いよいよ蚤の市が始まるぞ!
「文ちゃんのアンティークコレクション」と「伝説の舞踊家・伊藤ミカ写真展」が、11月28日から、12月7日まで、渋谷のポスターハリスギャラリーで開かれる。
今、この原稿を書いているのが、二日前の26日。ギャラリーの長谷川町子さんが、気合を入れて展示をしてくれている。これはスゴイ蚤の市になりそうだ。
ところが女房の久美子に、先妻のミカの写真展を開くということをどうしても言えなかった。
5年前に彩流社から『裸の女房』を出版したときに、銀座のキャバレー「白いばら」で盛大に出版を祝う会を開いたが、久美子は出席してくれた。
2DKの狭いマンションの部屋で、原稿を書いていたのだから、久美子にとってはあまり気分のいいものではなかったに違いない。
1971年の1月11日、33歳の若さで風呂場で亡くなった年の秋、北沢八幡宮のお祭りの日に、久美子は訪ねてきてくれた。
ミカが残した文人は、幼稚園に入園したばかりで、入園したときは入園式にミカが付き添い、卒園するときは久美子が付き添っていた。
文人を我が子のようにかわいがってくれ、家庭教師まで付けて勉強させたので、京都大学理学部にストレートで入ることができた。
ぼくの父親、母親を亡くなるまで、一緒に住み、最後まで面倒をみてくれた。これには感謝しないわけがない。
久美子にしてみては、ぼくがこそこそやっていることは、パーティの出欠のはがきがまいこんでくるから、分かっているのだろう。
バブルがはじけてからの日本は、落ち込むばかり。今の若い人はあまりにもかわいそうだ。日本の活気に満ちた1960年の熱気を知らないのだから。
たまたま45年前のミカの写真のネガを見つけ出した。幸いなことにネガはいい状態で保存されていた。
無名の舞踊家ミカに、当時、活躍していた超一流の芸術家たちが、こぞって力になってくれた。画家の金子國義さんが、舞台美術を担当してくれ、大道具の十字架に、黙々と絵を描いてくれた姿が今でも浮かんでくる。
1960年代という活気満々の時代のミカは産物だったのではないか。
「いつまでも過去を背負っている」と、久美子に言われるのはつらいけれど、もう一度ミカの迫力ある写真を若い人に見てもらって、1960年代の熱気を感じてもらいたいのだ。
「文ちゃんのアンティーク蚤の市」は、ギャラリーの長谷川町子さんが、展示に工夫を凝らしている。
戦前のアメリカから仕入れてきた、手刺繍のハンカチ。瀬戸の陶器のかわいいお人形、アメリカに輸出されたものが、また戻ってきたものだ。
パリでフランス料理が盛んだった頃のメニュー、これにシェフが料理の献立を書き込んだのだろう。これは貴重なコレクションだ。
アメリカのカリフォルニアの農場主がこぞって製作した、フルーツラベル。これはすばらしいもので、印刷、デザインがすぐれている。
パリの女性が使ったコンパクト。開くと鏡がついていて、使った女性の諮問が付いているような気がする。
まあ、いろんなものをよくも買い集めたものだ。買った時の値段は高かった。しかし、もうそんなものは忘れているから、とんでもない安い値段で売ってしまうつもりだ。
このTシャツを着て、街を歩けないかもしれないが、ミカの迫力ある写真入りのTシャツ。魔除けになるかもしれない。これは義理でも買ってもらいたい。
何がなんでも、会場に足を運んでください。会場で待っているから……。
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コメント
ブログ早速拝見しております!
本日帰り道をご一緒させていただいた者です。
本日は色々なお話をありがとうございました!こちらの記事で「活気」について書かれておりますが、まさに今日、私は文學さんから活気をいただいた気持ちです(笑)。
でも、本当は私の方が活気がないといけないなと反省いたしました。
薔薇族や、ミカさんの舞台に並べるようなものは、私には創り出せないかもしれませんが、今作りたいと思うものや、やりたいと思うことに、とにかく打ち込んでみようと思います。
長文失礼いたしました。週末もがんばってください!
投稿: 金曜日のユカ | 2014年12月 5日 (金) 20時06分
お疲れ様です。
先程ポスターハリスギャラリーお話させて頂いた池田 紗由美と申します。
今日は丁寧に色々な事を教えて下さり、本当にありがとうございました!
伊藤さんが帰られた後改めてミカさんのお写真を拝見させて頂いたのですが、どのお写真も当時の熱気やミカさんの力強いエネルギーを感じられて、何だか私まで背筋がスッと伸びるような感じがしました。
お写真とコレクションのポストカードも、今日の思い出と共に大切に部屋に飾ろうと思います(*^^*)
それでは改めて、今日は貴重なお話本当にありがとうございました!
日々寒さも厳しくなっていますし、お身体に気を付けてお過ごし下さい。
投稿: 池田 紗由美 | 2014年12月 2日 (火) 20時40分