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2015年1月

2015年1月31日 (土)

中国の人たちに知ってもらいたい話

 杉原千畝という外交官のお名前は聞いたことがあるのでは。第二次世界大戦中にリトアニアのクウチス領事館に赴任していた杉原さんが、ナチス・ドイツの迫害により、ポーランド等、欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。
 外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)発給して、およそ6000人にのぼる避難民を救ったことで知られている。
 
 その難民の多くがユダヤ系であったことで1986年に亡くなっているが、今でもユダヤの人たちから感謝されている人だ。
 
 ナチスはゲイの人たちのことも嫌っていて、多くのゲイの人達を虐殺している。密告によってゲイの人達が、あぶり出されたのであろうか。
 
 戦争は人間を狂気にする。恐ろしいことだ。終戦から70年になるそうだが、二度と戦争だけはしてもらいたくない。
 
 この話をあまり知っている人はいないだろう。中国の人たちに日本のことを感謝してもらいたい話だ。
 
 ぼくの祖父、伊藤富士雄の千人近い吉原の女郎さん達を救いだした話が載っている、中央公論社刊の『娼妓解放哀話』の中の話。
 
 明治5年6月のこと。横浜沖に碇泊した外国船があった。その船には大勢の中国人が乗っていた。その中の中国人のひとりが船員の眼を盗んで、同港に碇泊していた英国の軍艦に泳ぎついた。
 その中国人が艦長に「私どもは中国人ですが、南米ペルーの船が上海にやってきて、いい仕事があるから、船に働きにこないかというので、230人がやとわれて船に乗り込んでみると、船底に追い込まれて、ろくろく食べ物もくれません。水が欲しいというと、むちでひっぱたかれるという始末です。
 聞けば私どもは南米に連れて行かれ、そこで鉱山の仕事をさせるために、奴隷に売られるという話だ。なんとか助けてもらえないかと頼み込んだ。
 
 艦長はイギリスの公使に知らせたが、公使は中国人を解放するように忠告したのに、船長はその忠告を受入なかった。
 そこでやむをえず、イギリスの公使は、日本の外務省に頼み込んだ。外務大臣、副島種臣さんは、ただちに横浜で裁判を開かせ、「ペルー船長の行為は、奴隷売買で国際公法の禁を犯すものだ」と判決して、中国人230人を日本政府から、中国へ送り返してしまった。
 
 ところがペルーの政府は、この大江卓氏の判決に不服だと言って、日本政府に抗議を申し込んできた
 そこでロシアのニコラス皇帝を仲裁裁判長として、裁判のやり直しをすることになり、日本政府の委員6名と、ペルーの公使と共にロシアに出張して判決を受けたところ、ロシア皇帝は日本の行為をよしとして、ペルーの申し立てを非とする判決を下した。
 
 ところがペルー政府から依頼された弁護人は、裁判中に、こんなことを話した。
 
「奴隷売買が悪いということを日本政府から言われたくない。日本という国は公然と奴隷の売買をやっている国である。その奴隷は、もっとも残酷無慈悲な取り扱いを受けているではないか。その奴隷とは身代金で買い取られて、不道徳な行為をさせられている娼妓というもので、その数、じつに数万人に達しているではないか」と。」
 
 そのようなことがあって、日本政府も徐々に法律を改正して、お女郎さんが廃業できるようになっていったので、祖父たちが多くの女郎さんを救い出すことができたのだろう。
 すばやく事件を処理した、日本の外務大臣をほめていいのではなかろうか。
 
A
ロシアまで船で。なんとものんびりした話。
 
B
結婚当時の祖父と祖母
 
「文ちゃんと語る会」
2015年2月28日(土)夕方5時〜7時
「織部下北沢店」
〒155−0031 世田谷区北沢2−2−3 
TEL 03−5432−9068
 
女性も歓迎、ぜひ、お出かけください。

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2015年1月26日 (月)

ついに出会った「奇人・変人」の高須基仁さん!

 今の世の中、奇人、変人と言われるような人が少なくなってきたようだ。人間が画一化されてきて、はみだし人間が住みづらい時代になってきたからか。
 
 幸か不幸か、まさに奇人・変人と言っていいような人に出会うことが出来た。古い友人のカメラマン、中嶌英雄君が経営する音楽バア「まじかな」で、出版を祝う会を開くから来ないかと誘いを受けた。
 そこで出会ったのが、高須基仁という方だ。12月で寒い日なのに、派手な半袖のTシャツを着て、黒い帽子をかぶっている。
 
 この人、声がでかい。耳が遠くなってきたぼくにとっては、ありがたい人だ。集まってきた人は50人ばかりだが、マスコミの人、芸能人、交流関係が広い人だ。
 
 出版した本というのは、『慶応医学部の闇』展望社刊。「福沢諭吉が泣いている」とサブタイトルにある。
 
 慶応医学部といえば、1月30日号の「週刊ポスト」に、「政局激震スクープ」として、「安倍首相・ガン専門医を主治医に登用」という大見出しだ。
「後任者とされるのは慶応大学病院腫瘍センター(ガン専門初診外来)の高石官均・准教授である」
 自分の国の総理大臣を悪く言うのはいかがなものか。宗教団体の名誉会長など、数々の大物が入院している「慶応医学部」の闇をすっぱぬくとは勇気のいることだ。
 
 高須基仁(たかすもとじ)1947年12月9日生まれ、静岡県掛川市出身。中央大学経済学部を卒業後、大手玩具メーカーのトミーに入社。学生時代は全共闘の活動家で、警察に逮捕されたこともあるようだ。経歴を書いているだけで紙数がつきてしまうほど、いろんな仕事をされている。
 
 この本の内容を紹介するのは大変だ。読んでもらうしかないが、ドラマの「ドクターX」、かつての「白い巨塔」などで描かれている大学病院内の医師たちの権力争いは、本当のことのようだ。
 
 慶応大学医学部を卒業し、慶応病院に勤務していたが退職。現在、都内でクリニックを開業しており、医学部の同窓会の三四会の理事である、黒瀬巌という方、息子さんを「慶應義塾幼稚舎」に入学させた話だけでも、驚きだ。
 幼稚舎に入れるのに、いくら投資したかわからない。数千万、いや、もしかしたら億単位の金を費やしたかもしれないというのだから。
 幼稚舎の志願者数は、毎年1600〜2000人近い。その中で合格を勝ち取るのは、150人足らず。
 
 黒瀬さんというお医者さん、息子が合格したのが、よっぽどうれしかったのか、自分の息子と一緒に並んで頭を下げ、妻に写真を撮らせて画像をフェイスブックにアップし、「合格しました!」と打ち込んだ。2013年11月13日の9時59分のことである。
 ところが正式発表は、11時からだ、黒瀬はインターネット上で合格者を公表する前から息子の合格を知っていたのだ。そのことを自ら告白したに等しい。
 一部の人間は内部の人間を通じ、コネで情報を事前に知りうることができるのだ。
 
 金持ちの子供だけが、名門大学に入る時代、かつての総理大臣、田中角栄さんのように、小学校しか出ていない男が、総理に上りつめるような時代は、もう二度とこないだろう。
 
 年が明けて高須基仁さんを囲む新年会があったが、右翼の人もきていて、相変わらず大声でしゃべりまくる高須さん。二度しか会っていないが、今度、二人だけでトークショウをやろうと言ってくれた。ひとりでしゃべって、ぼくにはしゃべらせてくれないのでは。
 
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高須基仁さんとぼく 

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2015年1月24日 (土)

本人が強く生きていくしか解決の道は?

「孤立する性的少数者・半数以上“自殺考えた”50人面談調査」2015年1月12日の毎日新聞の記事は、ぼくにとっては悲しい記事だ。
 
 ぼくは「同性愛は異常でも、変態でもない」、そうであるならば「隠れていないで表に出よう!」と叫び続けてきたから……。
 
『薔薇族』を創刊してから、44年という長い年月が過ぎている。雑誌は廃刊になって10年にもなるが、今はネットのブログで叫び続けている。
 少しは性的マイノリティに対する世間の目も変わってきたのではと、自負していたが、この調査報告を読むと、45年前と少しも変わっていないではないか。
 
 この調査は性的マイノリティの「女性」に焦点を当てたもので、ゲイ(男性同性愛)の人たちは含まれていない。ゲイの人だけを調査したら、「半数以上、自殺を考えた」なんていう結果は出まい。
 
 性的マイノリティ(少数者)の人権をめぐる政策提言などを行う民間団体「ゲイジャパンニュース」(東京)が周囲に何らかの暴力を受けたことのあるトランスジェンダー(自認する性と体の性が一致しない人)や、同性愛ら性的マイノリティの「女性」50人に面談調査したところ、半数以上が「自殺を考えたことがある」と回答したことがわかった。
 この調査は日本では同団体が中心になり、東北から九州までの6地域で50人から話を聞いたとある。
 
「ゲイジャパンニュース」という団体は、どんな人達が運営し、どの程度の規模なのか、ネットを見れない、ぼくには分からない。
 
 この50人をどのような手段で見つけ出したのだろうか。自ら名乗り出る人はいないだろうが、今やネットの時代で、すでに自ら名乗り出て、活動をしている人たちなのでは。
 
 この50人の中では、レズビアンの人たちよりも、子供の頃から悩み続けてきた人たち、トランスジェンダーと呼ばれている人たちが多かったのでは。
 
 記事によると、
「「高校の時、女の子約10人に性別はどっちなんだと、衣服を脱がされた(女性に生まれ、男性を自認する人)」「豊胸手術をした時、叔父から興味本位で胸を触られた(男性に生まれ、女性を自認する人)」
 男として生まれたのに、女になりたい人、また逆に、女として生まれたのに、男になりたい人。
 本人も悩み苦しむ日々が続くだろうが、他人から見ても、なんとなく変だと思うから、いじめやすいのかもしれない。
 
「最多の31人が挙げたのが心理的暴力。「交際相手(女性)の母親から『生理的に許せない。気持ち悪い』と責められた。(女性に生まれ男性を自認する人)」「両親から同性愛の『治療』のため精神科を受診するよう説得され続けた」(同性愛女性)――などの差別を訴える声も聞かれた。「自殺について考えたことがある」と答えたのは、27人で自殺未遂経験者も5人いた。」
 
 さて、この問題は難しい。医師やカウンセラーと称する人でも、相談にのってアドバイスできないのでは。
 
 男が女になり、女が男になっても、本人が強い意志を持って、堂々と胸を張って生きていかなければ、どうしたって精神的に不安定になり、ウツになってしまい、自殺を考えるようになる。
 本人が強く生きていくしか、解決の方法はないのでは。ネットの時代だから、同じような悩みを持つ人たちを見つけ出し、励ましあって生きていってほしいものだ。
 
★ろくでなし子さんは、検察の手によって、起訴されたようだ。

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2015年1月19日 (月)

『芸術新潮』を警察は発禁にできるか!

 今の世の中、誰も気づかないようなことを研究したり、カメラマンだと誰も撮らないような写真を撮らないと話題にならない。
 2012年、新潮社から『股間若衆=男の裸は芸術か』という本が出版され、多くの新聞が紹介し、本も売れた。
 著者は東京大学文化資源学研究室教授の木下直之さん。ニコニコ動画で、木下さんと異端の女流画家と、ぼくとで生番組でおしゃべりさせてもらったことがあり、それから何度かお会いしている。
 
 新潮社刊『芸術新潮』1月号「特集・月岡雪鼎の絢爛エロス 肉筆春画レボリューション」。春画もすごい迫力だが、木下直之さんの「2014年夏のそして冬の性器をめぐる2、3の出来事・股間著聞集」、股間の話題なら木下先生、黙ってはない。8ページを費やしての警察への告発状ともいうべき、檄文をぜひお読みください。
 
 法の番人であるわいせつ物取り締まりの警察室の方々も、眼を光らせている。警察はいかがわしい物の多くを摘発することは困難だから、目立つものを見せしめとして摘発する。
 『薔薇族』は、4回も発禁処分を受けたが、他誌は一度も発禁処分を受けていないことでも理解できる。目立つものを発禁処分にすれば、他誌は自ずと自粛するからだ。
 
 木下さんは「ろくでなし子」のことを書いている。
 
「こんなふざけた名前の小娘(テレビニュースで見たらそう見えた)にお灸をすえれば、世の話題となり、現代日本の乱れる性風俗を少しは清く正しく美しい方向へと導くことができるだろうと。」
 
 2014年7月12日の朝に、突然、ろくでなし子さんは警察によって自宅で逮捕された。しかし、今のところ起訴されていないようだ。恐らく罰金で済むのではないか。
 
 木下さんはもう二つの出来事を書かれている。あまりに長いので紹介しきれないので、雑誌を買って読んで欲しい。
 
 パリのオルセー美術館で行われたルクセンブルク人芸術家デポラ・ドウ・ロベルティスさんによる自主パフォーマンスだ。
 クールベの絵(世界の起源)の前にどっかりと腰をおろし、クールベのそれは開き方が足りないとばかり、自らの性器を思いきり開いて見せたのだ。(この写真は『芸術新潮』に載っている。)
 
 インターネットでその様子を撮影し、載せられるや、瞬時に世界を駆け巡ったが、パリの警察は逮捕せずに、事情聴取をしただけだ。日本の警察と違ってわいせつ物に対しては、パリの警察は大人だ。
 
 もうひとつの出来事は、愛知県美術館でのこと。匿名の市民の通報から、開催中の「これらの写真」展、この中の弾性ヌードに取り組んできた鷹野隆大さんんお作品を警察は、陰部を露出している部分を隠せと言ってきた。
 結局は紫色の布で、その部分を隠して、展示を続けたようだ。その問題となった二人の男性ヌード写真を『芸術新潮』は載せている。
 
 本来なら発禁処分にすべきだろうが、『芸術新潮』なので、取締当局は踏み切れないのだろう。
 
 肝心のぼくの先妻の舞踊家、ミカのクラブ「スペースカプセル」での「静かの海の恐怖」と題してのショウ写真をTシャツにしてくれた人がいる。
 下北沢駅前の「ヴィレッジヴァンガード」が、そのTシャツを展示するコーナーを設けてくれた。なんとしても売らねばならない。ぜひ、ご協力をお願いしたい。
 
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2015年1月17日 (土)

「紅白歌合戦」にさようなら!

 82歳になるまで、大晦日のNHK「紅白歌合戦」を見なかったことは、ただの一度もなかった。
 
 新宿の靖国通りに面したQフラットビルの二階に「伊藤文學の談話室・祭」を営業していた時代は、大晦日の夜は、我が家で「紅白歌合戦」を見終わると、「祭」の従業員へのお年玉を持って、空いている甲州街道を走ってお店に行ったものだ。
 
 何日か前から大型のテレビを借りてきて、みんなで「紅白歌合戦」を見れるようにしていた。
 お店は超満員だ。そのうち神社の初参りをすませてきた、和服姿の人たちが続々とやってくる。
「おめでとう、おめでとう」の声がとびかう店内。いい時代だった。
 
 2014年、大晦日の「紅白歌合戦」。生まれて初めて見ずに、裏番組のテレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」を見てしまったのだった。
 何年も前から、ヒット曲が全くない演歌、若い人の歌は年寄りには面白くない。ただ演出、装置、照明には工夫が凝らされていて、さすがNHKと思ってなんとなく観ていたのだが……。
 
 テレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」も見ているものを飽きさせない工夫がしてあって楽しめた。歌手と一緒に口ずさむことが出来る昭和の名曲ばかりだから、楽しめないわけがない。
 
 ぼくは石原裕次郎さんの「石原裕次郎カバーソング・コレクション」という5枚組CDを通販で買って、いつも寝る前に聞いている。
 独特の甘い声で、優しさが伝わってくる。「小樽のひとよ」の小樽には一度行ったことがあるので、小樽の駅が目に浮かぶ。
「いつかどこかで」「遠くへ行きたい」どの歌も作曲もいいかもしれないが、作詞がいい。
 
 昭和の30年代、40年代はラジオ、テレビ、パチンコ屋からも歌が流れていたから、自然と耳に入って口ずさむことができた。
 作詞家も、作曲家の質も落ちてしまったのか。いい詞だなと思う曲は少ない。それに歌は三小節まであるのに、いつの頃からか、二小節で終わってしまう。
 時間が少ないのと、少しで多くの歌手に歌わせたいからだろうが、詞を作ったものとしては、三小節まで歌ってくれないと、表現しきれないのでは。
 
 今の時代、ヒット曲を生み出すことは、かなり難しくなっている。新人歌手がデビューすることは、なお難しい。
「紅白歌合戦」を見なかった理由は、ひとつのプロダクションの歌手に占領されてしまっているからだ。
 民放はともかくとしてNHKだけでもそれらの歌手たちの出演を少なくして、才能ある新人を見つけ出し機会を与えてほしいものだ。
 
 歌番組が終わってからのボクシングの試合は見応えがあった。以前はタイトルマッチの試合は一番最後で、前座試合を何組か見せていたが、それでは客を集められないのか、タイトルマッチを何組も見せてしまう。
 
 プロボクシングで日本選手最速のデビュー8戦目で世界2階級制覇を果たした、スーパーフライ級王者、井上尚弥(21)と、アルゼンチンの「生きる伝説」オマール・ナルバエス(39)を二回KO勝ちした試合はすごかった。
 一度もダウンしたことがない相手を二回でKO勝ちしたのだから、そのパンチはすさまじかった。リングに上った9歳の息子が泣いていた。負けた相手にかけ寄ったとき、その息子の頭をグローブで軽くたたいてほしかった。
 
 こんなすごい試合を三試合も見れたのだから、「紅白歌合戦」なんてくそくらえだ!
 
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2015年1月12日 (月)

35年間、『薔薇族』を出し続けてよかった!

「世田谷学園同窓会会報」が送られてきた。2014年度入試合格者数(既卒者を含む)が載っている。
 
 東京大学7名、早稲田大学110名、慶應義塾大学79名、上智大学103名、東京理科大学147名、ぼくの母校、駒澤大学は29名だ。
 
 この数字を見たら親がなんとしても世田谷学園に入学させたいと思うのは、当然のことだろう。世田谷学園に入学させれば、いい大学に入学できると思うから、自然と頭のいい学生が集ってしまう。
 
 彼らはどんな勉強をしているのか。授業が終わって帰宅してから、また、塾に通っているのだろうか。
 
 難関を突破して東大に入学した学生たち30名ばかりを目の前にして、教壇に座っている劣等生の代表のようなぼくがいるなんて不思議な気がした。
 
 話を始める前に、本をほとんど読まないので、同性愛を学問としては語れないが、35年『薔薇族』を出し続け、多くのゲイの人たちと出会い、さまざまな体験をしたことをざっくばらんに語りたいと、ことわってしゃべり出した。
 
 ぼくを招いてくれた、石丸径一郎先生から「学生にとってもなかなか聞けない、貴重なお話でしたし、私自身も楽しめました。また何かの機会によろしくお願いします。」とのお礼状とともに、学生たちの講演を聞いての感想文を送ってくれた。
 
 先生の話だと、女子学生は2割ぐらいしかいないそうだ。その理由は東大出というと、嫁の貰い手がないからとか。釣り合いの取れる男性が少ないということなのか。
 
 その少ない女性の感想文を引用させてもらう。
 
「大変貴重な話を聞かせて頂き感謝しています。お名前だけは存じ上げていたが、まさかお会いすることが叶うとは思ってもいなかった。また機会があれば、ゆっくりとお話しを伺いたい。」
 
「世代の違う人から同性愛など、性に関する話が聞けて、日本での扱われ方がわかった。ゲイではない立場から同性愛のこといついて、活動してきた体験談はおもしろかった。」
 
「当事者でないのに、ここまで同性愛文化に深く関わった方のお話を聞けて興味深かったです。同性愛を“趣味”と表現することには、私も違和感を覚えていました。リアルな経験談も聞けて面白かったです。笑」
「これまで講演されてきた方は、若い活動家が多かったと思うのですが、伊藤先生は戦後の偏見の強い時代において、35年も続けてこられたという点で、お話にも最も説得力がありました。
 活動家にしても、当事者(ゲイ)の方が圧倒的多数でありので、かなり自身の経験に則した主張をなされていたのですが、伊藤先生は真に客観的にゲイの世界を観察され、理解されていたことに敬服しました。」
 
「出版会における同性愛の歴史と共に、社会の裏側を見たように感じました。
 伊藤先生のようにノンケなのに、35年もの間、同性愛の雑誌を出版している方がいると知って驚きました。
 いろいろな意味で、あけすけな話が聞けてよかったです。」
 
 少年愛の話と、バイセクシュアルの話には疑問を持つ人がいたが、ほとんどの人が面白く聞いてくれたのはうれしかった。
 
 こんな機会を作ってくれた石丸先生には感謝するばかりだ。もっと少人数で、お互いにおしゃべりすることができればいいのだが。
 
 石丸先生のゼミに参加している学生たちだから、個人的には悩みを持っているようにも思えた。
 
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世田谷学園同窓会会報から
 
「文ちゃんと語る会」
2015年1月24日(土)夕方5時〜7時
「織部下北沢店」
〒155−0031 世田谷区北沢2−2−3 
TEL 03−5432−9068
 
女性も歓迎、ぜひ、お出かけください。

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2015年1月10日 (土)

美輪明宏さんは嘆く、現代はモノクロの時代なのかも。

 これほどまでにお金というもののありがたさを知ったことはなかった。
 
 ぼくのブログはなんと2005年4月25日(日)から書き始めている。
 一回目は「祭りの幕は上がった!」と題するもので、「伊藤文学の談話室・祭」のオープンの日のよろこびの文章を書いている。
 
 次は「美輪明宏さんの友情に感謝!」と題し、復刊したときに美輪さんは、ぼくと対談をしてくれて、復刊『薔薇族』に華を添えてくれた。
 
 それが去年の暮れに突然、ぼくのブログが見れなくなってしまった。前にも何度かそんなことがあったが、料金を滞納していたためだった。
 
 息子の嫁に経理をまかせているので、毎月の支払に苦労していることはわかっているから責められない。
 
 たまたまお金があったので、請求書を探しだして銀行から10万円ほど振り込んだ。大晦日にカフエ「織部」の店長に見せてもらったら、復活しているではないか。
 
 ブログを見てくれている多くの人たちのご支援で、ぼくはゲンキでボケずにブログを書き続けてこられた。これは生きがいになっているといっても過言ではない。
 
「文ちゃんと語る会」に出席してくれた、東京大学大学院講師の石丸径一郎先生から、ぼくに講演をしてほしいと言われたことがあった。もう忘れていたのに、突然、電話がかかってきて、暮れの22日に東大駒場の教養学部の校舎に来てほしいとのことだ。
 
 歩いても3、40分あれば行けるという、近くにある東大教養学部の校舎には一度も入ったことはなかった。
 講演をするという教室は、森ビルの亡くなった社長が東大出身ということで寄贈された近代的な建物で、5階はゼミなどに使うそうで、すべての設備が整った教室だった。
 
 ぼくの話はいつもぶっつけ本番だが、毎度しゃべってきたことなので、どんなことをしゃべれば笑ってくれるかということは、承知しているから、学生たちも何度も大笑いしてくれた。彼らにしてみれば、他の講師よりも体験したことばかりだから、面白かったのだろう。
 
 前にも書いた話だが、ぼくの母校、世田谷学園の校舎と、孫娘の通っていた国士舘、中・高校の校舎の比較。
 世田谷学園は機能的に作られているが、同じ色で直線的、国士舘は曲線をたくみに使い階段ごとにいろんな色を配していて、夢がある。
 
 東大の建物も色彩は、ねずみ色一色、装飾性はまったくなく、機能的なだけ。あとで昼食をごちそうになったレストランの古い建物、その重厚な木の重いとびら、家具もアンティークでまさに、教室の建物とは対照的だった。
 
 美輪明宏さんが東京新聞の1月4日に1頁を使って「戦後70年 美輪明宏 未来へ傘寿の提言」と題して語っている。
 
 なお「現代はモノクロの時代。機能性と利便性ばかり」「色彩のある文化を」「芸術家が集まる「発信地」がない。だから天才が減った」と見出しは続く。
 
 美輪さんと、ぼくの考え方は同じだ。
 
「現代はモノクロの時代です。都会のビル群、過程の電気製品、インテリア。ほとんど色がありません。白か黒か。機能性と利便性。そればかり。」と美輪さんは嘆く。
 
 下北沢南口の「イタリアントマト」の椅子に座って、表を通り過ぎる男性の服装を見ていると、色彩を使った派手な服を着ている人は少ない。
 
 確かに美輪さんの言うように「現代はモノクロの時代」なのかも。
 
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本年もよろしく。文学・久美子
 
「文ちゃんと語る会」
2015年1月24日(土)夕方5時〜7時
「織部下北沢店」
〒155−0031 世田谷区北沢2−2−3 
TEL 03−5432−9068
 
女性も歓迎、ぜひ、お出かけください。

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2015年1月 5日 (月)

東京大学に招かれたなんて夢のよう!

 頭の悪い、劣等生のぼくが、東大生を前にして教壇に立つなんて夢のような話だ。これも『薔薇族』を35年も出し続けてきたからだろう。
 
 去年の5月に神田の専修大学の講師の先生が、ぼくのことを招いてくれることになっていたのが、学校側から理由を言わずに、中止ということになってしまった。
 
 まだまだ同性愛に対する偏見があるということだろうか。
 
 東大の駒場にある教場だ。2014年12月22日、10時に正門の前で、ゼミの講師の石丸径一郎先生が待ってくれるということだ。
 
 石丸先生から先に渡されていた「2014冬学期 全学自由研究ゼミナール シラバス」という印刷物。まず「シラバス」ってなんのことか分からない。
 
 講義題目の「サステナビリティ・オランダゼミ・セクシュアル・マイノリティの社会参画」。これも意味不明だ。なんにも分からないのに教壇に立つなんて、申し訳ない。
 
「授業の目標・概要」これも難しい。
 
「近年、メディアでは異性装の「オネエタレント」が人気を博し、海外における同性婚の話題などセクシュアルマイノリティをめぐる社会状況が一般のニュースに上る機会も増えている。
 
 しかし人口の約5%を占めるとされているLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)など、セクシュアルマイノリティが、周囲の無理解や、制度上の不備に起因する葛藤に直面せずに「普通に」自らの能力を発揮できる状況にはほど遠い。
 
 世界的には、性別、年齢、民族やセクシュアリティの如何にかかわらず、ひとびとが活躍し、自らの幸せを追求できる仕組みづくりが目指されてきている。
 
 生産性や創造性を向上させ、重要な顧客層取り込みにつながるとして、ダイバーシティ・インクルージョンに積極的に取り組む有名企業も増えている。
 
 本ゼミでは国内外でセクシュアル・マイノリティの社会参画を推進するために尽力している人々や組織と交流し、また社会の中で彼らの存在がどのように可視化されているかフィールドワークを行う。」
 
 やたらと横文字が出てくるのには閉口してしまう。このくらいのことを理解できないようでは、東大には入れないのだろう。
 
 戦後の大学には「ゼミ」なんていうものはなかった。どんな風に運営されているのだろうか?
 
 森ビルの創業者が東大の出身者で、建物を寄贈されたそうだ。「駒場 21 KOMCEE(理想の教育棟)」機能的にはよく出来た建物ですべてが完備している。しかし、美輪明宏さんに言わせれば、建物の色が一色で、装飾性がまったくない。無機質な建物だから嫌がるに違いない。息がつまりそうだ。
 
 おしゃべりの最初に、ぼくは同性愛に関する研究所などを読んでいないから、自ら体験したことだけをしゃべりますと、断ってからしゃべり出した。
 
 1時間半、いつもしゃべっているような話だけど、30人ほどの東大生はよく笑ってくれた。
 
 東大生がぼくの話を聞いて、どんな感想を持ったのだろうか。感想文のようなものを書いて提出したようだから、あとで先生に聞いてみよう。
 
 前から構内にあるレストランが、すばらしいと聞いていたので、残った学生2人と、先生がお二人とで食事をした。
 
 古い建物で調度品も古い家具で、ぼくの好みですっかり気に入ってしまった。一番の収穫はレストランだ。ぼくを招いてくれた石丸先生に感謝。
 
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駒場の東大正門前で
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レストランの飾棚はアンティーク

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2015年1月 3日 (土)

買ったばかりの毛糸の帽子を落としたが……

 こんなにうれしいと思ったことはなかった。ぼくは太って脂肪がついているので、女房は寒がりだが、ひざと首だけを守っていれば寒さを感じない。
 
 下北沢の駅の方まで歩くと、汗ばんでしまう。それにやたらと暖房を強くしている店に入ると、たちまち汗ばんでくる。いいのか悪いのか。
 
 そんなぼくだけど、女房と下北沢に買い物に行ったとき、女房がロシア人がかぶっているような毛糸の帽子に目を留めて、帽子屋に入ってしまった。
 
 愛想のいい女店員に「お似合いで」とほめられたので女房は買ってしまった。ぼくも頭に毛がないし、耳は冷たくなる。
 耳まですっぽりかくれる、頭にふさがついたかわいい帽子を衝動買いしてしまった。
 5千円で少しおつりがきたが。
 
 翌日、女房に買い物を頼まれたので、ガラガラを引き、昨日、買った帽子をかぶって、スーパー「オオゼキ」に。
 
 ぼくは朝食用に自分好みのものを買っている。野菜はごはんを食べる前に食べる。まずトマト、きゅうり、キャベツと、これは欠かせない。あとは半ぺん、納豆、ちりめんじゃこは、渋谷の東急プラザのち家の食品売り場で顔なじみになっている、おばさんがいつもおまけをしてくれるので、二袋はいつも冷蔵庫に入っている。
 それと大根も欠かせない。大根おろしをして、その上にちりめんじゃこをのせ、醤油をかけて食べるとうまい。
 
 来年3月になると、東急プラザは取り壊されてしまう。ちりめんじゃこを大量に買って冷凍しておこうと考えている。
 
「オオゼキ」で買い物をして外に出たが、暖房しているので、すでに汗ばんできている。帰り道にある大きな靴屋の横丁にある、カフエ「織部」に寄った。店長は日曜日はお休みしているのを知っていたが、「朝日新聞」と「日経新聞」が、ぼくのためにのように置いてある。いつもじっくりと二紙を読ませてもらう。
 
 わが家は「東京新聞」しかとっていないが、大方のニュースは事足りる。「日経新聞」は日本の経済状態だけでなく、世界各国の経済状態を知ることができる。
 
 文化欄も充実していて、今、欽ちゃんが連載していて、これは欽ちゃんが有名になっていく過程を知っているだけに面白い。
 
「織部」も暖房がきいていて、からだがあたたまってしまった。熱いコーヒーをのんでしまったので、なおさらのことだ。
 
 外に出たら寒さが気持ちいい。マフラーと帽子をガラガラの後ろのポケットみたいなところに押し込んだ。
 
 家に帰って買い物をした食料品などを出すと、後ろの底が浅いポケットに入れたはずの帽子がないことに気がついた。黄色いマフラーは入っていたが。昨日、買ったばかりの毛糸の耳がすっぽり入る帽子。道路に落としてしまったのだ。
 
 よく駅まで行く歩道を歩いていると、片方だけの手袋とか、子どもの靴だけが落ちていることがある。誰かが拾って目のつくところに置いてあるのを見かけたこともある。
 なにしろ昨日、買ったばかりの真新しい毛糸の帽子。誰かに拾われてしまっただろうと諦めていた。
 
 翌日の午後、頑張って300枚近い年賀状を書き上げたので、ポストに入れようと思っていつもの道を歩き出した。
 
 なんと人家の目のつきそうな垣根に、ぼくの買ったばかりの帽子が置いてあるではないか。
 
 うれしかった!
 
 日本人ってさすがだ。ありがたい。その1日、心あたたまる思い出過ごすことができた。
 
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「文ちゃんと語る会」
2015年1月24日(土)夕方5時〜7時
「織部下北沢店」
〒155−0031 世田谷区北沢2−2−3 
TEL 03−5432−9068
 
女性も歓迎、ぜひ、お出かけください。

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