したことはない。そのためか本を出版するたびに新宿の京王プラザホテルで、出版を祝う会を開くと、同窓会と校長が立派な花輪を贈ってくれた。
 
 今の山本校長のお父さんは、ぼくの一年上の先輩だったが、出席してくれてスピーチもしてくれた。
 
 昭和56年(1980年)4月16日発行の「週刊文春」の奥付の「編集長からのメッセージ」欄に「縫合から編集長を引き継ぎます。6年ぶりのなつかしい古巣です」
 
 その編集長が村田耕二君、世田谷学園時代の何年かの後輩だ。村田君も同窓会の役員だった。
 
 34年ぐらい前の同窓会の役員会に出席したとき、先輩の大手ゼネコンのお偉方がきていて、当時の校長、杉邦雄先生と、村田耕二君と、なぜかぼくを誘ってくれて、新宿の歌舞伎町のクラブ「リー」に連れて行ってくれた。
 
 高級クラブだから、とってもそんなところへ行けるわけがない。舞台では踊りながら指揮をとることで有名だった、スマイリー小原さんのバンドが出演していた。
 
 歌手は朝丘雪路さんだ。その時の記念写真がまだ手許に残っている。ぼくだけがにこりともしていない。みんな笑顔なのに……。緊張していたのだろうか。
 
 それ以来、文春の村田耕二と親しくなった。ちょうど、『薔薇族』が百号の記念号を出したときだったので、「週刊文春」が3頁を使って記事にしてくれた。
 
 なんとその見出しが凄い。「〝ホモ界の朝日新聞〟『薔薇族』百号記念までの悪戦苦闘」とある。朝日新聞は怒ったそうだ。
 
 車内吊りのポスター、新聞広告の見出しを変えろと言われたそうだが、ポスターは印刷済みで変えられない。新聞広告の見出しだけは変えたそうだ。
 
 ぼくは47歳ぐらいの頃だったろうか。髪の毛もふさふさしているが、掲載されている写真はきびしい顔をしている。『薔薇族』の取材できて撮られた写真で、にこっとしている写真はない。すべて敵だと思うから、笑顔など見せられなかったのか。
 
 直木賞作家の胡桃沢耕史さんが、コメントを寄せている。
 
「誰も相手にしなかったホモの世界を地上に引き上げた『薔薇族』の功績は大きいですね。『薔薇族』という言葉は、日常語辞典の類にまでのっていますし、近いうちには国語辞典にものるんじゃないかな。
 
 今や「ホモの文芸春秋」とか、「ホモの朝日新聞」と言われるぐらいで、この世界では一つの権威になっています」と。
 
「ホモ界の朝日新聞」と、文春の記事に書いた本当の意味は、営業がかけずり回って、スポンサーを探さなくても、スポンサーの方から、広告を載せてほしいと頼みにくるが、朝日新聞だった。いかがわしい広告は審査が厳しくて載せてもらえなかった。
 その上、広告料が高かった。第二書房から出版した『匪賊と共に』や、『ぼくどうして涙がでるの』が、ベストセラーになったとき、朝日に広告を出したかったが、ついに一度も朝日には広告代が高くて出せなかった。
 
『薔薇族』も朝日と同じように、営業を使わなくても、自然に広告が集まってしまった。本当にありがたいことだった。
 
 世田谷学園は今や、進学校になってしまって、一流大学に入学する学生が増えている。ぼくのような異端な卒業生がいるということは迷惑なのかも知れない。
 村田耕二君は、文春の重役にまでなって、引退されている。それにしても当時の『週刊文春』の威力と効果はものすごかった。
 
★11月と12月の「文ちゃんと語る会」は、お休みにします。渋谷の「ポスターハリスギャラリー」での11月28日〜12月7日までの催し会場にいますので、気軽に声をかけてください。
 
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